こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

ロバート・M・ガニェ他『インストラクショナルデザインの原理』―IDの本なのにこの本自体が全くインストラクティブではなかった


インストラクショナルデザインの原理インストラクショナルデザインの原理
ロバート・M. ガニェ キャサリン・C. ゴラス ジョン・M. ケラー ウォルター・W. ウェイジャー Robert M. Gagne

北大路書房 2007-08-27

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 「インストラクショナル・デザイン(ID)」とは、「教育設計」と訳され、教育が必要とされる様々なシーンにおいて、学習者の高い習熟と行動変容を目標として、より効果的・効率的で魅力的な学習環境を設計・開発するための、システム的な教授方法・ガイドラインのことを指す。本書はその基本原理に関する1冊である。といっても、400ページ以上もある大著である。

インストラクショナル・デザイン(ID)の全体像

 私なりに、IDの全体像を整理したのが上図である。まず、目指すべき「学習成果」を明確にする。本書の著者であるロバート・M・ガニェは、学習成果を「言語情報」、「知的技能」、「認知的方略」、「運動技能」、「態度」の5つに分類している。対象者に学習させたい内容がどのカテゴリに該当するかを判断し、具体的な学習成果を定義することが大切である。例えば、「事業戦略の立案方法を習得する」ことが学習のゴールだったとする。これは「知的技能」に該当する。IDにおいては、学習成果を単に「事業戦略の立案方法を習得する」とするだけでは不十分である。「ケーススタディが与えられた時に(状況)、戦略立案に用いられる各種フレームワークを用いて(道具)、戦略の検討プロセスおよび戦略を構成する諸要素を(対象)パワーポイントに論理的に整理することで(動作動詞)、ケーススタディに登場する企業が選択すべき戦略を例示する(学習した能力動詞)」といったレベルまで具体化する必要がある。

 次に、学習課題を分析する。言い換えれば、学習成果をサブコンポーネントに分解し、コンポーネント間の関係を明確にして、学習課題の全体像を可視化することである。先ほどの事業戦略に関する学習であれば、①外部環境の分析方法、②内部環境の分析方法、③競合他社の分析方法、④将来の事業環境の変化の予測方法、⑤将来の競合他社の戦略の変化の予測方法、⑥競合他社の変化を踏まえた自社のポジショニングの設定、⑦目標売上高、市場シェア、利益の設定方法などに分解できる。こうして、学習要素の階層的構造を決定する。

 同時に、学習者の特徴も同定する。言うまでもなく、学習者には様々なタイプがいる。そのタイプに合わせて教授方法を変えるのが理想的である。本書で学習者の特徴として挙げられているのは、①生来的に持っている特性、②後天的に学習された特性(既に習得している学習成果)、③スキーマ、④動機づけ要因、⑤基本的能力(文章作成、計算、空間把握など)、⑥基本的性格(達成志向が強い、逆に不安が強いなど)の6つである。

 続いて、先ほどの学習課題分析で抽出されたそれぞれのコンポーネントについて、学習プログラムを設計する。まず、下位目標を設定する。「外部環境の分析方法」であれば、「ファイブ・フォーシズ・モデルの活用方法やPEST分析のやり方を学習する」となる。次に、教授事象の整理と書いたが、これは言い換えれば、下位目標を達成するための具体的な学習プロセスの設計のことである。本書では、一般的な教授事象として、①学習者の注意を喚起する、②学習者に目標を知らせる、③前提条件を思い出させる、④新しい事項を提示する、⑤学習の指針を与える、⑥練習の機会を作る、⑦フィードバックを与える、⑧学習の成果を評価する、⑨保持と移転を高める、という9つのプロセスが列挙されている。

 その次には、教授実施方略を決定する。教授実施方略とは、講義、ビデオ鑑賞、個人ワーク、ピアワーク、グループディスカッション、テスト、相互フィードバックなど、学習の具体的手法を指す。前述のそれぞれの教授事象について、適切な教授実施方略を決定する。例えば、学習者に目標を知らせるには講義やビデオ鑑賞が適しているだろう。一方、練習の機会を作るのであれば、ピアワークやグループディスカッションが向いている。

