アジア人の価値観 (アジア研究所叢書 (13)) 増田 義郎 亜細亜大学アジア研究所 1999-03 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
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ジャワ人の価値観の中心的概念は全体の調和にある。宇宙全体が整然とした秩序のある調和のとれたものであるという。そこにある個人は全体を構成する一部分として秩序維持に奉仕する従属的存在として位置づけられている。人は自己の欲望を抑え、宇宙の秩序を司る偉大な力に自己の運命や境遇を定められたものとして受け入れる。人に対しては忍耐と寛容が求められる。前半を読むと非常に東洋的であると感じるし、後半を読むとキリスト教のプロテスタンティズムのようにも感じる。東洋にも西洋にも宇宙観というのは存在するが、私は決定的な違いが1つあると考える。
東洋では、引用文にもあるように、宇宙を頂点として縦に秩序が存在し、個人は秩序の末端に配置される。ブログ本館の記事では何度か書いたが、日本の場合は、個人―家族―学校―企業・NPO―市場―社会―行政―立法―天皇(―神?)という秩序が存在する(厳密に言えば、日本の構造はこんなに単純な直線構造ではないのだが、ここでは便宜的にこのように記述する)。
そして、上の階層は下の階層に対して、秩序の維持・発展のためになすべきことを命じ、下の階層はそれに応えることを使命とする。ただし、下の階層は上の階層の命令を絶対視せず、創意工夫を凝らして命令以上のことを行い、時には上の階層をも自由に動かす。これが、山本七平の言う「下剋上」である。
それに対して、西洋の場合は、宇宙=神=人間という同質・並列の関係が成立する。宇宙は神が創造したものであり、宇宙は神そのものである。宇宙も神も万能で無限な存在である。神は自分の姿に似せて人間を創造した。人間には欠点や罪があるが、篤い信仰心を持てば神の意思に直接触れることができる。これによって、人間もまた、万能で無限の存在となれる。こうした考え方が全体主義に行き着くことは、ブログ本館の記事でも何度か書いた。また、ここ数年ビジネスの世界で話題となっている「U理論」も、全体主義的な傾向を帯びていると指摘した。
(2)ブログ本館で西洋の「二項対立」的な発想について何度か書いたが、その起源は一体どこにあるのかとかねてから疑問に思っていた。本書を読んだら、「ゾロアスター教」がその候補かもしれないと感じた。ゾロアスター教とは、紀元前6世紀頃、アケメネス朝ペルシャで生まれた宗教である。
ペルシャ人固有の信仰にマズダ教があり、最高神であり、光明と善の表象であるマズダの信仰を中心としていたが、アム川上流バクトリア地方に、宗教改革者ゾロアスターが生まれ、善神アフラ・マズダに対し悪神アーリマン以下の邪神を配して、光明と暗黒の二元を人間に移して善悪の倫理とし、善神の勝利により人間が救済されると説いたのである。ノアの箱舟で有名なノアには、セム、ハム、ヤフェトという3人の息子がいた。しばしば、セム、ハム、ヤフェトからはそれぞれ、有色人種モンゴロイド、黒人種ニグロイド、白人種コーカソイドが生まれたと言われる。
・セム⇒有色人種モンゴロイド・・・ユダヤ人、アラブ人、トルコ人、モンゴル人、中国人、朝鮮人、日本人、アイヌ人、インディアン、インディフォ、マオリなど。
・ハム⇒黒人種ニグロイド・・・エジプト人、エチオピア人、ケニア人など。
・ヤフェト⇒白人種コーカソイド・・・アーリア人、ゲルマン人、スラブ人、ケルト人、ギリシャ人、ペルシャ人、インド人など。
山本七平は、『存亡の条件』などで、二項対立はセム系民族の特徴と書いている。しかし、今のところ私は、ブログ本館の記事で、二項対立を欧米人の特徴と位置づけている。ペルシャ人も、上記の分類に従えば、ヤフェトを起源とする欧米民族である。この辺りを論理的にどう整理するかが、当面の私の課題である。