こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

イノベーション


森本あんり『宗教国家アメリカのふしぎな論理』―アメリカが自由と平等を両立させようとした結果


シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ 宗教国家アメリカのふしぎな論理 (NHK出版新書 535)シリーズ・企業トップが学ぶリベラルアーツ 宗教国家アメリカのふしぎな論理 (NHK出版新書 535)
森本 あんり

NHK出版 2017-11-08

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 ブログ本館の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」で、アメリカのイノベーションは反知性主義で説明ができると書いたが、本書を読んでこれにはもう少し補足が必要だと感じた。

リベラリズム

 ブログ本館の記事「『正論』2018年9月号『「生き残れ 日本」トランプに進むべき道を示せ/表現の自由』―リベラルとは何か?(錯綜する概念の整理に関する一考)」で上図を示した。私は、右派と左派の違いについて、右派は多様性を尊重するのに対し、左派は平等を重視し、特定の階層や階級に属する人、特定の属性を有する人を全面的に擁護するものだと考える。多様性を重視するのは右派ではなく左派ではないかという声もあるだろう。確かに、左派は例えばLGBTQのようなマイノリティにもっと着目せよと言う。ただし、LGBTQに対して、伝統的な男女間の婚姻関係と同様の法的保護を与えよと主張しているという点で、差を”揃えよう”、あるいは差が”なかったことにしよう”としているわけであり、実際には多様性を黙殺することによって強引に平等を実現している。

 これに対し、右派が多様性を扱う場合、人種、国籍、性別、年齢、出身地、宗教、価値観、親の地位、学歴、職業、婚姻状況などに違いがあるのには、それなりの理由があると考える。違いがあるのだから、社会(ヒエラルキー社会)における役割分担も異なる。よって、格差や不平等が生じるのは当然だとする。ただし、誰しもが自分の意見を述べる自由は有している(自由主義、リベラリズム)。下の階層に属するからというただそれだけの理由で、上の階層の人に対して自分の意見が言えないという状況は、本当の右派ではない。

 私はブログ本館で、近代の啓蒙思想、特にフランスの啓蒙主義が全体主義を招いたと説明してきた。ただ、これは一面的な見方ではないかと内心では常々思っていた。完全無欠の唯一絶対神に似せて創造された人間は、生まれながらにして完全な理性を持っているから、手を加えなくてよいと考えると、全体主義、社会主義につながる(ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」を参照)。一方、人間の理性は生まれた時点では”眠った”状態であり、人生とは眠った理性を叩き起こし、完璧に向けて理性を磨き上げていく過程だと考えれば、科学技術の進歩の可能性が生まれ、同時に資本主義も発展する。私は後者の側面を軽視していた。

 (※)さらに言えば、両者の混合体とでも呼ぶべき「科学的社会主義」なるものがある。冷戦期のソ連は社会主義国でありながら科学技術の向上に血眼になり、実際に宇宙に人間を送り込むことにまで成功していた。この現象をどのように説明すればよいのかが、私にとっての今後の課題である。

 トランプ大統領が誕生したのは、没落した白人中流階級の強い支持があったからとされる。また、イギリスのEU離脱を支持したのは、EUから押しつけられる緊縮政策によって格差拡大の被害を被った労働者階級であったと分析されている。さらに、ヨーロッパでは、ドイツのAfD(ドイツのための選択肢)をはじめ、移民排斥を訴える政党が急速に支持を伸ばしているが、その背景には、大量の移民流入により若年層の失業率が上昇し、貧困にあえいでいるという実情がある。

 トランプ大統領も、EU離脱派も、移民排斥を訴える政党も、社会に広範囲に広がる弱者(マイノリティである弱者ではない点に注意すべし)にスポットを当て、彼らを救済すべきだと主張する。彼らこそ社会の全てであり、他の人間は悪であるという二分論に持ち込む。これは全体主義によく見られる排外主義である。さらに、こうした弱者は十分な教育を受けておらず、知識が乏しいと見られている。そこで、彼らからの支持を取りつけようとする人は、反知性主義に走る。

