こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

ヨセフ・アイデルバーグ『大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族』―これだけ一致するとそうなのかなと思うが疑問点も多い


大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族 (たまの新書)大和民族はユダヤ人だった―イスラエルの失われた十部族 (たまの新書)
ヨセフ アイデルバーグ Joseph Eidelberg

たま出版 1995-07-01

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 今から2700年前、サマリアを首都とする古代イスラエル王国はアッシリア軍の攻撃を受けて滅亡し、イスラエルの領土はアッシリア帝国の一地方区となった。この時、「帰らざる十部族」として知られる、サマリアを追われた人々は東方の霧深い山のかなたに消え失せ、その後の運命を知り得る有力な証拠は残っていないとされる。だが、本書の著者を含む一部の人々は、十部族は日本にたどり着いて日本民族になったと主張する。現に、ヘブライ文化と日本文化を比較してみると、驚くほどに共通点が多いことが本書では示されている。

 ①日本語で天皇を示す「スメラミコト」、古代の王朝を表す「ヤマト」、そして現在の国名である「二ホン」には、語源らしい語源がない。しかし、これらの言葉はヘブライ語ではそれぞれ、「サマリアの臣下」、「神の民(「ヤマト」を「ヤ・ムマト」と読む)」、「聖書の信奉者」という意味になる。神武天皇の称号「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト(神倭伊波礼昆古命)」も、日本語的には意味不明だが、ヘブライ語では「サマリアの皇帝、神のヘブライ民族の高尚な創始者」となる。

 ②旧約聖書には、エジプトで奴隷として働かされていたイスラエル人が、神の啓示を受けたモーセに導かれれて約束の地カナンに旅立ってから40年後、モーセが山に登り、神が子孫に与えた国を見渡したという話がある。一方、日本では、日本人が葦原へ旅立ってから37年、神武天皇が山に登り、神が子孫に与えた国を見渡したという神話が残されている。この「葦原」が現在の日本のどこを指すのかは解っていない。ただ、「カナン」という名は、ヘブライ2文字の合成語「カヌ・ナー(CNNE-NAA)」で、「葦原」を指すと解釈することができる。

 ③神武天皇が葦原にヤマトを建国して以降、ヤマトは周辺民族からの攻撃に苦しめられることとなった。この歴史はちょうど、古代ヘブライ人がカナンに定着して以降、蛮族の攻撃に苦しめられた歴史と重なる。

 ④旧約聖書では、モーセの死後約500年間の記述が極端に少ない。そして、モーセの死から約500年後に突如、古代イスラエル王国の王であるダビデが登場する。同様に、日本書紀でも、神武天皇の死後約500年間の記述がほとんど見られない。そして、神武天皇の死から約500年後に登場する崇神天皇から、記述量が増える。よって、ダビデ=崇神天皇ではないかと考えられる。

 ⑤ダビデが崇神天皇であると推定されるのと同様、ダビデの次の王であるソロモンは、崇神天皇の次の天皇である垂仁天皇だと推定される。ソロモンは巨大神殿を築き、垂仁天皇は伊勢神宮を建造したという共通点がある。古代ヘブライ人には太陽に馬を捧げる習慣があるが、日本では、伊勢神宮に祀られている天照大御神に馬を捧げる風習がある。天照大御神とは太陽神である。

 ⑥景行天皇の時代、国は絶えず蛮族からの襲撃に悩まされていた。蛮族の1つである熊襲を平定すべく名乗り出たのが日本武尊である。日本武尊は、衣の下に剣を隠し熊襲の首領を刺したが、実はこの話は、士師エホデが衣の下に剣を隠し、ケモシ(モアブ)人の首領を殺したという聖書の話と同じである。さらに言えば、日本武尊は熊襲の首領を殺害した後、残忍な神々を探して伊吹の山に向かい、ノボの荒野で亡くなったとされる。この話を旧約聖書と照らし合わせてみると、伊吹とはヤボクの近辺の高い山々であり、またノボの荒野はネボの荒野であると見られる。それぞれの場所はケモシ人の古代王国にあり、ネボの近辺は紀元前850年にヘブライ人とケモシ人が戦った由緒ある戦跡である。

