インストラクショナルデザインの原理インストラクショナルデザインの原理
ロバート・M. ガニェ キャサリン・C. ゴラス ジョン・M. ケラー ウォルター・W. ウェイジャー Robert M. Gagne

北大路書房 2007-08-27

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 「インストラクショナル・デザイン(ID)」とは、「教育設計」と訳され、教育が必要とされる様々なシーンにおいて、学習者の高い習熟と行動変容を目標として、より効果的・効率的で魅力的な学習環境を設計・開発するための、システム的な教授方法・ガイドラインのことを指す。本書はその基本原理に関する1冊である。といっても、400ページ以上もある大著である。

インストラクショナル・デザイン(ID)の全体像

 私なりに、IDの全体像を整理したのが上図である。まず、目指すべき「学習成果」を明確にする。本書の著者であるロバート・M・ガニェは、学習成果を「言語情報」、「知的技能」、「認知的方略」、「運動技能」、「態度」の5つに分類している。対象者に学習させたい内容がどのカテゴリに該当するかを判断し、具体的な学習成果を定義することが大切である。例えば、「事業戦略の立案方法を習得する」ことが学習のゴールだったとする。これは「知的技能」に該当する。IDにおいては、学習成果を単に「事業戦略の立案方法を習得する」とするだけでは不十分である。「ケーススタディが与えられた時に(状況)、戦略立案に用いられる各種フレームワークを用いて(道具)、戦略の検討プロセスおよび戦略を構成する諸要素を(対象)パワーポイントに論理的に整理することで(動作動詞)、ケーススタディに登場する企業が選択すべき戦略を例示する(学習した能力動詞)」といったレベルまで具体化する必要がある。

 次に、学習課題を分析する。言い換えれば、学習成果をサブコンポーネントに分解し、コンポーネント間の関係を明確にして、学習課題の全体像を可視化することである。先ほどの事業戦略に関する学習であれば、①外部環境の分析方法、②内部環境の分析方法、③競合他社の分析方法、④将来の事業環境の変化の予測方法、⑤将来の競合他社の戦略の変化の予測方法、⑥競合他社の変化を踏まえた自社のポジショニングの設定、⑦目標売上高、市場シェア、利益の設定方法などに分解できる。こうして、学習要素の階層的構造を決定する。

 同時に、学習者の特徴も同定する。言うまでもなく、学習者には様々なタイプがいる。そのタイプに合わせて教授方法を変えるのが理想的である。本書で学習者の特徴として挙げられているのは、①生来的に持っている特性、②後天的に学習された特性(既に習得している学習成果)、③スキーマ、④動機づけ要因、⑤基本的能力(文章作成、計算、空間把握など)、⑥基本的性格(達成志向が強い、逆に不安が強いなど)の6つである。

 続いて、先ほどの学習課題分析で抽出されたそれぞれのコンポーネントについて、学習プログラムを設計する。まず、下位目標を設定する。「外部環境の分析方法」であれば、「ファイブ・フォーシズ・モデルの活用方法やPEST分析のやり方を学習する」となる。次に、教授事象の整理と書いたが、これは言い換えれば、下位目標を達成するための具体的な学習プロセスの設計のことである。本書では、一般的な教授事象として、①学習者の注意を喚起する、②学習者に目標を知らせる、③前提条件を思い出させる、④新しい事項を提示する、⑤学習の指針を与える、⑥練習の機会を作る、⑦フィードバックを与える、⑧学習の成果を評価する、⑨保持と移転を高める、という9つのプロセスが列挙されている。

 その次には、教授実施方略を決定する。教授実施方略とは、講義、ビデオ鑑賞、個人ワーク、ピアワーク、グループディスカッション、テスト、相互フィードバックなど、学習の具体的手法を指す。前述のそれぞれの教授事象について、適切な教授実施方略を決定する。例えば、学習者に目標を知らせるには講義やビデオ鑑賞が適しているだろう。一方、練習の機会を作るのであれば、ピアワークやグループディスカッションが向いている。

 続いて、メディアを決定する。つまり、学習の媒体のことである。教授実施方法が決まれば、自ずとメディアも絞られそうなものである。だが、同じ講義をするにしても、パワーポイントで映写した方が効果的なのか、紙の資料を配布して受講者にメモを取らせた方が効果的なのかはよく考える必要がある。同様に、グループワークにおいても、学習者にパソコンを使わせるのが効果的なのか、模造紙に手書きでまとめさせるのが効果的なのかなど、考えるべきことはある。

 メディアが決まれば、学習環境の設計に入る。当然だが、パソコンを使用するのであればパソコンが使える環境を用意する。しかも、学習中にインターネットに接続するならば、ネット環境も必要である。学習プロセスの大半が講義中心である場合は、大部屋での実施も可能であろう。一方、少人数のグループワークを多用するケースでは、グループごとに作業できるスペースを確保し、ホワイトボードや模造紙、付箋、太めのペンといった備品を準備しなければならない。

