こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

キャリア開発

エド・マイケルズ、ヘレン・ハンドフィールド=ジョーンズ、ベス・アクセルロッド『ウォー・フォー・タレント―人材育成競争』―人材の奪い合いではなくマネジャー育成の本である


ウォー・フォー・タレント ― 人材育成競争 (Harvard Business School Press)ウォー・フォー・タレント ― 人材育成競争 (Harvard Business School Press)
エド・マイケルズ ヘレン・ハンドフィールド=ジョーンズ ベス・アクセルロッド マッキンゼー・アンド・カンパニー

翔泳社 2002-05-18

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 16年前の本を今さらながら読んでみた。「ウォー・フォー・タレント」というタイトルからすると、優秀な人材を企業間で奪い合うかのようなイメージがある。実際、昨今のシリコンバレー企業やウォールストリートの金融機関は、各大学の優秀な人材(特に理系の学生)を囲い込んで圧倒的な競争力を実現しようとしており、それが企業間の業績格差の拡大、ひいてはアメリカ人の賃金格差の拡大につながっていると言われる。Googleは本社まで社員を乗せる無料の送迎バスを走らせているのだが、Googleの社員が金持ちになり、本社周辺の土地や家賃が値上がりしてしまった結果、昔からその土地にいた人が住めなくなったとして、送迎バスに対して抗議のための投石をするという事件も発生している。

 だが、本書は優秀な人材を外部から奪うというよりも、内部のマネジャーをいかにして育成するかに焦点が当てられているように感じた。だから、サブタイトルも「人材”獲得”競争」ではなく、「人材”育成”競争」になっているのだろう。日本企業では、最近になってようやく経営者のサクセッションプラン(後継者育成計画)を作成し、優秀な若手社員を選抜して特別な幹部候補育成プログラムを受講させるようになった。しかし、その対象はせいぜい数十人程度にすぎない。

 本書で紹介されている企業の取り組みはもっと大がかりである。すなわち、社内の300~500の重要なポジションについて、その役職に就いているマネジャーの育成方法を検討するのである。しかも、こうした仕事を人事部に丸投げせず、CEOが直接関与する。このマネジャーの仕事ぶりや業績はどうなっているのか、このマネジャーに必要なトレーニングは何か、このマネジャーに対してどのようなフィードバックを与えるべきか、このマネジャーが次に就くべきポジションは何か、このマネジャーの候補者には誰をあてるのかといったことを、300~500のポストについて、全社の関係者を集めて逐一議論する。

 この点を理解するには、アメリカ企業の人事部の特徴を把握しておく必要がある。本社人事部が絶大な権限を握る日本企業とは異なり、アメリカ企業の本社人事部の権限は限定的である。給与計算、福利厚生、全社共通の基礎的な研修ぐらいしかやることがない。一方、採用、育成、配置、異動、評価、報酬に関する権限は、それぞれの事業部門内の人事部にある。事業部門は各地に散らばっているため、全社的に人材育成を検討しようと思ったら、CEOが各地から事業部門やライン人事部のマネジャーといった関係者を招集しなければならない。

 では、マネジャーを育成するとはどういうことだろうか?マネジャーの仕事とは文字通りマネジメントなのだが、このマネジメントというピーター・ドラッカーの発明品は、必ずしも人々に十分に理解されているとは言えない。私の前職の企業は、組織・人事コンサルティングと教育研修サービスを提供するベンチャー企業で、研修サービスの中にはリーダー育成研修があった。人事担当者にリーダー育成研修を提案したところ、「我が社のマネジャーはリーダーシップ以前にマネジメントができていない」という声を随分といただいた。では、この人事担当者がマネジメントの何たるかを適切に理解していたかというと、私には疑問であった。

 私は、マネジメントを、まずは「タスク関連の仕事」と「人間関係の仕事」の2つに分ける。さらに、この2つを短期的な視点と中長期的な視点で見る。短期的なタスク関連の仕事とは、上司から伝わってくる戦略、計画、目標を自部門の目標に落とし込み、その目標を達成するためにPDCAサイクルを回すことである。中長期的なタスク関連の仕事とは、マネジャーやその部下が日々個別具体的な顧客に接する中で潜在的なニーズを見出し、新しい戦略の形成に貢献するようなアイデアをまとめ、上司に提案することである(現場やミドルマネジメントが構想するボトムアップの戦略を、ヘンリー・ミンツバーグは創発的戦略と呼んだ)。

 短期的な人間関係の仕事とは、部下の能力を把握し、適材適所を実現し、部下を訓練し、部下を動機づけ、部下にフィードバックを与えることである。中長期的な人間関係の仕事とは、端的に言えば部下のキャリア開発を支援することである。企業の中長期的な方針と、部下本人の価値観、経験、能力から導かれるキャリアビジョンを擦り合わせて、可能な限り双方のニーズを満たすことができるような今後のキャリアパスをともに検討し、マネジャーはその実現をサポートする。時には、部下の私生活のニーズを考慮し、私生活に関する相談にも乗る。