 続いて、メディアを決定する。つまり、学習の媒体のことである。教授実施方法が決まれば、自ずとメディアも絞られそうなものである。だが、同じ講義をするにしても、パワーポイントで映写した方が効果的なのか、紙の資料を配布して受講者にメモを取らせた方が効果的なのかはよく考える必要がある。同様に、グループワークにおいても、学習者にパソコンを使わせるのが効果的なのか、模造紙に手書きでまとめさせるのが効果的なのかなど、考えるべきことはある。

 メディアが決まれば、学習環境の設計に入る。当然だが、パソコンを使用するのであればパソコンが使える環境を用意する。しかも、学習中にインターネットに接続するならば、ネット環境も必要である。学習プロセスの大半が講義中心である場合は、大部屋での実施も可能であろう。一方、少人数のグループワークを多用するケースでは、グループごとに作業できるスペースを確保し、ホワイトボードや模造紙、付箋、太めのペンといった備品を準備しなければならない。

 ここまできてようやく、コンテンツの開発に入る。言うまでもなく、コンテンツはこれまで検討してきた諸要素によって影響を受ける。大部屋で講義をする場合、紙の資料を配るのであれば、資料の字は多少小さくても問題ないだろう。だが、パワーポイントの資料を映写するならば、遠くの人でも見えるように大きな字にしなければならない。グループワークの場合、学習者が議論に集中できるよう配慮することが求められる。インプット情報の読み込みに時間がかかるワークではダメである。また、学習者の能力レベルによっては、グループワークの直前に成果物のサンプルを例示したり、成果物の一部を見せたりする必要がある。

 最後に、下位目標が達成されたかどうかを評価するためのアセスメントを作成する。簡単なペーパーテストが一般的であろう。あるいは、他の学習者の前で、講師とともにロールプレイをしてもらうといった方法もある。運動技能に関しては、身体を動かすことが前提であるため、実技によるテストが中心となる。

 ここまでの一連の流れを、他の下位目標についても実施する。全ての下位目標のデザインが終了したら、コース全体のパフォーマンスを評価し、改善する。ここで言うパフォーマンスの評価として、本書は、①教材の評価、②IDの評価(①②はIDを行った者、あるいは第三者の専門家が実施する)、③学習者反応(講義・ワークは解りやすかったかなどをアンケートで答えてもらう)、④成績の測定、⑤教育システムに対する影響の測定(後述する)という5つを挙げている。

 ただ、これはあくまでも閉ざされた学習環境内をどのように設計するかという話である。学校ならこれで十分かもしれないが(学校の教育関係者は、これだけでは十分でないと反論するかもしれないが)、企業における研修はそういうわけにもいかない。研修はあくまでも手段であり、目標はビジネス上のパフォーマンスを向上させることである。よって、もっと大きな視点に立って、職場における学習プロセスを全体的に設計する必要がある。それを示したのが下図である。

職場における学習の全体像

 まず、ビジネス上の成果を明確にする。例えば、「新製品の売上高を20%増加させる」といったものが成果になる。20%増加という野心的な目標を達成するためには、旧態依然とした営業プロセスを今まで通りこなしているだけでは不十分であり、新たな営業プロセスを構築する必要がある。そして、営業担当者がこの営業プロセスを遂行し、そのために必要な能力を習得させることが研修の目的となる。研修の目的が明確になったら、IDを行う。

 企業の研修の場合、往々にしてやりっ放しになってしまうという問題がある。せっかく研修で新しいことを学習しても、現場でそれを実践する機会がなく、やがて研修の内容が忘れ去られてしまうことが少なくない。先ほど、パフォーマンス評価の箇所で、教育システムに対する影響を測定すると書いたが、この教育システムは、企業においては職場環境と読み替えてよい。そして、教育システム=職場環境に影響を与える要因として、①プロセス変数、②支援変数、③適性変数、④動機づけ変数の4つがあると記されている。私は、研修がビジネス上の成果につながるようにするためには、研修の後工程を適切に設計し、この4つの変数を十分に考慮することが必要であると考える。

