小国主義―日本の近代を読みなおす (岩波新書)小国主義―日本の近代を読みなおす (岩波新書)
田中 彰

岩波書店 1999-04-20

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 本書によれば、「大国主義」と「小国主義」はそれぞれ次のように定義される。
 (1)領土拡大、軍備拡張をめざす。
 (2)そのため軍備費を増大させ、国民に負担増・犠牲を強いる。
 (3)保守・専制・武断の政治(軍閥跋扈・軍人政治)となり、立憲政治の基礎を崩すおそれがある。
 (4)排他主義で、経済上は保護主義、閉鎖主義となる。
 (5)軍国主義、専制主義、国家主義である。
 (6)明治維新以降、とりわけ日清・日露戦争以降、「大日本主義」は日本のあらゆる分野に横溢した。
 (1)領土拡大に反対し、保護主義に反対する。
 (2)内治の改善、個人の自由と活動力との増進によって、国利民福をはかる。
 (3)商工業の発展をめざし、産業資本の自由な発展を妨げる軍拡費を削減する。そして、小規模の軍備維持を理想とする小軍備主義をとる。
 (4)産業をはじめ思想、道徳、文芸、科学の向上進歩を誇りとする。
 (5)産業主義、自由主義、個人主義をとる。
 日本において小国主義が明確に現れるようになったのは、明治時代の自由民権運動の時期である。中心となったのは植木枝盛や中江兆民である。その後は、日清・日露戦争と、日本が当時の大国と次々に戦火を交える中で軍拡主義が主流となったが、東洋経済新報社の代表を務めた三浦銕三郎と石橋湛山の尽力によって、小国主義は途切れることなく続いた。

 軍国主義が敗れて太平洋戦争が終結すると、新憲法を制定するにあたって小国主義が再び影響力を持つようになった。憲法制定時には、各方面から様々な私案が提出された。その中で、高野岩三郎、鈴木安蔵が中心となった憲法研究会が提出した私案は、最も小国主義が反映されたものであった。GHQはこの私案を気に入ったようで、現在の日本国憲法にはこの私案の内容が反映されている。したがって、日本国憲法はアメリカから押しつけられたものであるというよくある議論は間違いであると著者は論じている。


 《2016年9月24日追記》
 これに対する右派の一般的な見解は次の通りである。
 小西豊治『憲法「押しつけ」論の幻』(講談社現代新書)のように、日本国憲法の「国民主権」の概念が、日本人憲法学者鈴木安蔵の発案であることを以て、日本国憲法は日本人によって作り上げた憲法だ、などと主張する向きもある。だが、これは、「憲法制定権力」の問題を無視した暴論であり、自身の主張そのものが「幻」である。
(岩田温「どうしてそうなるの?左曲がりの憲法改正論」〔『正論』2016年10月号〕)
月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2016-09-01

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 《参考記事(ブログ本館)》
 日本とアメリカの戦略比較試論(前半)(後半)
 『視座を高める(『致知』2016年5月号)』―日本は中国がイノベーション大国になることをアシストし、彼らから学べるか?
 『共産主義者は眠らせない/先制攻撃を可能にする(『正論』2016年5月号)』―保守のオヤジ臭さに耐えられない若者が心配だ、他
 『死の商人国家になりたいか(『世界』2016年6月号)』―変わらない大国と変わり続ける小国、他
 千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる
 『ジャーナリズムが生き延びるには/「核なき未来」は可能か(『世界』2016年8月号)』―権力を対等に監視するアメリカ、権力を下からマイルドに牽制する日本、他

 私は上記の記事で、折に触れて日本は小国であると書いてきた。確かに、経済規模を見れば、世界第3位の経済大国かもしれない。しかし、1人あたりGDPは世界で26位である。しかも、日本の経済は、一部のグローバル製造業が稼ぐ付加価値額に大きく依存しており、産業の大半を占めるサービス業は生産性の面で足を引っ張っていると指摘される。そういう事情を考慮すると、大半の国民が実感として感じる1人あたりGDPはもっと低いと考えるのが妥当であろう。よって、日本は決して経済大国とは言えない。今後、人口減少が続けば、経済面だけでなく、政治・外交面、軍事面などでも、日本が世界に与える影響力は小さくなる。

 ブログ本館の記事をお読みになっている皆様はお解かりいただいていると思うが、私の基本的スタンスは保守である。冒頭の引用文にあるように、保守は大国主義と結びつきやすい。だが私は、小国主義に関してはこれを支持したいと思う。ただし、国家主義か個人主義かという点については、国家主義を支持する。すなわち、個人よりも国家が先に立つと考える。

 その理由については精緻な理論づけが必要だと思うのだが、ここでは西欧の創世記と日本の神話の違いに触れるにとどめたい。創世記では、まず神が天地を創り、人間を創造した。その人間の子孫が四方に散って、各地で国を作った。これに対して、古事記や日本書紀では、まずイザナギとイザナミが国(現在の淡路島)を創造したことになっている。その後、様々な神と国が創られて、神々に国が割り当てられた。人間が登場するのはずっと後である。このような違いが、個人主義に立つか国家主義に立つかという点にも影響している。

 もう1つ、私が小国主義に立ちながら大国主義的な要素を強調するのは、日本は愛国精神をもっと大切にすべきだという思いからである。本書では、明治時代にヨーロッパ各国を外遊した日本人政治家の記録が紹介されている。その記録には、小国の一例としてスイスが記されている。さらにその記録は、小国の条件として、①自国の権利を貫く、②他国の権利を妨げない、③他国からの権利の妨げを防ぐ、という3つを挙げている。これらの条件を満たすために、スイスは①中立・防衛、②実理・合理的な教育、③愛国精神を実践しているという。

 愛国精神と言うとすぐに大国主義に結びつきそうだが、スイスの例は小国であっても自国を守るために愛国精神が必要であることを示している。スイスに倣って私も、基本的に小国主義を支持しながら、国家主義、愛国精神も重視する。ブログ本館で「日本は二項対立ではなく二項混合を目指すべきだ」と何度も書いてきたように、私自身の考えも大国主義と小国主義の混合である。