月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]月刊正論 2018年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2018-09-01

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 北朝鮮は、核ミサイルを持たなかったリビアのカダフィ体制がアメリカによって崩壊したのを見て、体制維持のために核ミサイル(ICBM)を開発したと言われる。しかし、北朝鮮という小国が数十発程度ICBMを開発したところで、アメリカにICBMを撃ち込めば、世界最大の核保有国によって簡単に国ごと葬り去られるのは自明である。あくまでも北朝鮮にとってICBMは、韓国から在韓米軍を撤退させ、将来的に南北統一を実現させるための外交カードにすぎない。また、アメリカも核先制不使用の方針を墨守している。よって、北朝鮮もアメリカも、自らが最初に核ミサイルを使用する気はさらさらない。

 北朝鮮が昼夜問わず弾道ミサイルを発射する中、常時警戒する態勢を整えるために、日本政府がアメリカの新型迎撃ミサイルシステムである「イージス・アショア」の導入を決定したのは2017年である。だが、配備には5年かかるという。トランプ大統領と金正恩第一書記があれだけの舌戦を繰り広げていて、まるで明日にでもミサイルが日本に発射されるのではないかという雰囲気があったことを考えると、この配備スケジュールはあまりにものんびりしている。要するに、北朝鮮は本気で日本にミサイルを撃ち込むつもりなどなかったのである。防衛省は、アメリカから「お買い物リスト」を見せられて、アメリカから言われるがままに迎撃ミサイルシステムを導入したというのが実態であろう。

 中国と日本の関係も同様である。本号では、キヤノングローバル戦略研究所研究主幹の宮家邦彦氏が次のように述べていた。
 外務省の役人時代、日本のミサイル防衛をめぐって在日中国大使館の館員から「わが国を敵視するもので、緊張感を高める」と抗議を受けたことがあった。私が「中国は日本にミサイルを撃つ気でもあるのですか?ミサイル防衛は日本にミサイルを撃つ気のない国にはまったく影響ありません。貴国は日本にミサイルを撃とうなんて考えていないでしょうから、心配する必要はありませんよ」と答えたら、その外交官は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていたことを思い出す。
(宮家邦彦「スパイ防止法は世界の常識」)
 防衛省はやはり2017年に、戦闘機に搭載する長射程の空対地ミサイルの導入に向け、準備経費を2018年度予算案に計上した。導入するのは、ロッキード・マーチンの「JASSM」と「LRASM」の2種類に加えて、ノルウェー企業の「JSM」というミサイルになる予定である。これらのミサイルは敵の攻撃を受けにくい地点から発射できるのが特徴で、東シナ海で活発化する中国軍の動きを牽制するのが狙いである(射程が1,000kmあるため、北朝鮮にも届く)。

 一方、複数の見方があるが、中国が尖閣諸島を奪取するのは2020年まで、または2020年からの10年間、あるいは2035年から2040年代にかけてとされる。仮に中国が最短の奪取計画を採用した場合、JASSMなどの戦闘機への搭載は2020年には間に合わない。だとすると、実は中国は本音では2020年までに尖閣諸島を奪取しようとは思っておらず、中国の宣言に慌てた日本がアメリカにそそのかされてミサイルを買ってしまったのではないかと考えてしまう。

 このように、日本の防衛はどこかスケジュール感がずれており、「本当に使えるのか?」といった類のものを導入しているように見える。現在、世界ではどの地域でも紛争が発生しそうな雰囲気がある。しかし、その紛争の行方を握っているのは、依然としてアメリカである。アメリカのさじ加減1つで、世界で紛争が起きるか否かが決まる。トランプ大統領は元来平和主義者であると言われており、言葉遣いこそ荒いものの、内心では紛争を望んでいない。だから、トランプ大統領がいる限り、世界では大規模な紛争が起きる可能性は低いと思われる。

 日本はそれがよく解っていないので、平和主義者だが軍需産業の強いロビー活動によってやむなく軍需産業を活性化しなければと考えているトランプ大統領によって、日米同盟を道具に、アメリカの最新武器を買わされている。私は、当面世界で大規模な紛争が起きる可能性が低い今だからこそ、アメリカ軍需産業のお得意様に成り下がっている場合ではなく、憲法改正をしっかりと行って、自衛隊の位置づけを憲法上で明らかにするべきだと考える(ブログ本館の記事「『正論』2018年10月号『三選の意義/日本の領土』―3選した安倍総裁があと2年で取り組むべき7つの課題(1)」を参照)。

 ところで、先ほどの宮家邦彦氏は、「スパイ防止法」を日本でも早く制定するべきだと主張していた。日本は昔からスパイ天国であった。『致知』2018年10月号の中西輝政氏の記事によると、関東大震災の時にはアメリカのスパイが大量に日本国内に流入していた。ロシア革命時のソ連の救援団の中にもスパイが紛れ込んでいた。驚くべきことに、日米野球で来日したベーブ・ルースの捕手を務めた選手もアメリカのスパイだったという。

致知2018年10月号人生の法則 致知2018年10月号

致知出版社 2018-09


致知出版社HPで詳しく見る by G-Tools

 ただ、樋田淳也容疑者ごときに大阪府警富田林署の脱走を許し、48日間もの間捕まえられなかった日本警察に、外国のスパイの取り締まりができるとは到底思えない。私はブログ本館の記事「『正論』2018年8月号『ここでしか読めない米朝首脳会談の真実』―大国の二項対立、小国の二項混合、同盟の意義について(試論)」で、対立する大国に挟まれた小国が一方の大国と同盟を結んでその国の庇護下に入り、もう一方の大国と対峙するという関係はもう時代遅れなのではないかと書いた。仮想敵国が流動的に変化しうる可能性のある時代においては、伝統的な同盟関係は通用しにくい。

