こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

読書

山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―上下関係とは上から下への一方的な指揮命令関係だけではない


帝王学―「貞観政要」の読み方 (日経ビジネス人文庫)帝王学―「貞観政要」の読み方 (日経ビジネス人文庫)
山本 七平

日本経済新聞社 2001-03-01

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 「貞観政要」は、唐代に呉兢が編纂したとされる太宗(李世民)の言行録である。「貞観」は太宗の在位の年号で、「政要」は「政治の要諦」を意味する。本書はこの貞観政要の内容を山本七平なりに解釈したものである。貞観政要は日本でも幅広く読まれており、特に徳川家康は好んで読んだとされる。

 「貞観の治」と呼ばれる太宗の安定した政治を特徴づけるもののは、何と言っても太宗が臣下からの諫言を積極的に受け入れたことである。もちろん、天命によって君主となった人物とはいえ、太宗とて人の子であるから、臣下からあれこれと注意をされれば気分がよいものではない。事実、諫言をした臣下に対してあからさまに嫌悪感を示しているような、人間臭い一面もある。ただ、それはごくごく例外的で、大半において太宗は臣下からの声に耳をよく傾けた。

 太宗が特に重宝したのが、房玄齢、杜如晦、魏徴、王珪の4人である。房玄齢、杜如晦の2人は唐の律令制度をはじめ、様々な国家制度の整備に尽力した功労者である。面白いのが魏徴、王珪の2人であり、彼らは元々太宗の臣下ではなかった。太宗がまだ君主になる前のこと、つまり李世民だった頃、王位をめぐって李建民・元吉兄弟と争ったことがある(玄武門の変)。実は、魏徴と王珪は建民、元吉側の人間であった。玄武門の変に勝利した太宗は、敢えて敵に仕えていたこの2人をスカウトした。敵にあれだけの忠誠を誓うのだから、自分に対しても高い忠誠心を持ってくれるに違ないと期待してのことだった。事実、この2人は太宗の期待に応え、太宗の政治において重要な役割を果たした。

 特に、魏徴は太宗に対してよく、そして厳しく諫言したことが貞観政要からは読み取れる。随分昔に、旧ブログの記事「部下にだって「上司に物申す時の流儀」ってものがある」で、魏の君主・曹操に使えた郭嘉と孔融という2人を取り上げたことがある。この2人も曹操によく諫言したのだが、孔融は史実を都合のいいように曲げたり、多分に皮肉を含んだ迂言的な諫言をしたりしたために、結局は曹操に疎んじられ、殺害されてしまった。その点、魏徴の諫言は非常にストレートである。中には、「太宗が有終の美を飾るための提言」などというものもあって、まるで太宗に退位を迫るかのようなものなのだが、それでも太宗に受け入れられたのは、よほど厚い信頼関係で結ばれていたためであろう。

 太宗がこれほどまでに臣下の意見を重宝したのには理由がある。太宗は幼い頃から弓矢を好んでおり、その道には熟達していると思っていた。ところがある時、自分が手に入れた良弓を弓工に見せると、「こんなものは真っすぐに飛ばない」とばっさり切り捨てられてしまった。この時太宗は、自分は弓矢の道に通じていると天狗になっていたが、実は全く理解が及んでいないことを痛感させられた。弓矢の道ですらこのような具合なのだから、まして自分が不慣れな政治の道に関しては、様々な過ちを犯すであろう。だから、決して独断で物事を進めずに、必ず周囲の人々の意見を聞くことにしようと決意したわけである。

 古代の中国の政治を見ていると、太宗の例のように、君主から臣下に対する一方通行の指揮命令関係だけでは語れない側面がたくさんある。下から上に対して影響力を及ぼす関係も重要である。これを私はカギ括弧つきの「下剋上」と呼んでいる。通常の下剋上は、下の地位の者が上の地位の者に取って代わることを目的とする。これに対して、「下剋上」の場合は、下の地位にある者が、下の地位にいながら、その自由意思を発揮して、上の地位の者の言動を変化させることを目的としている。決して、地位を乗っ取ろうとしているわけではない点に大きな特徴がある。この「下剋上」があるから、上の階層の者は誤りを犯す確率が減るし、下の階層の者は生き生きと仕事をすることができる。現在のように共産党が強権的に支配する中国ではおよそ考えられないことだろう。

 こうした双方向的な上下関係の原点の一端を、私は『孟子』の中に見て取ることができると考えている。
 舜・帝に尚見(上見)すれば、帝は甥(むこ)を貳室(副宮)に館(み)て、亦舜を饗し迭(たがい)に賓主となれり。是れ天子にして匹夫を友とするなり。下を用いて上を敬する、之を貴を貴ぶと謂い、上を用(もっ)て下を敬する、之を賢を尊ぶと謂う。貴を貴ぶと賢を尊ぶとは、其の義一なり。

 【現代語訳】舜が帝尭に謁見するときは、天子はわざわざ婿の舜をその泊まっている離宮に訪ねていって会われ、また舜を招いて饗宴を催され、二人は互いに賓客となったり、主人役となったりして待遇の礼を尽くされた。これこそ身は尊い天子でありながら、その尊貴を忘れて賢者を尊んで、ただ一介の平民をば友とされたものである。いったい、身分の下のものが上のものを敬うのを貴を貴ぶといい、身分の上のものが下のものを敬うのを賢を尊ぶというものであるが、貴を貴ぶのも賢を尊ぶのも、どちらも尊敬すべき点があるからこそ尊敬するのだから、その道理は全く同じで、決して変わりはないものである。
 これは決して、身分が上の者がへりくだって、身分が下の者に対しておもねることを意味するのではない。また、身分が下の者も、身分が上の者がへりくだってきたことを利用して身分が上の者に接近することをよしとするのでもない。最近は、上司が部下に対して厳しく接することができず、また部下も上司に怒られたくないから、お互いにまるで友達であるかのように振る舞うケースが増えていると聞くが、これは組織における人間関係というものを勘違いしている。
 曰く、その多聞なるが為ならば、則ち天子も師を召さず、而るを況や諸侯をや。その賢なるが為ならば、則ち吾未だ賢を見んと欲して之を召すを聞かざるなり。繆公亟(しばしば)子思を見て、古は千乗の国〔の君〕も以て士を友とすとは如何と曰えば、子思は悦ばずして、古の人言えるあり、之に事(つか)うと曰うも、豈之を友とすと曰わんやと曰えりとぞ。子思の悦ばざりしは、豈位を以てすれば則ち子は君なり、我は臣なり、何ぞ敢て君と友たらん、徳を以てすれば則ち子は我に事うる者なり。奚ぞ以て我と友たるべけんといふにあらずや。千乗の君すら之と友たらんことを求めて得べからず。而るを況や召すべけんや。

