北朝鮮・絶対秘密文書: 体制を脅かす「悪党」たち (新潮新書)北朝鮮・絶対秘密文書: 体制を脅かす「悪党」たち (新潮新書)
米村 耕一

新潮社 2015-02-16

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 「絶対秘密文書」という仰々しい言葉がタイトルに入っているが、指導層の極秘資料を指しているのではなく、北朝鮮の検察機関がまとめた捜査記録のことである。だが、そこに記された犯罪を読み解くことで、北朝鮮が何を正義と見なしており、一方で現実の社会では何が起きているのかを知ることができる。

 北朝鮮は社会主義の国であるから、私有財産は厳しく禁止され、土地、建物など全ての資本は国の所有物=国民の共有物となる。経済発展の計画は国家が立案し、その計画に従って国民1人1人の職業が決まり、必要な資本が割り当てられる。国民は、自分に与えられた職業を全うし、国が定めた目標の達成に尽力する。国民の報酬も国が全て決めており、職業や成果に関わらず、平等に支給される。これが北朝鮮における正義である。

 だが、犯罪記録の中には、地方の軍部隊が有している鉱物資源の権益を不当に入手して、採掘した鉱物を中国に密売したり、中国からサイダーの製造機械を廉価で購入して、周辺住民に飲料を売ったりしている”プチ起業家”が登場する。

 そのような起業家が生産した製品は、闇市にも流れ込む。北朝鮮では、国家が製品価格を設定するため、市場取引はご法度である。しかし、あまりに闇市が大きくなっているため、指導層も黙認しているらしい。アメリカの研究者の調査によると、北朝鮮で市場取引を通じて収入を得たことがある人の割合は何と96%に上るという。どうやら、表向きは堅牢な社会主義の制度を保っているかのように見える北朝鮮でも、足元には徐々に資本主義の波が押し寄せているようだ。

 社会不安を煽る事件は他にもある。例えば、放射性物質の「硝酸トリウム」が軍需工場から大量に流出して密売されたことがある。国家の統制下にある軍需工場で、放射性物質がいかにずさんに管理されているかを示す一件であった。

 また、北朝鮮では覚醒剤の製造が日常的に行われている。もともと、北朝鮮の覚醒剤は日本向けであった。ところが、2000年代に日本の覚醒剤取り締まりが強化されると、日本向けの覚醒剤が国内に流通するようになった。北朝鮮では、「お茶を飲むように覚醒剤を進められる」と言われる。北朝鮮で麻薬管理法ができたのは2003年に入ってからにすぎない。

 興味深いことに、放射性物質の密売も、麻薬管理法違反の問題も、国民の生命・身体に危険が及ぶからという理由で処罰されているわけではない。捜査当局が問題視しているのは、資本主義的な活動によって不当に利益を上げていることである。端的に言えば、社会主義体制に対する違反を取り締まっているわけだ。

 社会主義体制が資本主義の侵食によって崩壊するというのは、いつか来た道である。旧ソ連諸国は、西側諸国の人々が高い所得水準を保ち、豊かな生活を享受しているのを目の当たりにした。その結果、国内で指導部ならびに社会主義に対する不満が高まり、体制が崩壊した(旧ブログの記事「旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出しなかったせい?(1)―『ソフト・パワー』(2)」を参照)。北朝鮮も同じ道をたどるカウントダウンが始まっているかもしれない。

 北朝鮮の将来を最も左右するのは、おそらく中国であろう。中国は、北朝鮮と同じ社会主義国でありながら、部分的に資本主義、市場主義経済を取り入れることで、経済発展を遂げた。北朝鮮の人々は、中国人との格差をまざまざと感じていることだろう。同じ社会主義国であるにもかかわらず、中国が”抜け駆け”したことを苦々しく思っているかもしれない。

 現在の中国と北朝鮮は良好な関係にあるが、北朝鮮の指導部が、中国のことを社会主義の理想に反すると批判し始めたらどうなるだろうか?中国は北朝鮮への影響力を一層強めるであろう。同時に、資本主義が浸透しつつある大衆レベルでは、資本主義化した中国の動きに賛同する人々が現れるに違いない。すると、北朝鮮の指導部は、中国と自国民の両方から攻撃されることになる。