 反知性主義とは、単に知識の価値を否定する立場ではなく、知識層が権力を握っているという社会構造を批判する立場だと著者は指摘する。だから、本当であれば、弱者に対して、「君たちこそこの社会において権力を握るにふさわしい」とその政治的正統性を滔々と語りたいところである。だが、いかんせん弱者は十分な教育を受けていないため、そのような説明をしても聞き入れてくれない。だから、「君たちは絶対的に正しい。それ以外は皆クソだ」といった極端で過激なワンフレーズを多用するポピュリズムに傾倒する。トランプ大統領も、EU離脱派も、移民排斥を訴える政党も、一般的には極右とされるが、ラディカルな平等主義を志向しているという意味では、極左と呼ぶのが適切だと私は考える。

 全体主義―反知性主義―ポピュリズムは、社会に広範囲に広がる弱者をターゲットとして、彼らに合わせてそれ以外の者を平等に扱う、もしくは彼らに合わない人々を排斥するという立場である。これに比べれば、福祉国家はかなり穏健である。福祉国家は、社会のだいたい中間ぐらいに位置する層をターゲットとし、彼らに合わせて格差を調整し、平等の実現を目指す。誰もが一定の収入を得、それなりに豊かな暮らしを送り、必要な時には手厚い社会保障を受けられるようにするというのが福祉国家の目標である。

 ネオリベラリズムを左派に位置づけたのはなぜか?ネオリベラリズムは究極の自由競争を是とし、自由競争を勝ち上がった一部の者だけが社会の勝者であり、大量の敗者=弱者が生まれるのは仕方がないと割り切る。全体主義―反知性主義―ポピュリズムや福祉国家では、政府が誰を平等に扱うかを決定するのに対し、ネオリベラリズムにおいては政府が出る出番はない。市場という調整機能を通じて、自然と勝者が決まる。彼らは社会の富を独占し、富裕層なる一種の階級を形成する。富裕層が社会の全てだと見なされるという点では、全体主義―反知性主義―ポピュリズムが社会に広範囲に広がる弱者に、福祉国家が社会のだいたい中間ぐらいに位置する層に社会を代表させる点と共通する。だから私は、ネオリベラリズムを右派ではなく左派としている。

 興味深いことに、アメリカのイノベーションは、ネオリベラリズムと全体主義―反知性主義―ポピュリズムとががっちりと手を握ることによって成立していると私は考える。本書はアメリカにおいて宣教師がどのようにしてキリスト教を布教したのかを分析した本である。初期の宣教師は、教会の権威を頼りに、ヨーロッパから輸入された神学的解釈を人々に伝道していた。ところが、「アメリカ人にはそんな難しいことは理解できない」、「宣教師が教会の権威を盾にしているのはおかしい」と主張する人が出てきた。ここに反知性主義が現れるのであり、その担い手となったのが、巡回宣教師と呼ばれる人々であった。

 彼らは街中でいきなり布教活動を始める。ターゲットは、それほど教育を受けていない、社会の中で言えば中の下ぐらいに該当する人々である。巡回宣教師は、彼らにでも理解できる平易な内容で布教を行う。つまり、ポピュリズムである。ターゲットが中の下ぐらいの人々とはいえ、人数はたくさんいるから、彼らから少しずつお金を集めただけでも宣教師にとっては相当の収入になる。布教の新しい形を創造したという意味で、これはイノベーションと呼べる。

 だが、そういうイノベーションが有効だと解ると、自分の方がもっと上手に布教できる、もっと上手に人々を熱狂させることができるはずだと考える人たちが現れ、布教方法をめぐる激しい自由競争が始まった。彼らはプレゼンテーションの腕を磨き、出版物を通じて自身の考えを発信し、信者を獲得することに余念がなかった。やがて、競争を通じて人気宣教師が選別され、聴衆から得られる収入は一部の人気宣教師に集中するようになった。勝者となり、莫大な富を手にした人気宣教師は、後は悠々自適の余生を送ればよかった。

 一方で、説教を受けた中の下ぐらいの人々は、教えを実践したおかげで多少暮らし向きがよくなったとはいえ、アメリカ社会全体が成長しているため、依然として中の下にとどまっている。すると、未だ中の下を抜け出せない人々に向けて、何を信じるべきか、何をなすべきかを説く新しい布教スタイル=イノベーションをめぐり、再び自由競争が始まった。この後の過程は先ほどと同じである。

