こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

2017年09月


何清漣、程暁農『中国―とっくにクライシス、なのに崩壊しない“紅い帝国"のカラクリ』―内需が弱すぎる中国


中国――とっくにクライシス、なのに崩壊しない“紅い帝国中国——とっくにクライシス、なのに崩壊しない“紅い帝国"のカラクリ - 在米中国人経済学者の精緻な分析で浮かび上がる - (ワニブックスPLUS新書)
何 清漣 程 暁農 中川 友

ワニブックス 2017-05-12

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 かつての親中派であったアメリカのマイケル・ピルズベリーが『China 2049』で明らかにしたように、中国は1949年の建国から100年後の2049年までに世界の覇権を握るという目標を立てている。世界の覇権を握るとは、まずは経済面でアメリカを圧倒し、次に軍事面でもアメリカを大きく凌駕することを指す。経済面で圧倒するというのは、解りやすく言えばGDPでアメリカを抜くということだ。中国のGDPは、2025年頃にはアメリカを上回ると予測されている。

 ただし、中国のGDPにはからくりがある。GDPはGDE(国内総支出)と等しく、GDE=(民間最終消費支出+民間住宅投資+(民間設備投資+民間在庫品増加)+(政府最終消費支出+公的固定資本形成+公的在庫品増加)+(財貨・サービスの輸出-財貨・サービスの輸入)で計算できる。中国が手っ取り早くGDP=GDEを上げるためにとった政策が、個人の不動産(民間住宅投資)、民間企業の設備投資(民間設備投資)、公共のインフラ(公的固定資本形成)を増やすことであった。これらの要素は、作れば作った分だけGDPの上昇に反映される。そのため、中国では住宅の建設ラッシュが続き、企業は次々と最新の設備を導入した。国内では、あちこちで作りかけの道路を見ることができる。

 中国の不動産業がGDPに占める割合は、2009年には6.6%であったが、2015年には14.18%にまで上昇している。中国では1人で住宅を2軒、3軒持つのが普通になっており、中には10軒持っている人もいるそうだ。これだけ供給過剰になれば、いつ不動産バブルが崩壊してもおかしくないと考えるのが普通である。

 通常の国では、貨幣を供給する胴元と、価格の妥当性を判断する審判が分かれている。日本のバブルは、貨幣を供給する日本銀行に対して、審判である市場がノーを突きつけたことで崩壊した。ところが、中国の場合は、胴元と審判がイコールになっている。よって、中央銀行が貨幣を増発し、地方銀行がディベロッパーにそれを貸し付け、国民に住宅を購入させ続けるという図式が成り立っている。中央政府が貨幣の蛇口を閉めた途端、中国経済は信じられないほどの大混乱に陥る。そのため、中国はこのギャンブルから降りることができない。

 中国では、民間の設備投資が既に過剰になっているという点も、多くの人が指摘するところである。中国国家発展改革委員会の研究者の分析によれば、製造業の過剰生産能力から周期的な過剰部分を除くと、全体のおよそ15%が恒久的な過剰生産能力と考えられるそうだ。さらにこの研究者は、全ての業種での投資について、1997年から2013年までの投資の35.6%は有効ではなく、その総額は66.9兆元に達するとも述べている。66.9兆元と言えば、日本円にすると1,000兆円超である。日本のGDPの約2倍にあたる額の投資が有効でない、つまりムダになっていると考えると、実に恐ろしい話である。

 中国経済は投資に大きく依存した構造になっている。ということは、裏を返せば個人の消費が非常に弱い。先進国においては、GDPに占める個人消費の割合は5割から6割に達するのだが、中国では3割ほどしかない。中国が本当の意味で健全な経済成長を続けるためには、内需を拡大することが重要な課題となる。以上が本書の大まかな内容である。なお、中国経済のからくりについては、上念司『習近平が隠す本当は世界3位の中国経済』(講談社、2017年)も興味深い。

