こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

アメリカ

森本あんり『宗教国家アメリカのふしぎな論理』―アメリカが自由と平等を両立させようとした結果


シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ 宗教国家アメリカのふしぎな論理 (NHK出版新書 535)シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ 宗教国家アメリカのふしぎな論理 (NHK出版新書 535)
森本 あんり

NHK出版 2017-11-08

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 ブログ本館の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」で、アメリカのイノベーションは反知性主義で説明ができると書いたが、本書を読んでこれにはもう少し補足が必要だと感じた。

リベラリズム

 ブログ本館の記事「『正論』2018年9月号『「生き残れ 日本」トランプに進むべき道を示せ/表現の自由』―リベラルとは何か?(錯綜する概念の整理に関する一考)」で上図を示した。私は、右派と左派の違いについて、右派は多様性を尊重するのに対し、左派は平等を重視し、特定の階層や階級に属する人、特定の属性を有する人を全面的に擁護するものだと考える。多様性を重視するのは右派ではなく左派ではないかという声もあるだろう。確かに、左派は例えばLGBTQのようなマイノリティにもっと着目せよと言う。ただし、LGBTQに対して、伝統的な男女間の婚姻関係と同様の法的保護を与えよと主張しているという点で、差を”揃えよう”、あるいは差が”なかったことにしよう”としているわけであり、実際には多様性を黙殺することによって強引に平等を実現している。

 これに対し、右派が多様性を扱う場合、人種、国籍、性別、年齢、出身地、宗教、価値観、親の地位、学歴、職業、婚姻状況などに違いがあるのには、それなりの理由があると考える。違いがあるのだから、社会(ヒエラルキー社会)における役割分担も異なる。よって、格差や不平等が生じるのは当然だとする。ただし、誰しもが自分の意見を述べる自由は有している(自由主義、リベラリズム)。下の階層に属するからというただそれだけの理由で、上の階層の人に対して自分の意見が言えないという状況は、本当の右派ではない。

 私はブログ本館で、近代の啓蒙思想、特にフランスの啓蒙主義が全体主義を招いたと説明してきた。ただ、これは一面的な見方ではないかと内心では常々思っていた。完全無欠の唯一絶対神に似せて創造された人間は、生まれながらにして完全な理性を持っているから、手を加えなくてよいと考えると、全体主義、社会主義につながる(ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」を参照)。一方、人間の理性は生まれた時点では”眠った”状態であり、人生とは眠った理性を叩き起こし、完璧に向けて理性を磨き上げていく過程だと考えれば、科学技術の進歩の可能性が生まれ、同時に資本主義も発展する。私は後者の側面を軽視していた。

 (※)さらに言えば、両者の混合体とでも呼ぶべき「科学的社会主義」なるものがある。冷戦期のソ連は社会主義国でありながら科学技術の向上に血眼になり、実際に宇宙に人間を送り込むことにまで成功していた。この現象をどのように説明すればよいのかが、私にとっての今後の課題である。

 トランプ大統領が誕生したのは、没落した白人中流階級の強い支持があったからとされる。また、イギリスのEU離脱を支持したのは、EUから押しつけられる緊縮政策によって格差拡大の被害を被った労働者階級であったと分析されている。さらに、ヨーロッパでは、ドイツのAfD(ドイツのための選択肢)をはじめ、移民排斥を訴える政党が急速に支持を伸ばしているが、その背景には、大量の移民流入により若年層の失業率が上昇し、貧困にあえいでいるという実情がある。

 トランプ大統領も、EU離脱派も、移民排斥を訴える政党も、社会に広範囲に広がる弱者(マイノリティである弱者ではない点に注意すべし)にスポットを当て、彼らを救済すべきだと主張する。彼らこそ社会の全てであり、他の人間は悪であるという二分論に持ち込む。これは全体主義によく見られる排外主義である。さらに、こうした弱者は十分な教育を受けておらず、知識が乏しいと見られている。そこで、彼らからの支持を取りつけようとする人は、反知性主義に走る。