 アメリカは自由と平等を理念とする国である。まず、平等の理念によって、中流階級(その中でも、中の下ぐらいの人々)を社会の主役にする。一方で、彼らを救済するイノベーションは、自由の理念に基づいて激しい競争という門をくぐらせ、最終的に勝った一部のイノベーターだけが巨万の富を獲得する。

 だが、イノベーターのソリューションは、中の下ぐらいの人々を完全に救済するには程遠い。よって、未だに残る中の下ぐらいの人々を救済すべく、新たなイノベーション探しという名の激しい自由競争が始まる。そして、生き残った一部のイノベーターだけが富裕層の仲間入りをする。アメリカで繰り返されているのはこういう現象である。平等と自由を両立させようとした結果、言い換えれば、一見すると相容れないような全体主義―反知性主義―ポピュリズムとネオリベラリズムがタッグを組んだ結果、格差は固定され(るどころか拡大し)ている。

 1つ例を挙げると、アメリカの労働者(中の下ぐらいの人々)の多くは、非効率な仕事と劣悪な労働環境に悩まされている。そこに携帯電話というイノベーションが登場した。これによって、遠隔地間のコミュニケーションが効率化され、労働環境が改善されるはずであった。しかし、実際に起きたのは、休暇中であっても携帯電話が鳴り、休暇先でも仕事をしなければならないという悲劇であった。そこに、「口頭でやり取りをしているから非効率なのだ。文書化すればもっとスムーズに仕事ができる」という触れ込みで登場したのがパソコンである。だが、実際に起きたのは、作成すべき文書の急速な増大であり、四六時中文書を読んだり作成したりしなければ仕事が追いつかないという状況であった。

 そこで今度は、「パソコンがなくても、もっと手軽に文書の閲覧・編集ができる」という謳い文句でスマートフォンが登場した。しかし今度は、スマホ依存症という病的状態を生み出し、短文でしかやり取りができないという知性の低下をもたらした。この問題の解決策として次に提示されるのは、おそらくAI(人工知能)だろう。イノベーターは、「短文であっても、大量にデータを集めて解析すれば、機械が最適な判断をしてくれる」と売り込んでくるに違いない。

 儲かったのはネオリベラリズムで勝ち残った携帯電話メーカー、パソコンメーカー、スマートフォンメーカーであり(ここに将来、AI企業が加わるはずだ)、中の下ぐらいの人々の暮らし向きは、イノベーターの反知性主義―ポピュリズムによって固定されたままである。いや、どんどん高価になっていくイノベーションによって、イノベーターはますます金持ちになるが、逆に中の下ぐらいの人々はますます搾取されて、両者の格差は拡大する。

河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察


戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較
河合 忠彦

有斐閣 1996-02

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 20年以上前の本を今さら読んでみた。アメリカ流の一般的・伝統的な戦略論に従えば、まずは経営陣をサポートする企画スタッフが事業環境に関する大量のデータを客観的に分析して、どこに戦略的機会があるのかを発見し、その機会をものにするためのビジネスモデル、ビジネスプロセス、組織構造、人材配置、人事制度、IT投資、予算の配分などを計画して経営陣に進言する。経営陣はその計画に多少の修正を加えた後で計画にゴーサインを出し、トップダウンで戦略を企業全体に浸透させるというものである。

 一方、著者の戦略観はこれとは異なる。確かに、トップダウン型の戦略は存在する。経営陣が事業環境を大局的に見回して、大きな戦略的構想を練り上げ、全社的に展開する。これを「包括的戦略」と呼ぶ。一方、ミドルマネジメントも戦略を立案する。ミドルマネジャーは個別の顧客に密着しており、具体的なニーズを吸い上げるのに長けている。その情報に基づいて、顧客ニーズの変化に柔軟に対応できる戦略を考案し、局所的に実行する。これを「創発的戦略」と呼ぶ(これは明らかにヘンリー・ミンツバーグの影響を受けたものと思われる)。強い企業は、この包括的戦略と創発的戦略が相互に作用しているというのが著者の主張である。トップダウンの経営だけではなく、ミドルマネジャーによる「ミドル・アップダウン」の流れを指摘した金井壽宏氏の主張にも通じるところがある。

