こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

インド


みずほ銀行国際戦略情報部『グローバル化進む日本企業のダイナミズム』―ASEAN主要7か国+インドのポイント


グローバル化進む日本企業のダイナミズムグローバル化進む日本企業のダイナミズム
みずほ銀行国際戦略情報部

きんざい 2016-11-04

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 本書は中国、東アジア、ASEAN、南西アジア、オセアニア、米州、欧州、中東、アフリカのポテンシャルとリスクについて俯瞰できる1冊である。その中で、私が特に関心を寄せているASEANとインドについて、本書のポイントをまとめておく。

 <ベトナム>
 ①統計上、近年ベトナムに進出する日系企業の件数は増加傾向にあるものの、投資金額はそれほど伸びていない。これは、レンタル工場へ進出する中堅中小企業が増えているためである。また、ベトナム企業が運営する工業団地であっても、日系の代理店が進出をサポートするなど、製造業での進出が容易になっている点も理由として挙げられる。
 ②チャイナプラスワン戦略の候補として北ベトナムが選ばれることが多い。これは、中国・華南地域のサプライチェーンを活用できるためである。ただ、逆に言えば、華南から部品を調達することができるため、北ベトナムにおける現地調達率は低い水準にとどまっている。
 ③北ベトナムは東西経済回廊を通じてバンコクと陸路でつながっており、所要日数も2~3日にすぎない。ただし、タイからベトナムへの貨物は多数あるが、ベトナムからタイへの貨物が少なく、片道の輸送コスト分をもう一方に転嫁せざるを得ない。そのため、輸送コストは海路を利用した場合の倍近くになる。なお、海路の場合、タイのレムチャバン港と北ベトナムのハイフォン港を結ぶにはインドシナ半島を経由する必要があるため、10日以上かかる。
 ④二人っ子政策などによる少子化や晩婚化の影響を受け、日本を上回るペースで少子高齢化の時代が訪れると予想される。2015年には、早くも人口構成の変化が人口オーナス期に突入している。
 ⑤ベトナム南部の気質として、「貯蓄をするよりも給料はその月のうちに使い切る」というものがある。また、見えを張る気質もあり、日本と同水準の家電製品がよく売れている。笑い話として、ベトナムでは来客に見せびらかすために、冷蔵庫を玄関に置いているという話もある。

 <カンボジア>
 ①舗装されているのは国道のみであり、民家から国道へ出るためには未舗装の道路を通らなければならないため、わずか数キロを通勤するのに1時間から1時間半を要するケースもある。
 ②カンボジアの教育水準は低い。ワーカーとして雇用する労働者には小学校の途中退学者が多く、文字が読めない、計算ができないといった状況に加え、トイレの使い方が解らない者などが多くいるのも現実である。
 ③プノンペンとホーチミンは南部経済回廊で結ばれているが、プノンペンからホーチミンは、メコン川を利用した水上輸送の方が3分の1程度のコストで済む。

 <ラオス>
 ①ラオスにはビエンチャンとサワンナケートに工業団地があるが、2015年7月、南部のパクセーある工業団地が日系中小企業専用の経済特区として指定された。ラオスは労働力人口が少ないため、大企業が1社でも進出すると周辺の労働力が大企業に吸い上げられてしまう。中小企業が人材の流出を食い止めようと賃金を大手の水準に引き上げれば、労働コスト面のメリットがなくなってしまう。こうしたリスクを回避するための策である。
 ②ラオスに工場が設立されれば、タイに出稼ぎに出ているラオス人が戻ってくるとラオス政府や工業団地は主張する。しかし、そもそもタイに出稼ぎに出ているラオス人は高給を求めてタイに行っているわけだから、賃金水準の低いラオス国内に出稼ぎ先を変える必要性は薄い、という見方も存在する。
 ③ラオスに工場を設立すれば、言語・文化的に近いタイからマネジャーを連れてくることができると言われることも多い。しかし、ラオスの工業団地に隣接しているタイの都市は地方都市であり、有名大学が多くホワイトカラーを輩出できるバンコクからは遠く離れているのが実情である。