 【現代語訳】孟子はいわれた。「物識りだから〔召す〕というのなら、多分その人を師として学ぶつもりだろうが、天子さまでさえも師を呼びつけにはしないのに、まして諸侯ではなおさらのことではないか。また、賢者だから〔召す〕というなら、私は賢者に会いたいからといって、呼びつけるなどという無礼な話はまだ聞いたことがない。

 昔、魯の繆公(穆公)はたびたび子思に会われたが、ある時繆公は『その昔、戦車千台を出すことのできる大国の君でありながら、〔その身分を忘れて〕一介の士を友達として交際した者があるというが、これをいったいどう思うか』といって、暗に自分を褒めたので、子思は〔公が身分を鼻にかけているのを〕不快な様子で『古人の言葉に、賢者には〔その徳を師として〕事えるとこそ申していますが、どうして友達扱いにするなどと申していましょうや』といったということだ。

 子思が不快に思ったのは、それはおそらくこういう腹づもりだったのではあるまいか。つまり『地位からいえば貴方は主君であり、私は臣下です。どうして主君と〔対等の〕友達になろうなどと思いましょうや。しかし徳からいえば、貴方は門人で、私に師事する者です。どうして〔師である〕この私と友達になどなれましょうぞ』。かように、大国の君ですら賢者と友達になりたいとのぞんでもなれないのに、ましてこれを呼びつけるなどどうしてできようぞ」
孟子〈下〉 (岩波文庫)孟子〈下〉 (岩波文庫)
小林 勝人

岩波書店 1972-06-16

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 国家も組織である以上、トップに最高責任者としての君主があり、上下関係で結ばれた臣下がいる。だが、臣下の方が優れている分野に関して臣下の力を借りたいと思う場合には、君主の方から臣下に会いに行かなければならない。決して、身分の高いことを鼻にかけて臣下を呼びつけにしてはならない。古代の中国にはこういうしきたりがあったようである。

 以前の記事「岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』―現代マネジメントへの挑戦状」で、アドラーは垂直関係を否定し、水平関係を重視していると書いたが、個人的にはこのアドラーの主張にはどうも賛同できない。垂直関係があるからこそ、人々は立場が上の人に対して敬意を払うことができる。上の人を思いやることができる。ただ、立場が上の人も、立場が上であることに胡坐をかいているわけにはいかない。立場が下の人の中に知識、能力、経験、人格面で優れている人がいるならば、彼らの元へ出向いて教えを請わなければならない。これによって、立場が上の人は独善的にならずにすむ。そして、組織も抑圧的な権威主義に傾くことを防止できる。

 仮に全員が水平関係にあったら、相手に対する敬意も思いやりも消え、代わりに顔を出すのがエゴをむき出しにした敵意や憎悪である。それが端的に表れているのが、民主的とされるインターネットの世界である。私はそういう敵意や憎悪に触れたくないので、Q&Aサイトや掲示板の類はほとんど見ない。

 ブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第42回)】いびつなオフィス構造もコミュニケーション不全を引き起こす原因に」で書いたように、私の前職のベンチャー企業のオフィスでは、若手のスタッフが狭い端っこの部屋に押し込められ、マネジャーは少し離れた大部屋でブースを与えられて仕事をしているという具合であった。私は、大部屋にいるマネジャーから内線電話がかかってきて、「作ってもらった資料について話があるから大部屋に来て」と呼び出されるのが非常に嫌であった。もちろん、当時の私はコンサルタントとしてはカスみたいな存在だったから、マネジャーからそんな扱いを受けても文句は言えなかった。

 だが、たかが歩いて数秒の距離である。もし私が自分よりも優秀な部下を持ったならば、そのスタッフ部屋に直接出向いて話をしようと思ったものである。そして、これだけ知識が目まぐるしく変化する時代においては、自分よりも知識面などで優れいている部下を持つ確率は格段に高まっている。

マシュー・ディクソン他『おもてなし幻想―デジタル時代の顧客満足と収益の関係』―コールセンターを簡単にアウトソーシングする企業は大抵終わっている


おもてなし幻想 デジタル時代の顧客満足と収益の関係おもてなし幻想 デジタル時代の顧客満足と収益の関係
マシュー・ディクソン ニック・トーマン リック・デリシ 神田 昌典

実業之日本社 2018-07-05

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 「顧客の期待を超える感動的なサービスを提供すれば顧客満足度が上昇し、顧客ロイヤルティも向上してリピート率が上がる」―マーケティングの世界では当たり前のように信じられていることである(私もその1人であった)。だが、本書はそんなマーケターの常識を根底から覆す1冊である。

 ①喜びの戦略は割に合わない。
 企業は「顧客の期待を超えるサービス」が顧客ロイヤルティを高めると信じている。だが、実際は「期待以上のサービスを受けた顧客」と「期待が満たされただけの顧客」のロイヤルティには差が全くない。
 ②満足度はロイヤルティの予測因子ではない。
 調査では、カスタマーサービス・インタラクション(担当者と顧客の間のやりとり)に満足しても、その企業でなく他社から購入しようと考える顧客が20%いた。つまり、顧客満足度と将来の顧客ロイヤルティとの間に関係はない。
 ③ディスロイヤルティを促す可能性が高い。
 カスタマーサービス・インタラクションは、ロイヤルティよりもディスロイヤルティ(顧客のロイヤルティを低下させること)を促進する可能性が4倍も高い。また、ロイヤルティを失った顧客は、否定的な口コミを流す確率が高い。
 ④ディスロイヤルティ緩和のカギは顧客努力の軽減。
 ディスロイヤルティを促す要因には、「問題解決のために顧客が投じなければならない手間(顧客努力。例えば、製品に関する問い合わせをしたり、クレームを伝えたりするためにあちこちの部署に電話しなければならないことなど)」に関するものが多い。顧客努力が多いとロイヤルティは低下する。

 確かに、私自身の経験を振り返ってみると、いくら感動的なサービスを提供されても、こちらが要望していた最低限のニーズが十分に満たされなければ、その感動的なサービスで帳消しというわけにはいかない。