 ⑦大化の律令とヘブライ律法には多くの類似点がある。ヘブライ律法では土地は国有とされたのと同様に、班田収授法でも土地は公有とされた。律令では6年間土地を耕作し、7年目は休息の年としたのに対し、班田収授法では7年目は土地の再分配の年とされた。また、通説では都市行政は当時の唐に倣ったとされるが、実は律法の中に、区画整備や警察に関して極めて類似した記述がある。そもそも、「大化」という言葉には明確な語源がなく、ヘブライ語の「TIKWA」=「希望」から取ったのではないかと考えられる。

 ⑧カタカナはヘブライ文字の楷書に、ひらがなはヘブライ文字の草書に近い。ヘブライ語と発音が近い日本語は約3,000もある。日本は大陸から漢字が持ち込まれるまで文盲の時代が続いたとされるが、実際には、古代の祭司はヘブライ文字を知っていた可能性がある。三種の神器の1つである鏡の裏には"I am that I am."(私は有って有る者である)という、カナンで主がモーセに言った言葉が記されているらしい。祭司はヘブライ文字を神の宝として守ってきたものの、仏教が日本に定着した理由の1つが漢字にあったことに気づいて、ヘブライ文字を隠し場所から取り出し、宗教外の使用に用いることに決めた。

 これだけ共通点があると、確かに十部族は東方へと逃れ逃れていった結果、日本民族になったという説を信じたくもなる。だが、その反面、疑問点もある。

 まず、イスラエル王国の首都サマリアが陥落したのは、アッシリア王サルゴン2世の猛攻を受けた紀元前722年である。本書では、ヘブライ人(十部族の末裔)が日本にやってきたのは弥生時代中期の紀元前60年頃であるとされている。つまり、日本に到着するまでに約660年かかっている。1代30年とすると、約22代かかる計算である。さらに、イスラエルから日本までは直線距離で約9,000kmもある。約660年間=約22代もの時間をかけて、9,000km以上もの距離を、民族の記憶を保ちながら移動することが果たして可能なのだろうか?

 仮にそれが可能だとして、旧約聖書の記述と日本神話(日本書紀)の内容に多くの一致点を認めるならば、十部族は東方への移動時に、旧約聖書の一部(イスラエル王国滅亡までの部分)を完成させていたはずである。もし口伝に頼っていれば、約22代もの世代交代が行われる中で、間違いなく物語が変質してしまい、日本に伝わり日本書紀に反映された物語と、現存する旧約聖書の内容に齟齬が生じるからである。だから、十部族は、文書化された旧約聖書の一部を持ち歩きながら移動したと考えるのが自然であろう。だとすると、移動ルートのどこかで、その旧約聖書が発見されていなければおかしい。しかし、移動ルートの途中はおろか、日本でもそのような旧約聖書は1冊も見つかっていない。

 本書では、崇神天皇をダビデ、垂仁天皇をソロモンに推定している。他方、他の天皇についてはどのような推定が行われたのか/行われなかったのかが不明である。日本書紀は、神代から持統天皇(第41代)にかけての史書である。仮に旧約聖書の内容に忠実であるならば、日本書紀が扱う時代は、モーセとイスラエル王国の王をつなぐ血縁、ならびにイスラエル王国19代の王と忠実に対応しているはずである。しかし、本書を読む限り、この点は判然としなかった。インターネット上では、モーセ=神武天皇説も見られるものの、本書は上記②の共通点を指摘するのみで、モーセが神武天皇であるとは書いていない。

 前述の通り、十部族の末裔が日本に来たのは紀元前60年頃である。当時、既に日本列島には弥生人が住んでいた。十部族の末裔がどの程度の規模で日本に流入したのかは定かではないが、彼らがすんなりと弥生人の社会に融合したとは考えられず、一定の軋轢を生んだであろうことは容易に想像できる。その軋轢から融和に至る過程がどのようなもので、それは日本書紀の記述にどんな形で反映されているのか、あるいは十部族の末裔にとって不都合であるなどの理由から、意図的に日本書紀から外されているのかどうかも解らない。

