こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

エド・マイケルズ、ヘレン・ハンドフィールド=ジョーンズ、ベス・アクセルロッド『ウォー・フォー・タレント―人材育成競争』―人材の奪い合いではなくマネジャー育成の本である


ウォー・フォー・タレント ― 人材育成競争 (Harvard Business School Press)ウォー・フォー・タレント ― 人材育成競争 (Harvard Business School Press)
エド・マイケルズ ヘレン・ハンドフィールド=ジョーンズ ベス・アクセルロッド マッキンゼー・アンド・カンパニー

翔泳社 2002-05-18

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 16年前の本を今さらながら読んでみた。「ウォー・フォー・タレント」というタイトルからすると、優秀な人材を企業間で奪い合うかのようなイメージがある。実際、昨今のシリコンバレー企業やウォールストリートの金融機関は、各大学の優秀な人材(特に理系の学生)を囲い込んで圧倒的な競争力を実現しようとしており、それが企業間の業績格差の拡大、ひいてはアメリカ人の賃金格差の拡大につながっていると言われる。Googleは本社まで社員を乗せる無料の送迎バスを走らせているのだが、Googleの社員が金持ちになり、本社周辺の土地や家賃が値上がりしてしまった結果、昔からその土地にいた人が住めなくなったとして、送迎バスに対して抗議のための投石をするという事件も発生している。

 だが、本書は優秀な人材を外部から奪うというよりも、内部のマネジャーをいかにして育成するかに焦点が当てられているように感じた。だから、サブタイトルも「人材”獲得”競争」ではなく、「人材”育成”競争」になっているのだろう。日本企業では、最近になってようやく経営者のサクセッションプラン(後継者育成計画)を作成し、優秀な若手社員を選抜して特別な幹部候補育成プログラムを受講させるようになった。しかし、その対象はせいぜい数十人程度にすぎない。

 本書で紹介されている企業の取り組みはもっと大がかりである。すなわち、社内の300~500の重要なポジションについて、その役職に就いているマネジャーの育成方法を検討するのである。しかも、こうした仕事を人事部に丸投げせず、CEOが直接関与する。このマネジャーの仕事ぶりや業績はどうなっているのか、このマネジャーに必要なトレーニングは何か、このマネジャーに対してどのようなフィードバックを与えるべきか、このマネジャーが次に就くべきポジションは何か、このマネジャーの候補者には誰をあてるのかといったことを、300~500のポストについて、全社の関係者を集めて逐一議論する。

 この点を理解するには、アメリカ企業の人事部の特徴を把握しておく必要がある。本社人事部が絶大な権限を握る日本企業とは異なり、アメリカ企業の本社人事部の権限は限定的である。給与計算、福利厚生、全社共通の基礎的な研修ぐらいしかやることがない。一方、採用、育成、配置、異動、評価、報酬に関する権限は、それぞれの事業部門内の人事部にある。事業部門は各地に散らばっているため、全社的に人材育成を検討しようと思ったら、CEOが各地から事業部門やライン人事部のマネジャーといった関係者を招集しなければならない。

 では、マネジャーを育成するとはどういうことだろうか?マネジャーの仕事とは文字通りマネジメントなのだが、このマネジメントというピーター・ドラッカーの発明品は、必ずしも人々に十分に理解されているとは言えない。私の前職の企業は、組織・人事コンサルティングと教育研修サービスを提供するベンチャー企業で、研修サービスの中にはリーダー育成研修があった。人事担当者にリーダー育成研修を提案したところ、「我が社のマネジャーはリーダーシップ以前にマネジメントができていない」という声を随分といただいた。では、この人事担当者がマネジメントの何たるかを適切に理解していたかというと、私には疑問であった。

 私は、マネジメントを、まずは「タスク関連の仕事」と「人間関係の仕事」の2つに分ける。さらに、この2つを短期的な視点と中長期的な視点で見る。短期的なタスク関連の仕事とは、上司から伝わってくる戦略、計画、目標を自部門の目標に落とし込み、その目標を達成するためにPDCAサイクルを回すことである。中長期的なタスク関連の仕事とは、マネジャーやその部下が日々個別具体的な顧客に接する中で潜在的なニーズを見出し、新しい戦略の形成に貢献するようなアイデアをまとめ、上司に提案することである(現場やミドルマネジメントが構想するボトムアップの戦略を、ヘンリー・ミンツバーグは創発的戦略と呼んだ)。

