人間尊重七十年人間尊重七十年
出光 佐三

春秋社 2016-03-08

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 2600年万世一系の皇室を中心として、家族主義の大傘下に抱擁され、人間中心の精神道徳を涵養し、外来の思想文化を完全に咀嚼摂取し来たれる日本国民としては、他国人の想像しえざる偉大なる力を有しているのであります。この力に十分の自信を有し、自己を尊重強化し人間尊重主義の達成に努め、国運とともに永遠ならんことを希望する次第であります。
 これは1940(昭和15)年の出光佐三の言葉である。戦後の人が読めば、「何という国粋主義、全体主義だ」と感じるかもしれない。出光佐三は1942(昭和17)年にはこう述べており、いよいよ全体主義の色を濃くしているように見える。
 私は15、6年前から、日本は将来東亜の盟主となり、次いで世界の盟主となるべきものであると断言したのであります。それは日本の国体、日本の道徳に対する確固たる信念の上からそう信じたのであります。満州事変が起こったときは、これは日支提携の前提であり東亜の盟主たる門出であるといったのでありますが、今日大東亜戦争において他日世界の盟主たることを信ずるのであります。この意味から大東亜建設の意義の重大なることを感ずるのであります。
 出光は終戦直後に石油業に携わることを禁じられ、日本市場から締め出されたことがある(そのため、一時期はラジオ修理業なども行っていた)。表向きはアメリカと日本両政府からの圧力を受けたためであるが、出光佐三の国粋主義的、全体主義的な思想が危険なものと見なされた可能性もあるに違いない。出光佐三は、戦後になると戦中ほど国体や全体主義といった言葉を使う機会が減ったものの、皇室の話をしようものなら、「出光さん、皇室の話は止めておいた方がいいですよ」と学者連中などからたしなめられたと本書には書かれていた。

 ただ、出光佐三の言う全体主義は、いわゆる全体主義とは異なる。全体主義についてはブログ本館で考察を続けているが、理論的には全人類の理性を唯一絶対の神と同一と見なし、自己と他者の区別を取り払い、政治的には独裁と民主主義を区別せず、経済的には共有財産制を適用する(しばしば、最も原始的な経済活動である農業に集中すべきだという農業共産制が唱えられる)。だが現実には、独裁者と国民の間にヒエラルキーが存在し、国民は独裁者の意向に従うことが絶対であり、国民の財産は全て没収される。独裁者が正しい方向を向いているうちはよいが、独裁者が権力に溺れると失政を犯し破滅へと向かう。

 出光佐三は、西洋は物質主義の世界であり、各個人が自らの財産を守ろうとする個人主義的、利己的な行動をとるために、対立や闘争が絶えないと指摘する。この点では、資本主義も社会主義も変わらないと言う。一方、日本社会のベースにあるのは無私、利他主義である。この無私の精神のルーツをずっと遡っていくと、神に行き着く。日本社会は、無私の神を頂点とし、その下に皇室があって、人々が義理人情や互譲互助の精神に基づいて、お互いが信頼し、融和し合い、一致団結する社会である。これが出光佐三の言う全体主義である。

 理論的な全体主義においては、自己=他者である。いや、厳密に言えば、前述の通り自己と他者の間に境界線はなく、究極の平等主義が実現される。これに対して、出光佐三の言う全体主義は、個人の間に差を認める。才能の優れた人、手腕のある人、能率の上がる人、熱心な人、他人のために尽くす人、賢い人、偉い人など、様々なタイプがある。そしてまた、これらの正反対のタイプもある。出光佐三は、人間のタイプに応じてその人を活用すべきであり、この点で不平等が生じるのは当然であるとしている。そして、不平等こそ公平だとも述べている。