 そして、この4つの仕事の前提条件として、マネジャーは自社の価値観を十分に理解していなければならない。マネジメントとは、この価値観に基づいてPDCAサイクルを回し、新しいビジネスのアイデアを創造し、部下をマネジメントし、キャリア開発を支援することである。本書で紹介されている企業は、こういうマネジメントをマネジャーに徹底させている。CEOはマネジャーの育成に相当の時間を割く。勤務時間の3割はマネジャー育成に使っているというCEOも珍しくない。

 日本企業の場合、日常業務の内容をマニュアル化していることは多いものの、そこに自社の価値観が適切に反映されているケースはまだまだ少ないと思う。まして、中長期的なアイデアの創出や、人材マネジメント、キャリア開発支援のやり方について、自社の価値観を十分に踏まえた上でドキュメント化している企業は少数派だろう。さらに言えば、文書化するだけでは不十分であり、それがマネジャーの血となり肉となるほどに徹底的に染み込ませている企業となると、もはや数えるほどしかないのが現状ではないだろうか?

 日本の場合、上位のマネジャーになるほど教育や評価の機会が減るという問題がある。DISCO「「社員研修に関するアンケート」結果」(2013年6月)によると、新入社員研修を実施している企業は95.5%、中堅社員教育/管理職前教育(若手研修と言ってよい)を実施している企業は59.7%であるのに対し、初級管理者教育は38.3%、中級管理者教育は27.2%、上級管理者教育は17.3%と、マネジャー向け研修の実施率は上位層になればなるほど低くなる。もちろん、研修が育成の全てではないが、研修実施率の低さは、人事部がマネジャー育成の必要性をあまり感じていないことの表れととらえてよいだろう。

 評価に関しても、やや古い論文になるが、松繁寿和、梅崎修、中嶋哲夫「人事評価の決定過程:企業内マイクロデータによる分析」(2002年6月14日)によれば、一般社員の評価は2段階の調整を行っているのに対し、マネジャーの評価は実質的には1段階の調整で終了してしまい、一般社員よりも評価が手薄になっているという。一般社員の場合、上にたくさんの階層があるから評価も多段階になるが、マネジャーの場合は相対的に上にある階層数が少なくなるため、評価の密度が下がるということは考えられる。ただ、それよりも、普段は一般社員を「評価する」立場にあるマネジャーが、いざ自分自身が「評価される」側になると、評価されることを嫌うという心理が働いているのではないかと推測する。

 アメリカ企業は、大量のマネジャーの人材育成について議論するために、マネジャーの性格、特性、価値観、能力、知識、職歴、経験、過去の評価情報、将来のキャリア志向など多面的な情報を一元管理するデータベースを整備している。この点でも、日本企業は遅れをとっていると言わざるを得ない。アメリカ企業も日本企業も、顧客に合わせた製品・サービスを開発・販売するために、顧客管理システムを導入している。ところが、日本の場合、それぞれのマネジャーに合わせた人材育成計画を立案するために、社員情報を統合的に管理するシステムを導入している企業となると、その割合はぐっと下がってしまう。

 もちろん、給与計算などのための一般的な人事管理システムを導入している企業は多い。しかし、キーマンズネット「人事管理/人事管理システムの導入状況(2013年)」によると、人事管理システムを導入済み・導入予定と回答した企業のうち、「タレントマネジメントの実施状況」の1位は「実施予定なし」で57.1%、2位は「興味はあるが実施予定はなし」で18.2%、3位は「実施している」で15.6%、4位は「実施に向けて検討中」で9.1%であった。

 かつて、日本企業の強みはミドルマネジメントにあると言われたことがあった。ミドルマネジャーがボトムアップダウンを繰り返すことで組織と人を動かしていた。それが戦略を実現する原動力となったし、さらに言えば創発的戦略の源泉でもあった。だが、現在の日本企業のマネジャーは弱っている。日本企業は一般社員はもちろんのこと、マネジャーの育成にもっと投資する必要がありそうだ。

岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』―現代マネジメントへの挑戦状


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健

ダイヤモンド社 2013-12-13

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 4年前のアドラーブームの時に読んだが、改めて読み直してみた。アドラー心理学は、現代マネジメントに対する挑戦状を叩きつけているように感じた。

 ①以前の記事「岸見一郎『アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために』―アドラーの左派っぽくない一面と左派っぽい一面」でも書いたように、アドラーは「縦(垂直)の関係」を否定し、「横(水平)の関係」が重要であると説く。ただし、これは必ずしも、人々は皆平等であるといった、左派にありがちな主張ではない。アドラーは個人に差があることを認めている。同じ平らな地平に、前を進んでいる人もいれば、その後ろを進んでいる人もいる。進んできた距離や歩くスピードはそれぞれ違うが、みんな等しく平らな場所を歩いている。