 ①プロセス変数とは、私なりに解釈すれば、研修で学習した内容が現場で実践できるような業務プロセスになっていることを指す。この問題は、前述のように、社員に習得してもらう業務プロセスや能力を事前に明らかにしておけばある程度は防ぐことができる。だが、業務プロセスも研修も生き物である。研修の中で新たな知識・能力の発見があるかもしれないし、研修を実施している期間中に、望ましい業務プロセスが変化することもある。だから、研修が終わった後に、もう一度業務プロセスを見直す必要がある。それが、上図において、学習成果の職場環境への埋め込みと呼んでいるものである。

 ②支援変数とは、学習者が研修の内容を現場に適用するのをサポートする環境を整備することである。具体的には、ナレッジ・マネジメント・システムを導入する、必要に応じて簡単な復習ができるe-Learningを構築する、新しい業務プロセスの標準マニュアルを現場に配備する、といったことが挙げられる。そして、最も重要なことは、学習者の上司に、研修内容を理解させることである。

 ③適性変数とは、受講者の適性に配慮して配置を行うことである。先ほど挙げた「新製品の売上高を20%増加させる」という目標を掲げて研修を行っても、営業担当者全員が見込み顧客の開拓からクロージング、債権回収までの全てのプロセスに精通しているとは限らない。むしろ、人によって得意・不得意なプロセスがあるのが普通である。よって、上司はそれぞれの部下の特性、強み・弱みを把握して、強みが最も発揮できる業務に集中させる一方で、弱みに関しては他の部下の強みと相互に補完し合える関係を作り出すべきである。

 ④動機づけ変数とは、学習者が研修の内容を現場で実践できるように、上司などが折に触れて動機づけを行うことである。そのためには、②支援変数で述べたように、上司が研修内容に対して理解を示していることが前提となる。人事部は、上司に対して単に動機づけをせよと言うのではなく、上司のマネジメントプロセスの中に、例えば部下と定期的に面談を設けて、研修で学習した内容の実践度合いはどうか、その効果は出ているかといったことをヒアリングする機会を強制的に埋め込むぐらいのことをやった方がよい。また、モチベーションは、上司によってのみならず、同僚、特に同じ研修を受講した同僚によってからも喚起される。そこで、人事部は、社内SNSなどで受講者が研修後もつながり続け、進捗を報告し合うような仕組みを作るのも一案だろう。

 受講者が研修の内容を現場で実践したら、その成果がどうであったか定期的に振り返り、学習を継続する必要がある。ただ、1人でこの学習を続けるのは、どんなに優秀な社員であっても難しい。そこで、人事部はフォローアップ研修を実施して近況を共有し合う場を設定したり、定例の社内勉強会を実施したりすることで、継続的な学習を促進するとよいだろう。

 そして、半期ないしは1年ごとに行われる人事考課の場で、学習者は自身のパフォーマンスを評価する。通常の人事考課は、期初に設定した目標が達成できたかという視点で行われることが多い。しかし、職場の学習プロセス全体を設計するという視点からは、人事考課の評価項目に、「研修で学習したことがどの程度現場で実践できたか?」といったものを加えることが重要であろう。人は、評価されないことは決して積極的にやろうとはしないものである。

 経営陣は研修に対する受講者の評価を取りまとめ、自らが掲げたビジネス上の成果との関係を検証する。もちろん、ビジネス上の成果を左右するのは研修だけとは限らない。プロセス変数、支援変数、適性変数、動機づけ変数など様々な要因が影響する。経営陣は、これらの要因がどのように影響し合って、最終的にどれだけのビジネス上の成果が得られたのかを分析する。

 以上が、本書の内容を私なりにまとめたものに、私が考える職場環境における学習プロセスの設計方法である。率直に言って、本書は非常に読みにくい1冊であった。IDの本であるにもかかわらず、IDを学習する上での学習課題分析が行われていなかった。「引き算を筆算で行う」といった学習については階層的構造が例示されているのに、ID自体の学習要素の階層的構造が明記されていない。IDに必要だと思われる要素がバラバラと延々400ページ続くため、IDの全体像を上図のようにまとめるのに非常に苦労した。IDではアセスメントの実施やパフォーマンスの評価が重要だと言うぐらいだから、それぞれの章の最後に読者の理解度を測るアセスメントをつけたり、ID自体のパフォーマンスを評価するツールを巻末につけたりしてくれてもいいのにと感じた。

