トウ小平 (講談社現代新書)鄧小平 (講談社現代新書)
エズラ.F・ヴォーゲル 橋爪 大三郎

講談社 2015-11-19

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 エズラ・F・ヴォーゲルは『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者でもある。ヴォーゲルは10年以上の歳月を費やした大著『現代中国の父 鄧小平(上・下)』を発表しており、本書は同書をより面白く読むための1冊である。鄧小平は「改革開放」と呼ばれる経済政策で、現在の中国の経済的基礎を築いた人物である。本書を読むと、鄧小平は改革の進め方が非常に上手であったという印象を受ける。

 文化大革命で失脚した鄧小平が再び中国共産党に戻ってきた時、トップは華国鋒であった。ヴォーゲルによれば、華国鋒は毛沢東の路線にべったりで、政治的手腕が取り立てて高いわけではなかった。鄧小平はそんな華国鋒をすぐには引きずりおろさなかった。副総理、副主席というポストに収まりながら、他の幹部とのコンセンサス形成に時間をかけ、随分と我慢したようである。だが、それがかえってよかった。もし華国鋒を無理やり失脚させていれば、党内が不安定になり、今度は鄧小平が失脚させられるリスクを負うことになる。

 中国共産党に限らず、中国の歴史は権力闘争の歴史である。権力の座に就いた者は、自分に反する者を徹底的に排除する。もっと直接的に言えば、反対派を殺害する。身内であっても容赦しない。だが、反対派を完全に殺戮することは非常に困難である。残った反対派は時間をかけて徐々に勢力を伸ばし、今度は権力者に牙をむく。こうして、中国では権力の交代が頻発する。

 反対派を表立って殺害することが難しくなった現在では、反対派を隅に押しやることはできても、完全に消し去ることはできない(もっとも、反対派が不可解な死を遂げることは、今でも中国でよく見られるが)。反対派が潜在する限り、権力者のポストは不安定である。鄧小平は、華国鋒の批判を控え、周囲の十分な賛同を獲得しながらポストに就くことで、こうしたリスクを上手に避けたのだと思う。

 改革を実現したい者は、ややもすると焦って権力をほしがる。権力がなければ改革が実現できず、権力の獲得が将来に先送りにされればされるほど、改革の実現が遠のくことを知っているからだ。だから、革命などと言って、実力行使で権力を獲得しようとする。しかし、それは将来的に自分が革命の対象となることを予約するようなものである。改革に焦りは禁物であることを鄧小平は教えてくれる。

 党内に敵を作らなかったことに加え、国民を敵に回さないという点でも鄧小平は上手かった。毛沢東が掲げた大躍進政策は、農村を荒廃させ、多数の餓死者を出した失策であった。ところが、鄧小平は毛沢東を否定しなかった。鄧小平は、「中国のフルシチョフ」にはならないと宣言した(フルシチョフはスターリンを批判した人物である)。一方で、毛沢東の著書から、「実事求是」(現実が真理を判断する基準になる)という言葉を引いた。現実に即しながら、その時に正しいと考えられる政策を展開する、という意味である。

 大躍進政策がひどい結果をもたらしたとはいえ、毛沢東の否定は中国建国の精神の否定と同値である。これは、国民にとっては耐え難いことであっただろう。下手をすれば全国で暴動が起きたかもしれない。だから、毛沢東の精神には従うとした。ただし、大躍進政策のような失敗はもう許されない。そこで、国民にとって何がよいかをその都度柔軟に判断し、プラグマティックに政策を運営するとした。

 改革者は自分の改革プランに惚れ込むあまり、前任者のやったことを全て否定し、手柄を全て自分の手中に収めたくなる。だが、前任者の仕事を全否定すると、組織に動揺が走る。その動揺は、改革者が改革を進める上での障害となる。だから、残すべきところは残さなければならない。特に、精神的な部分で引き継ぐべきものを明らかにすることは重要である。なぜならば、組織のメンバーや国民は、その精神によって組織や国家と心理的に結びついているからである。新しいリーダーは、その精神の上にどのような具体的施策が構築できるかを検討する。

 鄧小平の経済政策の特徴に、特区の設置がある。しかし、特区という考え方そのものは、1950年代からあったようである。中国は広いので、一部で試験的に政策を実施し、それがうまく行けば全国展開する、というのが中国の常識であった。鄧小平は、中国の慣例に従ったにすぎない。生産請負制も鄧小平のアイデアとされるが、人民公社の時代に、多少目をつぶって既に実施されていたという。

 ヴォーゲルは、社会主義に自由市場経済を接合すること自体も、中国特有の現象ではないと指摘する。1920年代のソ連は、ネップ(新経済政策)として、資本主義経済を試行していた。また、ポーランド、東ドイツ、ポーランド、ユーゴスラヴィアも市場経済を取り入れたことがある。中国の取り組みは規模が大きく、成功例としても華々しいため、中国の専売特許であるかのように錯覚するだけである。

 改革者は、全ての改革プランを一から新しく考案しなければならない、という強迫概念に駆られる。誰かの借り物のプランでは、リーダーとしての有能さに疑問符がつくのではないかと考えるためである。だが、そうした恐れは杞憂である。誰かのアイデアであっても、それを実行して成果を上げられれば、メンバーはリーダーを承認する。アイデアを考えることよりも、アイデアを実行することの方に価値があることを、メンバーは意外とよく解っているものである。