『礼記』にまなぶ人間の礼 (10代からよむ中国古典)『礼記』にまなぶ人間の礼 (10代からよむ中国古典)
井出 元

ポプラ社 2010-01-16

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 孔子は春秋時代の戦乱の世の中にあって、「和」の重要性を説いた。「礼」とは、和の状態を願い、それを実現するために相手を傷つけない方法、信頼関係を築く方法、そして人生における喜びや楽しみを実感するための気遣いを意味している。『礼記』に書かれている内容は、至極当たり前のことばかりである。
 出ずるに必ず告げ、反れば必ず面す。
 (出かけるときにはかならず行き先を知らせ、帰ったときには「ただいま」と挨拶しましょう)
 先生に道に遭えば、趨(はし)りて進み、正しく立ちて手を拱す。
 (道で先生(年上の人)に出会ったら、小走りして近づき、姿勢を正して挨拶しましょう)
 後れて入る者有れば、閉じて遂ぐること勿れ。
 (扉を開けて入ったとき、自分のあとから続けて入る人がいる場合は、扉に手をそえてあとの人が入れるようにしましょう)
 先生に侍坐するときは、先生問えば、終りて則ち對(こた)う。
 (先生に質問されたときは、先生が質問をいい終えてから答えるようにしましょう)
 辞無ければ相接(まじわ)らず。
 (いつも顔をあわせていても、挨拶をしなければ仲よくはなれません)
 『礼記』にはこんな言葉もある。
 愛して而も其の悪を知り、憎んで而も其の善を知る。
 (好きな人であってもその人の欠点を理解するようにし、嫌いな人であってもその人のよいところを見るようにしましょう)
 確かにこれはもっともである。ブログ本館の記事「『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない」でも書いたが、私は人の好き嫌いが激しいせいで、師匠を見つけるのに苦労している。その人に少しでも欠点があると、その人の全てが劣っているように見えて、師匠とみなすことができないのである。その悪い癖を治すために、「仮に今日からこの人と長期間一緒に働かくことになったら、その人から何を学ばなければならないか?」と強制発想しようと書いた。ただ、だからと言って、私は誰とでも均等に仲良く仕事をしようとは今でも思っていない。今までは感覚的に人の好き嫌いを決めていたが、自分が遠ざけるべき人の基準を明確にしておくことが重要であると考えている。

 孔子は論語の中で次のように述べている。
 子の曰わく、吾れ知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫(ひふ)あり、来たって我れに問う、空空如(こうこうじょ)たり。我れ其の両端を叩いて竭(つ)くす。(子罕第九―八)
 (先生がいわれた。「わたしはもの知りだろうか。もの知りではない。つまらない男でも、まじめな態度でやってきてわたくしに質問するなら、わたくしはそのすみずみまでたたいて、十分に答えてやるまでだ」)
 孔子は自分が信じる仁の道を世に広めるために尽力した。相手がどんな身分や出自の人であっても、対話を通じてお互いに仁に対する理解を深めようとした。このように書くと、孔子は全ての人を平等に扱う博愛主義者のように思える。だが他方で、孔子は次のようにも述べている。
 子の曰わく、狂にして直ならず、侗(どう)にして愿(げん)ならず、悾悾(こうこう)にして信ならずんば、吾れはこれを知らず。(泰伯第八―十六)
 (先生がいわれた、「気が大きな(積極的な)くせにまっすぐでなく、子供っぽい(無知)なくせにきまじめでなく、馬鹿正直なくせに誠実でない、そんな人はわたしはどうしようもない」)
論語 (岩波文庫 青202-1)論語 (岩波文庫 青202-1)
金谷 治訳注

岩波書店 1999-11-16

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 つまり、学習の態度に問題がある人は、一緒に対話するに足りないと切り捨てているのである。私が切り捨てる人の基準はブログ本館で改めて整理しようと思うが、切り捨てるべき人として真っ先に挙がるのが「有言不実行の人」である。有言不実行の人は不誠実の極みである。こちらが歩み寄って信頼しても、必ず裏切られる。だから、近づかないに越したことはない。