 それから、学習者の特徴の同定が必要で、その特徴に応じた教授スタイルを取らなければならないと述べている割に、学習者の特徴を考慮した教授スタイルの違いにはほとんど触れられていない印象であった。せいぜい、受講生が8人ぐらいの小集団であれば、受講者の特徴に応じた教授事象を実施することが可能であると書かれている程度である。それ以上の人数になると、受講者の特徴に応じた教授はほとんど放棄されている。結局のところ、本書は伝統的な大人数の講義形式による学習を前提としており、受講者の特徴は分析するものの、似たような特徴を持った受講者を集めればよいと暗に言っているように感じた。

 学校のように、比較的特徴が近い生徒が集まるのであればそれでもよいだろう。また、企業においても、若手研修や、特定の専門能力を学習する研修であれば、似たような特徴を持った受講者が集まる。だが、企業の場合、例えば、「我が社の新しいビジョンを構築する」、「我が社の価値観に対する理解を深める」、「新製品のアイデアを創出する」といった複雑な研修を行うことがある。そして、往々にしてこれらの研修は、全社から幅広く参加者を募るため、学習者の特徴がバラバラになる。しかも、本書のIDとは違い、学習内容、学習プロセスは極めて流動的で、学習の構造化が困難である。こういう場合のIDはどのようなものになるのか、本書では残念ながら一切触れられていなかった。

 最後に、これは本書がIDに絞っていることによる限界であるが、前述の通り、学習は研修のみによって完結するものではない。研修は学習プロセスの一部にすぎず、その前後を適切に設計することが重要である。これを「ラーニング・エンバイロンメント・デザイン(LED)」と呼ぶ。今回の記事では、その一端を私なりに示したつもりである。IDからLEDへと発展させていく理論と実践が求められる。

ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない


リーディング・ザ・レボリューションリーディング・ザ・レボリューション
ゲイリー ハメル Gary Hamel

日本経済新聞社 2001-01

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 C・K・プラハラードとの共著『コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略』で有名なゲイリー・ハメルの著書。以前の記事「河合忠彦『複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析』―複雑系の理論を取り入れたことで論理展開がカオスに」で、マーケティングはミドルマネジメントを中心とした創発的戦略、イノベーションはトップマネジメントを中心とした包括的戦略が出発点になることが多いと書いた。だが、本書には次のような記述があった。
 巨大な複雑なシステム(読者のなかにもそんな組織に所属する人がいると思う)は、危機的な状況に直面していないかぎり、トップがイノベーションを主導することはまずない。
 本書には、IBMにインターネット文化を持ち込んだジョン・パトリックとデビッド・グロスマン、ソニーでプレイステーションを開発した久夛良木健、ロイヤル・ダッチ・シェルで再生可能エネルギーへの転換を主導したジョルジュ・デュポンロックの例が紹介されていた。彼らはいずれもトップマネジメントではない。現場からアイデアを発案し、周囲の猛烈な反対に遭いながらも自身のアイデアを貫き、成功体験を積んで、ついにはトップマネジメントを説得したという事例である。

 確かに、トップマネジメントがイノベーションに後ろ向きになるのは解らなくもない。トップマネジメントがトップマネジメントたるゆえんは、既存事業で大きな成功を収め、その功績を買われたからである。ところが、大部分のイノベーションは既存事業を破壊する。ブログ本館の記事「【戦略的思考】事業機会の抽出方法(「アンゾフの成長ベクトル」を拡張して)」で書いたように、私が考えるイノベーションには、非顧客に着目して既存製品・サービスの新しい使い道を発掘する「新市場開拓戦略」、全く新しい市場に全く新しい製品・サービスを供給する「完全なるイノベーション戦略」、代替品や破壊的イノベーションなど、既存の産業・市場構造を抜本的に刷新する「代替品戦略」の3つがある。