習近平が隠す本当は世界3位の中国経済 (講談社+α新書)習近平が隠す本当は世界3位の中国経済 (講談社+α新書)
上念 司

講談社 2017-06-21

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 中国の個人消費がこれほどまでに弱い要因は何であろうか?ここからは私の仮説になるが、供給と需要の両面からとらえることができるのではないかと思う。まず、供給面であるが、中国は鄧小平時代に市場を開放して以降、海外から投資を次々と呼び込んだ。中国にやってきたのは製造業が中心であり、中国の安い労働力で安い製品を作り、世界中に輸出するというモデルができ上がった。

 海外から製造業を呼び込む場合、全製品を輸出に回す代わりに税制面で優遇する、という形をとることが多い。これによって輸出を大きく伸ばし、GDPを増加させようというわけだ。だが同時に、国内の生産レベルが上がってくれば、徐々に内需向けの企業を海外企業と国内企業の合弁で設立し、海外企業の技術を吸収する方向にシフトしていくのが普通である。中国では、外資が内需向けの企業を設立することが過度に厳しく制限されていたのではないかと推測する。

 需要面で見ると、個人消費が弱いということは、端的に言えば国民がお金を持っていないということである。外資の製造業の参入によって雇用が増大し、農村から都市への人口流入が起きたものの、その大半はコスト抑制のために最低賃金ギリギリの水準で働かされていた可能性がある。だから、雇用が増えた割には国民の生活がそれほど豊かにならなかったと考えられる。

 中国が内需を拡大するには、外資に設けられているハードルを下げて国内市場向けの供給を増やすと同時に、高い賃金が期待できる高付加価値産業を育成することが重要である。中国は、世界の工場と呼ばれた時代に、輸出面で有利に立つために元安へ誘導したと言われる。トランプ大統領は、これを為替操作だと厳しく批判した。すると中国は、今度は元高になるように為替を操作した。元高になると、中国企業が外資企業を買収しやすくなる。現在、中国が世界中の企業、特に高付加価値産業の企業を買いあさっているのはこのためである。

 だが、買収した企業が中国人の雇用を増やし、彼らに高い給与を支払い、さらにゆくゆくは中国国内に製品・サービスを提供するという戦略を持たない限り、中国の内需は強くならないであろう。ただ単に、買収側の中国企業の株主となっている一部の共産党幹部の懐を温めるだけの結果に終わるに違いない。

高松平藏『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』―日本の理想社会を一足先に実現しているドイツ?


ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズムドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム
高松 平藏

学芸出版社 2016-08-28

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 ブログ本館でしばしば、日本の多重階層構造を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という形でラフにスケッチしてきたが、「行政府⇒市場/社会」の部分、すなわち、行政府が市場や社会に対して何かしらを命じるとはどういうことかと疑問に思われた方もいらっしゃるだろう。自由主義に従えば、行政府による介入は必要最低限に抑えるべきだというのが一般的である。しかし私は、行政府が法律や規制を通じて、市場や社会に積極的に関与していくのが日本の理想ではないかと考えている。

 具体的には、行政府が「日本人としてどう生きるべきか?」を示し、市場や社会に対して、その生き方を実現するための製品やサービスを効果的に配分する、別の角度から言えば、人々がそのような製品・サービスを欲するように要求する。これらの製品・サービスは、①衣食住など健康的な生活を送るのに十分な量・質であること、②精神面、文化面を豊かにするものであること、③倫理観、道徳観にかなったものであること、④限られた地球資源を有効に活用するものであること、という4つの条件を満たす必要がある。個人の欲望に任せて資源を浪費するのではなく、日本国、日本人として見た場合に最適な資源分配を実現すべく、行政府が市場や社会に干渉する。この点で、一般的な自由主義とは異なる。