 <タイ>
 ①2013年以降、製造業の新規進出には一服感がある。これは、インラック政権が2012年に実施した「ファーストカー減税」(初めて自動車を購入する人に最大10万バーツの物品税還付を行うという施策)により、需要が先食いされたためである。一方で、2013年以降は、タイの国内市場をターゲットとした各種消費財や食品の販売、外食チェーン、IT関連、不動産開発といった物販、サービス関連の日本企業の進出が多くなっている。
 ②タイに進出する飲食店は、タイ市場を「甘く見すぎている」。バンコク市内の日本食レストランを数件視察し、タイ人客で繁盛する様子と、それほどレベルが高くないように見えるサービスや料理を目にして、「これなら自社の方がよいサービスと料理を提供できる」と思ってしまう。タイ人は新しいもの好きなので、視察時にその飲食店がたまたま繁盛していただけかもしれない。タイに進出する際には、日本で出店するのと同様に、入念な調査と準備を行う必要がある。
 ③現地事情を知り尽くしたタイ企業は、日本の主要プレイヤーを分析した上で、タイでヒットする可能性が高いと認めた日本レストランを戦略的に「一本釣り」している。タイ側からアプローチを受けたことがない企業は、タイ進出を決める前に、タイ企業からどう思われているのか(そもそも知られているのか)、ビジネスモデルに問題がないか、改めて考えてみる必要がある。

 <ミャンマー>
 ①ミャンマーは現在もアメリカの制裁対象国である。ミャンマーの財閥などと提携を検討する際には、「SDN(Specially Designated Nationals and Blocked Persons List)リスト」の対象者となっていないかを確認する必要がある。
 ②バンコクから東西経済回廊を利用してメソート、ミャワディ、ヤンゴンへと至る陸路を走破するには、約4日(約960㎞)で十分である。海路の場合、マレー半島を迂回する必要があり、約21日かかる。ミャンマーはインド、中東へ進出するための重要な国である。ただ、ヤンゴン港は河川港で水深が浅く、大型船の乗り入れができないという難点を抱えている。
 ③そこで日本は、タイが開発を進めていたダウェーSEZへの参画を決め、ダウェー港の開発に注力している。ダウェーは深海港の開発が可能である。ダウェー港が完成すれば、マラッカ海峡を通らずにインド洋に進出できる。なお、バンコクとダウェーは、南部経済回廊で結ばれている。
 ④中国は、チャオピューを輸出入拠点とすべく港湾開発を進めている。2013年秋には、マンダレーを通り、ミャンマー国境のムセ~中国国境の瑞麗、雲南省の昆明を通過し、広西チワン族自治区の貴港市までに至る全長約2,800kmのガスパイプラインが完成した。また、原油パイプラインも並走している。中国にとっても、マレー半島を大きく迂回し、マラッカ海峡を通る海上輸送ルートはリードタイム面で課題となっており、パイプラインによって物流レベルが数段改善される。
 ⑤笑い話だが、文房具も輸入に頼っており、同じ店で同じ種類のものが手に入るとは限らない。書棚のファイルを種類・色で分類するのも一苦労である。

 <フィリピン>
 ①フィリピンの労働力人口は2075~80年まで増加すると予想されている。一方、ベトナム、インドネシアの労働力人口は、2030~35年がピークである。
 ②フィリピンは、他のASEAN諸国に比べて、基本給の上昇率が低く、またストライキの発生件数も少ないので、労働環境は非常に安定している。
 ③BPO(Business Process Outsourcing)で経済が発展したが、反面製造業が弱く、裾野産業が育っていない。そのため、現地調達率が28.4%(2014年)と著しく低い。現地調達率を上げるには、現在部品を輸入している中国の珠江デルタから、いかにしてサプライヤーにフィリピンへ進出してもらうかがカギとなる。