 私の今までの人生で最も有言不実行だった人間が、前職のベンチャー企業の社長である。彼は本を書くのが趣味みたいなもので、何冊も本を出していた。私が最初に読んだ彼の本は、組織営業に関する本であった。現在は法人営業が複雑化しており、営業担当者が単独プレーで頑張る個人営業ではなく、チームで顧客企業と関係を構築する組織営業が求められるという。現場の営業担当者は顧客企業側の担当者を巻き込み、現場レベルの課題解決を支援する。ミドルマネジャーは顧客企業側のミドルマネジャーを巻き込み、ミドルマネジメントレベルの課題解決を支援する。事業トップ・経営者は顧客企業側の事業トップ・経営者を巻き込み、経営レベルの課題解決を支援する。顧客企業が抱える重層的な課題をチームで解決するのが組織営業の要諦である。

 前職のベンチャー企業は組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供していたから、典型的なBtoBビジネスであった。しかも、サービスの性質上、顧客企業の購入の決裁権は事業トップや経営陣にあり、社長がクロージングをする必要があった。にもかかわらず、社長は自分が考えた組織営業を自社に適用したことがない。営業活動は現場のマネジャー任せであった。社長は顧客企業を表敬訪問するだけで、顧客企業のトップと関係を構築することに極めて消極的であったし、したがって顧客企業の経営課題に深く入り込む気がなかった。致命的だったのは、社長にクロージングの能力が欠けていたことである。そのせいで、過度な値引きを余儀なくされた案件を私は多数知っている。

 前職のベンチャー企業は、キャリア研修やメンタリング研修、リーダーシップ研修などを販売していたが、自社の社員のキャリア開発を支援したこともないし、メンタリング制度もなかったし、自社の社員にリーダーシップ研修を受講させたことがないことは、ブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第10回)】自社ができていないことを顧客に売ろうとする愚かさ」でも書いた。

 私が退職した後も相変わらず本は書いていたみたいで、最近は人事評価制度はもういらないといった本を出したようである。私は彼がどんな本を書こうともう興味は失っていたのだが、定期購読している『TOPPOINT』で彼の本が紹介されていたから、概要だけは否が応でも知らされることになった。近年、GEをはじめとするアメリカ企業が人事評価制度を廃止している。その理由は、年に1~2度の人事評価のために現場と人事部が膨大な時間を取られること、その割に1年の業績評価をたった1~2回で行うのは限界があることである。だから、マネジャーは日常業務の中でもっとこまめに部下へフィードバックを与えるべきだという。

 これは、今まで人事評価制度を厳密に運用してきて、その限界に気づいた人であれば主張する権利がある。だが、前職のベンチャー企業には人事評価制度がほとんど存在しなかった。組織・人事コンサルティングを事業ドメインとしているのに、自社に人事評価制度がないというのだから、もはや笑い話にもならない。私は5年半在籍していたから、仮に半年に1回人事評価が行われていれば11回機会があったことになる。しかし、私が実際に人事評価を受けたのはたったの2回である。しかも、そのうちの1回は昇給の通知書を1枚渡されただけであった。

 社長はきちんとした人事評価制度を作るために、事業会社で人事部のマネジャー経験がある人を採用したことがあった。その人は半期評価では満足せず、四半期評価制度を構築しようとした。だが、わずか数か月で企画倒れに終わってしまった。よくよく話を聞いてみると、その人が事業会社で人事マネジャーとして行った仕事はリストラ関連ばかりであり、人事制度構築の経験はなかったという。そのぐらいは採用面接で見抜けたはずなのに、何ともお粗末な話である。

 社長は、マネジャーが頻繁に部下に対してフィードバックを与えるための方法として、1on1ミーティングに注目したようで、それについての本も出したらしい(これも『TOPPOINT』で知った)。しかし、私は彼に1on1ミーティングをする力がないことを知っている。彼は組織営業の話でも触れたように、対人関係を構築する能力に難があった。会議室で1対1になって30分間ミーティングをすると、全身に蕁麻疹が出るというぐらい、対人関係が苦手であった。だから、彼に1on1ミーティングは無理である。自分にはできないのにそれを正しいと主張し、その上それをビジネスの種として顧客企業からお金を取ろうとするのは、もはや詐欺である。