 最大の疑問点は、旧約聖書が一神教であるのに対し、日本神話が多神教であるという違いをどう理解すればよいかという点である。日本で最初に誕生した神は伊邪那岐と伊佐奈美であり、そこから天照大御神、月読、素戔嗚が誕生し、さらに様々な神々が生まれた。これらの神々(天つ神)に対して、旧約聖書がどう対応しているのかは本書から読み取れない。

 これは、日本の土着の多神教に、十部族の末裔が持ち込んだ物語が融合した結果だと見ることもできるであろう。しかし、ヘブライ人にとって、唯一神とは絶対的で完全無欠な存在であり、弥生人が多神教、しかもどこか人間臭い神々を信仰しているからという理由だけで、簡単に唯一神を捨て去ることができたのかどうかは疑問である。もし、十部族の末裔が一神教を捨てて自らの物語を多神教に接合した場合、そこには何らかの歪みや葛藤が生じるはずであり、それが日本書紀のどこかに発露していないかどうかを考察してほしかった。

 最後にもう1つ。紀元前60年頃に日本に到着した十部族の末裔は、弥生人と融合した後、なぜすぐに自らの文字を使わなかったのかという問題である。本書では、上記⑧の通り、十部族の末裔はヘブライ文字を神の宝と見なしていたから長期間に渡って使用しなかったとある。だが、もしそうだとすれば、旧約聖書自体は(諸説あるものの)紀元前の相当古い時期から断続的に書き記されていることと矛盾する。また、日本書紀は、天武天皇が編纂を命じ、元正天皇の720年に完成した。日本書紀が旧約聖書を大いに参照しているのであれば、このタイミングでひらがな・カタカナが用いられなかったことも不思議である。

 さらに、上記⑧で書いたように、ひらがな・カタカナの使用が漢字による仏教の布教に刺激されたとすれば、古代において最も仏教が盛んだった時期、すなわち、鎮護国家の思想を掲げ、東大寺に廬舎那仏を建立した聖武天皇(701~756年)の頃から、ひらがな・カタカナが使われ始めたと考えても不自然ではないだろう。これもまた諸説あるのだが、カタカナは天平勝宝年間(749~756年)に吉備真備ら多くの学者によって作成されたという説がある。一方、ひらがなに関しては、10世紀前半に完成したと考えられていたが、最近になって9世紀の文字が発見されたという。仮に、ひらがな・カタカナがヘブライ文字に基づいているならば、両者の使用時期に100年ほどの差がある理由を説明できない。

宮田律『イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか』―カネで外国から尊敬を買える時代はとっくに終わっている


イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか (新潮新書)イスラムの人はなぜ日本を尊敬するのか (新潮新書)
宮田 律

新潮社 2013-09-14

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 この本も、一種の「日本礼賛本」であろう。著者によれば、日本とムスリム社会には、正義の遂行、言行一致、勇敢さ、忍耐、誠実、人情、ウェットな人間関係、面倒見のよさ、集団主義といった共通のメンタリティがあるという。ムスリムは日本の精神をもっと学ぶべきだという風潮があるそうだ。だが、私にはこうしたメンタリティの退廃が日本では著しい速さで進んでいるような気がしてならない。

 明治時代に日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一は、『論語と算盤』という著書の中で、「経済と道徳は両立できる」と説いた。実際には、「『論語』を持って経営をしてみせる」と言っていたぐらいだから、経済よりも道徳の方が優先されると考えていたのだろう。ところが、最近の日本企業では、経済と道徳の優先順位が逆転してしまっているように思える。

論語と算盤 (角川ソフィア文庫)論語と算盤 (角川ソフィア文庫)
渋沢 栄一

角川学芸出版 2008-10-25

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 企業がそれなりの規模になると、今の成熟社会においてさらに成長するためには、より大きな案件やプロジェクトを取ってこなければならない。そこに、アメリカ式の個人主義、明確な職務定義書、成果主義といった考え方が流入すれば、社員個人の仕事の範囲は限定され、顧客とじかに接する機会が減少することはもちろんのこと、隣の部署、さらには隣の社員が何をやっているかも解らないという状態に陥る。つまり、仕事を通じた人間関係が恐ろしいほどに希薄になる。だから、自分1人ぐらい仕事でミスをごまかしてもバレないだろうと考える輩が出てくる。後から案件やプロジェクトの不正が発覚しても、内部では個々の細分化された仕事が複雑に影響し合っているから、原因の特定が困難になる。