 反知性主義とは、単に知識の価値を否定する立場ではなく、知識層が権力を握っているという社会構造を批判する立場だと著者は指摘する。だから、本当であれば、弱者に対して、「君たちこそこの社会において権力を握るにふさわしい」とその政治的正統性を滔々と語りたいところである。だが、いかんせん弱者は十分な教育を受けていないため、そのような説明をしても聞き入れてくれない。だから、「君たちは絶対的に正しい。それ以外は皆クソだ」といった極端で過激なワンフレーズを多用するポピュリズムに傾倒する。トランプ大統領も、EU離脱派も、移民排斥を訴える政党も、一般的には極右とされるが、ラディカルな平等主義を志向しているという意味では、極左と呼ぶのが適切だと私は考える。

 全体主義―反知性主義―ポピュリズムは、社会に広範囲に広がる弱者をターゲットとして、彼らに合わせてそれ以外の者を平等に扱う、もしくは彼らに合わない人々を排斥するという立場である。これに比べれば、福祉国家はかなり穏健である。福祉国家は、社会のだいたい中間ぐらいに位置する層をターゲットとし、彼らに合わせて格差を調整し、平等の実現を目指す。誰もが一定の収入を得、それなりに豊かな暮らしを送り、必要な時には手厚い社会保障を受けられるようにするというのが福祉国家の目標である。

 ネオリベラリズムを左派に位置づけたのはなぜか?ネオリベラリズムは究極の自由競争を是とし、自由競争を勝ち上がった一部の者だけが社会の勝者であり、大量の敗者=弱者が生まれるのは仕方がないと割り切る。全体主義―反知性主義―ポピュリズムや福祉国家では、政府が誰を平等に扱うかを決定するのに対し、ネオリベラリズムにおいては政府が出る出番はない。市場という調整機能を通じて、自然と勝者が決まる。彼らは社会の富を独占し、富裕層なる一種の階級を形成する。富裕層が社会の全てだと見なされるという点では、全体主義―反知性主義―ポピュリズムが社会に広範囲に広がる弱者に、福祉国家が社会のだいたい中間ぐらいに位置する層に社会を代表させる点と共通する。だから私は、ネオリベラリズムを右派ではなく左派としている。

 興味深いことに、アメリカのイノベーションは、ネオリベラリズムと全体主義―反知性主義―ポピュリズムとががっちりと手を握ることによって成立していると私は考える。本書はアメリカにおいて宣教師がどのようにしてキリスト教を布教したのかを分析した本である。初期の宣教師は、教会の権威を頼りに、ヨーロッパから輸入された神学的解釈を人々に伝道していた。ところが、「アメリカ人にはそんな難しいことは理解できない」、「宣教師が教会の権威を盾にしているのはおかしい」と主張する人が出てきた。ここに反知性主義が現れるのであり、その担い手となったのが、巡回宣教師と呼ばれる人々であった。

 彼らは街中でいきなり布教活動を始める。ターゲットは、それほど教育を受けていない、社会の中で言えば中の下ぐらいに該当する人々である。巡回宣教師は、彼らにでも理解できる平易な内容で布教を行う。つまり、ポピュリズムである。ターゲットが中の下ぐらいの人々とはいえ、人数はたくさんいるから、彼らから少しずつお金を集めただけでも宣教師にとっては相当の収入になる。布教の新しい形を創造したという意味で、これはイノベーションと呼べる。

 だが、そういうイノベーションが有効だと解ると、自分の方がもっと上手に布教できる、もっと上手に人々を熱狂させることができるはずだと考える人たちが現れ、布教方法をめぐる激しい自由競争が始まった。彼らはプレゼンテーションの腕を磨き、出版物を通じて自身の考えを発信し、信者を獲得することに余念がなかった。やがて、競争を通じて人気宣教師が選別され、聴衆から得られる収入は一部の人気宣教師に集中するようになった。勝者となり、莫大な富を手にした人気宣教師は、後は悠々自適の余生を送ればよかった。