 一言で言えば、「競争の否定」である。これは経営学を追いかけている人間にとってはショッキングである。ブログ本館の記事「【戦略的思考】SWOT分析のやり方についての私見」(戦略立案の外部環境アプローチ)、「DHBR2017年12月号『GE:変革を続ける経営』―戦略立案の内部環境アプローチ(試案)」のように、我々は「競争戦略」という言葉を使うことにあまりにも慣れすぎている。アドラーからすれば、これは間違いだということになる。

 ただし、ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(補論)】日本とアメリカの企業戦略比較」で書いた通り、私はアメリカ企業が競争に徹し、競合他社を叩きのめすことに躍起になっているのに比べると、日本企業は同業他社(競合他社と書くと競争を想起させるので、同業他社と書くことにする)と協力するケースが多いと感じる。その最たる例は業界団体の存在である。日本の業界団体では、同業他社が時にお互いの戦略に関する情報をあまりにも素直に交換し、研究、製品開発、製造、物流、販売などの面で協業を模索することがある。

 もちろん、アメリカにも業界団体はあるが、アメリカの業界団体はロビー活動が中心で、業界全体の権益を守るのが主目的である。この点ではアメリカの同業他社も協力的であるものの、一旦権益が守られると、その守られた権益の配分をめぐって激しい競争を繰り広げる。

 とはいえ、日本の同業他社が協力すると、戦略の同質化に向かうことが多いのが問題である。また、建設業界によく見られるように、談合によって利益を平等に分け合おうとするのも問題である。他社と同じことをしておけばひとまずは安心という日本人の心理があるのだろう。仮に他社を真似して失敗しても、失敗したのは他社が悪かったからと言って、自社の責任を回避することができる。

 だが、アドラーが言う横(水平)の関係は、同質ではなく異質を目指している。よって、それぞれの企業は同業他社と“完全に”差別化された戦略を選択しなければならない。これによって、まずは競争状態を抜け出すことができる。ただし、企業は完全なる差別化によって同業他社から”孤立”するのではなく、さらに一歩進んで、自社の経営資源をフルに活用し、自社とは戦略が全く異なる同業他社と”連帯”できる分野を模索することが求められる。

 加えて、環境変化の激化に伴い業界の垣根が崩壊しつつある現在においては、異業種の企業とも協業体制を構築し、顧客に対する新しい価値の提供を目指すべきである。ブログ本館では、いきなり神学論的な話を持ち出して、多神教文化の日本ではそれぞれの企業に本来的に異なる神が宿っており、異質な神同士が出会うことで創発的な学習が生じると書いたこともあった。

 また、日本の神は欧米の一神教における完全無欠な神とは異なり、人間的で不完全な神である。企業が自社に宿っている神を知る、つまり自社のアイデンティティを知ることは、欧米人が教会で祈りをささげて神に直接アクセスするような方法では実現できない。卑近な例だが、海外旅行をすると日本文化がより理解できるように、異質な神を宿している存在と接触することが自己理解を深める。これまでの日本企業は、ややもすると同業他社に対しては優しい反面、異業種からの参入企業に対しては排他的であった。この態度を改める必要がある。

 ②前掲の記事「岸見一郎『アドラー心理学入門―よりよい人間関係のために』―アドラーの左派っぽくない一面と左派っぽい一面」でも書いた通り、アドラー心理学の中心的な考え方は、「自己受容」、「他者信頼」、「他者貢献」の3つである。我々は共同体に属しており、他者は同じ共同体に属する信頼すべき仲間である。その仲間に対して、自分の能力を活かして貢献することが人生における大きな目的であるとアドラーは述べている。

 ここで、私にとってアドラーの主張を解りにくくさせているのは、アドラーは承認欲求を否定していることである。マズローの欲求5段階説に従うと、承認欲求は自己実現欲求に次ぐ高次の欲求である。我々が他者に貢献するのは、もちろん利他心からそうしているわけであるが、他者貢献によって他者から認められたいという個人的欲求も持っているためと考えるのが普通である。だが、アドラーはこれを否定する。それどころか、我々は他者の期待を満たすために生きているわけではないし、他者は我々に見返りを与える必要もないとまで言い切る。

 企業は顧客のニーズを満たすために製品・サービスを提供し、顧客はその見返りとして、企業に対し金銭を支払う。また、顧客は企業からの求めに応じてアンケートに回答したり、あるいは自発的に製品・サービスについての肯定的または否定的な評価を企業に伝えたりする。アドラー心理学は、こうしたマーケティング活動を一蹴していることになる。とはいえ、アドラーは前述の通り「他者貢献」はしなければならないと言う。だが、他者に貢献するとは、他者の期待を満たすことであるし、他者貢献に成功したかどうかは、他者から何らかの見返りがなければ判断しようがないように思える。この辺りをどのように解釈すればよいのか、今の私の頭ではどう頑張っても適切なアイデアが出てこない。