 私は今この記事をあるカフェのフリーWi-Fiを使って書いているのだが、非常につながりが悪くストレスを感じている。無料で使えるのだから文句を言うなと言う人もいるかもしれない。だが、私にしてみれば、フリーWi-Fiが使えることを集客のうたい文句の1つにしているのだから、せめてまともに使えるようにしてほしいと言いたい気持ちもある。もし、このお店の店員の接客態度が非常に優れていたとしても、私の主目的はフリーWi-Fiを使って作業をすることであるから、主目的が果たされない限り、このお店を次回以降使うことはためらわれてしまう。

 私の話はこの辺にしておいて、先日の記事「エイドリアン・J・スライウォツキー他『デジタル・ビジネスデザイン戦略―最強の「バリュー・プロポジション」実現のために』―オムニチャネルもIoTも既に予言されていた」で、顧客の一連の体験プロセスについて、「顧客にやってもらうのか、それとも自社が顧客の代わりにやってあげるのか?」、「デジタルな手法で実現するのか、それともアナログな手法で実現するのか?」を検討することが重要であると書いた。ポイントは、顧客の一連の体験プロセスというのは、製品・サービスを購入し、使用して終わりというわけではなく、その前後、つまり購入を検討するプロセスと、使用した後のプロセスも含むということであった。個人的に、購入を検討するプロセスについては、企業もプロモーションの一環として比較的よく考えていると思うのに対し、使用した後のプロセスとなると、おざなりになっている企業が多いように感じる。

 顧客が製品・サービスを使用している途中で問い合わせたいことがあったり、故障した製品の修理を依頼しようと思ったり、製品・サービスについて意見やクレームを言いたかったりする場合、顧客が真っ先にコンタクトするのがコールセンターであろう。ただ、このコールセンターの業務を緻密に設計している企業が果たしてどれほどあるのか、私には疑問である。顧客は部品の交換程度の修理を望んでいるのに延々と電話口で待たせたり、クレームへの応対がいい加減でエスカレーションを繰り返し、かえって顧客の怒りを倍増させたりするケースが少なくないように思える。こうした顧客に対する”裏切り”は、前述の通りディスロイヤルティを促す。そして、その顧客だけでなく、その顧客の周囲にいる顧客の離反を招く。このように、コールセンターは非常にナイーブなスポットである。

 昔はコールセンターと呼ばずにお客様相談窓口という名称を使っていて、お客様相談窓口に異動になった社員に対しては、「毎日お客様から色々言われる大変な部署だが、お客様の生の声を聞くことができる貴重な場所だから、頑張ってこい」と言って送り出したものである。ところが、最近は顧客体験上極めて重要でナイーブなスポットであるこのコールセンターの業務を真剣に突き詰めずに、簡単に外部の業者にアウトソーシングしてしまう。そして、コールセンターの仕事は、さらに派遣社員にアウトソーシングされる。

 どこかのサイトで、「派遣社員は専門スキルを時間単位で切り売りするプロである」と書いてあるのを読んだが、世の中の派遣社員の方々に対して失礼なのを承知で言えば、そんな意識で働いている派遣社員などごく一部であるし、派遣先企業(つまり、コールセンター業務を受託している企業)も、大して時給が高くない派遣社員にそこまで期待していない。アウトソーシングされて当事者意識が低いコールセンターを、さらに当事者意識の低い派遣社員で運営しようというのだから、私に言わせれば狂気の沙汰である。委託元企業は、自ら顧客を手放そうとしているようなものである。もし私が経営者だったら、たとえコスト高になったとしても、コールセンターだけは絶対に手放さないと思う。

 もう20年ぐらい前のことだが、ある大手コンサルティングファームでパートナー(共同経営者)にまでなった人が、自分で事業をしたいと思い立ち、何が事業の種になるかを検討した結果、当時はまだほとんど馴染みのなかった「コールセンターのアウトソーシング事業」を思いついたそうだ。当時、アメリカではノンコア業務をアウトソーシングする動きが活発になっていた。このパートナーは、製造や技術開発などはコア業務であるが、コールセンターはノンコア業務であるから、今後はアウトソーシングの動きが加速するに違いないと予測したようである。

 確かに、このパートナーの予測通り、コールセンターのアウトソーシング市場はその後急成長を遂げた。コールセンターをアウトソーシングしていない企業を探す方が難しいぐらいだ。しかし、私はこのパートナーの考えは、根本的な部分で間違っていると思う。コールセンターは、顧客との将来の関係を決定づける、極めて、もう一度繰り返すが極めて価値の高いコア業務である。今、日本中でアウトソーシングされているコールセンターにおいて、おびただしい数の顧客が怒り狂っている原因を作った1人が、このパートナーであると断言してよい。

エイドリアン・J・スライウォツキー他『デジタル・ビジネスデザイン戦略―最強の「バリュー・プロポジション」実現のために』―オムニチャネルもIoTも既に予言されていた


デジタル・ビジネスデザイン戦略―最強の「バリュー・プロポジション」実現のためにデジタル・ビジネスデザイン戦略―最強の「バリュー・プロポジション」実現のために
エイドリアン・J. スライウォツキー デイビッド・J. モリソン Adrian J. Slywotzky

ダイヤモンド社 2001-11

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 8年前に旧ブログの記事「スライウォツキーの戦略論は面白くて好きだ-『プロフィット・ゾーン経営戦略』」で紹介したことがあるエイドリアン・スライウォツキーの著書。17年前とかなり古い本なのだが、読んでみたら今でいうところのオムニチャネルやIoTのことが既に書かれていた。

 例えば、アメリカの証券会社チャールズ・シュワブは、2000年代のドットコムバブルの時に、多くの新興企業がオンライン証券会社を立ち上げ、格安な手数料で既存企業に勝負を挑んできたのに対し、敢えて実店舗とオンラインチャネルの共存という戦略を打ち出した。というのも、新興のオンライン証券会社はデイトレーダー的な個人投資家をターゲットとしていたが、チャールズ・シュワブの顧客は長期間にわたって株を保有し続ける年配の富裕層が多かったためだ。