 ただし、包括的戦略と創発的戦略のどちらがより強く作用するかは、製品・市場のライフサイクル上のステージによって異なると著者は言う。市場の創成期においては、トップとミドルが緊密に協力する必要があることから、包括的戦略と創発的戦略の両方が必要となる。成長期に入ると、市場構造が大きく変化するため、マクロ的な視点からトップが包括的戦略を展開することの方が重要になる。成熟期になれば、顧客ニーズに関する情報が十分に手に入る。よって、今度は創発的戦略の方が強く作用する。衰退期に入ると、このまま残存利益を収穫しつつ事業規模を縮小するのか、あるいは新規事業を立ち上げるのかという構造的な意思決定を下す必要があることから、包括的戦略の方が強くなる。

 本書は、80~90年代にかけて、シャープ、ソニー、パナソニック(当時は松下電器)がデジタル化の波に対して、戦略的にどのように対応したのかを分析した1冊である。デジタル化という構造的な変化が押し寄せていることから、包括的戦略が強い企業の方が業績がよいという仮定を置いている。その上で3社の戦略や各種施策を紐解いていくと、事業部の力が強く創発的戦略が生まれやすかったパナソニックが最も遅れを取っており、カンパニー制で分権化に着手していたソニーはまずまず、一番優れているのは液晶に特化してトップダウンのリーダーシップを発揮していたシャープであるという結論に至った。

 これは、現在の3社の業績を知っている我々からすると意外な結論である。周知の通り、現在この3社の中で最も好調なのはパナソニックである。ソニーは一時期大変な苦境に陥り、最近持ち直しつつある。シャープは倒産寸前まで行ってしまい、台湾の鴻海精密工業に買収された。なぜこのような差が出たのか、後知恵になるが私なりに説明すると次のようになる。

 まずパナソニックだが、家電というBtoCビジネスからBtoBビジネスに軸足を移した。ブログ本館の記事「『構造転換の全社戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』―家電業界は繊維業界に学んで構造転換できるか?、他」でも書いたように、私が好んで用いる製品・サービスの4分類のマトリクスに従えば、家電は「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命に与える欠陥が小さい」という左下の<象限①>に該当する(もちろん、家電の事故でユーザーが死傷することはあるが、たいていの場合は製品の劣化や製品の誤った使い方によるもので、企業側の責任は小さい)。<象限①>は低コストが武器の新興国企業の主戦場になりつつあり、先進国企業が戦うことは難しくなっている。

 そこで、パナソニックはBtoBビジネス中心のビジネスモデルへと転換した(家電を完全に手放したわけではない)。BtoBの市場は、製品・サービスの4分類のマトリクスにおいては、「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客企業の事業に与えるリスクが大きい」という右下の<象限②>に該当する。BtoB市場へのシフトにあたって、パナソニックは、ITソリューションのように、先行者が既に存在し、市場が成熟している分野を敢えて選択したように思える。前述の通り、成熟市場では創発的戦略の方が有効である。そして、当初はパナソニックの弱みと思われた事業部制が、BtoBの成熟市場では強みに転じたのである。一般的には組織が戦略に従うのだが、パナソニックの場合は戦略が組織に従ったと言える。

 次にソニーであるが、ソニーはウォークマンに代表されるイノベーションを次々と世に送り出し、音楽や映画といったコンテンツ産業にも強いことから、製品・サービスの4分類のマトリクスに従えば、「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命に与える欠陥が小さい」という左上の<象限③>に軸足を置く企業である。近年、イノベーションの寿命はますます短くなっており、企業は次々とイノベーションを投入しなければならなくなっている。つまり、常に市場の創成期に直面しているわけであり、包括的戦略と創発的戦略が融合していなければならない。ところが、ソニーはカンパニー制を導入してパナソニックの事業部制よりもより強固に分権化を進めてしまった。これによって、包括的戦略の出番が極端に限られたことが、ソニーを苦しめた要因だと考えられる。