 大きな案件で大変な思いをしたくないという企業は、金融経済に参入する。実体経済は成長が見込めないが、金融経済ではあたかも無尽蔵にマネーを増大させることができるような幻想に浸っている。実際、金融経済は「期待」によって動く世界である。ある対象物の価値が将来的に上がると期待して、その対象物に投資する。実体経済の需要は人口によって制限されるのに対し、期待はあくまでも気持ちであるから、いくらでも膨らませることができる。しかし、膨らみすぎた期待はやがて破裂する、つまりバブルがはじける。すると、金融経済は、次に期待できるものをすぐさま用意する。サブプライムローンが破綻したのならば、次は仮想通貨だといった具合にである。そこには人間関係を差し挟む余地はないし、その経営姿勢の根底には、およそ道徳と呼ぶべきものは見当たらない。

 このようにして崩れた人間関係を取り戻そうと、我々はSNSに飛びついたが、匿名を基本とするtwitterは常に誰かを炎上させようと狙っている意地悪なツールになってしまったし、実名公開を基本とするFacebookも、自分がいかに充実した日常生活を送っているかを自慢する自己本位な場を超えないと感じる。インターネットの世界では、匿名だから罵詈雑言が飛び交うのであって、実名ならばそんなことはないと信じられていたのに、ほぼ実名公開に近いLINEでは、子どものいじめが問題になっている。匿名か実名かは関係ないのである。

 SNSは人間関係を取り戻すには不十分である。真の人間関係とは、何よりもまず生身の他者と直接対峙することである。そして、自らの透明度を高めて、自分が何者であるかを極限まで開示する。すると、相手が自分を信頼してくれるようになる。同時に、「相手が自分のことを十分に知っている以上、それとは矛盾する行動や、相手を裏切るような行為は絶対にできない」という緊張感が生まれる。相手からの信頼を資源として、相手が何を必要としているのか、どのような価値を求めているのかをくまなく読み取る。それを受けて、相手との間にある緊張感で身を律しながら、相手の要求の端々にまで厳格な姿勢で応えていく。これが正義、勇敢さ、誠実といったメンタリティではないかと思う。
 日本には政治的野心がなく、日本が主に望むのは経済交流だということを(※ウズベキスタンの)大統領も知っていて、日本に対して何か政治的役割を果たしてほしいという発言は聞かれなかった。
 これが本書の中で最も私を悲しくさせた一文である。イスラームの国々が日本を尊敬しているといっても、結局は経済支援がその理由なのである。要するに、イスラームの国々からの尊敬は、カネで買ったものにすぎない。だが、カネしか出さない国は、国際社会から本当の意味では評価されないことを我々は湾岸戦争で学んだはずである。1991年の湾岸戦争の時、日本は総額130億ドル(約1兆5,500億円)もの巨額の資金を多国籍軍に提供した。クウェート政府はアメリカの主要な新聞に感謝広告を掲載したが、「クウェート解放のために努力してくれた国々」の中に日本の名前はなかった。これが国際社会の現実である。

 アメリカやロシアのように、中東の国々の政治・経済体制を自国にとって有利なように強制変更させるような政治的野心は持つ必要はない。しかし、小国である中東の国々が紛争を減らすことができるような国家作りの支援ならば、同じ小国である日本にもできるはず、いや日本がすべきであると考える。ブログ本館の記事「『正論』2018年8月号『ここでしか読めない米朝首脳会談の真実』―大国の二項対立、小国の二項混合、同盟の意義について(試論)」でも書いたように、大国であるアメリカとロシアは、二項対立関係にある双方が直接衝突するとあまりにも大規模な戦争に発展してしまうため、自国にとって味方となる小国を集め、その小国に代理戦争をさせている。その典型が中東である。