 短期的な人間関係の仕事とは、部下の能力を把握し、適材適所を実現し、部下を訓練し、部下を動機づけ、部下にフィードバックを与えることである。中長期的な人間関係の仕事とは、端的に言えば部下のキャリア開発を支援することである。企業の中長期的な方針と、部下本人の価値観、経験、能力から導かれるキャリアビジョンを擦り合わせて、可能な限り双方のニーズを満たすことができるような今後のキャリアパスをともに検討し、マネジャーはその実現をサポートする。時には、部下の私生活のニーズを考慮し、私生活に関する相談にも乗る。

 そして、この4つの仕事の前提条件として、マネジャーは自社の価値観を十分に理解していなければならない。マネジメントとは、この価値観に基づいてPDCAサイクルを回し、新しいビジネスのアイデアを創造し、部下をマネジメントし、キャリア開発を支援することである。本書で紹介されている企業は、こういうマネジメントをマネジャーに徹底させている。CEOはマネジャーの育成に相当の時間を割く。勤務時間の3割はマネジャー育成に使っているというCEOも珍しくない。

 日本企業の場合、日常業務の内容をマニュアル化していることは多いものの、そこに自社の価値観が適切に反映されているケースはまだまだ少ないと思う。まして、中長期的なアイデアの創出や、人材マネジメント、キャリア開発支援のやり方について、自社の価値観を十分に踏まえた上でドキュメント化している企業は少数派だろう。さらに言えば、文書化するだけでは不十分であり、それがマネジャーの血となり肉となるほどに徹底的に染み込ませている企業となると、もはや数えるほどしかないのが現状ではないだろうか?

 日本の場合、上位のマネジャーになるほど教育や評価の機会が減るという問題がある。DISCO「「社員研修に関するアンケート」結果」(2013年6月)によると、新入社員研修を実施している企業は95.5%、中堅社員教育/管理職前教育(若手研修と言ってよい)を実施している企業は59.7%であるのに対し、初級管理者教育は38.3%、中級管理者教育は27.2%、上級管理者教育は17.3%と、マネジャー向け研修の実施率は上位層になればなるほど低くなる。もちろん、研修が育成の全てではないが、研修実施率の低さは、人事部がマネジャー育成の必要性をあまり感じていないことの表れととらえてよいだろう。

 評価に関しても、やや古い論文になるが、松繁寿和、梅崎修、中嶋哲夫「人事評価の決定過程:企業内マイクロデータによる分析」(2002年6月14日)によれば、一般社員の評価は2段階の調整を行っているのに対し、マネジャーの評価は実質的には1段階の調整で終了してしまい、一般社員よりも評価が手薄になっているという。一般社員の場合、上にたくさんの階層があるから評価も多段階になるが、マネジャーの場合は相対的に上にある階層数が少なくなるため、評価の密度が下がるということは考えられる。ただ、それよりも、普段は一般社員を「評価する」立場にあるマネジャーが、いざ自分自身が「評価される」側になると、評価されることを嫌うという心理が働いているのではないかと推測する。

 アメリカ企業は、大量のマネジャーの人材育成について議論するために、マネジャーの性格、特性、価値観、能力、知識、職歴、経験、過去の評価情報、将来のキャリア志向など多面的な情報を一元管理するデータベースを整備している。この点でも、日本企業は遅れをとっていると言わざるを得ない。アメリカ企業も日本企業も、顧客に合わせた製品・サービスを開発・販売するために、顧客管理システムを導入している。ところが、日本の場合、それぞれのマネジャーに合わせた人材育成計画を立案するために、社員情報を統合的に管理するシステムを導入している企業となると、その割合はぐっと下がってしまう。

 もちろん、給与計算などのための一般的な人事管理システムを導入している企業は多い。しかし、キーマンズネット「人事管理/人事管理システムの導入状況(2013年)」によると、人事管理システムを導入済み・導入予定と回答した企業のうち、「タレントマネジメントの実施状況」の1位は「実施予定なし」で57.1%、2位は「興味はあるが実施予定はなし」で18.2%、3位は「実施している」で15.6%、4位は「実施に向けて検討中」で9.1%であった。