 ③アドラー心理学の特徴の1つに「目的論」と「原因論」の区別がある。例えば、自分がいつも自己否定的でネガティブになってしまうのは、子どもの頃に要求水準の高い両親から厳しく育てられたからだと考えるのが原因論である。これに対して、アドラーは、何らかの目的のためにこの人は自己否定的になっていると考える。その目的は、例えば、「自分の能力が低いことが相手にばれるのが怖いからそれを隠すため」というものかもしれない。過去の原因は変えることができないが、現在の目的なら変更することができる。その目的を変えるようにその人に働きかけることを、アドラーは「勇気づけ」と呼んだ。

 原因論を否定するということは、過去を見つめることを否定することである。過去に意味はないし、そもそも過去など存在しない。アドラーはさらに進んで、未来も存在しないと言う。存在するのは「いま、ここ」という瞬間だけである。人生は連続する刹那である。だから、過去にとらわれたり未来のことを考えたりせずに、「いま、ここ」を懸命に生きることが重要であるとアドラーは述べている。

 これもまた冒険的な主張である。過去を否定するということは、戦略論における内部環境アプローチ(コア・コンピタンス論や資源ベース理論)、すなわち、過去に蓄積された技術・知識・ノウハウ・ブランドなどの無形資産が競争力を持つという立場を否定することになる。また、昨今企業が社員のキャリア開発を支援するべきだという機運が高まっているが、キャリア開発は過去の価値観や経験を整理して自己理解を深めることから出発しており、これも退けられることになる。

 さらに、未来が存在しないということは、リーダーが内なる声に耳を傾けて、将来的に実現したいイノベーションを考案し、野心的な目標を設定してバックキャスティング的に事業プランを練り上げるという行為も存在しないことを意味する。企業が「いま、ここ」だけを懸命に生きることで、果たしてゴーイング・コンサーンになることができるのか、この点は今後もっとよく探求しなければならない。

井出元『『礼記』にまなぶ人間の礼(10代からよむ中国古典)』―「憎んで而も其の善を知る」と言えども有言不実行の人は許さない


『礼記』にまなぶ人間の礼 (10代からよむ中国古典)『礼記』にまなぶ人間の礼 (10代からよむ中国古典)
井出 元

ポプラ社 2010-01-16

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 孔子は春秋時代の戦乱の世の中にあって、「和」の重要性を説いた。「礼」とは、和の状態を願い、それを実現するために相手を傷つけない方法、信頼関係を築く方法、そして人生における喜びや楽しみを実感するための気遣いを意味している。『礼記』に書かれている内容は、至極当たり前のことばかりである。
 出ずるに必ず告げ、反れば必ず面す。
 (出かけるときにはかならず行き先を知らせ、帰ったときには「ただいま」と挨拶しましょう)
 先生に道に遭えば、趨(はし)りて進み、正しく立ちて手を拱す。
 (道で先生(年上の人)に出会ったら、小走りして近づき、姿勢を正して挨拶しましょう)
 後れて入る者有れば、閉じて遂ぐること勿れ。
 (扉を開けて入ったとき、自分のあとから続けて入る人がいる場合は、扉に手をそえてあとの人が入れるようにしましょう)
 先生に侍坐するときは、先生問えば、終りて則ち對(こた)う。
 (先生に質問されたときは、先生が質問をいい終えてから答えるようにしましょう)
 辞無ければ相接(まじわ)らず。
 (いつも顔をあわせていても、挨拶をしなければ仲よくはなれません)
 『礼記』にはこんな言葉もある。
 愛して而も其の悪を知り、憎んで而も其の善を知る。
 (好きな人であってもその人の欠点を理解するようにし、嫌いな人であってもその人のよいところを見るようにしましょう)
 確かにこれはもっともである。ブログ本館の記事「『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない」でも書いたが、私は人の好き嫌いが激しいせいで、師匠を見つけるのに苦労している。その人に少しでも欠点があると、その人の全てが劣っているように見えて、師匠とみなすことができないのである。その悪い癖を治すために、「仮に今日からこの人と長期間一緒に働かくことになったら、その人から何を学ばなければならないか?」と強制発想しようと書いた。ただ、だからと言って、私は誰とでも均等に仲良く仕事をしようとは今でも思っていない。今までは感覚的に人の好き嫌いを決めていたが、自分が遠ざけるべき人の基準を明確にしておくことが重要であると考えている。

