こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

2016年07月

松戸清裕『ソ連史』


ソ連史 (ちくま新書)ソ連史 (ちくま新書)
松戸 清裕

筑摩書房 2011-12

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 1917年の二月革命から1991年のソ連崩壊までを俯瞰した1冊。社会主義国ソ連に対する一般的なイメージと現実とのギャップが解った。

 (1)【一般的なイメージ】ソ連は「計画経済」でがんじがらめになっていた。
 ⇔【実際】本書を読むと、ソ連は慢性的に農作物の不足に悩まされていたことが解る。農作物を輸出して外貨を稼ぎ、その外貨を重工業に投資して経済成長をさせるというのが共産党の狙いであったが、シナリオ通りにはいかなかった。そのため、冷戦期にはアメリカとの経済格差が開く一方であった。

 計画経済では、毎年農作物の種類ごとに目標収穫量を設定する。ところが、実は計画を策定した時点で国民の需要を満たせないことが明らかなこともあった。そこで、政府が定めた農地=国有地に加えて、農民が自由に作物を育てることのできる付属地=私有地を認めた。そして、付属地で収穫された農作物は、コルホーズ(集団農場)市場で自由に売買することができるようにした。つまり、部分的に自由市場経済を認めていたわけである。

 政府が農民から買い取って国民に販売する農作物に比べて、コルホーズ市場で取引される農作物は価格が高くなる傾向にあった。そのため、政府は付属地の制限に乗り出したことがある。ところが、付属地を制限した途端に農作物の収穫量が激減し、かえって国民を飢餓に追いやる結果となってしまった。

 以前の記事「エズラ・F・ヴォーゲル、橋爪大三郎『鄧小平』」で、鄧小平が自由市場主義を採用したのは、共産圏では初めてではないと書いたが、鄧小平の改革より何十年も前に、実はソ連が自由市場を試みていたのである。

 (2)【一般的なイメージ】ソ連は共産党の一党独裁で、上意下達で運営されており、国民が共産党を批判することは許されない。
 ⇔【実際】本書を読んで最も興味深かったのは、政府や共産党関係者、地方の行政官、新聞などのメディアに対して、毎年国民からおびただしい数の手紙が届いていたという点である。手紙には、政治や行政に対する不満や改善点が書かれていた。2代全国紙には毎年数十万通の手紙が寄せられていた。ゴルバチョフの元には、”毎日”4,000通の手紙が届いていたという。

 共産党は国民の不満が爆発することを恐れていたため、国民の声を聞くことに注力していたようだ。手紙の中には、「仕事を斡旋してほしい」といった個人的なお願いごとも含まれていたそうだが、それに対応して就職先を紹介してあげたという例も紹介されていた。そのぐらい、共産党は国民の声に対して敏感だった。

 共産党も、政策を一方的に国民に押しつけたわけではなかった。共産党のスタンスは「国民に説明し、理解させ、協力を得る」というものであった。選挙は、共産党の政策を国民に浸透させる絶好の機会であった。ソ連は共産党の一党独裁であるから、選挙をやっても結果は見えているのだが、共産党は選挙活動を通じて政策を国民に丁寧に説明し、国民統合を図った。

 (3)【一般的なイメージ】((2)とも関連するが、)ソ連は中央集権体制である。
 ⇔【実際】必ずしも中央集権体制のみだったわけではない。フルシチョフの時代には、「国民経済会議」という組織が設置された。それまでのソ連は、国家経済委員会が連邦全体の計画を策定し、工業部門別の省が連邦全域の当該部門企業を管理する縦割り体制であった。この過度の中央集権を是正するため、フルシチョフは省を解体するとともに、全国各地に数十程度の国民経済会議を置き、部門を問わずその地域の工業企業の管理を委ねることで分権化を図った。