 かつて、日本企業の強みはミドルマネジメントにあると言われたことがあった。ミドルマネジャーがボトムアップダウンを繰り返すことで組織と人を動かしていた。それが戦略を実現する原動力となったし、さらに言えば創発的戦略の源泉でもあった。だが、現在の日本企業のマネジャーは弱っている。日本企業は一般社員はもちろんのこと、マネジャーの育成にもっと投資する必要がありそうだ。

岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』―現代マネジメントへの挑戦状


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健

ダイヤモンド社 2013-12-13

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 4年前のアドラーブームの時に読んだが、改めて読み直してみた。アドラー心理学は、現代マネジメントに対する挑戦状を叩きつけているように感じた。

 ①以前の記事「岸見一郎『アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために』―アドラーの左派っぽくない一面と左派っぽい一面」でも書いたように、アドラーは「縦(垂直)の関係」を否定し、「横(水平)の関係」が重要であると説く。ただし、これは必ずしも、人々は皆平等であるといった、左派にありがちな主張ではない。アドラーは個人に差があることを認めている。同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うが、みんな等しく平らな場所を歩いている。

 一言で言えば、「競争の否定」である。これは経営学を追いかけている人間にとってはショッキングである。ブログ本館の記事「【戦略的思考】SWOT分析のやり方についての私見」(戦略立案の外部環境アプローチ)、「DHBR2017年12月号『GE:変革を続ける経営』―戦略立案の内部環境アプローチ(試案)」のように、我々は「競争戦略」という言葉を使うことにあまりにも慣れすぎている。アドラーからすれば、これは間違いだということになる。

 ただし、ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較」で書いた通り、私はアメリカ企業が競争に徹し、競合他社を叩きのめすことに躍起になっているのに比べると、日本企業は同業他社(競合他社と書くと競争を想起させるので、同業他社と書くことにする)と協力するケースが多いと感じる。その最たる例は業界団体の存在である。日本の業界団体では、同業他社が時にお互いの戦略に関する情報をあまりにも素直に交換し、研究、製品開発、製造、物流、販売などの面で協業を模索することがある。

 もちろん、アメリカにも業界団体はあるが、アメリカの業界団体はロビー活動が中心で、業界全体の権益を守るのが主目的である。この点ではアメリカの同業他社も協力的であるものの、一旦権益が守られると、その守られた権益の配分をめぐって激しい競争を繰り広げる。

 とはいえ、日本の同業他社が協力すると、戦略の同質化に向かうことが多いのが問題である。また、建設業界によく見られるように、談合によって利益を平等に分け合おうとするのも問題である。他社と同じことをしておけばひとまずは安心という日本人の心理があるのだろう。仮に他社を真似して失敗しても、失敗したのは他社が悪かったからと言って、自社の責任を回避することができる。

 だが、アドラーが言う横(水平)の関係は、同質ではなく異質を目指している。よって、それぞれの企業は同業他社と“完全に”差別化された戦略を選択しなければならない。これによって、まずは競争状態を抜け出すことができる。ただし、企業は完全なる差別化によって同業他社から”孤立”するのではなく、さらに一歩進んで、自社の経営資源をフルに活用し、自社とは戦略が全く異なる同業他社と”連帯”できる分野を模索することが求められる。

 加えて、環境変化の激化に伴い業界の垣根が崩壊しつつある現在においては、異業種の企業とも協業体制を構築し、顧客に対する新しい価値の提供を目指すべきである。ブログ本館では、いきなり神学論的な話を持ち出して、多神教文化の日本ではそれぞれの企業に本来的に異なる神が宿っており、異質な神同士が出会うことで創発的な学習が生じると書いたこともあった。

 また、日本の神は欧米の一神教における完全無欠な神とは異なり、人間的で不完全な神である。企業が自社に宿っている神を知る、つまり自社のアイデンティティを知ることは、欧米人が教会で祈りをささげて神に直接アクセスするような方法では実現できない。卑近な例だが、海外旅行をすると日本文化がより理解できるように、異質な神を宿している存在と接触することが自己理解を深める。これまでの日本企業は、ややもすると同業他社に対しては優しい反面、異業種からの参入企業に対しては排他的であった。この態度を改める必要がある。

