ウォー・フォー・タレント ― 人材育成競争 (Harvard Business School Press)ウォー・フォー・タレント ― 人材育成競争 (Harvard Business School Press)
エド・マイケルズ ヘレン・ハンドフィールド=ジョーンズ ベス・アクセルロッド マッキンゼー・アンド・カンパニー

翔泳社 2002-05-18

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 16年前の本を今さらながら読んでみた。「ウォー・フォー・タレント」というタイトルからすると、優秀な人材を企業間で奪い合うかのようなイメージがある。実際、昨今のシリコンバレー企業やウォールストリートの金融機関は、各大学の優秀な人材(特に理系の学生)を囲い込んで圧倒的な競争力を実現しようとしており、それが企業間の業績格差の拡大、ひいてはアメリカ人の賃金格差の拡大につながっていると言われる。Googleは本社まで社員を乗せる無料の送迎バスを走らせているのだが、Googleの社員が金持ちになり、本社周辺の土地や家賃が値上がりしてしまった結果、昔からその土地にいた人が住めなくなったとして、送迎バスに対して抗議のための投石をするという事件も発生している。

 だが、本書は優秀な人材を外部から奪うというよりも、内部のマネジャーをいかにして育成するかに焦点が当てられているように感じた。だから、サブタイトルも「人材”獲得”競争」ではなく、「人材”育成”競争」になっているのだろう。日本企業では、最近になってようやく経営者のサクセッションプラン(後継者育成計画)を作成し、優秀な若手社員を選抜して特別な幹部候補育成プログラムを受講させるようになった。しかし、その対象はせいぜい数十人程度にすぎない。

 本書で紹介されている企業の取り組みはもっと大がかりである。すなわち、社内の300~500の重要なポジションについて、その役職に就いているマネジャーの育成方法を検討するのである。しかも、こうした仕事を人事部に丸投げせず、CEOが直接関与する。このマネジャーの仕事ぶりや業績はどうなっているのか、このマネジャーに必要なトレーニングは何か、このマネジャーに対してどのようなフィードバックを与えるべきか、このマネジャーが次に就くべきポジションは何か、このマネジャーの候補者には誰をあてるのかといったことを、300~500のポストについて、全社の関係者を集めて逐一議論する。

 この点を理解するには、アメリカ企業の人事部の特徴を把握しておく必要がある。本社人事部が絶大な権限を握る日本企業とは異なり、アメリカ企業の本社人事部の権限は限定的である。給与計算、福利厚生、全社共通の基礎的な研修ぐらいしかやることがない。一方、採用、育成、配置、異動、評価、報酬に関する権限は、それぞれの事業部門内の人事部にある。事業部門は各地に散らばっているため、全社的に人材育成を検討しようと思ったら、CEOが各地から事業部門やライン人事部のマネジャーといった関係者を招集しなければならない。

 では、マネジャーを育成するとはどういうことだろうか?マネジャーの仕事とは文字通りマネジメントなのだが、このマネジメントというピーター・ドラッカーの発明品は、必ずしも人々に十分に理解されているとは言えない。私の前職の企業は、組織・人事コンサルティングと教育研修サービスを提供するベンチャー企業で、研修サービスの中にはリーダー育成研修があった。人事担当者にリーダー育成研修を提案したところ、「我が社のマネジャーはリーダーシップ以前にマネジメントができていない」という声を随分といただいた。では、この人事担当者がマネジメントの何たるかを適切に理解していたかというと、私には疑問であった。

 私は、マネジメントを、まずは「タスク関連の仕事」と「人間関係の仕事」の2つに分ける。さらに、この2つを短期的な視点と中長期的な視点で見る。短期的なタスク関連の仕事とは、上司から伝わってくる戦略、計画、目標を自部門の目標に落とし込み、その目標を達成するためにPDCAサイクルを回すことである。中長期的なタスク関連の仕事とは、マネジャーやその部下が日々個別具体的な顧客に接する中で潜在的なニーズを見出し、新しい戦略の形成に貢献するようなアイデアをまとめ、上司に提案することである(現場やミドルマネジメントが構想するボトムアップの戦略を、ヘンリー・ミンツバーグは創発的戦略と呼んだ)。