 このうち、「新市場開拓戦略」と「完全なるイノベーション戦略」は、新しい市場を追加するわけだから、既存事業にとって脅威は大きくない。ところが、「代替品戦略」は完全に既存事業の破壊を目的としている。そして、社会全体が成熟し、新しい需要の創造が難しくなった現代では、イノベーションと言うと大半はこの「代替品戦略」なのである。例えば、スマートフォンがどれだけの既存産業を破壊したかを思い起こしてみるとよい。据え置きゲーム機、CD、DVD、メール、デジカメ、書籍、漫画、雑誌、クレジットカードなど、枚挙にいとまがない。

 トップマネジメントにとっては、自分の今の地位を築いた事業が破壊されるのを見届けるのは気分がいいものではない。だから、外部企業のイノベーションからは目を逸らし、既存事業に拘泥する。しかし、やがては外部企業のイノベーションに浸食されて、業績が急激に悪化する。その責任はトップマネジメントが取ることになる。ということは、裏を返せば、自社の業績が悪化しないように、先手を打ってイノベーションに着手することはトップマネジメントの責任であると言えるだろう。トップマネジメントは、自分や自社の過去の成功を捨てる勇気を持つ必要がある。トップマネジメントはこう問わなければならない。「仮に予期せぬ競合他社が現れて、我が社を倒産させるとしたら、どんな方法を使うだろうか?」

 もちろん、前掲の例のようにミドルマネジメントが出発点となるイノベーションも存在する。しかし、ミドルマネジメントにとって、複雑な社内政治をかいくぐって、破壊的なアイデアを貫き通すことは容易ではない。まず、最初の障害として立ちはだかるのが上司である。上司が「そんなアイデアは実現できない」と言ってしまえば、もうそのアイデアは握りつぶされてしまうのである。上司という壁を突破するのでさえこんな具合なのだから、社内中に張りめぐらされた関門を通るのは至難の業である。その点、トップマネジメントには大きな権限がある。トップマネジメントがアイデアを認めれば、予算と人材を集め、チームを結成し、開発に集中投資し、関係部門に協力を要請し、評価制度を変更することができる。少なくとも、ミドルマネジメントに比べれば、これらのことははるかに実行しやすい。

 だから、私はイノベーションの第一責任はトップマネジメントにあると考える。仮にトップマネジメントがイノベーティブなアイデアを創出するのを苦手としている場合には、社内からアイデアが上がってくる仕組みを構築することが重要である(河合忠彦氏はこれを「創発的インフラ」と呼んだ)。旧ブログでは、P&Gの元CEOアラン・ラフリーの著書『ゲームの変革者』から、P&Gの仕組みを紹介した。

ゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばすゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばす
A.G.ラフリー ラム・チャラン 斎藤 聖美

日本経済新聞出版社 2009-05-23

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 《参考記事》
 P&Gが顧客(=ボス)との距離を極限まで縮めるためにやっていること―『ゲームの変革者』
 柔らかいアイデアの段階で予算をつける勇気がイノベーションのカギ―『ゲームの変革者』
 イノベーションを既存事業部門から敢えて切り離さないP&G―『ゲームの変革者』
 P&Gは”イノベーションは結果が出ればOK”という柔な評価で済まさない―『ゲームの変革者』

 ゲイリー・ハメル自身も、先ほどはイノベーションの役割はトップマネジメントにはないと書いていたのにもかかわらず、本書の後半では、やはりイノベーションはトップマネジメントの仕事だと言っている。以下の引用文は若干解りづらいが、私なりに解釈するとこうなる。まず、「新しいビジネス・コンセプト(=イノベーション)」を考案する第一義的な責任はトップマネジメントにある。だが、それが難しい場合は、(P&Gのように)ミドルマネジメント層に存在する革命家がイノベーションを推進するための仕組みを業務に組み込むべき、ということである。
 壮大な戦略を立案するのは、革命の時代にあっては無益な作業である。経営幹部は経営とは関係がないなどと主張しているのではない。それどころか大ありだ。だが、経営幹部の仕事は戦略を策定することではない。それは、時代に合った新しいビジネス・コンセプトをつねに案出することである。望ましい状況を整えることが求められるのであって、その内容を考え出すことではない。その役割は、イノベーション精神が深く根づいた企業をつくりあげるために、年輪を重ねた革命家の場合に作用したような、構想のための法則を業務に組み入れることだ。
 本書では、トップマネジメントがイノベーションを主導した例として、チャールズ・シュワブのCEOデビッド・ポトラック、シスコシステムズのCEOジョン・チェンバースが挙げられている。本書の出版が2001年と古いので事例も古くて恐縮だが、アメリカの証券会社チャールズ・シュワブは、2000年代初頭に、今で言うマルチチャネルを既に実現していた。インターネットの普及で競合他社がネット取引専業にシフトする中、チャールズ・シュワブは店舗とネットの共存を目指した。