 <インドネシア>
 インドネシアの主要経済拠点は以下の5つである。
 ①ジャカルタ=インドネシア経済はジャカルタ一極集中である。インドネシアに進出した日系企業は2014年半ば時点で1,700社と言われるが、その9割がジャカルタおよび近郊に立地している。
 ②スラバヤ=ジャカルタから東1,000kmに位置する人口第2の都市である。日系企業は100社ほど進出しているが、近年はスラバヤに第2工場を開設する製造業が増えている。インドネシア西部商圏向けはジャカルタ工場で生産し、インドネシア東部商圏向けはスラバヤ工場で生産するケースが見られる。
 ③スラマン=ジャワ島中部沿岸に位置する、中ジャワ州の州都。最低賃金はジャカルタより3~4割程度低く、工場用地も半額近い。日系企業は30社弱が進出している。近年、インドネシア全体の賃金上昇を受け、地場縫製メーカーがジャカルタからスラマンに移転するケースが多い。
 ④バタム島・ビンタン島=シンガポールから20km、フェリーで約1時間の島である。1970年代より保税加工区に指定され、政策的にシンガポールより多数の工場が移転された。日系企業も、労働集約型の電子部品メーカーなどを中心に、ピーク時には100社近くが進出していた。だが、最低賃金がジャカルタ並みであり、近年の賃金上昇を受けて、ベトナムへ生産機能を移管するケースが見られる。現在の日系企業数は50社弱である。
 ⑤バンドン=ジャカルタの東200㎞の高原地帯に位置する。バンドン工科大学、インドネシア教育大学などがあり、学園都市としても有名である。地場の大手縫製メーカーや大手食品メーカーが立地している。日系企業の進出は、自動車部品、縫製、ガラス加工など数十社にとどまる。

 <インド>
 ①タミルナドゥ州とその州都チェンナイは、日本企業からの投資が多く、日系企業の進出数が最も多い地域である。チェンナイは「インドのデトロイト」と呼ばれる。日系企業の中には、チェンナイにグローバル部品調達拠点を作る完成車メーカーやサプライヤーがある。インド南部の問題は、JETROが州政府と覚書を締結した日系専用工業団地がなく、工業団地が不足していることである。
 ②グジャラート州(州都:アーメダバード)は天然資源が多く、石油化学系の企業が集積している。また、インドの中では電力、水の供給面で進んでいる。スズキの鈴木修氏は、「グジャラート州は電気が余っている。工場立地としてはナンバーワン」と語っている。企業誘致にも積極的であり、モディ首相が州首相を務めていた当時、タタモーターズの誘致に成功している。今後、日系の自動車関連企業の参入が増加すると見込まれている。
 ③国産主義を貫いてきたインドでは、エネルギー、鉄鋼、化学など基幹産業の集積が進んでいる他、自動車や機械産業の裾野産業が発達している。よって、日本企業がインド市場に参入する場合、日本企業にとっての競合先が地場企業となるケースが多く、価格面で厳しい競争を強いられる。
 ④モディ首相が率いるインド人民党のマニフェストには、「総合小売業種の外資参入禁止、中小小売業者の保護」が明文化されており、小売業については今後のさらなる規制緩和は期待できない。
 ⑤インドには29州、7連邦直轄地があり、それぞれの州・直轄地が税制を導入し、州をまたいだ流通には中央販売税(CST:州またぎ税)が課せられるなど、税制・流通の煩雑さが参入障壁の1つとなっている。そこで、まずは特定の州をターゲットとし、小さく事業を始めるのが現実的であると思われる。

中島敬二『インドビジネス40年戦記』


インドビジネス40年戦記インドビジネス40年戦記
中島 敬二

日経BP社 2016-04-01

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 著者の中島敬二氏は住友商事出身である。1975年からインドとの取引に関わり、スズキ自動車がインドに設立したマルチ・ウドヨノ(現マルチ・スズキ)については、立ち上げ期から支援を行った。1998年からインド住友商事社長を務めた。2004年に定年退職したが、2006年には住友商事が出資するインド企業の再建を依頼され、同社取締役としてインドに赴任している。トータルで約40年にわたりインドビジネスに携わっているインドのエキスパートである。

 海外ビジネスに詳しい方々が口を揃えて言うのは、「インドは肌に合う人と合わない人がはっきりと分かれる」ということである。インドの文化や国民性にすっかり惚れ込んで、インドでの仕事が大好きになる人がいる一方で、水を飲めば下痢になり、食事を食べても口に合わず、一刻も早く日本に帰任したいと本社に懇願する人もいるようだ。中島氏は前者の中でも強者の部類に入る。