 小国は大国の思惑通りに代理戦争に巻き込まれるのを防ぐため、対立する両大国の政治、経済、社会、軍事制度などの諸要素を”二項混合”的に吸収し、自国の歴史、伝統、文化の上に独自の国家体制を構築する。さらに、独自の国家体制のメリットや価値を両大国に訴求する。これによって、小国は独立性を保ちつつ、スパイ活動という危険を冒さなくとも、アメリカの情報がその小国を通じてロシアに、ロシアの情報がその小国を通じてアメリカに渡るという状況を作り出すことができ、双方ともその小国には簡単に手出しができなくなる。同時に、代理戦争によって対立していた近隣の小国にも同様のアプローチを取るように促し、代理戦争そのものを無効化する。これを「ちゃんぽん戦略」と呼んでいる。

 中東で紛争が絶えない原因は、もちろんアメリカとロシアの過剰な介入にも原因があるのだが、ムスリムは基本的に二項対立的な世界観に生きているからでもある。セム系のムスリムは二項対立的な発想をすると指摘したのは山本七平であった。大国同士は、二項対立的発想が深刻な紛争を招くのを防ぐ仕組みを自国の中に持っている。ところが、中東の小国が二項対立的な発想をすると、自国=正義、他国=敵という構図を生み出しやすく、紛争の温床になる。

 本書で紹介されている例で言えば、ハワーリジュ派は、この世界を「信仰」と「不信心」、「ムスリム(神への追従者)」と「非ムスリム(神の敵)」、「平和」と「戦争」に分けて考える。サウジアラビアのワッハーブ派も、全てのムスリムは不信心者と戦う義務があると考えている。エジプトのサイイド・クトゥブは、世界は善の力と悪の力、神の支配に服従する者とそれに敵対する者、神の党派と悪魔の党派に分かれると主張した。基本的に、彼らにとっての敵とは欧米諸国のことなのだが、矛先が中東の近隣諸国に向けられると紛争が勃発する。

 セム系の二項対立的な発想は彼らの本質であるから、その思考回路を変えるのは容易ではないだろう。日本は神仏習合に見られるように、歴史的に見れば二項混合的な発想をすることに抵抗のない国であるものの、本格的に二項混合を行うようになったのは明治維新以降と考えてよい。歴史の浅さというハンディキャップを乗り越え、イスラームの本質を十分に理解した上で、中東のそれぞれの小国がそれぞれの国のやり方で二項混合的な国家建設を行うのを支援することが、日本にできる政治的貢献であると考える。

 「イスラームの本質を十分に理解した上で」と書いたが、中東を政治的に支援するにあたって難題となるのがコーラン(クルアーン)の扱いである。西欧諸国にとっては、法治国家は宗教から切り離されたものというのが当然のこととされている。しかし、中東においては、コーランとそれを法源とするイスラム法という宗教が共同体や人々の生活を規定する法律として立派に機能している。

 そもそも、何が宗教で何が法律なのか、厳格に線引きをすることは非常に難しい。西欧諸国は、近代法は啓蒙主義の洗礼を受けた合理的なものであり、宗教は前近代的であると批判する。しかし、例えば、「殺人を犯した者は懲役15年以下に処する」という法律があった場合、「懲役15年以下」という量刑にどれほどの合理性があるか説明できる人は皆無に等しいだろう。他の刑罰の選択肢もあるのに(中世には様々な刑罰の種類があった)、なぜ懲役が選ばれたのか、15年以下という長さがなぜ妥当なのか、これらの問いに対する合理的な答えはない。人々が何となくそういう刑罰、そのぐらいの刑罰に処すれば、社会的制裁として十分であろうと「信じている」からにすぎない。

 やや話が逸れるが、西欧諸国、もっと範囲を広げて、日本を含む資本主義国は、見方を変えると皆宗教国家である。資本主義国家が崇めているのは貨幣である。貨幣など、物質的にはただのコインや紙切れである。しかし、そのコインや紙切れに価値があり、モノやサービスの価値を可視化することができ、さらにモノやサービスと交換可能であると広く人々が信じているのが資本主義国家である。資本主義とは、貨幣礼賛教のことだと言い換えてもよいだろう。