 孔子は論語の中で次のように述べている。
 子の曰わく、吾れ知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫(ひふ)あり、来たって我れに問う、空空如(こうこうじょ)たり。我れ其の両端を叩いて竭(つ)くす。(子罕第九―八)
 (先生がいわれた。「わたしはもの知りだろうか。もの知りではない。つまらない男でも、まじめな態度でやってきてわたくしに質問するなら、わたくしはそのすみずみまでたたいて、十分に答えてやるまでだ」)
 孔子は自分が信じる仁の道を世に広めるために尽力した。相手がどんな身分や出自の人であっても、対話を通じてお互いに仁に対する理解を深めようとした。このように書くと、孔子は全ての人を平等に扱う博愛主義者のように思える。だが他方で、孔子は次のようにも述べている。
 子の曰わく、狂にして直ならず、侗(どう)にして愿(げん)ならず、悾悾(こうこう)にして信ならずんば、吾れはこれを知らず。(泰伯第八―十六)
 (先生がいわれた、「気が大きな(積極的な)くせにまっすぐでなく、子供っぽい(無知)なくせにきまじめでなく、馬鹿正直なくせに誠実でない、そんな人はわたしはどうしようもない」)
論語 (岩波文庫 青202-1)論語 (岩波文庫 青202-1)
金谷 治訳注

岩波書店 1999-11-16

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 つまり、学習の態度に問題がある人は、一緒に対話するに足りないと切り捨てているのである。私が切り捨てる人の基準はブログ本館で改めて整理しようと思うが、切り捨てるべき人として真っ先に挙がるのが「有言不実行の人」である。有言不実行の人は不誠実の極みである。こちらが歩み寄って信頼しても、必ず裏切られる。だから、近づかないに越したことはない。

 私の今までの人生で最も有言不実行だった人間が、前職のベンチャー企業の社長である。彼は本を書くのが趣味みたいなもので、何冊も本を出していた。私が最初に読んだ彼の本は、組織営業に関する本であった。現在は法人営業が複雑化しており、営業担当者が単独プレーで頑張る個人営業ではなく、チームで顧客企業と関係を構築する組織営業が求められるという。現場の営業担当者は顧客企業側の担当者を巻き込み、現場レベルの課題解決を支援する。ミドルマネジャーは顧客企業側のミドルマネジャーを巻き込み、ミドルマネジメントレベルの課題解決を支援する。事業トップ・経営者は顧客企業側の事業トップ・経営者を巻き込み、経営レベルの課題解決を支援する。顧客企業が抱える重層的な課題をチームで解決するのが組織営業の要諦である。

 前職のベンチャー企業は組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供していたから、典型的なBtoBビジネスであった。しかも、サービスの性質上、顧客企業の購入の決裁権は事業トップや経営陣にあり、社長がクロージングをする必要があった。にもかかわらず、社長は自分が考えた組織営業を自社に適用したことがない。営業活動は現場のマネジャー任せであった。社長は顧客企業を表敬訪問するだけで、顧客企業のトップと関係を構築することに極めて消極的であったし、したがって顧客企業の経営課題に深く入り込む気がなかった。致命的だったのは、社長にクロージングの能力が欠けていたことである。そのせいで、過度な値引きを余儀なくされた案件を私は多数知っている。

 前職のベンチャー企業は、キャリア研修やメンタリング研修、リーダーシップ研修などを販売していたが、自社の社員のキャリア開発を支援したこともないし、メンタリング制度もなかったし、自社の社員にリーダーシップ研修を受講させたことがないことは、ブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第10回)】自社ができていないことを顧客に売ろうとする愚かさ」でも書いた。

 私が退職した後も相変わらず本は書いていたみたいで、最近は人事評価制度はもういらないといった本を出したようである。私は彼がどんな本を書こうともう興味は失っていたのだが、定期購読している『TOPPOINT』で彼の本が紹介されていたから、概要だけは否が応でも知らされることになった。近年、GEをはじめとするアメリカ企業が人事評価制度を廃止している。その理由は、年に1~2度の人事評価のために現場と人事部が膨大な時間を取られること、その割に1年の業績評価をたった1~2回で行うのは限界があることである。だから、マネジャーは日常業務の中でもっとこまめに部下へフィードバックを与えるべきだという。

 これは、今まで人事評価制度を厳密に運用してきて、その限界に気づいた人であれば主張する権利がある。だが、前職のベンチャー企業には人事評価制度がほとんど存在しなかった。組織・人事コンサルティングを事業ドメインとしているのに、自社に人事評価制度がないというのだから、もはや笑い話にもならない。私は5年半在籍していたから、仮に半年に1回人事評価が行われていれば11回機会があったことになる。しかし、私が実際に人事評価を受けたのはたったの2回である。しかも、そのうちの1回は昇給の通知書を1枚渡されただけであった。

 社長はきちんとした人事評価制度を作るために、事業会社で人事部のマネジャー経験がある人を採用したことがあった。その人は半期評価では満足せず、四半期評価制度を構築しようとした。だが、わずか数か月で企画倒れに終わってしまった。よくよく話を聞いてみると、その人が事業会社で人事マネジャーとして行った仕事はリストラ関連ばかりであり、人事制度構築の経験はなかったという。そのぐらいは採用面接で見抜けたはずなのに、何ともお粗末な話である。