 一方で、説教を受けた中の下ぐらいの人々は、教えを実践したおかげで多少暮らし向きがよくなったとはいえ、アメリカ社会全体が成長しているため、依然として中の下にとどまっている。すると、未だ中の下を抜け出せない人々に向けて、何を信じるべきか、何をなすべきかを説く新しい布教スタイル=イノベーションをめぐり、再び自由競争が始まった。この後の過程は先ほどと同じである。

 アメリカは自由と平等を理念とする国である。まず、平等の理念によって、中流階級(その中でも、中の下ぐらいの人々)を社会の主役にする。一方で、彼らを救済するイノベーションは、自由の理念に基づいて激しい競争という門をくぐらせ、最終的に勝った一部のイノベーターだけが巨万の富を獲得する。

 だが、イノベーターのソリューションは、中の下ぐらいの人々を完全に救済するには程遠い。よって、未だに残る中の下ぐらいの人々を救済すべく、新たなイノベーション探しという名の激しい自由競争が始まる。そして、生き残った一部のイノベーターだけが富裕層の仲間入りをする。アメリカで繰り返されているのはこういう現象である。平等と自由を両立させようとした結果、言い換えれば、一見すると相容れないような全体主義―反知性主義―ポピュリズムとネオリベラリズムがタッグを組んだ結果、格差は固定され(るどころか拡大し)ている。

 1つ例を挙げると、アメリカの労働者(中の下ぐらいの人々)の多くは、非効率な仕事と劣悪な労働環境に悩まされている。そこに携帯電話というイノベーションが登場した。これによって、遠隔地間のコミュニケーションが効率化され、労働環境が改善されるはずであった。しかし、実際に起きたのは、休暇中であっても携帯電話が鳴り、休暇先でも仕事をしなければならないという悲劇であった。そこに、「口頭でやり取りをしているから非効率なのだ。文書化すればもっとスムーズに仕事ができる」という触れ込みで登場したのがパソコンである。だが、実際に起きたのは、作成すべき文書の急速な増大であり、四六時中文書を読んだり作成したりしなければ仕事が追いつかないという状況であった。

 そこで今度は、「パソコンがなくても、もっと手軽に文書の閲覧・編集ができる」という謳い文句でスマートフォンが登場した。しかし今度は、スマホ依存症という病的状態を生み出し、短文でしかやり取りができないという知性の低下をもたらした。この問題の解決策として次に提示されるのは、おそらくAI(人工知能)だろう。イノベーターは、「短文であっても、大量にデータを集めて解析すれば、機械が最適な判断をしてくれる」と売り込んでくるに違いない。

 儲かったのはネオリベラリズムで勝ち残った携帯電話メーカー、パソコンメーカー、スマートフォンメーカーであり(ここに将来、AI企業が加わるはずだ)、中の下ぐらいの人々の暮らし向きは、イノベーターの反知性主義―ポピュリズムによって固定されたままである。いや、どんどん高価になっていくイノベーションによって、イノベーターはますます金持ちになるが、逆に中の下ぐらいの人々はますます搾取されて、両者の格差は拡大する。

大山顕、東浩紀『ショッピングモールから考える―ユートピア・バックヤード・未来都市』―消費を全体主義化するショッピングモールに怖さを感じる


ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)
東 浩紀 大山 顕

幻冬舎 2016-01-29

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 作家・思想家の東浩紀氏とフォトグラファー・ライターの大山顕氏の対談本。ショッピングモールに未来都市の理想を見るというショッピングモール礼賛本であり、正直なところ私は「怖い」と感じた。

 東氏の理想はこうである。まず、雨が降っていても自宅から濡れずに、また外がカンカン照りの日でも凍えるような寒さの日でも快適な温度に設定された屋根つきの通路を通って電車の駅まで行くことができる(東氏は自動車を運転しない)。電車に乗ってショッピングモールの最寄り駅まで行くと、改札口から同じく屋根つきの通路をくぐってショッピングモールに入る。ショッピングモールの動線は、まるでその設計者が来場者に対して順番に回るべき店舗を示唆するかのようになっていて、来場者は次々と設計者の意図通りに製品やサービスを購入していく。こうして丸1日を快適に過ごすことができるというものである。