 というのも、同社の顧客は投資に詳しいプロではなく、一般市民が大半であったからだ。彼らは、口座を開く時にはリアル店舗を訪れ、投資のアドバイスを対面で受ける。そして、実際に投資する時はインターネットを活用する。これによって、同社の手数料は競合他社であるイー・トレードの2倍ほどするにもかかわらず、顧客の満足度を大きく上昇させることに成功した。

 シスコは通信機器の世界的リーダーである。同社は技術志向が強いと思われがちだが、実際には技術に対するこだわりはなく、徹底した顧客中心の企業である。そして、顧客が必要とする技術なら何でも取り揃えることを信条としている。同社には「6か月ルール」が存在する。これは、新製品を開発する際に、6か月以内でできるならば自社開発、6か月以上かかるならば買収を行うというものである。これによって、同社は迅速にイノベーティブな技術を獲得している。

 シスコは買収の際に細心の注意を払っている。シスコの買収の目的は、実は相手企業の技術ではない。相手企業の人材こそが真のターゲットである。というのも、その人材が逃げてしまえば、技術も一緒に流出してしまうからだ。だから、買収にあたっては、相手企業の人材の価値観や特徴、組織の風土を調べ、シスコと親和性が高いかを入念にチェックする。そして、買収後はシスコの企業文化に合わせるように時間をかけて人材を育成する。こうした一連の取り組みを主導しているのが、CEOのジョン・チェンバースである。

 伊神満『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(日経BP社、2018年)という本がある。同書は、クレイトン・クリステンセンの破壊的イノベーションに限定した本であるが、トップマネジメントがイノベーションを推進できない4つの理由を挙げている。私はそれに対して反論を加えたいと思う。

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明
伊神 満

日経BP社 2018-05-24

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 《難問①》冴えない新事業はトップマネジメントでも育てられない。
 いくら社長直属のプロジェクトとは言え、社長自身が社内政治から自由になれるわけではない。また、新設の弱小部門に人員がどれだけ集まるであろうか?主力事業のスター社員がわざわざ転籍するだろうか?
 ⇒《反論》確かに社長であっても社内政治から自由ではないものの、一般社員はもっと社内政治から自由ではない。また、会社が重大な局面を迎えているのに自ら人事権を発動できないようなトップマネジメントは、トップマネジメント失格である。今日の主力事業は、明日のイノベーションによって消えるかもしれない。消えるかもしれない事業にスター社員を張りつけておく方が愚かである。

 《難問②》技術はM&Aでは買えない。
 イノベーションを素早く起こすためには、自社にない技術をM&Aで調達すればよいと言われる。しかし、マーク・L・シロワー『シナジー・トラップ―なぜM&Aゲームに勝てないのか』(プレンティスホール出版、1998年)が明らかにしているように、M&Aは失敗例の方が圧倒的に多い。M&Aをした結果、M&A後の企業価値が、合併前の2社の企業価値の合計を下回るケースが非常に多く見られる。
 ⇒《反論》M&Aは失敗が多いことは私も知っている。だが、それはM&Aのやり方がまずいだけであって、M&Aという手法自体の有効性を否定するものではない。実際、前述の通り、用意周到に計画されたM&AとPMI(統合プロセス)によって急成長を遂げているシスコのような例がある。

 《難問③》既存事業は簡単には切れない。
 新事業が軌道に乗り、次代の稼ぎ頭に成長したとする。その時、不採算で足手まといの旧部門を自分の手で切れるだろうか?自分の在任期間中なら、「今後の市況動向に注目し」、「前向きに検討」するだけでよいではないか?
 ⇒《反論》既に書いたように、過去を否定できないトップマネジメントはその責務を果たしていない。かつてカネボウは、紡績事業が深刻な不振に陥っていたにもかかわらず、自社のルーツであるという理由だけで紡績事業を守った。それどころか、社長は紡績事業の出身者でなければ就くことができなかった。その結果どうなったかは周知の通りである。自分の在任期間中は何とかごまかそうというのは、いかにも日本企業のサラリーマン社長的な発想である。