 こうした富裕層は、まずはチャールズ・シュワブの実店舗で口座を開き、財産状況や投資の性向などに応じて適切な投資銘柄やポートフォリオをアドバイスしてもらう。その後、オンラインチャネルに移って実際の株式を売買する、という行動を取った。これはオムニチャネルと呼んでよいだろう。その結果、同社の手数料は、最大のライバルであるEトレードの2倍ほどするにもかかわらず、総資産額は順調に増加を続け、同社の収益増に大きく貢献した。

 もう1社の事例はGEである。GEエアクラフト・エンジンズは、航空会社などが特定データを電子的にアップロードすると、自社製の航空機エンジンについて数百項目について監視できるシステムを作り上げた。エンジンの最新動向、欠陥の状況、整備に関する提案や問題解決方法がシステムを通じて毎日、毎週提供され、必要に応じて直ちにサービス担当者を派遣する。本書執筆時点では、ユーザ企業側が航空機エンジンに関する情報を自らアップロードする必要があったようだが、これはまさに今で言うところのIoTの先駆けである。

 ただ、時間の流れと言うのは残酷なもので、現在この2社はともに苦境に立たされている。チャールズ・シュワブに関して言えば、顧客がインターネットなどで投資に関する知識を身につけるにしたがって、実店舗の存在価値が下がり、オンライン取引手数料の価格競争に巻き込まれることになった。同社のETF取引手数料は業界最低水準まで下がっている。代わりに、実店舗で富裕層向けに提供するサービスの手数料が上昇し、これが富裕層の不満を買っている。そこで同社は、ロボットアドバイザリーを導入して手数料を抑えることにした。オムニチャネルの場合、どうしてもオンライン専業企業よりも割高になる。その価格に見合った価値を顧客に提供できているかを常にチェックしなければならない。

 GEはもっと深刻である。今年の1月に同社が発表した決算によると、2017年10~12月期決算で最終損益が98億2600万ドルの赤字(約1兆円)であった。先ほど紹介した航空機エンジンの事業は好調だったものの、同じくIoTを導入している発電タービン事業が大きく足を引っ張った。同事業では、顧客企業がもっと出力の小さい発電タービンへとニーズが移行していたのに、同社のIoTではその情報を吸い上げることができなかった。IoTで膨大な情報を収集しているのだから、顧客ニーズの把握は十分だと過信してはいけないことを教えてくれる例である。むしろ、情報をシステムで多角的に集めれば集めるほど、業界や市場に変化をもたらす重要な情報はシステムの外部からやってくると思った方がよい。だから、経営陣は常に現場に足を運び、自分で直接見聞きすることが重要である。

 本書が教えてくれるもう1つの重要な教訓は、一連の顧客体験をどのように設計すれば総合的な顧客価値が上がるのかを検討する必要があるということである。顧客体験とは、例えば本を購入する場合を考えてみると、「調べたいこと・知りたいことを思いつく⇒本屋に行く⇒目当ての本を探す⇒類似の本の中身を比較検討する⇒本を購入する⇒本を家に持ち帰る⇒本を読む⇒メモを取る⇒メモをまとめる⇒感想を共有する⇒本の内容を思い出す」といった具合になる。単に本を買って読むだけではなく、その前後、すなわち購入を検討するプロセスや、使用した後のプロセスも視野に入れることが大切である。

 ここで、それぞれのプロセスについて、「顧客にやってもらうのか、顧客の代わりにやってあげるのか?」、「デジタルな方法で実現するのか、アナログな方法で実現するのか?」を考える。全てのプロセスを顧客にやらせ、アナログな手法に頼るのが従来型の書店である。そこに殴り込みをかけたのがAmazonであり、一連の顧客行動のほとんど全てをデジタルな方法で実現した。しかも、顧客が「調べたいこと・知りたいことを思いつく」前に、Amazonの方から購買履歴情報を基にお勧めの本の情報を教えてくれるし、「本を家に持ち帰る」というプロセスも、Amazon(正確にはAmazonが契約している運送業者)が肩代わりしてくれる。これによって、Amazonの提供する顧客価値は飛躍的に高まった。

 ただし、Amazonにもまだできていないことはある。例えば、「類似の本の中身を比較検討する」については、一部の本について中身検索ができるようになったものの、基本的には顧客が自分でやらなければならない。また、「メモを取る」という行為は、Kindleによってデジタルな手法で実現されたが、そのメモを自動的にまとめて自分専用の要約を自動作成してくれる機能はない。おそらく、Amazonはこの機能を実現するためにAIに相当投資しているだろう。さらに、「本の内容を思い出す」というプロセスについては、Amazonですら手つかずであり、未だに顧客自身によるアナログな行為に委ねられている。このように考えると、まだまだビジネスチャンスは残されていると言えるだろう。

 逆に、何でもデジタルな手法で解決しようとするAmazonを敬遠する人も一定数いるわけで、既存の書店などはこうした人々を取り込んで新しい顧客価値を設計しようとしている。例えば、紀伊國屋書店は、「Amazon嫌い」な人たちを集めて、Amazonのどこが嫌いなのか、逆に紀伊國屋書店のどこが好きなのかをヒアリングした。その結果を店内のPOPの内容に反映したり、顧客に本を紹介する店員の接客態度を改善したり、書店での読書会を拡充したりといった取り組みにつなげている。Amazonがデジタルな手法中心で、できるだけ顧客に手間をかけさせないことで顧客価値を高めているのに対し、紀伊國屋書店は逆にアナログな手法中心で、敢えて顧客に手間をかけさせることで顧客価値を高めている。

 これはどちらがよいという問題ではない。自社の顧客のニーズや嗜好、特性、性格、価値観、行動様式などをよく踏まえた上で、どのプロセスは顧客にやってもらうのか、逆にどのプロセスは自社が顧客の代わりにやってあげるのかを決める。また、顧客にやってもらうにせよ、顧客の代わりにやってあげるにせよ、デジタルな手法に頼るのか、アナログな手法に頼るのかを決める。前述の通り、顧客の体験というのは、企業が思っているよりもはるかにずっと長いプロセスの連続である。そのそれぞれのプロセスを1つ1つ丁寧に点検し、丹念に作り込んでいくことが、顧客価値向上のカギである。

ロバート・M・ガニェ他『インストラクショナルデザインの原理』―IDの本なのにこの本自体が全くインストラクティブではなかった


インストラクショナルデザインの原理インストラクショナルデザインの原理
ロバート・M. ガニェ キャサリン・C. ゴラス ジョン・M. ケラー ウォルター・W. ウェイジャー Robert M. Gagne