 出光佐三の全体主義では無私の精神が基本とされているが、では個人は全体の中に完全に埋没するのかというと、決してそうではない。むしろ逆に、個人は強くなければならない。大いに自己修養し、立派な人間を目指さなければならない。鍛錬、苦労、思索を通じて、確固たる自己認識を持たなければならない。そうすれば、研究も、討議も、方針の決定も自由に行ってよい。自己の主張を堂々と主張してよい。しかし、個人の自由が他者の自由と衝突する時、または組織の目的と矛盾する時には、人々が集まって大いに議論をし、最後は譲り合いの精神によって、自己の自由を全体と調和させる必要がある。

 出光佐三は、日本の国体の長所として、無私ゆえに多様な価値観や考え方を抱擁する力がある点を挙げている。出光佐三は資本主義にも社会主義にも批判的であり、欧米流の権利・自由思想には嫌悪感を示したが、それでもなおそれらの主義には何らかの長所があるはずであり、優れた点は積極的に取り入れようとした。ただ、出光佐三のこうした強い信念には反発する人も多く、出光を潰そうとする者も出てくる。特に、同業他社からの攻撃は凄まじかったようだ。ここで出光が彼らと対立すれば、出光佐三が批判した欧米人と同じになってしまう。よって、出光佐三は「敵をして味方たらしむ」という姿勢で臨んだ。堂々たる主張を持って、努力と熱意によって「相手を溶かし尽く」そうとしたのである。

 出光佐三にとって、石油業は目的ではなく手段にすぎなかった。真の目的は、人間が「お互い」という精神を持って一致団結すればどんな困難も成し遂げられることを証明することであり、「真に人間が働く姿をあらわして、国家社会に示唆を与える」ことであった。出光佐三は折に触れて、現在の出光はまだ試験管の中の実験材料にすぎない、これからは日本全体、そして世界へと飛び出して、日本精神の普遍なることを示さなければならないと社員に発破をかけている。

 ブログ本館では、「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という日本の多重階層社会のラフなスケッチを何度か示してきた。企業は第一義的には市場に尽くすことが目的であるが、「下剋上」(山本七平からの借用)を通じてさらに上の階層のために尽くすことがある。野心的な企業家は、数段階の下剋上を経て、国家の発展のために事業を行う。出光佐三もそのようなタイプの1人であろう。もちろん、出光佐三は非常に崇高な経営者であり、特に戦後の経営者にはこのようなタイプの人が多かったと思う。しかし、彼らはどちらかと言うと例外的な存在ではないかというのが私の素直な実感である。

 というのも、国家の目的は、特に日本の場合は必ずしも明確ではないからだ。先ほどのスケッチに従えば、無私の精神に従って家庭は学校のために、学校は企業/NPOのために、・・・天皇は神のために存在しており、神に仕えることが最終の目的となる。しかし、和辻哲郎が指摘しているように、神々の世界もさらに多重化しており、頂点が見えない。「仕える先」の終点が見えない。よって、国家の目的を究極的に決定する者がいないのである。

 国家の目的が明確であれば、その目的を実現するために企業は何をすべきかを論理的に導くことができる。だが、曖昧な目的に対してはどのようにコミットすればよいのか、大半の日本人には解らない。下手に強くコミットすると、雲の中に猛スピードで突っ込むようなものであり、事故を起こす確率が高まる。

 私は、多くの日本人にとって最も現実的な生き方というのは、まずは「自分の持ち場で頑張る」ことだと思う。企業であれば、今目の前にいる具体的な顧客のために尽くす。行政府の人間であれば、今目の前にいる具体的な政治家・議員のために尽くす。その上で、前述の「下剋上」や、私がブログ本館でしばしば用いている下の階層への「下問」(これも山本七平からの借用)、水平方向の「コラボレーション」を通じて、階層社会の中を少しだけ上下左右に動く。

 欧米社会は、社会の明確な目的の下に各人の役割がはっきりと決まるため、例えるならば「モザイク画」のようになる。これに対し、日本の社会は、各人が皆少しずつ持ち場から動き回るので、言わば「にじみ絵」のようになる。にじみ絵は、別の言い方をすれば部分最適である。だが、その部分最適が社会の各所で時に重なり合いながら実現されることで、日本という国家が漸次的に前進する。これが日本の理想形ではないかと私は考えている。