 ②前掲の記事「岸見一郎『アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために』―アドラーの左派っぽくない一面と左派っぽい一面」でも書いた通り、アドラー心理学の中心的な考え方は、「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」の3つである。我々は共同体に属しており、他者は同じ共同体に属する信頼すべき仲間である。その仲間に対して、自分の能力を活かして貢献することが人生における大きな目的であるとアドラーは述べている。

 ここで、私にとってアドラーの主張を解りにくくさせているのは、アドラーは承認欲求を否定していることである。マズローの欲求5段階説に従うと、承認欲求は自己実現欲求に次ぐ高次の欲求である。我々が他者に貢献するのは、もちろん利他心からそうしているわけであるが、他者貢献によって他者から認められたいという個人的欲求も持っているためと考えるのが普通である。だが、アドラーはこれを否定する。それどころか、我々は他者の期待を満たすために生きているわけではないし、他者は我々に見返りを与える必要もないとまで言い切る。

 企業は顧客のニーズを満たすために製品・サービスを提供し、顧客はその見返りとして、企業に対し金銭を支払う。また、顧客は企業からの求めに応じてアンケートに回答したり、あるいは自発的に製品・サービスについての肯定的または否定的な評価を企業に伝えたりする。アドラー心理学は、こうしたマーケティング活動を一蹴していることになる。とはいえ、アドラーは前述の通り「他者貢献」はしなければならないと言う。だが、他者に貢献するとは、他者の期待を満たすことであるし、他者貢献に成功したかどうかは、他者から何らかの見返りがなければ判断しようがないように思える。この辺りをどのように解釈すればよいのか、今の私の頭ではどう頑張っても適切なアイデアが出てこない。

 ③アドラー心理学の特徴の1つに「目的論」と「原因論」の区別がある。例えば、自分がいつも自己否定的でネガティブになってしまうのは、子どもの頃に要求水準の高い両親から厳しく育てられたからだと考えるのが原因論である。これに対して、アドラーは、何らかの目的のためにこの人は自己否定的になっていると考える。その目的は、例えば、「自分の能力が低いことが相手にばれるのが怖いからそれを隠すため」というものかもしれない。過去の原因は変えることができないが、現在の目的なら変更することができる。その目的を変えるようにその人に働きかけることを、アドラーは「勇気づけ」と呼んだ。

 原因論を否定するということは、過去を見つめることを否定することである。過去に意味はないし、そもそも過去など存在しない。アドラーはさらに進んで、未来も存在しないと言う。存在するのは「いま、ここ」という瞬間だけである。人生は連続する刹那である。だから、過去にとらわれたり未来のことを考えたりせずに、「いま、ここ」を懸命に生きることが重要であるとアドラーは述べている。

 これもまた冒険的な主張である。過去を否定するということは、戦略論における内部環境アプローチ(コア・コンピタンス論や資源ベース理論)、すなわち、過去に蓄積された技術・知識・ノウハウ・ブランドなどの無形資産が競争力を持つという立場を否定することになる。また、昨今企業が社員のキャリア開発を支援するべきだという機運が高まっているが、キャリア開発は過去の価値観や経験を整理して自己理解を深めることから出発しており、これも退けられることになる。

 さらに、未来が存在しないということは、リーダーが内なる声に耳を傾けて、将来的に実現したいイノベーションを考案し、野心的な目標を設定してバックキャスティング的に事業プランを練り上げるという行為も存在しないことを意味する。企業が「いま、ここ」だけを懸命に生きることで、果たしてゴーイング・コンサーンになることができるのか、この点は今後もっとよく探求しなければならない。

河合忠彦『複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析』―複雑系の理論を取り入れたことで論理展開がカオスに


複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析
河合 忠彦

有斐閣 1999-05

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 先日の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」の続き。本書は続編にあたるのだが、複雑系の理論を強引に取り入れたせいで、かえって論理展開がカオス(複雑系におけるカオス〔決定論的カオス〕の意味ではなく、文字通りのカオス)になってしまった印象である。

 前回の記事では、市場が構造的不確実性に直面している場合にはトップによる「包括的戦略」が、競争的不確実性に直面している場合にはミドルによる「創発的戦略」が有効であると書いた。本書ではこの点が拡張されている。私なりに本書の内容を簡単にまとめたものが下図である。