 また、フルシチョフは、国家機関が担う機能の多くを、次第に「社会団体」の管轄に移さなければならないとも考えていた。社会団体としては労働組合、コムソモール(共産党の青年組織)、各種協同組合などが挙げられた。さらに、文化施設、保健施設、社会保障施設の管理に社会団体を関与させ、劇場・映画館、クラブ、図書館など、国家の管轄下にある文化啓蒙機関の指導を社会団体に移す方針を打ち出した。これは、広く国民の参加意識を醸成することが目的であった。

『EU分裂は必然!混沌を読み解く大経済史/フィリップ・モリスの野望 iQOSはたばこを変えるのか(『週刊ダイヤモンド』2016年7月16日号』


週刊ダイヤモンド 2016年 7/16 号 [雑誌] (EU分裂は必然! 混沌を読み解く大経済史)週刊ダイヤモンド 2016年 7/16 号 [雑誌] (EU分裂は必然! 混沌を読み解く大経済史)

ダイヤモンド社 2016-07-11

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 (1)本号では資本主義の仕組みが限界を迎えており、新しい時代に突入する可能性が示唆されている。その根拠とされているのが、各国の国債金利の長期推移である。17世紀初頭、当時の世界経済を牛耳っていたイタリアの国債金利が1.125%(1619年)にまで落ち込んだ。低い金利を嫌った投資家のマネーがイタリアからオランダ、さらにはイギリスへと流れ込み、世界のヘゲモニーが交代した。イギリスでは18世紀に産業革命が起こり、資本主義の仕組みの基礎ができた。

 現在、日本の国債金利は限りなくゼロに近い(2013年で0.315%)。イギリスやアメリカの国債金利も低下している。よって、17世紀以降の経済の仕組みがガラリと変わるタイミングを迎えているのではないかと本号は見ている。しかし、そもそも日本は世界のヘゲモニーを握ったことなどない。英米の国債金利が低下しているとはいえ、過去にも同水準の金利だった時期があり、著しく金利が低下しているとは言えない。個人的には、資本主義の時代はまだ続くと考えている。

 経済成長は人口増加とリンクしている。そして、中長期的に見れば、世界の人口はこれからも増加し続ける。2050年には100億人に到達するという予測もある。2016年時点でさえ、新興国においては、先進国では当たり前のように普及している製品・サービスの普及率が低いという現状がある(下図参照)。つまり、満たされていない需要があり、潜在的な経済成長の余地が残っている。そこに人口増が加わるわけだから、資本主義にはまだまだやるべき仕事がたくさんある。

ASEAN主要国における耐久消費財の普及率

 (※)大和総研「平成26年度新興国市場開拓事業(相手国の産業政策・制度構築の支援事業(新興国における主要物品の需要拡大予測を踏まえた国際展開モデルの構築に関する調査))調査報告書」(2015年2月)より。

 資本主義によって経済格差が広がったと言われるが、これは金融経済の膨張によるところが大きいと考える。本号によれば、実体経済と金融経済の比率は1970年には1:2であったが、2006年には1:50になった。1995年から2008年までの間に、金融経済は実に100兆ドルものマネーを生み出した。経済格差を是正するためには、金融経済の世界に手を加える必要があると思う。

 (2)世界情勢が不安定になるにつれて、各国では極右または極左の勢力が躍進しているという。極右は特定の民族やグループを優遇し、移民などを排斥しようとする。逆に極左は移民などあらゆる人々を受け入れて平等な社会を目指す。

 両者は全く正反対のことを主張しているように見えるけれども、私に言わせればどちらも根っこは同じである。ブログ本館の記事「『躍進トランプと嫌われるメディア(『正論』2016年7月号)』―ファイティングポーズを見せながら平和主義を守った安倍総理という策士、他」でファシズムと共産主義は同じ根っこでつながっていると書いたが、それと同じロジックである。

 その根っことは、「完全なる神によって創造された人間は、完全なる合理性を持っている」と考えることにある。極右は、自分たちこそが完全なる合理性を持っていると信じ、他者(特に移民)を非合理的な存在と見なして排斥する。他方、極左は、表面的には人間には様々な差異が見られるが、本質的には神に似せて創造された存在であるから、差異はなかったものと見なして、万人を平等に扱う。極右は確かに暴力的である。しかし、明らかな差異に目をつぶって全ての人々を平準化しようとする左派のやり方も、同じく暴力的であると感じる。