 貨幣も、その価値や使途に関するルールを内包している存在であると広くとらえれば、宗教と法律とを厳密に区分することはいよいよ難しくなる。ブログ本館の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『中学生でもわかるアラブ史教科書』―アラブ世界に西欧の「国民国家」は馴染まないのではないか?」で書いたように、中東においては、宗教国家という方向性を真面目に検討してもよいと思う。日本は明治時代に神道を国教として宗教国家を目指し、太平洋戦争によって大きな痛手を被った経験がある。日本は、自らの歴史を踏まえながら、健全に機能する宗教国家の条件を提示することができるのではないかと考える。

 法律も宗教も、「共同体や社会の中で、他者に迷惑をかけずに生きるにはどうすればよいのか?」、「他者に対してより積極的に貢献するには何をすればよいのか?」といった問いに対する答えを示している。法律は国家の権力をバックに、宗教は神の存在をバックに、これらのルールを明確にしたものである。そして、法律や宗教にルールを供給しているのが、道徳である。安岡正篤によれば、道徳の存在なくして法律も宗教も生まれない。道徳、法律、宗教は密接な関係にある(『「人間」としての生き方』〔PHP研究所、2008年〕)。

「人間」としての生き方 (PHP文庫)「人間」としての生き方 (PHP文庫)
安岡 正篤 安岡 正泰

PHP研究所 2008-03-03

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 今、日本が中東各国を支援するには、本記事の前半で述べた「道徳の喪失」という問題を解決しなければならない。道徳を取り戻した日本がちゃんぽん戦略の実行と宗教国家の構築という、言わばソフトとハードの両面からサポートをする時、日本は本当に中東から尊敬される国になるであろう。著者は、中東では日本のポップカルチャーが人気だから、日本は中東から尊敬されていると言う。しかし、ポップカルチャーは流行に左右されやすいものであり、ムスリムがそれに飽きれば日本は簡単にポイ捨てにされる。国際貢献の何たるかを理解していれば、こんな軽薄な発言は出てこないはずである。

キャシー・クラム『メンタリング―会社の中の発達支援関係』―【自戒】メンタリングはマネジャーの役割を拡張するものではないのか?


メンタリング―会社の中の発達支援関係メンタリング―会社の中の発達支援関係
キャシー クラム Kathy E. Kram

白桃書房 2003-06

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 本書の帯には「メンター、メンタリングとは何か。経営組織という文脈における発達支援的関係の理論を実証データを基に打ち立てた『古典』的著作」と書かれているぐらいだから、「メンタリングを導入しようとしている企業、あるいはメンタリングに関するコンサルティングや教育研修サービスを提供している企業は絶対に読むべし」と言っているようなものだろう。

 著者はメンタリングの機能をまずは「キャリア機能」と「心理・社会的機能」という2つに分けている。その上で、「キャリア機能」には、①スポンサーシップ(メンティー〔※メンタリングを受ける人〕の昇進や、希望するポジションへの異動を支援する)、②推薦と可視性(①と似ているが、メンティーが希望通り昇進・異動できるように関係者に直接働きかけ、メンティーがそのポストにふさわしいことを具体的な事実をもって示す)、③コーチング、④保護(メンティーに害を与える可能性のある上位の役員などのコンタクトからメンティーを保護する)、⑤やりがいのある仕事の割り当て、という5つの機能があるとする。

 もう1つのカテゴリーである「心理・社会的機能」には、①役割モデリング(例えば、マネジャーとはどういう人物であるべきなのかを、マネジャーであるメンターが示す)、②受容と確認(メンターがメンティーに対して肯定的な関心を持つ)、③カウンセリング、④交友(お互いを気に入り、仕事でも仕事以外でも楽しいインフォーマルなつき合いをもたらす)、という4つの機能が含まれる。