 《難問④》経営陣と株主の「最適」は違う。
 経営陣がイノベーションに投資したとする。ところが、株主は既存事業に対して自分の資本を投資している。イノベーションが既存事業を破壊したら、株主の投下資本は毀損されたことになる。
 ⇒《反論》金融機関からの借入金は資金使途が指定されているのに対し、株主から調達した資金をどのように使うかは経営陣の裁量に任されている。イノベーションに投資した結果、企業の利益が大幅に伸びたら、株主にとって喜ばしいことである。逆に、経営陣がイノベーションの機会を逃して企業の業績にダメージを与えたら、怒るのは株主である。

マーガレット・J・ウィートリー『リーダーシップとニューサイエンス』―秩序と変化を両立させる複雑系


リーダーシップとニューサイエンスリーダーシップとニューサイエンス
マーガレット・J・ウィートリー 東出顕子

英治出版 2009-02-24

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 数年前に『U理論』をヒットさせた英治出版の本なので、U理論のように全体主義につながるような危なっかしいニューサイエンスが紹介されていたらどうしようかと思ったのだが、読んでみたら何てことはない、「複雑系」の理論に関する本であった(U理論については、ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?」を参照)。複雑系の理論を使うと、伝統的なリーダーシップと現代のリーダーシップの違いを説明することができる。

 近代科学の祖であるニュートンの機械論的組織観に従うと、組織は要素還元可能な複数の部品から成り立っている。これは、それぞれの部品間には有機的な連携がないことを意味する。組織の中身も、部品が単線的につながっているだけで、部品以外の空間は空っぽである。こういう組織を動かすには、トップが強力なリーダーシップを発揮して、それぞれの部品に働きかける必要がある。

 これに対して、複雑系の理論では、構成要素間に有機的なつながりがあると考える。つまり、要素間の「関係」を重視する。だから、ニュートンのように要素還元することはできない。そして、この有機的につながり合った要素を覆っているのが「場」である。ニュートンが考える組織とは違って、組織は空ではない。

 組織の場を構成する具体的なものとしては、例えば組織の価値観などがある。価値観とは、組織が諸活動に関する意思決定を下す際によりどころとする判断基準のことである。価値観は想いと言い換えてもよいだろう。こういう主観的な要因が組織を充填している。そして、組織が環境からの変化を感じ取ると、その情報は場を媒介として、有機的につながり合った要素に一斉に伝わる。ニュートン的組織では、トップが部品を1個ずつしか動かすことができないのに対し、複雑系の理論における組織では、場が組織全体を動かす土壌となり、情報が各要素の有機的連関の間を一瞬にして駆けめぐる。そのスピードは、価値観がよいものであればあるほど速くなる。利己的なものではなく、社会全体の利益を考えたものであればあるほどよい価値観であると言える。

 なぜ、複雑系の理論における組織では、情報が即座に移動するのだろうか?物理学では光より早く移動するものは存在するのかが議論になっている。物理学者ジョン・ベルは、「即時的遠隔操作」が起こり得ることを証明した。

 まず、2つの電子を組み合わせて対にする。つまり、相関させる。次に、その対の電子が、たとえ距離が離れていても、一体化した1つの電子として活動し続けるかどうか、そのスピンをテストする。電子は軸に従って、上下もしくは横から横へとスピンする。ただし、量子の現象であるから、軸が客観的な現実としてあらかじめ存在しているわけではない。科学者がどの軸を測定するかを決めるまでは、軸は可能性としてのみ存在する。電子にとって固定的なスピンはない。電子のスピンは、科学者が選ぶテスト対象に基づいて現れる(※)。

