身分差別社会の真実 (講談社現代新書) 斎藤 洋一 大石 慎三郎 講談社 1995-07-17 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
斎藤洋一氏と大石慎三郎氏の2人による共著だが、2人の思惑は若干異なっている。斎藤氏は、江戸時代の身分制について、武士、百姓、町人、えた・ひにんという身分間の格差よりも、同一身分内の格差の方が大きかったことを問題にしている。例えば、武士は大名、旗本、御家人、百姓は本百姓、小前百姓、町人は町年寄、町名主、草分名主、小町名主、平名主などに分かれており、それぞれの身分の間には厳然たる格差があったことを指摘している。ただ、この指摘は本書の導入部のみにとどまり、残念ながらそれ以上の考察は行われていない。
本書の主眼は、大石氏による「えた身分」をめぐる差別の実態を解き明かすことにある。我々は学校の歴史の授業で、被差別民としてえた・ひにんの2種類を学習したが、実際にはそれ以外にも様々な被差別民が存在した。全てを挙げることはできないが、本書からその一部を拾うと、ちゃせん、とうない、みやばん、猿まわし、わたしもり、ささら、しゅく、はちや、ばんたなどが存在していた。これらの被差別民をまとめて、本書では便宜上「えた身分」と呼んでいる。
そして、重要なのは、こうしたえた身分が、江戸時代になって幕府の権力によっていきなり作られたのではなく、その起源を中世に遡ることができるという点である。仮に、江戸幕府が自らにとって都合のいいように被差別民という身分を作ったのであれば、全国各地に人工的に被差別民の集落が形成されていなければおかしい。ところが、それぞれの被差別民には地域性がある。
特に、死んだ牛を解体する仕事に従事していたえたは、近畿地方に集中している。日本人には伝統的に死をケガレとして嫌う傾向があり、死んだ牛の解体はケガレた仕事であるから、えたに任せていたというわけである(えたは漢字で書くと「穢多」=「穢れが多い」となる)。よって、大石氏は、被差別民という存在は権力が作り出したものではなく、人々が皆で作り上げたものだと主張する。
だが、本書を読んでいくと、よく解らないことがいくつも出てきた。
・「ちゃせん」は主に中国地方に少数点在した被差別民で、農業の傍ら竹細工などを行い、また祝福芸能に従事したとある。また、「みやばん」は主に長門国に点在した被差別民で、神社の清掃・警察的業務、さらには村の取り締まりなどに従事したとある。不思議なのは、ケガレた存在である彼らが、キヨメの象徴である神社の警備や祝福芸能に参加していたことである。本当に彼らがケガレた存在であれば、彼らを神社から遠ざけようとするのではないだろうか?
・えた・ひにんは、平人と同じ火=窯で煮炊きしたものを食べてはならない、煙草の火をもらう時も直接もらうのではなく、一旦捨ててもらって、それをもらうようにとされていた。これは、神聖な火がえた・ひにんによってケガレることを恐れたためである。一方で、一部のえた身分の中には、「灯心」の製作・販売に携わっていた者がいるという。灯心とは、ロウソクの芯である。つまり、神聖な火に関わる製品をえた身分に作らせていたことになり、この点でも矛盾を感じる。
・えた身分の人々は、戦国期から市の警備などにあたり、その際、市で商いをする商人・農民などから「市役銭(いちやくせん)」を徴収していた。えた身分がケガレた存在であれば、華やかな市などには関わらせないようにしようと考えるのが普通だろう。しかし、実際にはそれとは正反対に、えた身分に番役を積極的に担わせ、対価まで支払っている。これは、えた身分に市の繁栄を祈る呪的な能力があると見なされていたのではないかと大石氏は考える。
このように、えた身分の人々は、単にケガレた存在ではない。ケガレをキヨメる力があったと考えられる。だから、神社に出入りし、祝福芸能の役割を担い、神聖な火を扱う灯心の製造・販売を行い、市の番役を任せられた。彼らは、身分社会の最底辺にいながら、実は、神に最も近い存在であった。中世に起源をもち、江戸時代に完成した身分差別社会を簡単に書くならば、神⇒天皇⇒公家⇒武士⇒百姓・町人⇒被差別民という構図になるだろう。ところが、もう少しこの構図を精緻に描けば、被差別民から神に対して上向きの矢印が伸びていて、被差別民は神に仕えていたことになる。そして、その神の命令を天皇が受け取り、下の階層へと伝達していたという複雑なシステムが浮かび上がってくる。
ブログ本館で、現代の日本の階層社会を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という形でラフスケッチしたことが何度かあるが、この構図についても、江戸時代と同じことがあてはまる。つまり、最下層に位置する家庭に所属する国民から天皇に対して上向きの矢印が伸びていて、憲法という形で天皇の権力を制限する。また、国民主権の名の下に、国民は立法府に対しても上向きの矢印を持っており、立法府の法律制定能力をある程度コントロールしている。今まで私は非常に単純な多重階層社会を考えてきたが、実態はもっと複雑であることに目を向けなければならないと思い知らされた。
《追記》
余談だが、本書にはまだ解らない点がある。そのうち2つを記しておく。
・日本人が伝統的にケガレを忌み嫌う民族であり、神道はその傾向が特に強いことは前述した通りである。天皇は神道に従事し、キヨメに集中する存在であった。だが、実際問題として人民や動物は死に、ケガレが多発する。この問題をどう扱うかに頭を悩ませていた時に、ちょうど中国から朝鮮半島経由で日本に流入したのが仏教であった。仏教はケガレを積極的に扱ってくれる。天皇はケガレの処理を仏教にすっかり任せてしまい、ますますキヨメに集中するようになった。
そんなケガレを扱う宗教であるから、本来であれば人々から敬遠されてしかるべきである。ところが、仏教は鎌倉時代以降ずっと力を持ち続け、ついに江戸時代には、檀家制度に代表されるように、仏教が国家制度の中心に据えられた。ケガレに直接携わるえた身分は差別されたのに、仏教徒は差別されるどころか幕府によって優遇されたのはなぜなのか、理解に苦しむところである。
・えた身分の人々は、藩から町や村の見回り、犯罪人の捜索・逮捕といった、いわば下級警察的な役務に従事させられていた。これもよく考えてみれば不思議なことである。警察権というのは、国家や藩が社会の治安を維持するための強力な行政権の一部である。そんな重要な任務を、被差別民に任せていたというのが不可解である。確かに、下級警察的な役務の延長線上で、処刑の役割を担っていたこともあるから、これはケガレを担当するえた身分の範疇としてとらえることができるだろう。しかし、一般の警察権をえた身分に与えていた理由は、ケガレという観点からはどうにも説明ができないように思える。