 こうしたショッピングモールの理想を、現在最も近い形で実現しているのが、ディズニーワールドであると言う。ディズニーワールドは、大人から子どもまで誰もが1日中楽しめるように、アトラクションやショップ、内観のコンセプトや配置、動線などが心理学や人間工学などに基づき緻密に計算されている。
 東:でもまじめな話、今後ショッピングモールやテーマパークを考えていくためには、ディズニーワールドの達成を前提にしないと、大事なところを間違えてしまうと思うんです。テーマパークはいい意味でも悪い意味でもここまで行くんだぞ、と。

製品・サービスの4分類(大まかな分類)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例)

 私はしばしば本ブログやブログ本館で上図を用いている。図の詳細な説明は、ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(3)】アメリカのイノベーションの過程と特徴」をご参照いただきたい。ディズニーワールドは、上図の分類に従えば、左上の<象限③>に該当する。そして、ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」、「【現代アメリカ企業戦略論(2)】アメリカによる啓蒙主義の修正とイノベーション」でも書いたが、<象限③>は全体主義をアメリカなりに修正した結果出現した象限である。つまり、裏を返せば、<象限③>は全体主義に逆戻りするリスクをはらんでいる。

 今のところ、ディズニーワールドには競合他社が存在するから、顧客のレジャーは全体主義化されていない。ところが、仮にディズニーワールド一強の時代が到来したら、顧客はレジャーとしてディズニーワールドしか選択できず、そこではディズニーワールドの設計者の意のままに顧客がレジャーを消費する(いや、消費させられるという表現が正しいだろう)。つまり、消費が全体主義化することを意味する。ディズニーワールドには、生活水準がそれほど高くない人も訪れるというが、全体主義化された<象限③>は全世界中の人々をターゲットとするマスマーケティングを実施するため、必然的にこういう人たちも包摂することになる。

 ショッピングモールは上図では左下の<象限①>に該当し、本来であれば文化の違いなどに根差した多様性が追求される。ところが、著者らはこれを<象限③>へ移行させ、さらに全体主義化しようとしているようである。そこでは、気候、文化、言語、宗教、民族などの違いを超えたショッピングモールの普遍性というものが実現される。これがユートピアとしてのショッピングモールである。
 大山:モール性気候のみならず、モール性文化、モール性教国、モール性宗教・・・。
 石川(※ランドスケープ・アーキテクトの石川初氏):このシーンをぼくは「モールスケープ」と呼ぼうと思います。気温35度湿度80パーセントの熱帯都市に、人工的に気温27度、湿度55%の場所をつくり、ヤシの鉢植えを置いた広場に、北ヨーロッパの冬のジオラマを設置して、キリスト教由来のイベントを演出し、そこで防寒服を着用したヨーロッパ系の老人の人形と写真を撮る、ムスリムの親子。
 だが、別の箇所では、ショッピングセンターは土地の文脈を無視してはいけないと書かれていており、「ふくしまゲートヴィレッジ」を批判している箇所がある。
 大山:違和感というか、趣味の問題ですけど。土地の文脈をどう捉えるか、という点にぼくはすごく興味があるので。(中略)ショッピングモールをつくるひとは、たんなる商業施設ではなく街をつくろうとする。だから、その地域がもともと持っている文脈を強く意識して、それをなんとか活用しようとする。
 この点を踏まえれば、ショッピングモールを<象限①>から<象限③>へと移行させ、さらに普遍性を追求する=全体主義化する試みは無謀であると言わざるを得ないように感じる。土地の文脈を追うということは、その土地の上に成り立っている人々の生活・風習・価値観の物語を追うことを意味する。そして、土地の数だけ物語は存在するわけであり、したがって、ショッピングモールもその物語を反映させた固有のものでなければならない。それを無理やり普遍化=全体主義化しようとしているところに、本書の「怖さ」を感じる。