 以前の記事「清好延『インド人とのつきあい方―インドの常識とビジネスの奥義』」でも書いたが、インド人は他人、特に友人との距離が非常に近く、男性同士でも手をつないで歩くことがあるという。これは本当なのかと半信半疑だったが、本書にも次のように書かれていたので、どうやら真実のようだ。
 K会長はこう言ってくれた。「多くのインド人や外国人が私に接近する。だが、そのほとんどはビジネス上の付き合いである。君は若いけれど、私の親友だ。A friend in need is a friend indeedという言葉を知っているかい?今後君に困ったことが起こったら、どんな問題であろうとも私はあなたを助ける」と。K会長は「日本の弟」と私を呼ぶようになった(彼と私とはインドではよく手を繋いで歩いていたが、お互いにホモではないことを念のため申し添えておく)。
 ここからはインドの話からは外れる。商社のビジネスは、言い方は悪いが、モノを右から左へ流すビジネスである。顧客からすれば、間に商社が介在している分だけ、高い価格を払わされることになる。そこで、顧客はメーカーとの直接取引によって、コストカットをしたいと考えるようになる。商社は常に中抜きをされるリスクにさらされている。そのリスクを巧みに回避し、さらに顧客に対して商社ならではの付加価値を提供できる人が商社の世界で生き残っていくに違いない。
 3回目のF氏(※日本の自動車関連会社X社との合弁を計画していたN社の社長。住商はX社とN社を仲介していた)の来日時、彼を東京でアテンドし、X社へ送り出したところ、X社の課長から、「F氏は住商抜きで取引をしたいと言っているよ」との電話がかかってきた。私は普段は冷静で温厚な人間だと自認していたのだが、このときばかりは怒り心頭に発し、机に置いてあったF氏から貰った土産を叩き潰した。

 翌日彼は再び住友商事本社を訪れた。本部長が海外出張中だったので、私は本部長室を借りて、1人で彼と対峙した。彼が入室するなり、私は彼を睨み、そして私は厳しい態度で言った。「当社抜きの直接取引を申し出たとの話を聞いたが本当ですか?もし本当なら、大変遺憾な話です。今すぐこの部屋から出て行ってください。私は約束を守らない会社とは関わりたくない。当社の本部長の名代として貴方にはっきり申し上げる」と。
 ブログ本館の記事「安土敏『スーパーマーケットほど素敵な商売はない』―一度手にした商圏を”スッポン”のように手放さない執念、他(続き)」で、製造業と流通業の価値観の違いについて書いた。製造業の価値観は、自社の得意技術を活かして、特定分野の製品を極め、それを広く市場に広めようとする。製造業が重視するのは、その製品の「市場シェア」である。一方、流通業の価値観は、特定の顧客を極めることである。つまり、顧客のニーズを幅広くつかみ、かつ深堀して、「あの企業にお願いすれば手に入らないものはない」と思ってもらえるように製品・サービスを揃える。だから、流通業は「ウォレット・シェア」を重視する。

 強い商社マンというのは、単に手持ちの製品を横流しするだけではなく、顧客が無理難題を言ってきても、世界中のネットワークを活かして、顧客がほしがる製品・サービスをありとあらゆる手を使って(もちろん合法的に)調達できる人のことを指すのだろう。顧客のことが好きで好きで仕方なく、顧客を喜ばせたい一心で顧客のために何でもしてあげられる人が、商社や流通業には向いている。

 流通業の中には、特定メーカーの系列に組み込まれていて、顧客からの受注情報をメーカーに伝えるだけの存在になっているところもある。今はそれでよいのかもしれないが、仮に顧客が力を持ち始めて、「メーカーとの直接取引をしたい」とプレッシャーをかけるようになれば、きっと流通網は崩壊する。また、「もっと製品・サービスの選択肢がほしい」という声が大きくなれば、系列関係が崩れ、多様なメーカーの製品・サービスを扱う流通業者が出現するに違いない。

 私は、どちらかと言うと製造業の価値観に近い。自分の得意分野に磨きをかけて、質の高いコンサルティングや研修・セミナーを提供したいと思う。もちろん、私も顧客の役に立ちたいと思って仕事をしている。だが、いくら顧客がほしがっているからといって、自分があまりよく知らない製品・サービスまで探し出して紹介しようとは思わない。私のような人間が総合商社に入社していたら、真っ先に出世競争から脱落していただろう。むしろ、今の仕事の方が性に合っている。