北大路書房 2007-08-27

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 「インストラクショナル・デザイン(ID)」とは、「教育設計」と訳され、教育が必要とされる様々なシーンにおいて、学習者の高い習熟と行動変容を目標として、より効果的・効率的で魅力的な学習環境を設計・開発するための、システム的な教授方法・ガイドラインのことを指す。本書はその基本原理に関する1冊である。といっても、400ページ以上もある大著である。

インストラクショナル・デザイン(ID)の全体像

 私なりに、IDの全体像を整理したのが上図である。まず、目指すべき「学習成果」を明確にする。本書の著者であるロバート・M・ガニェは、学習成果を「言語情報」、「知的技能」、「認知的方略」、「運動技能」、「態度」の5つに分類している。対象者に学習させたい内容がどのカテゴリに該当するかを判断し、具体的な学習成果を定義することが大切である。例えば、「事業戦略の立案方法を習得する」ことが学習のゴールだったとする。これは「知的技能」に該当する。IDにおいては、学習成果を単に「事業戦略の立案方法を習得する」とするだけでは不十分である。「ケーススタディが与えられた時に(状況)、戦略立案に用いられる各種フレームワークを用いて(道具)、戦略の検討プロセスおよび戦略を構成する諸要素を(対象)パワーポイントに論理的に整理することで(動作動詞)、ケーススタディに登場する企業が選択すべき戦略を例示する(学習した能力動詞)」といったレベルまで具体化する必要がある。

 次に、学習課題を分析する。言い換えれば、学習成果をサブコンポーネントに分解し、コンポーネント間の関係を明確にして、学習課題の全体像を可視化することである。先ほどの事業戦略に関する学習であれば、①外部環境の分析方法、②内部環境の分析方法、③競合他社の分析方法、④将来の事業環境の変化の予測方法、⑤将来の競合他社の戦略の変化の予測方法、⑥競合他社の変化を踏まえた自社のポジショニングの設定、⑦目標売上高、市場シェア、利益の設定方法などに分解できる。こうして、学習要素の階層的構造を決定する。

 同時に、学習者の特徴も同定する。言うまでもなく、学習者には様々なタイプがいる。そのタイプに合わせて教授方法を変えるのが理想的である。本書で学習者の特徴として挙げられているのは、①生来的に持っている特性、②後天的に学習された特性(既に習得している学習成果)、③スキーマ、④動機づけ要因、⑤基本的能力(文章作成、計算、空間把握など)、⑥基本的性格(達成志向が強い、逆に不安が強いなど)の6つである。

 続いて、先ほどの学習課題分析で抽出されたそれぞれのコンポーネントについて、学習プログラムを設計する。まず、下位目標を設定する。「外部環境の分析方法」であれば、「ファイブ・フォーシズ・モデルの活用方法やPEST分析のやり方を学習する」となる。次に、教授事象の整理と書いたが、これは言い換えれば、下位目標を達成するための具体的な学習プロセスの設計のことである。本書では、一般的な教授事象として、①学習者の注意を喚起する、②学習者に目標を知らせる、③前提条件を思い出させる、④新しい事項を提示する、⑤学習の指針を与える、⑥練習の機会を作る、⑦フィードバックを与える、⑧学習の成果を評価する、⑨保持と移転を高める、という9つのプロセスが列挙されている。

 その次には、教授実施方略を決定する。教授実施方略とは、講義、ビデオ鑑賞、個人ワーク、ピアワーク、グループディスカッション、テスト、相互フィードバックなど、学習の具体的手法を指す。前述のそれぞれの教授事象について、適切な教授実施方略を決定する。例えば、学習者に目標を知らせるには講義やビデオ鑑賞が適しているだろう。一方、練習の機会を作るのであれば、ピアワークやグループディスカッションが向いている。

 続いて、メディアを決定する。つまり、学習の媒体のことである。教授実施方法が決まれば、自ずとメディアも絞られそうなものである。だが、同じ講義をするにしても、パワーポイントで映写した方が効果的なのか、紙の資料を配布して受講者にメモを取らせた方が効果的なのかはよく考える必要がある。同様に、グループワークにおいても、学習者にパソコンを使わせるのが効果的なのか、模造紙に手書きでまとめさせるのが効果的なのかなど、考えるべきことはある。

 メディアが決まれば、学習環境の設計に入る。当然だが、パソコンを使用するのであればパソコンが使える環境を用意する。しかも、学習中にインターネットに接続するならば、ネット環境も必要である。学習プロセスの大半が講義中心である場合は、大部屋での実施も可能であろう。一方、少人数のグループワークを多用するケースでは、グループごとに作業できるスペースを確保し、ホワイトボードや模造紙、付箋、太めのペンといった備品を準備しなければならない。

 ここまできてようやく、コンテンツの開発に入る。言うまでもなく、コンテンツはこれまで検討してきた諸要素によって影響を受ける。大部屋で講義をする場合、紙の資料を配るのであれば、資料の字は多少小さくても問題ないだろう。だが、パワーポイントの資料を映写するならば、遠くの人でも見えるように大きな字にしなければならない。グループワークの場合、学習者が議論に集中できるよう配慮することが求められる。インプット情報の読み込みに時間がかかるワークではダメである。また、学習者の能力レベルによっては、グループワークの直前に成果物のサンプルを例示したり、成果物の一部を見せたりする必要がある。

 最後に、下位目標が達成されたかどうかを評価するためのアセスメントを作成する。簡単なペーパーテストが一般的であろう。あるいは、他の学習者の前で、講師とともにロールプレイをしてもらうといった方法もある。運動技能に関しては、身体を動かすことが前提であるため、実技によるテストが中心となる。

 ここまでの一連の流れを、他の下位目標についても実施する。全ての下位目標のデザインが終了したら、コース全体のパフォーマンスを評価し、改善する。ここで言うパフォーマンスの評価として、本書は、①教材の評価、②IDの評価(①②はIDを行った者、あるいは第三者の専門家が実施する)、③学習者反応(講義・ワークは解りやすかったかなどをアンケートで答えてもらう)、④成績の測定、⑤教育システムに対する影響の測定(後述する)という5つを挙げている。

 ただ、これはあくまでも閉ざされた学習環境内をどのように設計するかという話である。学校ならこれで十分かもしれないが(学校の教育関係者は、これだけでは十分でないと反論するかもしれないが)、企業における研修はそういうわけにもいかない。研修はあくまでも手段であり、目標はビジネス上のパフォーマンスを向上させることである。よって、もっと大きな視点に立って、職場における学習プロセスを全体的に設計する必要がある。それを示したのが下図である。