 社長は、マネジャーが頻繁に部下に対してフィードバックを与えるための方法として、1on1ミーティングに注目したようで、それについての本も出したらしい(これも『TOPPOINT』で知った)。しかし、私は彼に1on1ミーティングをする力がないことを知っている。彼は組織営業の話でも触れたように、対人関係を構築する能力に難があった。会議室で1対1になって30分間ミーティングをすると、全身に蕁麻疹が出るというぐらい、対人関係が苦手であった。だから、彼に1on1ミーティングは無理である。自分にはできないのにそれを正しいと主張し、その上それをビジネスの種として顧客企業からお金を取ろうとするのは、もはや詐欺である。

佐藤厚『ホワイトカラーの世界―仕事とキャリアのスペクトラム』―PDCAサイクルからGDSA(Goal⇒Do⇒Support⇒Assess)サイクルへ


ホワイトカラーの世界―仕事とキャリアのスペクトラム (日本労働研究機構研究双書)ホワイトカラーの世界―仕事とキャリアのスペクトラム (日本労働研究機構研究双書)
佐藤 厚

日本労働研究機構 2001-03-01

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 ホワイトカラーの仕事の実態とキャリアを調査した1冊。タイトルに「スペクトラム」という言葉が入っているように、ホワイトカラーの仕事の多様性に着目している。だが、この本も章によって使われるフレームワークが変更されるため、非常に理解しにくい1冊であった(以前の記事「清家彰敏『顧客組織化のビジネスモデル―小規模事業集団の経営』―「『顧客を組織化する』とはこういうことではないか?」という4形態」でも似たような問題を指摘した)。著者に言わせれば、ホワイトカラーは多様なのだから、分析するフレームワークも多様であってしかるべきだということなのだろう。だが、多様性をありのままに記述するのはジャーナリストの仕事であって、研究者の仕事とは、多様性の背後にある本質的な共通点を見出し、他のカテゴリーに援用可能なヒントを提供することではないかと思う。

 まず、著者はホワイトカラーを①管理職、②専門・技術職、③創造的事務職、④定型的事務職の4つに分類する。創造的事務職とは、主に人事や経営企画部門において、新しい分野(製品・サービス、業態など)を開拓する仕事、複数のテーマが与えられる仕事、プロジェクトチームなど動態的な組織で動く仕事、取引先や他の部署と連携を取る必要がある仕事などに従事する事務職のことを指している。専門・技術職は、異動はするもののキャリアの初期段階から特定の職種に就くことが多いのに対し、創造的事務職は他の職種を経験する異動を繰り返しながら、ある時期から特定の職種に絞られることが多いと指摘されている。

 本書では、専門・技術職として、テレビ局番組制作業務や新聞記者の事例が取り上げられている点が興味深い(ちなみに、以前の記事「川喜多喬、小玉小百合『実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援』―私は修羅場を乗り越えられなかった経験を活かして顧客企業の心に寄り添えるコンサルタントになりたい」で取り上げた書籍では、デザイナーやアナウンサーのキャリアが研究されていた)。創造的事務職に関しては、大企業事務系ホワイトカラーと自動車ディーラーの営業職の比較がなされている。終盤では、中小企業にフォーカスを当て、主にサービス業のホワイトカラーに関する考察を行っている。

 ここからが私の問題意識。まず、ホワイトカラーを前述のように4タイプに分けておきながら、実は管理職と定型的事務職については研究結果が一切記載されていない。この点で、「スペクトラム」はかなりの片手落ちになっていると言わざるを得ない。私なりにホワイトカラーを分類すると図1のようになる。

 ○図1
ホワイトカラーの4分類

 「創造性を発揮する余地が大きいか否か?」と「管理職か否か?」という2つの軸でマトリクスを作り、4つのタイプに分類している。<象限①>は非管理職であり創造性を発揮する余地が小さい仕事に就いている人であるから、本書で言うところの定型的事務職に該当する。<象限②>は創造性を発揮する余地が大きい非管理職であり、本書で言うところの創造的事務職にあたる。

 <象限③>は創造性を発揮する余地が小さい管理職を指している。<象限③>はさらに、部下が創造的な仕事をしているか否かによって2つのタイプに分けることができる。上司も部下も定型的な業務を行っているケースは解りやすい。上司は定型的な業務を行っているが、部下は創造的な業務を行っている例としては、IT導入プロジェクトなどにおいて、管理職がプロジェクトマネジメントの定型業務を担当しているようなケースが考えられる。

 <象限④>は創造性を発揮する余地が大きい管理職であり、これもまた、部下が創造的な仕事をしているか否かによって2つに分かれる。上司も部下も創造的な業務を行っているケースは解りやすい。上司は創造的な業務を行っているが、部下は定型的な業務を行っている例としては、人事部長が人材戦略を立案し採用計画を立てて、部下がその計画に従って採用業務を行うケースがある。