 短期的な人間関係の仕事とは、部下の能力を把握し、適材適所を実現し、部下を訓練し、部下を動機づけ、部下にフィードバックを与えることである。中長期的な人間関係の仕事とは、端的に言えば部下のキャリア開発を支援することである。企業の中長期的な方針と、部下本人の価値観、経験、能力から導かれるキャリアビジョンを擦り合わせて、可能な限り双方のニーズを満たすことができるような今後のキャリアパスをともに検討し、マネジャーはその実現をサポートする。時には、部下の私生活のニーズを考慮し、私生活に関する相談にも乗る。

 そして、この4つの仕事の前提条件として、マネジャーは自社の価値観を十分に理解していなければならない。マネジメントとは、この価値観に基づいてPDCAサイクルを回し、新しいビジネスのアイデアを創造し、部下をマネジメントし、キャリア開発を支援することである。本書で紹介されている企業は、こういうマネジメントをマネジャーに徹底させている。CEOはマネジャーの育成に相当の時間を割く。勤務時間の3割はマネジャー育成に使っているというCEOも珍しくない。

 日本企業の場合、日常業務の内容をマニュアル化していることは多いものの、そこに自社の価値観が適切に反映されているケースはまだまだ少ないと思う。まして、中長期的なアイデアの創出や、人材マネジメント、キャリア開発支援のやり方について、自社の価値観を十分に踏まえた上でドキュメント化している企業は少数派だろう。さらに言えば、文書化するだけでは不十分であり、それがマネジャーの血となり肉となるほどに徹底的に染み込ませている企業となると、もはや数えるほどしかないのが現状ではないだろうか?

 日本の場合、上位のマネジャーになるほど教育や評価の機会が減るという問題がある。DISCO「「社員研修に関するアンケート」結果」(2013年6月)によると、新入社員研修を実施している企業は95.5%、中堅社員教育/管理職前教育(若手研修と言ってよい)を実施している企業は59.7%であるのに対し、初級管理者教育は38.3%、中級管理者教育は27.2%、上級管理者教育は17.3%と、マネジャー向け研修の実施率は上位層になればなるほど低くなる。もちろん、研修が育成の全てではないが、研修実施率の低さは、人事部がマネジャー育成の必要性をあまり感じていないことの表れととらえてよいだろう。

 評価に関しても、やや古い論文になるが、松繁寿和、梅崎修、中嶋哲夫「人事評価の決定過程:企業内マイクロデータによる分析」(2002年6月14日)によれば、一般社員の評価は2段階の調整を行っているのに対し、マネジャーの評価は実質的には1段階の調整で終了してしまい、一般社員よりも評価が手薄になっているという。一般社員の場合、上にたくさんの階層があるから評価も多段階になるが、マネジャーの場合は相対的に上にある階層数が少なくなるため、評価の密度が下がるということは考えられる。ただ、それよりも、普段は一般社員を「評価する」立場にあるマネジャーが、いざ自分自身が「評価される」側になると、評価されることを嫌うという心理が働いているのではないかと推測する。

 アメリカ企業は、大量のマネジャーの人材育成について議論するために、マネジャーの性格、特性、価値観、能力、知識、職歴、経験、過去の評価情報、将来のキャリア志向など多面的な情報を一元管理するデータベースを整備している。この点でも、日本企業は遅れをとっていると言わざるを得ない。アメリカ企業も日本企業も、顧客に合わせた製品・サービスを開発・販売するために、顧客管理システムを導入している。ところが、日本の場合、それぞれのマネジャーに合わせた人材育成計画を立案するために、社員情報を統合的に管理するシステムを導入している企業となると、その割合はぐっと下がってしまう。

 もちろん、給与計算などのための一般的な人事管理システムを導入している企業は多い。しかし、キーマンズネット「人事管理/人事管理システムの導入状況(2013年)」によると、人事管理システムを導入済み・導入予定と回答した企業のうち、「タレントマネジメントの実施状況」の1位は「実施予定なし」で57.1%、2位は「興味はあるが実施予定はなし」で18.2%、3位は「実施している」で15.6%、4位は「実施に向けて検討中」で9.1%であった。

 かつて、日本企業の強みはミドルマネジメントにあると言われたことがあった。ミドルマネジャーがボトムアップダウンを繰り返すことで組織と人を動かしていた。それが戦略を実現する原動力となったし、さらに言えば創発的戦略の源泉でもあった。だが、現在の日本企業のマネジャーは弱っている。日本企業は一般社員はもちろんのこと、マネジャーの育成にもっと投資する必要がありそうだ。