 ドイツでは、「社会的市場経済」というシステムが戦後から構築されており、日本の理想の一歩先を行っているような気がした。
 まず経済について、戦後ドイツは「社会的市場経済」という体制をとる。後に首相となるルートヴィヒ・エアハルトが連邦政府の経済大臣時代(1949~1963年)に推進し、社会が経済システムをコントロールし、富の再分配と社会的公正を実現しようというものだ。需要と供給に任せておけばよいという自由市場経済とは一線を画す。富の再分配に関連させていえば、貧困対策、年金・失業保険などの社会保障といった分野も入ってくる。そして、そういった分野に関するシステム、法律、組織、取り組みといったものが「社会的」という概念と重ねられる。
 冒頭のラフなスケッチでは十分に表現されていないのだが、日本の多重階層社会にはもう1つ重要な特徴がある。それは、階層が下に行けば行くほど、多様性が増していくということである。多様性が増すということは、それだけ分権化も進むことになる。日本は明治維新と第2次世界大戦後に中央集権的な国家運営で急激な成長を遂げたため、中央集権制の方が親和性が高いように思われている。しかし、中央集権制は、開国後と戦後という国難の時期における臨時の手法である。現代でも中央集権制を引きずっているのは、アメリカのトップダウン型のリーダーシップの影響であると考える。本来は、江戸時代の幕藩体制のように、分権制の方が日本は上手く回るはずだというのが私の仮説である。

 ドイツは多数の連邦(それ自体が1つの国と言ってもよい)をかき集めて1つの国家にまとめ上げたという歴史的背景があるため、現在でも各連邦の権限が非常に強い。日本のように中央官庁が作成した政策を地方自治体が裏書きしてそのまま実行するということはない。ドイツの州や市は、中央からの指示に対して(時には中央の指示を待たずに)、地元の事情を踏まえた独自の案を構想する。こうした動きは、まちづくりやクラスター形成の場面で如実に表れる。
 日本でも2000年代に産業クラスター政策が全国で推進された。ただ日本の場合、各クラスターの範囲が地理的に広く、さらに政府によってつくられたという傾向がなきにしもあらずだ。それに対して、エアランゲン市では自らのまちのポテンシャルを見極め、経済戦略として打ち立てた。
 現在、日本では地方創生という題目を掲げて全国各地に魅力ある地域を構築することを目指している。ここはドイツに倣うと同時に、本来日本人の中に眠っているはずの分権制を呼び覚ますことが重要ではないかと考える。

 ブログ本館の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」でも書いたが、日本社会では、各プレイヤーが多重階層構造の一角に閉じ込められるのではなく、垂直方向には「下剋上」と「下問」、水平方向には「コラボレーション」を通じて移動する自由がある。この点で私は日本社会を自由主義的であると言う。

 企業を例に取ると、単に顧客のニーズに応えるだけでなく、顧客に対して「もっとこうした方が(中長期的に見て)生活の質が上がるのではないか?」と(時に顧客のニーズに反する厳しいことを)提案する「下剋上」、さらに顧客(市場)の上に位置する行政府に対して、「もっとこういう法律や規制にした方が、市場や社会の効果が上がるのではないか?」と提案する「下剋上」がある。一方、下の階層に関しては、企業に知識労働者を供給する学校に対して、「学校がもっと高い成果を上げるために、企業としてどんな支援ができるか?」と問う「下問」、企業に毎日社員を送り込む家庭に対して、「家庭生活がもっと上手くいくようにするために、企業としてどんな支援ができるか?」と問う「下問」がある。

 水平方向の「コラボレーション」は、自社の強み、組織能力、アイデンティティ、価値観に対する理解を深めるため、異質との出会いを通じて学習を重ねることを狙いとしている。コラボレーションの相手は競合他社かもしれないし、異業種のプレイヤーかもしれない。あるいは、社会的ニーズを満たすNPOかもしれない。NPOとの協業を通じて社会的価値を創造し、それを経済的価値と両立させる、つまり企業としても一定の業績を上げることができれば、マイケル・ポーターの言うCSV(Creating Shared Value)を実現したことになる。私は、日本企業にはこうしたコラボレーションを実施する素地が十分に備わっていると思っている。

 本書によると、ドイツ企業は地元に密着しており、地元の「フェライン(NPOに該当する)」と緊密な連携を取っているという。フェラインは地域の福祉のために仕事をしたり、地域で行われる様々なイベントの担い手になったりしている。ドイツ企業はフェラインに対する資金的援助を惜しまない。ただ、CSVの観点から言えば、単に企業が非営利組織に資金を供給するだけでは十分とは言いがたい。企業と非営利組織の活動を統合して、経済的価値と社会的価値の両方を創出することが、ドイツ企業にとっての課題であると言えそうだ。