安西明毅、小山洋平、中山達樹、塙晋、栗田哲郎『アジア労働法の実務Q&A』


アジア労働法の実務Q&Aアジア労働法の実務Q&A
安西 明毅 小山 洋平 中山 達樹 塙 晋 栗田 哲郎

商事法務 2011-11

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 小山洋平氏が書いたインド労働法に関する章だけ読んだ。以前の記事「久野康成公認会計士事務所、株式会社東京コンサルティングファーム『メキシコの投資・M&A・会社法・会計税務・労務』」でメキシコのユニークな労働法に触れたが、インドにもインド特有の規定がある。
 労働紛争法25G条は、ワークマンを普通解雇する場合、使用者との間で別段の合意が存しない限り、使用者は、原則として、そのワークマンが属する部門において最後に雇用された者を解雇すべき旨規定する(「last come first goルール」)。したがって、使用者の判断により普通解雇の対象とする者を選択することはできない。
 ワークマンの定義については、インド求法記「インド労働法解説その2-「workman」と「non-workman」-」(2008年7月23日)を参照。最後に雇用された者から順番に解雇するとは、なかなか厳しい規定だと感じた。普通解雇(インドでは普通解雇と整理解雇は区別されていない)は、企業の業績悪化などを理由として行われるわけだが、私なりに解釈すると、経営者が第一義的に責任を負うことはもちろんとして、社員にも業績に対する一定の責任を負担させることだと言える。だとすれば、社歴が長い社員ほど業績に対する責任は重いと考えるのが通常であろう。ところが、インドではそれが逆になっている。

 最後に雇用された者というのはたいてい若手社員であるから、last come first goルールは、若者から順番に解雇するという規定とも解釈できる。若者から順番に解雇する企業は、大体その後ロクなことにならない。社内では、「もっと先に首を切られるべき人が上の職位にはいるのではないか?」という猜疑心が生まれる。若手社員は給与が低いため、業績回復のために普通解雇をするのであれば、若手社員を多く解雇しなければならない。すると、社内からごっそりと人がいなくなる可能性もあるわけで、残った社員は精神的に動揺する。

 私の前職のベンチャー企業では、業績不振を理由に大小様々なリストラを行った。そのうちの1回は、私が業績の数字を分析して、このままではとても会社が持たないからリストラすべきだと経営陣に直訴して行われたものである。その時の私はあまりに若すぎたので、リストラ候補者の一覧に、若手社員をたくさん入れてしまった。リストラ後に残ったのは、30代後半~50代の管理職ばかりで、一般社員が私ともう1人の2人だけという、非常にいびつな組織になってしまった。

 管理職の人たちは、以前から経営方針をめぐってしばしば対立していた。しかし、若手社員が一定数いたことで、彼らが一種の緩衝材の役割を果たしていた。それが急に消えたものだから、社内の雰囲気は最悪と言う言葉では足りないくらいに最悪なものになってしまった。このリストラは私にとって失敗だったし、私の余計な進言によって離職を余儀なくされた人には申し訳なく思っている。

 以上のような厳しい規定がある一方で、こんな規定もある。
 労働紛争法25H条は、ワークマンが普通解雇された場合において、使用者が新規採用を行なおうとする場合、普通解雇されたワークマンに対して再雇用する機会を提供しなければならず、かつ、そのワークマンは他の者に優先する旨規定する。
 インドでは、普通解雇したワークマンの出戻りをOKにしている、というかOKにしなければならない。日本の場合、転職する理由の第1位は職場における人間関係の悪化であると言われる。だから、転職した人が元の企業に戻ることはなかなか考えづらい。ましてや、自分を解雇した企業に戻りたいと考える人は、日本だったらよほどの変わり者と見なされるに違いない。私がいた前職のベンチャー企業を解雇された人で、もう一度あの会社で働きたいと思う人は皆無であろう。

 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビューのどの論文だったか忘れてしまったが(後で調べておきます)、社員の離職率を下げるには、(結婚・出産以外の理由で)一度退職した人をもう一度採用するのが有効である、と書いた論文があったと記憶している。他の企業からの転職者が離職してしまうのは、仕事に慣れることができなかった、新しい職場での人間関係が上手く構築できなかった、入社前の期待と現実とのギャップが大きすぎた、などの理由が考えられる。

 その点、以前その企業に勤めていた人であれば、仕事や人間関係にもある程度慣れているし、その企業の酸いも甘いもよく知っている。それに、一度辞めた自分を再び雇用してくれたのだから、もう次は会社を裏切ることができないと感じる。そのため、離職率が下がるというのがその論文の内容であった。普通解雇された人で、再び同じ企業で働くことになったインド人がいたら、一体どういう気持ちで仕事をしているのか是非聞いてみたいものだ。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

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