 最後にシャープである。シャープは液晶テレビに社運を賭け、「日本中のテレビを液晶に置き換える」と息巻いていた。だが、液晶であろうと何であろうと家電であることには変わりがない。液晶技術はテレビという分野における連続的な技術進化に過ぎない。テレビ市場それ自体は、日本においては既に成熟し切っていたのである。だから、本来であれば創発的戦略の出番であった。ところが、シャープの場合は包括的戦略が主導権を握り、トップダウンで大型の設備投資を次々と実行した。結局、それが裏目に出てしまった。

 では、鴻海精密工業に買収されてから何が変わっただろうか?実はほとんど何も変わっていない。相変わらずトップダウンで大型の設備投資を行い、液晶テレビを世界中で大量生産している。しかしながら、それが功を奏してシャープの業績は回復した。これは次のように解釈できるであろう。まず、<象限①>に該当する家電事業を先進国である日本の企業ではなく、新興地域である台湾の企業が握ったことが大きかった。さらに、買収前のシャープは日本市場を中心に見ていたのだが、前述の通り、日本市場に限って言えば市場が成熟していた。これに対して、鴻海精密工業は世界中をターゲットとした。日本市場から世界市場に目を転ずれば、液晶テレビの市場はまだまだ成長期にある。よって、トップによる包括的戦略が有効になったというわけである。

産業能率大学テクノロジーマーケティング研究プロジェクト『テクノロジー・マーケティング―技術が市場を創出する』―結局、過去のニーズ・技術の延長線上でしか発想できないのか?


テクノロジー・マーケティング―技術が市場を創出するテクノロジー・マーケティング―技術が市場を創出する
産業能率大学テクノロジーマーケティング研究プロジェクト

産能大出版部 2004-04-15

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 本書は、
 携帯電話、コピー機、個人用ファックス、CDプレーヤー、テレビ電話
といった画期的な新製品(以下、イノベーションと呼ぶ。本書の出版が2004年と古いため、例示されているイノベーションも古い点はご容赦いただきたい)を技術主導で創造するための手法がまとめられた1冊である。様々な手法が紹介されているが、今回の記事ではその中から2つ取り上げてみたいと思う。

 1つ目は「市場分野成長予測法」である。これは、自社の事業領域に関係する製品を幅広く把握し、それら製品の機能や特徴を決定づける技術と、消費者・ユーザーにとっての利点を抽出し、製品と適用技術の「系譜」を表すマップである。このマップから、製品化にどのような技術が適用され、また廃止・代替・改良されてきたのか、さらに製品や適用技術に対する市場・顧客の受け入れがどのように変化してきたのかを把握する。これらの把握に基づき、今後、技術が既存のままで市場を支えていける可能性があるのか、あるいは、技術の高度化をしなければ市場性がないのか、また、代替技術を持っている市場なのかを検討して、成長が望める市場を予測していく。

 2つ目は「製品・技術進化分析法」である。これは、まず対象製品あるいは類似製品の過去から現在に至る「発展経緯」を、技術進化の歴史という観点から、事業の検証も兼ねて正確に時系列マップ(テクノロジカル・マップ)にまとめることである。なお、作成の際には、対象製品(システム)だけでなく、対象製品を構成するユニットレベル(サブシステム)まで展開し、特に自社のコア・テクノロジーに対応できるユニットは、可能な限り詳細に記述する。

 本書の例示を見ると、「市場分野成長予測法」は技術からスタートするアプローチであり、ある製品カテゴリーにおける技術の変遷とそれに伴う市場・顧客ニーズの変化を可視化し、その技術の変遷から、将来的にどのような技術が登場しそうかを予測するものである。一方、「製品・技術進化分析法」は顧客ニーズから出発する。これまで顧客ニーズがどのように変遷してきたのか、それに対して技術がどのように応えてきたのかを整理する。その上で、将来の顧客ニーズを予測し、そのニーズを充足する新技術を想定していく。

 ただ、市場分野成長予測法であれ、製品・技術進化分析法であれ、過去の歴史をベースにしているという点では共通しており、そこから導かれる製品・技術は、結局のところ過去の延長線上に連続的にしか描くことができないのではないかという疑問が残る。これらの方法で、携帯電話、コピー機、個人用ファックス、CDプレーヤー、テレビ電話などといった非連続的なイノベーションを構想することが果たして可能なのか、はなはだ怪しいと感じる。