複雑系適応リーダーシップ

 まず、イノベーションにおいては、市場を一から創造する、あるいは既存市場の構造を抜本的に破壊するため、構造的不確実性に直面する。この場合、トップによる包括的戦略が出発点となる。イノベーションにおいては、まだ市場が存在しない、または顧客ニーズの変化が予測できないことから、客観的な市場調査は不可能である。代わりに、トップが内なる声に耳を傾けたり、市場で観察される限定的な事実を個人的な価値観に従って解釈し、潜在顧客の潜在ニーズを先取りしたりして、画期的な新製品・サービスを考案する(本書では、「会社代表として」ではなく、「一構成主体として」戦略を構想するという表現が使われている)。簡単に言えば、主観的な情報を中心にイノベーション戦略を組み立てる。

 前書はここまでであったが、本書ではこれにミドルによる戦略が加わる。ミドルは、トップの包括的戦略を唯々諾々と受け止めるだけでなく、ミドルなりの内なる声や価値観に基づいて創発的戦略を形成する。創発的戦略は、包括的戦略の不足を補い、また抽象的な包括的戦略を具体化する役割を担う。こうして、全社一丸となってイノベーションが実行される。

 一方、マーケティングとは、既存市場のパイを奪い合う行為である。市場は成熟しており、競合他社が多数存在する。よって、競争的不確実性に直面する。この場合、イノベーションの場合とは逆に、ミドルによる創発的戦略が出発点となる。市場の成熟段階では、事業構造やビジネスモデルがある程度確立され、トップからミドルへと権限移譲が進む。ミドルは日常業務の中で個別の顧客や競合他社と対峙しており、具体的な市場ニーズや競合他社情報を客観的に収集することができる。ミドルはこの情報を中心としてマーケティング戦略を構築する。

 ただし、マーケティング戦略は創発的戦略だけで終わるわけではない。その創発的戦略をトップが吸い上げ、大局的な視点から事業環境を眺め、マーケティング戦略を洗練する。これが包括的戦略である。これによって、イノベーションの場合と同様に、全社一丸となった戦略展開が可能となる。

 もちろん、イノベーションにおいては包括的戦略から創発的戦略へ、マーケティングにおいては創発的戦略から包括的戦略へと単に直線的に進むわけではない。包括的戦略と創発的戦略は相互に作用しながら、戦略の質を高めていく。ここで言いたいのは、イノベーションにおいては包括的戦略が、マーケティングにおいては創発的戦略が出発点になることが多いということである。

 本書は私にとって解らないことだらけである。マーケティングにおいて創発的戦略と包括的戦略が上手くかみ合った例としては、前書でアサヒビールが挙げられていた。一方、イノベーションにおいて包括的戦略と創発的戦略がかみ合った例としては、本書でNECが挙げられているが、前述の整理とは逆に、創発的戦略が包括的戦略に先行している。NECでは90年代に一部のミドルがNTサーバの導入を試みた。NTサーバとはIBM互換機であり、互換性のない自社規格サーバばかりか、長いことNECのドル箱であったPC-98を否定する代替品であった。NTサーバを導入すれば、サーバのビジネスモデルが完全に変化するという意味で、NTサーバはイノベーションであった。

 ミドルからの提案を受けたトップは、NTサーバと自社規格製品との共存戦略を案出した。NTサーバ、SV-98、ワークステーションなどのプラットフォームを共通化し、パソコンの世界標準部材を使ってコストダウンを図り、既存製品の採算性を向上するとともに、NTサーバ市場を開拓してシェアトップを狙うというものであった。トップは共通化加速資金として10億円を投資した。これにより創発的戦略と包括的戦略が、単なる妥協に終わらず、より優れたイノベーションとして結実した。だが、イノベーションにおいて創発的戦略が包括的戦略に先行する(例を代表として挙げている)ならば、日本企業のトップは戦略の形成において能動的な働きをほとんどしていないことになってしまうのではないかと感じる。

 本書ではソニーが80年代にワークステーション事業に参入した事例も紹介されている。当時ワークステーションはほとんど普及しておらず、その意味でイノベーションであった。このイノベーションを主導したのも、やはり一部のミドルの創発的戦略である。ソニーの場合は、トップが「コンピュータなんて海のものとも山のものとも解らない」と述べており、包括的戦略の構築を事実上放棄している。こうなると、いよいよ日本企業のトップの役割は一体何なのかと思えてくる。

