天皇とは何か (宝島社新書) 井沢 元彦 島田 裕巳 宝島社 2013-02-09 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
『逆説の日本史』シリーズの著者・井沢元彦氏と、宗教学者・島田裕巳氏の対談本。井沢氏が邪馬台国や卑弥呼について興味深い仮説を提示していたので、それをまとめておく。もっとも、本人は「これを言ったら笑われる」、「こう言うと方々から怒られる」とわざわざ断っているので、取り扱い要注意の仮説である。
・弥生時代、大陸から九州へと移り住んだ弥生人は、先住していた縄文人を排し、鉄器を武器に支配勢力を東へと拡大していった。弥生時代には様々な「クニ」が興ったが、最も勢力を誇ったのが「邪馬台国」である。「邪馬台国」を「やまたいこく」と読むのは、江戸時代の読み方である。中国の古音で読むと「やまどこく」となる。よって、邪馬台国は、後のヤマト朝廷と同一ではないかと考えられる。
・「卑弥呼」は人名ではない可能性がある。というのも、王の名前が外部に知られると呪われるため、通常、王の名は軍事機密扱いとされるからだ。卑弥呼は「日の巫女」であると考えられる。そして、次の点が重要であるが、卑弥呼は天皇の祖先である。なお、井沢氏は、奈良県桜井市にある箸墓古墳を卑弥呼の墓と推測している(宮内庁は、「大市墓(おおいちのはか)」として、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓としている)。
・日本には約8万の神社があるが、その中で最も多いのは八幡宮である。しかし、八幡とはどの神のことなのか、古事記にも日本書紀にも記載がない。八幡社は元々、九州の宇佐八幡宮から始まっている。奈良時代、聖武天皇が東大寺に大仏を建立した際に、東大寺の守護神として寺の近くに手向山八幡が建てられ、宇佐の分霊として祀られた。その後、宇佐八幡は応神天皇と習合したため、宇佐八幡=応神天皇のイメージが定着した。
聖武天皇の娘にあたる称徳天皇は、宇佐八幡宮から「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けた。真相を確かめるために宇佐八幡宮に派遣された和気清麻呂によって宣託は否定されたのだが、ここでポイントとなるのは、神託を聞きに行ったのが宇佐八幡宮であるという事実である。誰を天皇にするかは、当時の朝廷にとって最も重要な事項である。もし、神託を聞きに行くのであれば、天照大御神を祀っている伊勢神宮に行くはずだ。それなのに、宇佐八幡宮に行ったということは、朝廷にとって宇佐八幡宮が特別な意味を持っていたことを表している。
実際に宇佐八幡宮に行ってみると、中央に祀られているのは応神天皇ではなく、比売大神(ひめおおかみ)である。そして、比売大神とは卑弥呼であると考えられる。前述の通り、卑弥呼は天皇の祖先という最重要のポジションにある。よって、比売大神=卑弥呼の元に神託を聞きに行ったとしてもおかしくはない。