神道はなぜ教えがないのか (ベスト新書) 島田 裕巳 ベストセラーズ 2013-01-09 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
ブログ本館の記事「竹田恒泰『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』―よくも悪くも「何となく、何とかしてしまう」のが日本人」で、日本人というのは明確な目標を最初に掲げ、それに向かって突き進むよりも、その時々の状況に応じてコロコロと方向性を変えながら前進する国民である、ということを書いた。周りから見ると、短期的、場当たり的、日和見的なのだが、実は非常に現実的、状況適応的であるのが日本人である。本書を読むと、そういう日本人の気質は、神道(神祇信仰)にもよく表れているような気がした。
キリスト教やユダヤ教の創世記に見られるように、世界の神話ではたいてい、天地を創造した主体が描かれている。ところが、神道の場合は、誰が世界を造ったのか不明のままだ。天地はいきなり出現する。神々が次々と生み出されていく舞台となった高天原という空間も、いつの間にか出現している。
神社の起源もよく解っていない。近年、弥生時代を代表する遺跡である登呂遺跡(静岡県)や吉野ヶ里遺跡(佐賀県)に、大規模な祭殿が復元されている。しかし、本書の著者は、弥生時代にそのような祭殿があったとは考えにくいと否定する。吉野ヶ里遺跡は、邪馬台国九州説の有力な証拠とされる遺跡だ。そして、邪馬台国については、中国の『魏志倭人伝』に記述がある。その『魏志倭人伝』に、吉野ケ里遺跡の祭殿のことが一切登場しないのはおかしい、というわけである。
それぞれの神社には「社伝」というものがあり、創建の時期に言及している場合がある。社伝によれば、最も古い神社は、神武天皇1年(紀元前660年頃)に造られた鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)になるそうだ。また、社殿の造営について最も古い記述は、熊野本宮大社(和歌山県田辺市)についてのものだという。造営の時期は、崇神天皇(在位紀元前97~29年)とされている。しかし、これらの記述についても、著者は信憑性に疑問が残るとして退けている。
結局のところ、神社がどのように形成されたのかは、よく解らない。神道研究者の第一人者である岡田荘司氏でさえ、「古代の律令期以降、つぎつぎと神社神殿が創建されていったと推定されるが」と曖昧な書き方をしていることが本書では紹介されている。言い換えれば、いつの間にか、何となくでき上がったのが神社なのである。ちなみに、現存する神社建築で、最も古いのは宇治平等院の近くにある宇治上神社の本殿だそうだ。建立は平安時代中期の11世紀後半とされる。
最後に余談。
イスラム教には、神道と共通する「ない宗教」としての側面が多々見られるのである。まず、イスラム教では、偶像崇拝を徹底して禁じており、神の像は造られない。造ってはならないとされ、ムハンマドの姿さえ描かれない。イスラム教と神道は全然違うと思う。イスラム教で偶像崇拝が禁じられているのは、絶対性を有する完全無欠の神を、罪でけがれた不完全な人間が描くのは不敬極まりないとされるからだ。一方、神道の神が描かれないのは、単に誰も積極的に描かなかったからにすぎない(もちろん、なぜ描こうとしなかったのかを探る必要はあるが)。描こうと思えばいつでも描けたわけであり、現に天照大御神などは今ではマンガにすらなっている(イスラム教では考えられないことだ)。
(キリスト教は)原則はユダヤ教と同じはずだが、三位一体の教義が生まれ、父なる神とイエス・キリスト、そして聖霊とが同一の存在であるとされた。この三位一体の教義は、神学的には難解なものだが、3つの神格を認める点で、多神教への道を開くものでもあった。三位一体説はアタナシオス派が提唱したものであり、325年のニカイア公会議でアタナシオス派と対立したアリウス派を退けて、キリスト教の正統な教義となった。だが、これが「多神教への道を開く」というのは疑問である。
神、イエス・キリスト、聖霊は、それぞれが神格を持つと同時に1つの神格である。根源は1つの神格に他ならず、それが現世においては3つの神格となって表れた、というのが三位一体説である。仮に三位一体説が多神教への道を開いたのならば、例えばゲルマンのケルト信仰のような、ヨーロッパ土着の多神教的な信仰をキリスト教が葬り去った点が説明できない。「神がたくさんいるなんておかしい。神はイエス・キリストだけだ」という一神教の排他主義が、ケルト信仰を抑圧したと考えるのが自然ではないだろうか?