こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

2016年11月

井沢元彦、島田裕巳『天皇とは何か』


天皇とは何か (宝島社新書)天皇とは何か (宝島社新書)
井沢 元彦 島田 裕巳

宝島社 2013-02-09

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 『逆説の日本史』シリーズの著者・井沢元彦氏と、宗教学者・島田裕巳氏の対談本。井沢氏が邪馬台国や卑弥呼について興味深い仮説を提示していたので、それをまとめておく。もっとも、本人は「これを言ったら笑われる」、「こう言うと方々から怒られる」とわざわざ断っているので、取り扱い要注意の仮説である。

 ・弥生時代、大陸から九州へと移り住んだ弥生人は、先住していた縄文人を排し、鉄器を武器に支配勢力を東へと拡大していった。弥生時代には様々な「クニ」が興ったが、最も勢力を誇ったのが「邪馬台国」である。「邪馬台国」を「やまたいこく」と読むのは、江戸時代の読み方である。中国の古音で読むと「やまどこく」となる。よって、邪馬台国は、後のヤマト朝廷と同一ではないかと考えられる。

 ・「卑弥呼」は人名ではない可能性がある。というのも、王の名前が外部に知られると呪われるため、通常、王の名は軍事機密扱いとされるからだ。卑弥呼は「日の巫女」であると考えられる。そして、次の点が重要であるが、卑弥呼は天皇の祖先である。なお、井沢氏は、奈良県桜井市にある箸墓古墳を卑弥呼の墓と推測している(宮内庁は、「大市墓(おおいちのはか)」として、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓としている)。

 ・日本には約8万の神社があるが、その中で最も多いのは八幡宮である。しかし、八幡とはどの神のことなのか、古事記にも日本書紀にも記載がない。八幡社は元々、九州の宇佐八幡宮から始まっている。奈良時代、聖武天皇が東大寺に大仏を建立した際に、東大寺の守護神として寺の近くに手向山八幡が建てられ、宇佐の分霊として祀られた。その後、宇佐八幡は応神天皇と習合したため、宇佐八幡=応神天皇のイメージが定着した。

 聖武天皇の娘にあたる称徳天皇は、宇佐八幡宮から「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けた。真相を確かめるために宇佐八幡宮に派遣された和気清麻呂によって宣託は否定されたのだが、ここでポイントとなるのは、神託を聞きに行ったのが宇佐八幡宮であるという事実である。誰を天皇にするかは、当時の朝廷にとって最も重要な事項である。もし、神託を聞きに行くのであれば、天照大御神を祀っている伊勢神宮に行くはずだ。それなのに、宇佐八幡宮に行ったということは、朝廷にとって宇佐八幡宮が特別な意味を持っていたことを表している。

 実際に宇佐八幡宮に行ってみると、中央に祀られているのは応神天皇ではなく、比売大神(ひめおおかみ)である。そして、比売大神とは卑弥呼であると考えられる。前述の通り、卑弥呼は天皇の祖先という最重要のポジションにある。よって、比売大神=卑弥呼の元に神託を聞きに行ったとしてもおかしくはない。

橋本毅彦『「ものづくり」の科学史―世界を変えた《標準革命》』


「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》 (講談社学術文庫)「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》 (講談社学術文庫)
橋本毅彦

講談社 2013-08-08

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 製品・部品に互換性を持たせたり、製品・部品の仕様を標準化したりすることは今では当たり前のように行われているが、その歴史は意外と浅いようだ。本書には、1999年末にニューヨーク・タイムズ紙が「この1000年の間に発明された道具の中で最も有用なもの」として、「ネジとネジ回し」を挙げたことが書かれている。ネジは世界中で標準化が進んだ最たる部品であるが、その標準化が真剣に検討されるようになったのは20世紀に入ってからにすぎない。