職場における学習の全体像

 まず、ビジネス上の成果を明確にする。例えば、「新製品の売上高を20%増加させる」といったものが成果になる。20%増加という野心的な目標を達成するためには、旧態依然とした営業プロセスを今まで通りこなしているだけでは不十分であり、新たな営業プロセスを構築する必要がある。そして、営業担当者がこの営業プロセスを遂行し、そのために必要な能力を習得させることが研修の目的となる。研修の目的が明確になったら、IDを行う。

 企業の研修の場合、往々にしてやりっ放しになってしまうという問題がある。せっかく研修で新しいことを学習しても、現場でそれを実践する機会がなく、やがて研修の内容が忘れ去られてしまうことが少なくない。先ほど、パフォーマンス評価の箇所で、教育システムに対する影響を測定すると書いたが、この教育システムは、企業においては職場環境と読み替えてよい。そして、教育システム=職場環境に影響を与える要因として、①プロセス変数、②支援変数、③適性変数、④動機づけ変数の4つがあると記されている。私は、研修がビジネス上の成果につながるようにするためには、研修の後工程を適切に設計し、この4つの変数を十分に考慮することが必要であると考える。

 ①プロセス変数とは、私なりに解釈すれば、研修で学習した内容が現場で実践できるような業務プロセスになっていることを指す。この問題は、前述のように、社員に習得してもらう業務プロセスや能力を事前に明らかにしておけばある程度は防ぐことができる。だが、業務プロセスも研修も生き物である。研修の中で新たな知識・能力の発見があるかもしれないし、研修を実施している期間中に、望ましい業務プロセスが変化することもある。だから、研修が終わった後に、もう一度業務プロセスを見直す必要がある。それが、上図において、学習成果の職場環境への埋め込みと呼んでいるものである。

 ②支援変数とは、学習者が研修の内容を現場に適用するのをサポートする環境を整備することである。具体的には、ナレッジ・マネジメント・システムを導入する、必要に応じて簡単な復習ができるe-Learningを構築する、新しい業務プロセスの標準マニュアルを現場に配備する、といったことが挙げられる。そして、最も重要なことは、学習者の上司に、研修内容を理解させることである。

 ③適性変数とは、受講者の適性に配慮して配置を行うことである。先ほど挙げた「新製品の売上高を20%増加させる」という目標を掲げて研修を行っても、営業担当者全員が見込み顧客の開拓からクロージング、債権回収までの全てのプロセスに精通しているとは限らない。むしろ、人によって得意・不得意なプロセスがあるのが普通である。よって、上司はそれぞれの部下の特性、強み・弱みを把握して、強みが最も発揮できる業務に集中させる一方で、弱みに関しては他の部下の強みと相互に補完し合える関係を作り出すべきである。

 ④動機づけ変数とは、学習者が研修の内容を現場で実践できるように、上司などが折に触れて動機づけを行うことである。そのためには、②支援変数で述べたように、上司が研修内容に対して理解を示していることが前提となる。人事部は、上司に対して単に動機づけをせよと言うのではなく、上司のマネジメントプロセスの中に、例えば部下と定期的に面談を設けて、研修で学習した内容の実践度合いはどうか、その効果は出ているかといったことをヒアリングする機会を強制的に埋め込むぐらいのことをやった方がよい。また、モチベーションは、上司によってのみならず、同僚、特に同じ研修を受講した同僚によってからも喚起される。そこで、人事部は、社内SNSなどで受講者が研修後もつながり続け、進捗を報告し合うような仕組みを作るのも一案だろう。

 受講者が研修の内容を現場で実践したら、その成果がどうであったか定期的に振り返り、学習を継続する必要がある。ただ、1人でこの学習を続けるのは、どんなに優秀な社員であっても難しい。そこで、人事部はフォローアップ研修を実施して近況を共有し合う場を設定したり、定例の社内勉強会を実施したりすることで、継続的な学習を促進するとよいだろう。

 そして、半期ないしは1年ごとに行われる人事考課の場で、学習者は自身のパフォーマンスを評価する。通常の人事考課は、期初に設定した目標が達成できたかという視点で行われることが多い。しかし、職場の学習プロセス全体を設計するという視点からは、人事考課の評価項目に、「研修で学習したことがどの程度現場で実践できたか?」といったものを加えることが重要であろう。人は、評価されないことは決して積極的にやろうとはしないものである。

 経営陣は研修に対する受講者の評価を取りまとめ、自らが掲げたビジネス上の成果との関係を検証する。もちろん、ビジネス上の成果を左右するのは研修だけとは限らない。プロセス変数、支援変数、適性変数、動機づけ変数など様々な要因が影響する。経営陣は、これらの要因がどのように影響し合って、最終的にどれだけのビジネス上の成果が得られたのかを分析する。

 以上が、本書の内容を私なりにまとめたものに、私が考える職場環境における学習プロセスの設計方法である。率直に言って、本書は非常に読みにくい1冊であった。IDの本であるにもかかわらず、IDを学習する上での学習課題分析が行われていなかった。「引き算を筆算で行う」といった学習については階層的構造が例示されているのに、ID自体の学習要素の階層的構造が明記されていない。IDに必要だと思われる要素がバラバラと延々400ページ続くため、IDの全体像を上図のようにまとめるのに非常に苦労した。IDではアセスメントの実施やパフォーマンスの評価が重要だと言うぐらいだから、それぞれの章の最後に読者の理解度を測るアセスメントをつけたり、ID自体のパフォーマンスを評価するツールを巻末につけたりしてくれてもいいのにと感じた。

 それから、学習者の特徴の同定が必要で、その特徴に応じた教授スタイルを取らなければならないと述べている割に、学習者の特徴を考慮した教授スタイルの違いにはほとんど触れられていない印象であった。せいぜい、受講生が8人ぐらいの小集団であれば、受講者の特徴に応じた教授事象を実施することが可能であると書かれている程度である。それ以上の人数になると、受講者の特徴に応じた教授はほとんど放棄されている。結局のところ、本書は伝統的な大人数の講義形式による学習を前提としており、受講者の特徴は分析するものの、似たような特徴を持った受講者を集めればよいと暗に言っているように感じた。