 (※)これが量子力学の大きな特徴の1つである。量子力学では、物質の振る舞いを客観的に、かつ事前に予測することはできない。物理学者が何を測定したいのかを決めると初めて、測定されるものが定まる。例えば、光は粒子と波動の両方の側面を持っている。観察者が粒子を観察したいと思えば粒子が観察されるし、波動を観察したいと思えば波動が観察される。近代科学は観察する主体と観察される客体を分離したが、現代科学においては主客は一体である。

 一旦2つの電子が対になると、もし一方が上向きスピンとして観察されれば、もう一方は下向きスピンになる。あるいは、もし一方が右向きスピンとして観察されれば、もう片方は左向きスピンになる。この実験で、2つの対の電子は別個に存在している。理論上は、対となり得る電子は宇宙全体に無限に存在する。どんなに距離が離れていても、1つの電子のスピンが測定される瞬間、観察者がその軸の挙動を観察したいと考えていた第2の電子が即座に正反対のスピンを示す。この第2の電子は非常に離れているのに、物理学者によってどの軸が測定対象として選ばれたのかが解っていることになる。

 この実験は、光の速度より早く移動する物質はないという定説を否定している。そこで物理学者は、2つの電子は目に見えない関係で結ばれていると解釈する。2つの電子は、空間的にどんなに離れていても、パーツに分解できない不可分の全体である。ここでは2つの電子のみを取り上げたが、宇宙に散らばるあらゆる電子はいずれも、全体からは切り離すことができない関係によって結びついている。だから、1つの電子の変化が他の多くの電子に即座に波及することは容易に想像できる。これを組織にあてはめれば、ある要素の変化は瞬時に他の要素を変化させることになる。どんなに他の要素が遠く離れていても、光よりも早い速度で影響するから、組織全体の変化は一発で起きる。

 しかも面白いことに、それぞれの要素は他の要素から受け取った情報や変化をそのまま反映するわけではない。少しずつ異なる解釈によって、その情報や変化を受け止める。これは、それぞれの要素は有機的・自律的な存在であり、場を構成する価値観を解釈する方法が要素によって少しずつ違うことが影響している。よって、各要素の振る舞いはバラバラになる。

 すると、組織は混乱に陥るのではないかと思われるかもしれない。実際、環境からの変化を受けた諸要素はバラバラに動く。だが、全体として見ると、一定の極めて美しい秩序が観察できるという不思議な現象が起きる。これが「決定論カオス」である。これによって、組織は崩壊せずに、新しい秩序へと移行する。通常、秩序と変化は両立しないと考えられる。ところが、複雑系の理論においては、組織は秩序を保ちながら変化する。いわゆる「自己組織化」である。

 こうして、組織は環境が変化しても自律的に自らを変革することができる。これは、例えば市場・顧客ニーズが変化した場合に、組織全体が自律的に変化して、新しいニーズに合致した新製品・サービスを自発的に生み出すことが可能であることを意味している。組織はマーケティングの力を十分に備えている。

 では、組織が環境の変化に反応するのではなく、組織の内部から変化を起こすようなイノベーションの場合はどうであろうか?イノベーションでは、組織の要素の1つであるイノベーターが内なる声に従って(内発的に)画期的なアイデアを実行する。これは複雑系の理論で説明できるのであろうか?

 ここまで環境と組織を便宜的に分けて書いてきたが、現実には両者の境界性は相対的である。環境も組織も、さらに巨視的な視点に立てば、1つの全体的なシステムに含まれる要素であり、相互に結びついている。マーケティングの場合は環境が組織に働きかけ、両者を包摂する全体的なシステムを変化させた。イノベーションの場合は組織が環境に働きかけ(より正確に書けば、まず組織内の特定のイノベーターが組織の他の要素を瞬時に変化させ、さらにその変化が環境に瞬時に伝播して)、全体的なシステムを変化させると解釈できる。

 従来のイノベーション理論によれば、イノベーションには普及段階があって、死の谷、魔の川、ダーウィンの海を順番に乗り越えないとイノベーションは成功しないと言われてきた。ところが、複雑系の理論に従うと、イノベーションであっても、環境を即座に変化させる、つまり新しい市場を瞬く間に創造する可能性があることが示唆される。そして、その変化の力は、システム全体を覆う場の力、つまりよい価値観の力が強いほど大きくなるのではないかと考えられる。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
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