 一応、日本企業のトップが包括的戦略を掲げたという例も掲載されている。日産の川本信彦社長は、オデッセイを投入するにあたって、販売台数80万台という主観的な目標を設定し、同時に目標達成のために、クリエイティブ・ムーバー・シリーズ4車種を連続して投入して、進行しつつあるRVへの需要のシフトを加速させると表明した。だが、これは戦略というよりも単なる販売計画である。

 90年代にIBMを復活させたルイス・ガースナーは、自身が前職でIBMのシステムを使っていた時の不満や、IT業界のトレンドの変化に関する個人的な読みに基づいて、ハードウェアの箱売りからトータルソリューションビジネスへの転換を決意した。これは、顧客のニーズを先読みした具体的なサービスコンセプトであった。そして、自社以外の製品・サービスを取り揃え、開発・販売部隊を再構築し、社員に新しい価値観、ビジネスモデル、仕事のやり方を教え、業績評価制度もがらりと変えた。元来、戦略とはこういう具体性を持ったものではないだろうか?

 本書では、複雑系の理論から「ゆらぎ」の概念を借用しているが、これもまた非常に解りにくい。複雑系におけるゆらぎとは、初期状態のわずかな違いが結果的に大きな差となって現れることを意味する。「バタフライ効果」が有名である。本書では、まず、包括的戦略と創発的戦略の間でゆらぎがあると説明される。別の言い方をすれば、既に見てきたように、両戦略の間で相互作用があることを表す。だが、複雑系におけるゆらぎとは、ある環境の下で包括的戦略と創発的戦略のどちらを選択するかによって、結果(企業の業績)に大きな差が生じるという意味であると思う。両方の戦略の間を行ったり来たりするというのは、企業経営の実態としては正しいものの、複雑系のゆらぎを誤解しているように感じる。

 また、戦略の形成においては、「分析的か非分析的か?」、「適応的かプロアクティブか?」、「会社代表としてか一構成主体としてか?」との間でゆらぎが生じるという。「分析的&適応的&会社代表として」という組み合わせは客観性が高く、マーケティング戦略と親和性がある。逆に、「非分析的&プロアクティブ&一構成主体として」という組み合わせは主観性が高く、イノベーション戦略と親和性がある。ただし、マーケティング戦略だからと言って完全に客観的だとは限らず、ゆらぎが生じて主観性が顔を出すことがある。だから、前掲の図では「客観的情報『中心』」と書いた。同じことはイノベーション戦略にもあてはまる。

 ここでも、「分析的か非分析的か?」、「適応的かプロアクティブか?」、「会社代表としてか一構成主体としてか?」という2択の間で揺れ動くことは、現実の戦略としては大いにあり得ることだが、複雑系のゆらぎの概念にはそぐわないと思う。例えば、ある環境の下で、トップが会社代表として振る舞うか、一構成主体として振る舞うかによって、結果(企業の業績)に大きな差が生じるというのが、複雑系のゆらぎに従った解釈であるはずである。

 最後にもう1点。本書は、創発的戦略の担い手として、一部のミドルにしか注目していない点が問題である。本書が新聞・雑誌の記事に大きく依拠していることによる限界と言える。新聞・雑誌は、目立つミドルしか取り上げないからだ。

 複雑系の理論には「自己組織化」という考え方がある。これは、ニュートン以来の機械論的な組織観とは全く異なる。機械論的な組織においては、組織の要素は各コンポーネントに完全に分解される。組織自体は機械であり意思を持たないから、組織=機械を動かすにはトップによる強い命令が必要となる。これに対して、自己組織化における組織は、コンポーネントに還元不可能な「関係」を重視する。組織を取り巻く環境が変化すると、環境からのインプットを基に、局所的な変化が関係を通じて組織システムに伝播し、さらにその変化が相互作用を伴って、結果的に組織全体が意思を持つように自律的に変化する。

 本書も、創発的戦略に着目するのであれば、一部のミドルの局所的な戦略的変化が他のミドルや現場社員にどのように影響を及ぼし、加えて彼らが他のミドルや現場社員からどんなフィードバックを受けて、結果的に組織全体としてどのような変化が実現されたのかを掘り下げるべきであった。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
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