 学校のように、比較的特徴が近い生徒が集まるのであればそれでもよいだろう。また、企業においても、若手研修や、特定の専門能力を学習する研修であれば、似たような特徴を持った受講者が集まる。だが、企業の場合、例えば、「我が社の新しいビジョンを構築する」、「我が社の価値観に対する理解を深める」、「新製品のアイデアを創出する」といった複雑な研修を行うことがある。そして、往々にしてこれらの研修は、全社から幅広く参加者を募るため、学習者の特徴がバラバラになる。しかも、本書のIDとは違い、学習内容、学習プロセスは極めて流動的で、学習の構造化が困難である。こういう場合のIDはどのようなものになるのか、本書では残念ながら一切触れられていなかった。

 最後に、これは本書がIDに絞っていることによる限界であるが、前述の通り、学習は研修のみによって完結するものではない。研修は学習プロセスの一部にすぎず、その前後を適切に設計することが重要である。これを「ラーニング・エンバイロンメント・デザイン(LED)」と呼ぶ。今回の記事では、その一端を私なりに示したつもりである。IDからLEDへと発展させていく理論と実践が求められる。

ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない


リーディング・ザ・レボリューションリーディング・ザ・レボリューション
ゲイリー ハメル Gary Hamel

日本経済新聞社 2001-01

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 C・K・プラハラードとの共著『コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略』で有名なゲイリー・ハメルの著書。以前の記事「河合忠彦『複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析』―複雑系の理論を取り入れたことで論理展開がカオスに」で、マーケティングはミドルマネジメントを中心とした創発的戦略、イノベーションはトップマネジメントを中心とした包括的戦略が出発点になることが多いと書いた。だが、本書には次のような記述があった。
 巨大な複雑なシステム(読者のなかにもそんな組織に所属する人がいると思う)は、危機的な状況に直面していないかぎり、トップがイノベーションを主導することはまずない。
 本書には、IBMにインターネット文化を持ち込んだジョン・パトリックとデビッド・グロスマン、ソニーでプレイステーションを開発した久夛良木健、ロイヤル・ダッチ・シェルで再生可能エネルギーへの転換を主導したジョルジュ・デュポンロックの例が紹介されていた。彼らはいずれもトップマネジメントではない。現場からアイデアを発案し、周囲の猛烈な反対に遭いながらも自身のアイデアを貫き、成功体験を積んで、ついにはトップマネジメントを説得したという事例である。

 確かに、トップマネジメントがイノベーションに後ろ向きになるのは解らなくもない。トップマネジメントがトップマネジメントたるゆえんは、既存事業で大きな成功を収め、その功績を買われたからである。ところが、大部分のイノベーションは既存事業を破壊する。ブログ本館の記事「【戦略的思考】事業機会の抽出方法(「アンゾフの成長ベクトル」を拡張して)」で書いたように、私が考えるイノベーションには、非顧客に着目して既存製品・サービスの新しい使い道を発掘する「新市場開拓戦略」、全く新しい市場に全く新しい製品・サービスを供給する「完全なるイノベーション戦略」、代替品や破壊的イノベーションなど、既存の産業・市場構造を抜本的に刷新する「代替品戦略」の3つがある。

 このうち、「新市場開拓戦略」と「完全なるイノベーション戦略」は、新しい市場を追加するわけだから、既存事業にとって脅威は大きくない。ところが、「代替品戦略」は完全に既存事業の破壊を目的としている。そして、社会全体が成熟し、新しい需要の創造が難しくなった現代では、イノベーションと言うと大半はこの「代替品戦略」なのである。例えば、スマートフォンがどれだけの既存産業を破壊したかを思い起こしてみるとよい。据え置きゲーム機、CD、DVD、メール、デジカメ、書籍、漫画、雑誌、クレジットカードなど、枚挙にいとまがない。

 トップマネジメントにとっては、自分の今の地位を築いた事業が破壊されるのを見届けるのは気分がいいものではない。だから、外部企業のイノベーションからは目を逸らし、既存事業に拘泥する。しかし、やがては外部企業のイノベーションに浸食されて、業績が急激に悪化する。その責任はトップマネジメントが取ることになる。ということは、裏を返せば、自社の業績が悪化しないように、先手を打ってイノベーションに着手することはトップマネジメントの責任であると言えるだろう。トップマネジメントは、自分や自社の過去の成功を捨てる勇気を持つ必要がある。トップマネジメントはこう問わなければならない。「仮に予期せぬ競合他社が現れて、我が社を倒産させるとしたら、どんな方法を使うだろうか?」

 もちろん、前掲の例のようにミドルマネジメントが出発点となるイノベーションも存在する。しかし、ミドルマネジメントにとって、複雑な社内政治をかいくぐって、破壊的なアイデアを貫き通すことは容易ではない。まず、最初の障害として立ちはだかるのが上司である。上司が「そんなアイデアは実現できない」と言ってしまえば、もうそのアイデアは握りつぶされてしまうのである。上司という壁を突破するのでさえこんな具合なのだから、社内中に張りめぐらされた関門を通るのは至難の業である。その点、トップマネジメントには大きな権限がある。トップマネジメントがアイデアを認めれば、予算と人材を集め、チームを結成し、開発に集中投資し、関係部門に協力を要請し、評価制度を変更することができる。少なくとも、ミドルマネジメントに比べれば、これらのことははるかに実行しやすい。

 だから、私はイノベーションの第一責任はトップマネジメントにあると考える。仮にトップマネジメントがイノベーティブなアイデアを創出するのを苦手としている場合には、社内からアイデアが上がってくる仕組みを構築することが重要である(河合忠彦氏はこれを「創発的インフラ」と呼んだ)。旧ブログでは、P&Gの元CEOアラン・ラフリーの著書『ゲームの変革者』から、P&Gの仕組みを紹介した。

ゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばすゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばす
A.G.ラフリー ラム・チャラン 斎藤 聖美

日本経済新聞出版社 2009-05-23

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 《参考記事》
 P&Gが顧客(=ボス)との距離を極限まで縮めるためにやっていること―『ゲームの変革者』
 柔らかいアイデアの段階で予算をつける勇気がイノベーションのカギ―『ゲームの変革者』
 イノベーションを既存事業部門から敢えて切り離さないP&G―『ゲームの変革者』
 P&Gは”イノベーションは結果が出ればOK”という柔な評価で済まさない―『ゲームの変革者』