 ただ、ネジなどの基本部品の標準化を後押ししたのは、経済的な理由というよりも、皮肉なことに戦争であった。とりわけ20世紀の2つの世界大戦は各国の総力戦となり、武器や戦闘機などの製造に必要な部品を標準化し、大量生産する必要があった。また、戦場で武器や戦闘機などが故障した際に、速やかに部品を交換して再び使えるようにするというニーズにも応えなければならなかった。
 英国工学会や米国機械学会で決定したネジの規格は、全国的な専門組織によって決定されたものであるが、強制力がなく規格決定後も多数の他の仕様のネジが出回っていた。ネジのような基本部品の標準化が実質的に進展する契機となったのは、第1次世界大戦であった。そして第1次大戦を境に、米国では各種の標準化が強制的に進められていった。(中略)軍と戦争は標準化を進ませる大きな歴史的要因なのである。
 軍事技術から民生に転用されて世界中に普及した製品は数多いが、「標準化」もまた、戦争の産物なのである。アメリカはこうした動きに最も積極的であった。それを見て我々は、「アメリカは戦争を利用してイノベーションを起こしている」と批判したくなる。しかし、アメリカだけが責められるべき対象ではない。日本もまたアメリカの片棒を担ぎ、戦争の恩恵を受けていることを本書は気づかせてくれる。そしてそれを知る時、私は何とも言えない気分になる。
 戦後日本の産業界にとって、朝鮮特需は増産により富をもたらしてくれるとともに、規格化された互換性部品に対する米国の進んだ加工・検査技術を日本にもたらした。景気の回復は、その後の本格的な技術導入を進める上での資金源となり、進んだ技術の導入は、後の日本製品の品質向上のための基礎となった。
 日本のコンテナ輸送を後押ししたもう1つの要因は、ベトナム戦争だった。(中略)ベトナムから米国への帰りのコンテナはほぼ空であった。そこで〔マルコム・〕マクリーン(※トラック運送業から海運業へと転身し、コンテナ輸送の標準化に貢献した人物)は帰路に日本に立ち寄らせることを考える。ちょうど日本でも輸出用にコンテナ船が就航しはじめた頃である。シーランド(※ベトナムのコンテナ輸送を手がけたアメリカ企業)のコンテナ船は、ベトナムから日本に立ち寄り、そこで日本の輸出製品―衣料品、ラジオ、ステレオなど―を米国西海岸まで輸送した。

千賀秀信『この1冊ですべてわかる 管理会計の基本』


この1冊ですべてわかる 管理会計の基本この1冊ですべてわかる 管理会計の基本
千賀 秀信

日本実業出版社 2011-06-30

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 固定費をかけるとは、手間をかけることです。固定費(手間)をかけない商売は、外部に支払う変動費は発生しても、手間をかけていないので顧客には何のメリットも感じさせることができません。だから、顧客からそれを見透かされて、変動費に上乗せする利益(これを付加価値と言う)を請求できないのです。
 固定費をかけると付加価値(粗利益)が生まれます。実際の商売では、販売費とか人件費のような固定費(手間)をかけることで、仕入原価に粗利益を乗せて販売できるのです。
 固定費にはそういう性質があったのかと勉強になった部分(今さら・・・)。

 私の前職の企業は教育研修と人事関連のコンサルティングを行っていたが、メインは教育研修事業であった。教育研修事業のコスト構造は極めてシンプルで、変動費としてはテキストの印刷代、外部に委託していた診断(アセスメント)の費用、外部講師を用いた場合の講師フィーが発生する程度であった。固定費は主に人件費と家賃である。基本的に、研修コンテンツの開発と講師を内部でまかなう方針であったため、人件費が非常に高くついた。

 ブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第21回)】何年経ってもまともな管理会計の仕組みが整わない」でも書いたが、それぞれの研修をいくらで何社の企業に販売すれば、どのくらいの売上高と利益を達成できるのか、社長をはじめ誰も計算していなかったと思う。本書に載っているコーヒー専門店の事例と同じくらい単純なコスト構造なのに、変動損益計算書のようなものを見たことがなかった。社長は毎年「今年は売上2億円を目指す」と念仏のように唱えているだけで、決算を締めてみたら実は損益分岐点売上高が2.3億円で、それに対して売上高が1.6億円ぐらいしかなく、赤字が7,000万円ということがざらにあった。

 ブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第24回)】行き当たりばったりでシナリオのないサービス開発」でも書いたように、前職の会社はサービス開発を乱発していたため、企業規模の割にやたらと研修の数が多かった。だが、それぞれの研修は、担当講師と担当営業がほとんど固定されていた。つまり、それぞれの講師と営業担当者が複数の研修を担当していた。よって、各研修の開発・営業・実施に要した講師と営業担当者の人件費をABC(活動基準原価計算)で算出すれば、誰がどのくらい足を引っ張っているのかが解るはずであった。

 ところが、前職の会社には日報も週報も存在しなかった。だから、それぞれの講師が各研修の開発や実施に何時間かけているのか把握できていなかったし、それぞれの営業担当者が各研修を販売するために何時間を商談や提案書作成に費やしているのかも不明であった。私にできたことと言えば、各研修の売上高の割合に応じて、講師と営業担当者の人件費を按分することぐらいであった。それですら、それまで私以外に誰も計算したことがなかった。

 社長は大手コンサルティングファームでそれなりの地位まで上り詰めた人であった。また、社内には同じコンサルティングファームで働いていたマネジャーが何人かいた。そういう人に経営をさせても、所詮はこの程度なのである。社長も自分の経営手腕には自信がなかったらしく、「社長らしく振る舞うにはどうすればよいか?」といった内容の怪しげな本まで買って勉強していた。しかし、本当に勉強すべきだったのは、本書のような本だったのではないかと思う(私も今頃本書を読んでいるようでは遅すぎるのだが・・・)。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

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