 ここまできてようやく、コンテンツの開発に入る。言うまでもなく、コンテンツはこれまで検討してきた諸要素によって影響を受ける。大部屋で講義をする場合、紙の資料を配るのであれば、資料の字は多少小さくても問題ないだろう。だが、パワーポイントの資料を映写するならば、遠くの人でも見えるように大きな字にしなければならない。グループワークの場合、学習者が議論に集中できるよう配慮することが求められる。インプット情報の読み込みに時間がかかるワークではダメである。また、学習者の能力レベルによっては、グループワークの直前に成果物のサンプルを例示したり、成果物の一部を見せたりする必要がある。

 最後に、下位目標が達成されたかどうかを評価するためのアセスメントを作成する。簡単なペーパーテストが一般的であろう。あるいは、他の学習者の前で、講師とともにロールプレイをしてもらうといった方法もある。運動技能に関しては、身体を動かすことが前提であるため、実技によるテストが中心となる。

 ここまでの一連の流れを、他の下位目標についても実施する。全ての下位目標のデザインが終了したら、コース全体のパフォーマンスを評価し、改善する。ここで言うパフォーマンスの評価として、本書は、①教材の評価、②IDの評価(①②はIDを行った者、あるいは第三者の専門家が実施する)、③学習者反応(講義・ワークは解りやすかったかなどをアンケートで答えてもらう)、④成績の測定、⑤教育システムに対する影響の測定(後述する)という5つを挙げている。

 ただ、これはあくまでも閉ざされた学習環境内をどのように設計するかという話である。学校ならこれで十分かもしれないが(学校の教育関係者は、これだけでは十分でないと反論するかもしれないが)、企業における研修はそういうわけにもいかない。研修はあくまでも手段であり、目標はビジネス上のパフォーマンスを向上させることである。よって、もっと大きな視点に立って、職場における学習プロセスを全体的に設計する必要がある。それを示したのが下図である。

職場における学習の全体像

 まず、ビジネス上の成果を明確にする。例えば、「新製品の売上高を20%増加させる」といったものが成果になる。20%増加という野心的な目標を達成するためには、旧態依然とした営業プロセスを今まで通りこなしているだけでは不十分であり、新たな営業プロセスを構築する必要がある。そして、営業担当者がこの営業プロセスを遂行し、そのために必要な能力を習得させることが研修の目的となる。研修の目的が明確になったら、IDを行う。

 企業の研修の場合、往々にしてやりっ放しになってしまうという問題がある。せっかく研修で新しいことを学習しても、現場でそれを実践する機会がなく、やがて研修の内容が忘れ去られてしまうことが少なくない。先ほど、パフォーマンス評価の箇所で、教育システムに対する影響を測定すると書いたが、この教育システムは、企業においては職場環境と読み替えてよい。そして、教育システム=職場環境に影響を与える要因として、①プロセス変数、②支援変数、③適性変数、④動機づけ変数の4つがあると記されている。私は、研修がビジネス上の成果につながるようにするためには、研修の後工程を適切に設計し、この4つの変数を十分に考慮することが必要であると考える。

 ①プロセス変数とは、私なりに解釈すれば、研修で学習した内容が現場で実践できるような業務プロセスになっていることを指す。この問題は、前述のように、社員に習得してもらう業務プロセスや能力を事前に明らかにしておけばある程度は防ぐことができる。だが、業務プロセスも研修も生き物である。研修の中で新たな知識・能力の発見があるかもしれないし、研修を実施している期間中に、望ましい業務プロセスが変化することもある。だから、研修が終わった後に、もう一度業務プロセスを見直す必要がある。それが、上図において、学習成果の職場環境への埋め込みと呼んでいるものである。

 ②支援変数とは、学習者が研修の内容を現場に適用するのをサポートする環境を整備することである。具体的には、ナレッジ・マネジメント・システムを導入する、必要に応じて簡単な復習ができるe-Learningを構築する、新しい業務プロセスの標準マニュアルを現場に配備する、といったことが挙げられる。そして、最も重要なことは、学習者の上司に、研修内容を理解させることである。

 ③適性変数とは、受講者の適性に配慮して配置を行うことである。先ほど挙げた「新製品の売上高を20%増加させる」という目標を掲げて研修を行っても、営業担当者全員が見込み顧客の開拓からクロージング、債権回収までの全てのプロセスに精通しているとは限らない。むしろ、人によって得意・不得意なプロセスがあるのが普通である。よって、上司はそれぞれの部下の特性、強み・弱みを把握して、強みが最も発揮できる業務に集中させる一方で、弱みに関しては他の部下の強みと相互に補完し合える関係を作り出すべきである。