 私は本書を読んで、「メンタリングは上司であるマネジャーの役割を拡張するものではないか?」と感じた。ブログ本館の記事「比較的シンプルな人事制度(年功制賃金制度)を考えてみた」で、どの企業でも共通して求められる能力を導く際に、「タスク志向―人間関係志向」と「短期的―中長期的」という2軸でマトリクスを作成し、「問題解決力(タスク志向&短期的)」、「コミュニケーション力(人間関係志向&短期的)」、「構想力(タスク志向&中長期的)」、「組織を動かす力(人間関係志向―中長期的)」という4つの能力を導き出したが、メンタリングはこのうち「コミュニケーション力」に該当すると考えられる。言い換えれば、メンタリングとは、部下の育成を、キャリア開発の視点から、また心理的側面を取り入れながら行うものである。事実、本書で紹介されている様々なメンタリングの事例は、いずれも上司―部下関係を扱ったものばかりである。

 私の前職は組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供するベンチャー企業であった。2006年春にコンサルタントとして入社した私は、2008年夏の事業再編で思いがけず教育研修サービス事業に異動となり、自社のマーケティングも兼務するようになった。マーケターとしてそれぞれの研修サービスの売上高を見た結果、一番数字が悪かったのがメンタリング研修であった。

 しかも、メンターには上司とは別の第三者を割り当てることとされていた。確かに、上司には直接相談しにくいことを第三者に言いたい時もあるだろう。大企業の中には、職場からは切り離されたキャリアカウンセリング室を設けているところもある。だが、本書に書かれているメンタリングがメンタリングの王道であるとするならば、メンターを第三者にするにはよほどの理由が必要である。メンタリング研修を開発した担当者は、本書を読んだのかと今さらながらに思う。

 第三者も同じように部下を抱えており、日常業務と部下の育成に忙しい。そこに、どこか別の部署の、素性もあまりよく解らない人間のメンタリングもせよと言われたら、現場が猛反発するのは必至である。では、あまり忙しくない第三者にメンターをお願いすればよいかと言うと、それもまた疑問である。これだけコストにシビアな時代なのに、企業が忙しくない社員を抱えておく余裕などない。仮にそういう社員がいたとしても、メンティーは「あまり忙しくない第三者」=「この企業で上がってしまった人」と見なし、メンターを軽視する可能性が高い。

 百歩譲って、メンターを第三者にする方が効果的であるとしよう。その際、”適切な”第三者を選定するために、メンターは、メンティーと階層が離れている方がよいのか、近い方がよいのか?メンターの職種は、メンティーの職種と近い方がよいのか、遠い方がよいのか?メンターの年齢は、メンティーの年齢と近い方がよいのか、離れていた方がよいのか?メンター自身の最近の人事評価の結果の傾向は、メンティーのそれと近い方がよいのか、異なっていた方がよいのか?メンターとメンティーの上司との間には何らかの人間関係があった方がよいのか、ない方がよいのか?メンターとメンティーの物理的な距離はメンタリングの効果に影響を及ぼすのか?メンタリングの実施頻度はどのくらいが適切なのか?といった論点に答える必要がある。しかも、メンティーの年齢、性別、職能・役職、職種などによって、答えが変化する点にも注意を払わなければならない。

 メンタリング研修の開発担当者が作成したと思われる人事部向け提案書には、「適切なメンターを選定し、全社的にメンタリングの体制を構築するためのコンサルティングも実施する」と書かれていた。だが、どう考えても、当時の担当者たちに、上述の問いに対する答えが用意されていたとは思えない。これでいくらコンサルティングフィーをもらうつもりだったのかと想像するだけで寒気がする。今となれば、何の知見もないのに「メンタリングは優れている。だが、その導入には組織変革が必要だ」などと吹聴するよりも、単純に当時別に存在していた部下マネジメント研修の内容を充実させた方が誠実だったのではないかと思う。

 著者はメンタリングにおける発達支援関係には4つの段階があると言う。「開始⇒養成⇒分離⇒再構築」という4段階である。このうち、興味深いのが「分離」という段階である。部下が上司を信頼して始まる発達支援関係も、最初の数年は充実したものになるが、年上である上司の成長スピードの鈍化と、若手である部下の成長スピードの加速によって能力差が縮まってくると、両者の関係が疎遠になるという。それを著者は「分離」と呼んでいる。その後、関係を「再構築」するケースもあるが、大半の関係は「分離」によって終了すると指摘されている。簡単に言えば、部下は同じ上司の下で数年間仕事を続けていると、「もうあの上司にはついていけない」と思う時期が来るということである。