 ゲイリー・ハメル自身も、先ほどはイノベーションの役割はトップマネジメントにはないと書いていたのにもかかわらず、本書の後半では、やはりイノベーションはトップマネジメントの仕事だと言っている。以下の引用文は若干解りづらいが、私なりに解釈するとこうなる。まず、「新しいビジネス・コンセプト(=イノベーション)」を考案する第一義的な責任はトップマネジメントにある。だが、それが難しい場合は、(P&Gのように)ミドルマネジメント層に存在する革命家がイノベーションを推進するための仕組みを業務に組み込むべき、ということである。
 壮大な戦略を立案するのは、革命の時代にあっては無益な作業である。経営幹部は経営とは関係がないなどと主張しているのではない。それどころか大ありだ。だが、経営幹部の仕事は戦略を策定することではない。それは、時代に合った新しいビジネス・コンセプトをつねに案出することである。望ましい状況を整えることが求められるのであって、その内容を考え出すことではない。その役割は、イノベーション精神が深く根づいた企業をつくりあげるために、年輪を重ねた革命家の場合に作用したような、構想のための法則を業務に組み入れることだ。
 本書では、トップマネジメントがイノベーションを主導した例として、チャールズ・シュワブのCEOデビッド・ポトラック、シスコシステムズのCEOジョン・チェンバースが挙げられている。本書の出版が2001年と古いので事例も古くて恐縮だが、アメリカの証券会社チャールズ・シュワブは、2000年代初頭に、今で言うマルチチャネルを既に実現していた。インターネットの普及で競合他社がネット取引専業にシフトする中、チャールズ・シュワブは店舗とネットの共存を目指した。

 というのも、同社の顧客は投資に詳しいプロではなく、一般市民が大半であったからだ。彼らは、口座を開く時にはリアル店舗を訪れ、投資のアドバイスを対面で受ける。そして、実際に投資する時はインターネットを活用する。これによって、同社の手数料は競合他社であるイー・トレードの2倍ほどするにもかかわらず、顧客の満足度を大きく上昇させることに成功した。

 シスコは通信機器の世界的リーダーである。同社は技術志向が強いと思われがちだが、実際には技術に対するこだわりはなく、徹底した顧客中心の企業である。そして、顧客が必要とする技術なら何でも取り揃えることを信条としている。同社には「6か月ルール」が存在する。これは、新製品を開発する際に、6か月以内でできるならば自社開発、6か月以上かかるならば買収を行うというものである。これによって、同社は迅速にイノベーティブな技術を獲得している。

 シスコは買収の際に細心の注意を払っている。シスコの買収の目的は、実は相手企業の技術ではない。相手企業の人材こそが真のターゲットである。というのも、その人材が逃げてしまえば、技術も一緒に流出してしまうからだ。だから、買収にあたっては、相手企業の人材の価値観や特徴、組織の風土を調べ、シスコと親和性が高いかを入念にチェックする。そして、買収後はシスコの企業文化に合わせるように時間をかけて人材を育成する。こうした一連の取り組みを主導しているのが、CEOのジョン・チェンバースである。

 伊神満『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(日経BP社、2018年)という本がある。同書は、クレイトン・クリステンセンの破壊的イノベーションに限定した本であるが、トップマネジメントがイノベーションを推進できない4つの理由を挙げている。私はそれに対して反論を加えたいと思う。

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明
伊神 満

日経BP社 2018-05-24

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 《難問①》冴えない新事業はトップマネジメントでも育てられない。
 いくら社長直属のプロジェクトとは言え、社長自身が社内政治から自由になれるわけではない。また、新設の弱小部門に人員がどれだけ集まるであろうか?主力事業のスター社員がわざわざ転籍するだろうか?
 ⇒《反論》確かに社長であっても社内政治から自由ではないものの、一般社員はもっと社内政治から自由ではない。また、会社が重大な局面を迎えているのに自ら人事権を発動できないようなトップマネジメントは、トップマネジメント失格である。今日の主力事業は、明日のイノベーションによって消えるかもしれない。消えるかもしれない事業にスター社員を張りつけておく方が愚かである。

 《難問②》技術はM&Aでは買えない。
 イノベーションを素早く起こすためには、自社にない技術をM&Aで調達すればよいと言われる。しかし、マーク・L・シロワー『シナジー・トラップ―なぜM&Aゲームに勝てないのか』(プレンティスホール出版、1998年)が明らかにしているように、M&Aは失敗例の方が圧倒的に多い。M&Aをした結果、M&A後の企業価値が、合併前の2社の企業価値の合計を下回るケースが非常に多く見られる。
 ⇒《反論》M&Aは失敗が多いことは私も知っている。だが、それはM&Aのやり方がまずいだけであって、M&Aという手法自体の有効性を否定するものではない。実際、前述の通り、用意周到に計画されたM&AとPMI(統合プロセス)によって急成長を遂げているシスコのような例がある。

 《難問③》既存事業は簡単には切れない。
 新事業が軌道に乗り、次代の稼ぎ頭に成長したとする。その時、不採算で足手まといの旧部門を自分の手で切れるだろうか?自分の在任期間中なら、「今後の市況動向に注目し」、「前向きに検討」するだけでよいではないか?
 ⇒《反論》既に書いたように、過去を否定できないトップマネジメントはその責務を果たしていない。かつてカネボウは、紡績事業が深刻な不振に陥っていたにもかかわらず、自社のルーツであるという理由だけで紡績事業を守った。それどころか、社長は紡績事業の出身者でなければ就くことができなかった。その結果どうなったかは周知の通りである。自分の在任期間中は何とかごまかそうというのは、いかにも日本企業のサラリーマン社長的な発想である。

 《難問④》経営陣と株主の「最適」は違う。
 経営陣がイノベーションに投資したとする。ところが、株主は既存事業に対して自分の資本を投資している。イノベーションが既存事業を破壊したら、株主の投下資本は毀損されたことになる。
 ⇒《反論》金融機関からの借入金は資金使途が指定されているのに対し、株主から調達した資金をどのように使うかは経営陣の裁量に任されている。イノベーションに投資した結果、企業の利益が大幅に伸びたら、株主にとって喜ばしいことである。逆に、経営陣がイノベーションの機会を逃して企業の業績にダメージを与えたら、怒るのは株主である。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都豊島区を拠点に、東京23区で活動する中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
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