 ④動機づけ変数とは、学習者が研修の内容を現場で実践できるように、上司などが折に触れて動機づけを行うことである。そのためには、②支援変数で述べたように、上司が研修内容に対して理解を示していることが前提となる。人事部は、上司に対して単に動機づけをせよと言うのではなく、上司のマネジメントプロセスの中に、例えば部下と定期的に面談を設けて、研修で学習した内容の実践度合いはどうか、その効果は出ているかといったことをヒアリングする機会を強制的に埋め込むぐらいのことをやった方がよい。また、モチベーションは、上司によってのみならず、同僚、特に同じ研修を受講した同僚によってからも喚起される。そこで、人事部は、社内SNSなどで受講者が研修後もつながり続け、進捗を報告し合うような仕組みを作るのも一案だろう。

 受講者が研修の内容を現場で実践したら、その成果がどうであったか定期的に振り返り、学習を継続する必要がある。ただ、1人でこの学習を続けるのは、どんなに優秀な社員であっても難しい。そこで、人事部はフォローアップ研修を実施して近況を共有し合う場を設定したり、定例の社内勉強会を実施したりすることで、継続的な学習を促進するとよいだろう。

 そして、半期ないしは1年ごとに行われる人事考課の場で、学習者は自身のパフォーマンスを評価する。通常の人事考課は、期初に設定した目標が達成できたかという視点で行われることが多い。しかし、職場の学習プロセス全体を設計するという視点からは、人事考課の評価項目に、「研修で学習したことがどの程度現場で実践できたか?」といったものを加えることが重要であろう。人は、評価されないことは決して積極的にやろうとはしないものである。

 経営陣は研修に対する受講者の評価を取りまとめ、自らが掲げたビジネス上の成果との関係を検証する。もちろん、ビジネス上の成果を左右するのは研修だけとは限らない。プロセス変数、支援変数、適性変数、動機づけ変数など様々な要因が影響する。経営陣は、これらの要因がどのように影響し合って、最終的にどれだけのビジネス上の成果が得られたのかを分析する。

 以上が、本書の内容を私なりにまとめたものに、私が考える職場環境における学習プロセスの設計方法である。率直に言って、本書は非常に読みにくい1冊であった。IDの本であるにもかかわらず、IDを学習する上での学習課題分析が行われていなかった。「引き算を筆算で行う」といった学習については階層的構造が例示されているのに、ID自体の学習要素の階層的構造が明記されていない。IDに必要だと思われる要素がバラバラと延々400ページ続くため、IDの全体像を上図のようにまとめるのに非常に苦労した。IDではアセスメントの実施やパフォーマンスの評価が重要だと言うぐらいだから、それぞれの章の最後に読者の理解度を測るアセスメントをつけたり、ID自体のパフォーマンスを評価するツールを巻末につけたりしてくれてもいいのにと感じた。

 それから、学習者の特徴の同定が必要で、その特徴に応じた教授スタイルを取らなければならないと述べている割に、学習者の特徴を考慮した教授スタイルの違いにはほとんど触れられていない印象であった。せいぜい、受講生が8人ぐらいの小集団であれば、受講者の特徴に応じた教授事象を実施することが可能であると書かれている程度である。それ以上の人数になると、受講者の特徴に応じた教授はほとんど放棄されている。結局のところ、本書は伝統的な大人数の講義形式による学習を前提としており、受講者の特徴は分析するものの、似たような特徴を持った受講者を集めればよいと暗に言っているように感じた。

 学校のように、比較的特徴が近い生徒が集まるのであればそれでもよいだろう。また、企業においても、若手研修や、特定の専門能力を学習する研修であれば、似たような特徴を持った受講者が集まる。だが、企業の場合、例えば、「我が社の新しいビジョンを構築する」、「我が社の価値観に対する理解を深める」、「新製品のアイデアを創出する」といった複雑な研修を行うことがある。そして、往々にしてこれらの研修は、全社から幅広く参加者を募るため、学習者の特徴がバラバラになる。しかも、本書のIDとは違い、学習内容、学習プロセスは極めて流動的で、学習の構造化が困難である。こういう場合のIDはどのようなものになるのか、本書では残念ながら一切触れられていなかった。

 最後に、これは本書がIDに絞っていることによる限界であるが、前述の通り、学習は研修のみによって完結するものではない。研修は学習プロセスの一部にすぎず、その前後を適切に設計することが重要である。これを「ラーニング・エンバイロンメント・デザイン(LED)」と呼ぶ。今回の記事では、その一端を私なりに示したつもりである。IDからLEDへと発展させていく理論と実践が求められる。