 イノベーションのアイデアを構想する方法はこれまでにもたくさん開発されている。例えば「6色ハット」で有名なエドワード・デ・ボノは「水平思考」と呼ばれる手法を開発した。「ブルーオーシャン戦略」を取りまとめたチャン・キムとレネ・モボルニュは、「増やす」、「つけ加える」、「減らす」、「取り除く」という4つの切り口でイノベーションを導くとよいと主張した。

 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2018年9月号の論文「デザイン思考の限界を超えて 生物の進化のように発想する『進化思考』」(太刀川英輔)でも4つの方法が紹介されている。αという製品に対して、①「βのようなα」といった形でコンセプトを付加し、新製品を考案する、②αを構成する要素のパラメータ(大きさ、重量、各機能の品質レベルなど)を変化させる、③αとは全く無関係な製品を無理やり組み合わせる、④αが所属する事業環境を別の環境に移す(端的に言えば、αを異質の市場に投入する)、というものである。

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年9/号 [雑誌]DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2018年9/号 [雑誌]
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2018-08-10

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 しかし、いずれの方法も、「市場分野成長予測法」や「製品・技術進化分析法」と同様に、現在の製品を発想の出発点としている限り、現在の延長線上から抜け出せないリスクはある。アイデアをたくさん出すのには有効なのかもしれないが、多数のアイデアを出すこと自体が目的となってしまい、潜在的な顧客ニーズがあるのか否かという肝心な点が見過ごされてしまう気がする。

 イノベーションの成功確率は、ロザベス・モス・カンターによれば1,000分の1とも3,000分の1とも言われている。そのように聞くと、確率論的にイノベーションを成功させるには、とにかく無数のアイデアを創造することが必要条件であるという考え方が現れても不思議ではない。だが、個人的には、必ずしも無数のアイデアがなくてもイノベーションを成功させることは可能ではないかと思う。

 『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2018年9月号には、ピーター・ドラッカーが半世紀以上前の1964年に発表した「未来をかたちづくる小さなアイデアの大きな力」という論文が再録されている。そこで紹介されている商業銀行(ドラッカーは近代最高のイノベーションとして商業銀行を挙げる)やシアーズ・ローバック(衣料品を所得水準の高くない農家に売るという事業)などは、とても数多くのアイデアからスクリーニングされたイノベーションとは思えない。むしろ、社会構造の潜在的な変化に冷静に着目し、その変化によって生まれる市場の空白を上手に埋める技術を慎重に開発したことでイノベーションが成就したと言える。

 これは私自身の課題でもあるのだが、現実のイノベーションが本当に前述のような「市場分野成長予測法」や「製品・技術進化分析法」、「水平思考」、「増やす」・「つけ加える」・「減らす」・「取り除く」という4つの切り口、「進化思考」などによって生み出されたのかどうかを検証する研究が必要だと思う。例えば、Facebookや定額音楽・映像配信サービス、ドローンといった最近のイノベーションは、本当にこれらの方法によって導出されたのだろうか?1つ1つのイノベーションの成立過程を丁寧に追っていくことで、地に足の着いたイノベーション開発手法が生まれるような気がする。断片的だが、私が考えるイノベーションの発想方法については、ブログ本館の記事「【戦略的思考】事業機会の抽出方法(「アンゾフの成長ベクトル」を拡張して)」で触れたことがある。

 と、ここまで書いて気づいたのだが、本書のタイトルは『テクノロジー・”マーケティング”』である。マーケティングとイノベーションは別物である。マーケティングは製品の改善を通じて既存市場のパイを奪い合う競争であるのに対し、イノベーションは新しい市場を創造する取り組み、あるいは代替品や非連続的な技術によって既存市場の構造を根本から破壊する行為である。この辺りについては、先ほど紹介したブログ本館の記事の中で整理を試みた。”マーケティング”であれば、市場分野成長予測法や製品・技術進化分析法によって、過去の延長線上に新製品のアイデアを位置づけるのも自然な流れなのかもしれない。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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