 私は、対立する双方の大国の政治、経済、社会、軍事の特徴を小国にオープンかつ柔軟に流入させ、小国が独自の国家システムを構築することで、どちらの大国に対しても、自国は味方なのか敵なのか解りにくくさせることが、小国の新しい戦略的ポジショニングになると考える。大国からすると、小国の本音が解らないので、簡単には手出しができない。それが小国にとっての抑止力になる。私はこれを今のところ「ちゃんぽん戦略」と呼んでいる。桑田佳祐氏が「いいひと~Do you wanna be loved?」という曲の中で、「あっち向いて”いい顔” こっち向いてニコッ!! アンタは本当に”いいひと”さ 曖昧 中庸 シャイ 気まぐれ そんなニッポンの"お家芸”が好きかい!?」と当時の民主党政権を揶揄していたが、私は小国日本はむしろこの態度を貫徹するべきだと思う。

 軍事に関しては、いっそのことスパイにやりたい放題させればよい。現在でも、アメリカは絶対に認めないものの、エシュロンを通じて日本の全ての情報を傍受しているし、おそらく中国のスパイも多数日本に潜り込んでいる。

 まず中国のスパイが日本でアメリカの対中戦略情報を入手する。そのまま中国に持ち帰られる情報もあるが、日本国内の中国人スパイがその対中戦略情報を活用して、日本国内で対米戦略を練ることもあるだろう。すると次は、アメリカのスパイがその対米戦略情報を入手する。そして同様に、日本国内で対中戦略を練り直す。これを繰り返していけば、中国もアメリカも常に相手国に対する戦略をアップデートしなければならず、いつまでも日本ないしは相手国への攻撃に踏み切ることができない。情報が固定的である方が、合っているかどうかは別として、何らかの仮説に基づいて戦略の実行に踏み切られるリスクが大きい。

 最後に、集団的自衛権と集団安全保障について述べておく。古是三春氏は元陸上幕僚長の冨沢暉氏の『軍事のリアル』から以下の文章を紹介している(孫引きになることをご容赦いただきたい)。
 「本来戦闘を目的とせぬPKOに参加しながら、やむを得ず戦闘する場合がある。実はこれが集団安全保障における武力行使であり、明らかに自衛とはいえぬ武力行使である。・・・これらは各国独自の権限に属するものではなく、『世界の秩序維持機構たる国連』の要請に応じての義務遂行にあたるもので、不戦条約や憲法第9条が禁止する武力行使とはまったく系列を異にする」
(古是三春「敵地攻撃能力 当たり前の”自衛”がなぜできない」)
 私もまだ十分に理解しきれていないのだが、憲法9条が定めているのは自衛権のことであるのに対し、集団安全保障は国連憲章に定められた国連加盟国の義務であり、国際法上、国連憲法は各国の憲法よりも上位に位置するから、各国は集団安全保障の義務を負わなければならないということである。

 2015年の安保法制によって、憲法9条の下で集団的自衛権が認められた。文言上は従来の個別的自衛権に毛が生えた程度にすぎない。しかし、運用の段階になって、アメリカの都合のよいように解釈され、アメリカが日本から遠く離れた地域で引き起こした紛争であっても、放っておけば日本に危険が迫ると言われて自衛隊が出動させられる恐れがある。私は、それは安保法制で定めた集団的自衛権の範囲を大きく逸脱しているから、国会が歯止めをかけるべきだと考える。あくまでも集団的自衛”権”であって、集団的自衛”義務”ではない(ブログ本館の記事「『世界』2018年9月号『人びとの沖縄/非核アジアへの構想』―日米同盟、死刑制度、拉致問題について」を参照)。

 ただ、これが集団安全保障となると話が違ってくる。集団的安全保障とは、ある国連加盟国が、別の国から不法な攻撃を受けた場合には、その他の国連加盟国が一致団結してその被害国を支援するという考え方である。その支援とは、実際の軍事的な行動を指す場合もあれば、救援物資や資金の援助にとどまることもある。日本は「憲法で武力行使を禁じている」という立場から、今まではPKOにとどまっていたが、仮に憲法9条と集団安全保障が別物という考え方に立つならば、日本の立場は通用しないことになる。日本の憲法が武力行使を禁止していようが、日本が国連に加盟している以上、集団安全保障の義務を負うのは当然であり、武力行使の要請に対してNOとは言えない。

 以前、ブログ本館の記事「『正論』2017年11月号『日米朝 開戦の時/政界・開戦の時』―ファイティングポーズは取ったが防衛の細部の詰めを怠っている日本」で、日本の自衛隊は邦人救出はできないのに、安保法制によって駆けつけ警護が可能になったのはおかしいと書いてしまったが、邦人救出は自衛権の話であるのに対し、駆けつけ警護は集団安全保障の話であり、両者を混同していたと反省した。私は、アメリカに振り回されて自衛隊を紛争地に派遣するのには反対だが、国連加盟国である以上、国連の要請には応える義務があると考える。それでも、憲法で武力の行使を禁止しているという理由で、自衛隊を紛争地へ送り込むことに反対するならば、日本は国連を脱退するしかない。