 本書ではホワイトカラーのキャリアの分析にあたって、異動や転職の回数に着目している。前述の通り、創造的事務職は他の職種を経験する異動を繰り返しながら、ある時期から特定の職種に絞られることが多い。確かに、大企業事務系ホワイトカラーを分析した章ではこの点が確認されている。一方、自動車ディーラーの営業職を分析した章では、「人材調達が内部労働市場によるか外部労働市場によるか?」、「異動が多いか否か?」という2軸からなるマトリクスが新たに登場し、ディーラーの営業職は内部労働市場によって調達されるが、異動が少ないという結果が導かれている。これは先ほどの創造的事務職の特徴と矛盾する。

 終盤の中小サービス業のホワイトカラーの章では、「転職回数が多いか否か?」という軸に加えて、新たに「資格を保有しているか否か?」という軸が登場し、また新しいマトリクスが作成される。だが、中小企業についてのみ資格の有無を問題にする理由が不明であり、この点が本書の理解を難しくしている。

 ○図2
外的キャリアを見る視点

 私なら図2のように、「異動が多いか否か?」、「職種変更が多いか否か?」、「転職が多いか否か?」という3軸で8パターンのキャリアを想定し、図1のホワイトカラーの4タイプ(厳密には6タイプ)のそれぞれについて、どのようなキャリアのパターンが多いのかをあぶり出そうとするだろう。そして、例えば<象限②>の創造的事務職の中に複数のキャリアのパターンが認められる場合には、図1を修正して、ホワイトカラーのカテゴライズを見直すと思う。

 本書には管理職についての分析がないものの、著者は、ホワイトカラーの時間管理が弾力化されるに従って、管理職の役割はいよいよ重要になると主張している。今年の国会では「働き方改革」と銘打って裁量労働制の適用拡大が試みられたが、私は裁量労働制を導入したからと言って時間管理をしなくてもよいという考え方には反対である。管理職の仕事の1つは、部下の仕事の生産性をチェックすることである。そして、ホワイトカラーの生産性は、「アウトプット÷労働時間」で算出される。裁量労働制の導入で時間管理をしないということは、管理職はマネジメント業務を放棄したに等しい。これは明らかに愚策である。

 管理職の仕事に関してもう1つ言うならば、部下の裁量が大きくなるに従って、伝統的なPDCAサイクルを見直す必要があるということである。従来は上司が詳細な計画を立て(Plan)、それを部下が忠実に実行する(Do)ように要求していた。そして、部下の仕事に問題がないかを確認し(Check)、改善が必要な場合は必要な措置を取る(Action)というのが今までのPDCAサイクルであった。

 だが、部下の裁量が大きくなると、管理職が詳細な計画を示すことは難しくなる。管理職が部下に示すことができるのは目標(Goal)にとどまる。その目標をどのように達成するかは部下の裁量に委ねられる(Do。もちろん、企業として守るべきルールや価値観、行動規範には従わなければならない)。計画の詳細を知っている管理職ならば、部下が計画から逸脱した場合には即座にチェックを入れることができた。だが、部下に大きな裁量がある場合、管理職にできるのは部下の目標達成を支援(Support)することである。ドラッカー流に言えば、「あなたが目標を達成する上で、管理職である私に何かできることはないか?/管理職である私が阻害要因になっていることはないか?」と部下に尋ねることである。

 部下が仕事を完了したら、管理職は部下の仕事を評価(Assess)する。Assessとは価値を評価するという意味である。部下の仕事の価値、自社にとっての意義を評価するとともに、部下本人の人材価値を評価する。具体的には、部下がどんな能力を伸ばすことができたか、一方でまだ課題がある能力は何かといった点をめぐって、管理職と部下が対話を行う。このように見ていくと、従来のPDCAサイクルは、GDSA(Goal⇒Do⇒Support⇒Assess)へと修正されるだろう。

 最後にもう1点。本書では異動や転職に注目しており、キャリアの外的側面にフォーカスしていると言える。だが、キャリアには内的側面もある。そして、通常、キャリア開発と言う場合には、組織の視点に立った外的キャリアよりも、個人の視点に立った内的キャリアの方が重要な意味を持つ。なぜならば、結局のところ、キャリアとは働く個人本人の心理的課題であるからだ。内的キャリアを定義することは非常に難しいが、私なりに暫定的に定義すると次のようになる。
 まず、一見バラバラに見える、仕事を中心とした過去の様々な経験について、上司、同僚、部下、その他企業や組織の関係者、さらには友人、家族など多様な人物を登場させつつ、自分なりに意味づけをすることによって筋の通った1つの物語を編纂し、自分は何者なのか(自分はどんな価値観を大切にしているのか、自分には何ができるのか、自分は何をしたいのか)という自己認識を持つこと。

 その上で、企業や組織を取り巻く環境の変化を把握し、周囲から中期的に期待されている役割を理解するとともに、個人的な問題や家族の問題との葛藤が生じた時、そこに自己認識の物語を照射し、納得のいく意思決定を下して、仕事を中心とする人生の中期的なビジョンを構想すること。
 「ホワイトカラーがどのようにして内的キャリアを開発しているのか?」といった点が、今後の重要な研究課題になると思われる。