 (3)本号には、各都道府県が公認するご当地キャラクターの認知度ランキングが掲載されていた。くまモン、チーバくん、せんとくんがそれぞれ21.7%でトップである一方、4位以下はいきなり10%以下に下がるという結果であった。要するに、くまモン、チーバくん、せんとくんの”三体”勝ちである。現在、非公認のキャラクターも含めると、全国各地の自治体のゆるキャラは、現在3,000体を超えるという。

製品・サービスの4分類(修正)

 またこの図(何度も言い訳をして申し訳ないが、未完成である)を使うことをお許しいただきたい(図については、以前の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」などを参照)。ゆるキャラは、必需品でもないし、別に欠陥があっても顧客に何かリスクが生じるわけではないから、左上の象限に属する。この象限の特徴は、「勝者総取り」が起きることである。

 左上は、元々はアメリカが強い象限である。アメリカのイノベーターは世界中に自分のイノベーションを普及させようとする。参入障壁が低いゆえに多数のイノベーターが市場に参入するものの、全世界の人々のニーズをとらえられるイノベーションはそうそう滅多にない。よって、大多数は淘汰され、残ったわずかなイノベーターが市場を総取りするという結果になる。

 ゆるキャラも、同じように勝者総取りが起きていると考えられる。くまモン、チーバくん、せんとくんが高い認知度を誇る一方で、地元の都道府県民や市区町村民すら知らないゆるキャラが無数に存在するという構図ができ上がっている。

 ちなみに、左下の象限は、主に日用品であり、品質に対する要求水準もそれほど高くないため(高くないと言っても、歩留まり率は99.99%ぐらいが要求される)、参入障壁が低い。また、飲食店や小規模のスーパーなど、生業的に事業を行う者も多数存在する。よって、大小合わせて非常に多数のプレイヤーが市場シェアを分け合う形になる。大企業でさえ、高いシェアを獲得することは難しい。

 右下の象限は、必需品のうち、品質への要求水準が非常に高いものを指す。自動車業界などは「不良ゼロ」を目指している。この要求に耐えられる企業はそれほど多くない。しかし他方で、左上の象限とは異なり、顧客のニーズは多様化しているから、それに伴ってプレイヤーも多様化する。結果的に、複数の企業による寡占状態が生まれやすい。以上は私の仮説であり、今後検証を進めたい。

小林秀雄『考えるヒント』


考えるヒント (文春文庫)考えるヒント (文春文庫)
小林 秀雄

文藝春秋 2004-08

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 ようやく最近になって山本七平、小林秀雄、和辻哲郎、丸山眞男といった、日本の著名な思想家の本を読み始めたのだが、10年早く読み始めるべきだったと後悔している。そんな私が、小林秀雄の本を読んでいきなり何かを書けるわけでもないのだけれども、何事も練習が大事ということで挑戦してみる。

 本書を読むと、小林は機械に対して強い不信感を抱いているようだ。冒頭に所収された記事には、将棋を指すコンピュータの話が登場する。小林は、このコンピュータに否定的である。小林は、3×3マスの魔法陣では、先手が必ず勝つことを引き合いに出す。仮に、将棋も先手と後手のどちらかが必ず勝つことが判明すれば、後は先手か後手かをクジなりコインなりで決めた時点で、勝敗は決する。だが、実際にはそこまで解っていない。だから、コンピュータが人間に勝つことはないと言う。そんなことは常識で考えればすぐに解るとさえ書いている。

 この記事が発表されたのは1959年6月であるから、当時のコンピュータに関する技術や一般的な知識に従えば、こういう感覚に陥っても仕方なかったのかもしれない。3×3マスの魔法陣で先手が必ず勝つように、将棋では例えば「先手が4六歩を指せば必ず勝てる」ということが判明すれば、コンピュータは人間に勝てる(コンピュータが先手・後手を決めるクジで、運よく先手を選択することが条件だが)。しかし、そういう必勝パターンは見つかっていないから、コンピュータが人間に勝つことはあり得ない。これが小林のロジックである。