相沢幸悦『よみがえる日本、帝国化するドイツ―敗戦国日独の戦後と未来』―左派の言う「東アジア共同体」は幻想であり欺瞞


よみがえる日本、帝国化するドイツ:敗戦国日独の戦後と未来よみがえる日本、帝国化するドイツ:敗戦国日独の戦後と未来
相沢 幸悦

水曜社 2015-11-20

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 本書のタイトルからして保守系の本だと思っていたのだが、実際にはゴリゴリの左翼系で、読んでいて久しぶりにげんなりした。
 これを回避する道は、これからすすむアジアの経済統合に参画することしかない。中国や韓国、アセアンのGDP合計は、日本の3倍はある。日本をあわせれば2000兆円にもなるだろう。虫のいい話ではあるが、そうすると、1100兆円余あまりの政府債務残高のGDP比は50%程度に激減し、財政規律のきびしいドイツよりも健全財政に生まれ変わる。政府債務残高の半分、500兆円あまりの日本国債をアジア諸国の外貨準備に組み込んでもらえば、円の国際化もすすむし、過重な債務負担とはならない。
 著者の頭の中には、左派に典型的に見られるあの世界観、つまり、「自己と他者の区別がなく、国家もなければ宗教もなく、天国も地獄もない、皆一つになって平和に暮らしている、人類愛に満ち溢れた世界」が描かれていることだろう。それをアジアにあてはめれば、EUに倣って東アジア共同体(East Asian Community)を構築し、各国が主権を東アジア共同体に預けて政治的な統一を果たすとともに、通貨を統一して経済的な統一も目指すということになる。

 しかし、引用文に書かれている著者の構想は、一見バラ色の未来のようであって、実は日本だけが得をする独善的なものである。仮に東アジア共同体が実現されて、通貨がユーロのように統一されたとしよう。東アジア共同体のメンバーとなっている国の大半は、経済発展の途上にある新興国であり、通貨は本質的に弱含みである。よって、統一通貨は円に比べて安くなる。つまり、日本にとっては円安が実現されるのと同じ効果がある。すると、輸出産業が活発化する。

 一方で、新興国にとっては、通貨圏に日本というリスクオフの国家が含まれることで、通貨が割高になる。端的に言い換えれば、新興国はお金持ちになる。日本の輸出産業は、アジアの新興国に向けて輸出を拡大する。新興国のあぶく銭は、日本企業がかすめ取っていく。したがって、通貨統一によって得をするのは日本企業だけということになる。これは、EUで実際に起きたことである。ドイツがマルクを放棄してユーロを受け入れた時、事実上通貨安となったため、輸出産業が活性化された。ドイツ企業が向かった先は、EUの中で比較的貧乏だった国で、ユーロの恩恵を受けてお金持ちとなったギリシアのような国々であった。現在も、EUではドイツ一強の状態が続いているのは周知の通りである。

 日本政府が抱える1,100兆円の債務の半分をアジア諸国に保有してもらうというのも暴論である。日本の国債は、大部分が日本国内だけで消化されているからこそ、為替の変動とはほとんど無関係でいることができる。その国債を海外に向けて開放すると、為替の変動の影響を受けるようになる。繰り返しになるが、アジア統一通貨を採用する国は、新興国が多く、財政基盤が決して盤石とは言えない国も多い。ある国の財政が悪化すれば、アジア統一通貨が暴落する恐れがある。そして、アジア統一通貨の価値が下がると、必然的に国債も暴落する。国債の暴落は、日本にとって借金の増大を意味する。

 EUは、経済成長のレベル、財政の健全さが比較的似通っている(と思われていた)国で構成された共同体である。そのEUでも、ギリシアの財政危機が発覚すると大幅なユーロ安となり、さらにギリシャの危機がスペインやイタリア、ポルトガルにも飛び火して各国の国債が暴落し、EUのみならず世界経済を混乱に陥れた。アジアの国々は、EUに比べるとはるかに多様である。その多様性を抱きかかえるということは、こうしたリスクを日本が背負い込むことを意味する。本書の著者がこの点をどこまで理解していているのかは不明である。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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