『世界』2017年11月号『北朝鮮危機/誰のための働き方改革?』―朝日新聞が「ファクトチェック」をしているという愚、他


世界 2017年 11 月号 [雑誌]世界 2017年 11 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-10-07

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 (1)特集1のタイトルが「北朝鮮危機―解決策は対話しかない」となっているのを見た時、これはおそらく中身がない特集だろうと推測したのだが、果たしてその予感は的中した。どの記事を読んでも、「アメリカ(もしくは日本)と北朝鮮が対話をすべきだ」ということ以上のことは書かれていなかった。「対話をすべきだ」と主張するからには、いつ、どこで、誰がどのようなチャネルを通じて北朝鮮の誰と会い、具体的にどんな話をするのか、という点にまで踏み込まなければ意味がない。そのようなことに一切触れずに、ただ単に対話が重要だと言うだけであれば、単身で北朝鮮に乗り込んでいったアントニオ猪木議員以下である。

 ロシア外相が「幼稚園の子どものけんか」と呼んだ米朝間の緊張について、対話の重要性を説くリベラルは、まるで日本が親のように振る舞って、暴れん坊の子どもをなだめることができると信じているらしい。だが、アメリカも北朝鮮も実際には子どもなどではない。むしろ暴力団の抗争に例える方が適切だろう。日本では、山口組が本部のある神戸市の住民に対してハロウィンイベントでお菓子を配るなど、住民の間に溶け込む努力をしている。しかし、いくら山口組が神戸市民と良好な関係を築いているからと言って、神戸市民が山口組と住吉会の抗争を対話で止めさせようとはしない。それと同様に、日本がアメリカと同盟関係にあるからと言って、米朝の間に入ってできることなど、残念ながら現実的にはない。

 神戸市民が山口組と住吉会の抗争に巻き込まれないように身を守るのと同様に、日本も北朝鮮からミサイルが飛んできた場合を想定した国民の防衛策を真剣に検討すべき段階に来ている。永世中立国のスイスに倣って、公共のあらゆる場に急ピッチで地下シェルターを作るのも一手であろう。

 (2)欧米では最近、「ファクトチェック」と呼ばれる活動が活発になっているそうだ。これは、政治家など公的な立場にある人間が発する言葉やネット上に流れる様々な情報について事実か否かを確認し、その結果を指摘する作業のことである。虚偽の情報を意図的に流すフェイクニュースがネット上にあふれる中で、それに対抗する手段として登場してきたものである(立岩陽一郎「フェイクニュースとの闘い―ファクトチェックの現在」)。

 思わず笑ってしまったのは、日本でファクトチェックに注力しているのが朝日新聞だということである。最初に記事を掲載したのは2016年10月24日で、同年9月29日の安倍総理の発言を検証している。安倍総理は「参議院選挙において街頭演説などで私は必ず必ず、平和安全法制についてお話をさせていただきました」と発言していた。だが、朝日新聞が確認した64か所の街頭演説のうち、「平和安全法制」という言葉を使ったのは20か所だったため、「誇張」と判定した。

 また、2017年1月に憲法改正について安倍総理が「どのような条文をどう変えていくかということについて、私の考えは述べていないはずであります」と発言した点について、過去の国会の議事録を検証して「誤り」と指摘している。議事録で確認したところ、憲法96条について「3分の1をちょっと超える国会議員が反対をすれば、指一本触れることができないということはおかしいだろうという常識であります。まずここから変えていくべきではないかというのが私の考え方だ」と答弁していたことが判明したというのがその理由である。

 吉田清治の妄言を信じて世界中に従軍慰安婦のフェイクニュースをまき散らし、日本国民の名誉を著しく傷つけた朝日新聞が、こんな枝葉末節なチェックをしているとは噴飯物である。朝日新聞は、他人の情報よりも、自社が発信する情報が事実かどうかを検証する社内体制をもっと強化すべきではないだろうか?
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
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