 だが、現在はAI(人工知能)の発達によって、チェス、将棋の世界ではコンピュータの方が強くなってしまった。最近、googleのAIが囲碁で勝利し、世界に衝撃を与えた。打ち手の数のパターンは、チェス、将棋、囲碁の順番で増える。つまり、この順で難易度が上がる。しかも、将棋と囲碁では難易度が桁違いだったのだが、googleはいとも簡単にクリアしてしまった。私はAIの専門家ではないので、詳しいことは解らない。ただ、チェスであれ将棋であれ囲碁であれ、AIは必勝法を特定しようとはしない。局面ごとに、相手を追い詰める効果が高いと思われる打ち手に当たりをつける技術に長けている。これは小林の盲点だったであろう。

 小林は「ウソ発見器」についても懐疑的である。機械が人間の心理の機微を正確に把握できるのならば、人間の性格を外部から強制的に変えることだってできるはずだと強弁する。だが、機械によって性格を変えられた人間は、もはや人間とは呼べないと述べる(この点にはやや論理の飛躍があるように思えるが)。

 小林は、人間の内部は外部が規制するという現代(本書が書かれた1960年代前後)の風潮にも苦言を呈する。上記のように、機械によって人間の運命が定められることもこれに含まれるだろう。小林は、人間個人の心の動き=人性を重視した。しかし、これは決して、左派が言うような個性重視、人格重視とは異なる。科学が導く合理的な概念には血が通っていない。そうではなく、生活に未着した言葉、自己の日常経験に即した言葉を大切にする。

 例えば小林は、個性、人格という言葉よりも、「変わり者」という言葉に着目した。変わり者という言葉には、単にその人が他の人と違うという意味の他に、その差異がどこか滑稽だと周囲の人が見なしている意識が反映されている。しかし、周囲の人はその変わり者を無下に排除したりはしない。「彼にはちょっとおかしなところがあるけれども、どこか可愛げがある。だから大目に見てあげよう」という、人間関係の体温を感じさせる。「変わり者」という言葉には、これだけの意味が包含されている。これは、明らかに個性や人格とは異なる意味合いだ。

 小林は、本居宣長の「姿(言葉)は似せ難く、意は似せ易し」という言葉を紹介している。通常は、意味を真似するのは難しく、言葉を真似するのは簡単であると考えがちだ。ところが、宣長はそれは逆だと主張した。確かに、マイケル・ポランニーが言ったように、我々は言葉で表現できること以上のことを知っている。そして、それを意味と呼ぶならば、意味を言語以外の方法も含めて他者と共有することも可能である。これに対して、言語というものは、意味の境界を明確にするというメリットがある反面、本当は意味したかった意味を切り捨てるリスクがある。だから、伝えたい意味を的確な言葉に変換するのは非常に難しい。

 私は野球好きなのでいきなり野球の話をすることをお許しいただきたいが、野球の「サヨナラ」という言葉は実によくできた言葉だと思う。サヨナラは、端的に表現すれば、9回以降の裏の攻撃で勝ち越して勝利を収めることである。しかし、サヨナラという言葉には、球場全体がそれまでの緊張感から一気に解放されること(緊張感にサヨナラ)、勝利チームはその時点でもうそれ以上攻撃をしなくても済むこと(仕事からサヨナラ)、敗れたチームは転々と転がるボールを追わず完全に試合を諦めること(白星にサヨナラ)、観客はそれぞれに様々な思いを抱いて家路につくこと(球場からサヨナラ)など、色々な意味が凝縮されている。

 ちなみに、MLBではサヨナラゲームのことを"Walk-Off"と言う。打たれたピッチャーがマウンドからゆっくりと降りることから、そのように呼ばれるそうだ。しかし、日本の「サヨナラ」に比べると、あまりにもあっさりとした言葉で面白みがない。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
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