川喜多喬、小玉小百合『実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援』―私は修羅場を乗り越えられなかった経験を活かして顧客企業の心に寄り添えるコンサルタントになりたい


実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援実証研究 優れた人材のキャリア形成とその支援
川喜多 喬

ナカニシヤ出版 2008-04

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 大企業の経営層人材および経営幹部候補のみならず、デザイナーやアナウンサーのキャリア開発にも着目したユニークな1冊である。それぞれの章ではまず仮説が提示され、それを検証するためのインタビュー調査が記載されて、最後に支持された仮説と、当初の仮説にはなかったが調査の結果明らかになったことが整然と整理されており、非常に読みやすい。

 海外にも幅広く事業展開しているエレクトロニクス企業における経営層人材に着目した章では、彼らの多くが30代前半で海外赴任を含む1回目の修羅場を経験したとされている(2回目は40代~50代で、より上のポジションに立って海外赴任をしたケースが多い)。上司からは突き放されてしまい(彼らはそんな上司を冷静に観察し、反面教師にしている)、上司以外の第三者から助言や支援を受けながら修羅場をくぐり抜けたことが明らかになっている。

 私も前職の組織・人事コンサルティング&教育研修のベンチャー企業に在籍していた20代後半に修羅場を経験した(詳しくはブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(全50回)】記事一覧」を参照)。だが、私の場合はその修羅場を乗り越えられなかった。それから、海外勤務をしないまま29歳で独立したのもよくなかったと後悔している。独立後に海外事業のコンサルティングに携わらせてもらったことが何度かあるが、海外経験のない私は、国内でできるデスクワークに仕事が限定されてしまった(ただ、海外での仕事はまだチャンスがあるかもしれない)。

 ここ2年はオンライン資格学校の講師を務めたが、ここでもまた1つ修羅場があった(事の顛末はブログ本館の記事「『致知』2018年4月号『本気 本腰 本物』―「悪い顧客につかまって900万円の損失を出した」ことを「赦す」という話」を参照)。そして、またしても私はこの修羅場を乗り越えることができなかった。

 この10年を振り返ってみると、この2つの大きな挫折を中心に失敗ばかりで、コンサルティングでもなかなか思うような成果が上げられないことの方が多かったように思う。双極性障害という精神疾患による入院も3回経験している。私よりはるかに稼いでいる中小企業診断士の先生は、例えば「営業成約率が○○%向上した」、「Webでの売上が○○倍になった」といった定量的な成果をいくつもお持ちだが、私にはそういうのがほとんどない(人事領域という、成果が数字に表れにくい分野を専門にしていることの宿命なのかもしれない。ただそれでも、例えば「社員満足度が前年に比べて○○ポイント向上した」、「離職率が○○ポイント改善した」などの成果は上げたいところである)。

 だが、本書の最後には、私にとって一縷の希望となる文章があった。IBMにおける企業内キャリアカウンセリングに関する章の中の文章である。
 企業内キャリアカウンセラーが当該企業の組織風土の中で育ち、さまざまな修羅場を経験し、挫折を克服してきたという「キャリア」そのものが、従業員であるクライアントの悩みを共有し、不安を克服する意欲を醸成し、困難に立ち向かう行動を起こさせる源となるのである。(※太字下線は筆者)
 キャリアカウンセラーとコンサルタントを同列に並べることは乱暴かもしれないが、これを読んで「挫折してもいいのだ」と思った。ただ、挫折をいつまでも引きずるのではなく、そこから何を学んだかが重要になるだろう。その教訓は前掲のリンク先記事である程度まとめたつもりである(記事を書くことで心の傷を癒すのも目的であった)。グローバル企業で海外勤務をし、修羅場を乗り越えた成功体験を持つ経営層人材を相手にしたコンサルティングは、海外経験もなく、修羅場で挫折した自分には無理だと感じている。そういう企業のコンサルティングは、マッキンゼーやボストン・コンサルティング・グループなどに任せておけばよい。

 そのような”強烈な”経営幹部がいる企業は、世の中からすればごく一部だと思う。こういう言い方をすると語弊があるかもしれないが、大半の企業の経営者は、普通に仕事をし、普通に失敗をし、普通に苦しんでいる。私は修羅場で挫折した経験を活かして、経営者の心の傷をさすり、経営者の気持ちに寄り添い、失敗してもいいのだと言えるコンサルタントになりたい。前述のように私は双極性障害を患っているので、「心が壊れる」という現象がどういうものかも解っているつもりである。失敗に伴う気持ちの浮き沈みに対してどのように向き合えばよいのか、そういった点にも理解のあるコンサルタントでありたい。そういうコンサルタントになることができれば、マッキンゼーなどのコンサルタントとは一味違った、差別化されたポジショニングを確立することができるように思える。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

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