 多くの日本企業では、3年程度を目安に定期的なジョブローテーションが行われる。つまり、上司が3年程度で入れ替わる。「どんなに嫌な上司でも、3年経てばどこか別の部署に異動になるから、その間我慢すればよい」などと冗談交じりに言われることもある。日本企業が元々意識していたのかどうかは解らないが、このジョブローテーション制度は、発達支援関係を常に新鮮に保つことで、メンタリングの効果を持続させるという側面があるとも言える。もっとも、新しくやってきた上司=メンターが必ずしも部下からの信頼を得られるほど優秀でない可能性もあり、その場合にどう対処すればよいのかは本書には書かれていない。本書では日本企業は研究の対象外になっているから、ジョブローテーションの効果に関する考察がなされていないのは仕方がない。

 それよりも、私は本書が抱えている大きな問題点を2つ指摘しておきたいと思う。本書では、エリク・H・エリクソンが提唱した「発達課題」に言及して、年齢ごとの発達課題に対処することがメンタリングの目的の1つとされる。例えば、若年層の心理的課題は「同一性VS同一性の拡散」(13~19歳)、「親密性VS孤独」(20~39歳)である。別の言い方をすれば、アイデンティティを確立できるか否か、仲間と適切な人間関係を構築できるか否か、ということである。上司は、若手の部下がこれらの課題を克服できるようにメンタリングを実施する。

 40~64歳の心理的課題は「生殖VS停滞」である。この年代は、自分が今まで培ってきた経験、知識、能力を若い世代に伝えることができるかどうかがカギとなる。問題なのは、本書ではこの心理的課題がメンターの課題ではなく、メンティーの課題とされていることである。つまり、40歳を過ぎたらマネジャーとなり、メンティーからメンターに切り替わることが暗黙裡に当然視されているわけだ。しかし、40代というのは多くの企業においてやっと課長に昇進できる年齢であり、メンターになると同時に、依然としてシニアマネジャーからのメンタリングを必要とするメンティーでもある。本書の事例は、若手社員とマネジャーの関係を扱ったものが多く、ジュニアマネジャーとシニアマネジャーの関係には言及が少ない。

 以前の記事「エド・マイケルズ、ヘレン・ハンドフィールド=ジョーンズ、ベス・アクセルロッド『ウォー・フォー・タレント―人材育成競争』―人材の奪い合いではなくマネジャー育成の本である」でも書いたように、企業の成長を大きく左右するのはマネジャーの育成である。その意味でも、マネジャーに対するメンタリングの実態をもっと掘り下げてほしかったというのが率直な感想である。エリクソンの発達課題の区分は、人生全体を俯瞰した非常に大雑把なものであり、企業活動の実像を必ずしも精緻に反映していない。にもかかわらず、著者がこの発達課題にこだわったことが、こうした問題を生んでしまったと考える。

 もう1つの問題点は、「結局、メンタリングによって企業の業績は向上するのか?」という点に全く答えていない点である。メンターとメンティーの間でどのようなやり取りがなされたのか、その結果、メンターとメンティーはどのような感触をつかんだのかについては、豊富な実例が紹介されている。企業内の人間関係の形成と変化に関心がある社会学者にとっては、本書は非常に大きな意味を持つことだろう。では、そういうメンタリングを実施すると、企業の業績はどのように変化するのだろうか?本書を手に取った経営者や人事担当者などが一番関心を持つのはこの1点である(私もその1人である)。

 直感的には、人材育成に注力している企業は業績もよいことが解っているので、メンタリングも効果があるとは思う。だが、メンタリングはマネジャーの人材育成の役割を拡張するものであり、拡張された各々の機能がどのような経路をたどって、別の言い方をすれば、周囲の様々な社員の行動や、企業という1つのシステムを構成する諸要素に対しどのように影響することで業績向上につながるのか、この点を明らかにすることが本書の残した課題であると感じた(前職のベンチャー企業でメンタリング研修が全く売れなかったのは、既に述べたようにメンタリングをわざわざ大掛かりな組織変革にしようと誤解していたこともあるが、メンタリングの投資対効果が全く解らなかったことにも原因がある)。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

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