乱造される心の病乱造される心の病
クリストファー・レーン 寺西 のぶ子

河出書房新社 2009-08-22

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 現在の精神疾患治療には、大きく2つの問題がある。1つ目は、DSM(精神障害の診断と統計マニュアル)についてである。DSMは不定期に改定され、現在はDSM-5(2014年発行)となっている。しかし、改定を重ねるごとに精神疾患が増え、我々の何でもない日常的な反応までもが病気と定義されている。

 本書では「社会不安障害」が取り上げられているが、批判されるのが怖い、パーティーへの参加は避ける、知らない人と話をするのが怖い、権力を持っている人と話すのは避ける、他人の前で身震いしたり手足が震えたりするのが自分にとって苦痛だ、などといった症状にいくつかあてはまれば、立派な「社会不安障害」と診断され、精神病薬のお世話にならなければならない。

 本当に治療が必要な社会不安障害とは、その人が日常生活で何をするにも強い不安を感じる場合である。特定の2、3の状況で限定的に不安を感じる程度であれば、どんな人にもありうることであって、何の病気でもない。そんなケースまでも病気の定義に放り込んでいるのは、精神病薬の市場拡大を狙う製薬会社の影響が大きい。しかも、不思議なことに、病気の数は増えても、結局はパキシル(SSRIと呼ばれる抗うつ病薬)など、特定の精神病薬を飲むように勧められる。パキシルをたくさん売りたい製薬会社の意向以外の何物でもないだろう。

 ブログ本館の記事「戦略を立案する7つの視点(アンゾフの成長ベクトルを拡張して)(1)(2)」で、以下のような図を用いた。製薬会社の戦略は、⑤新市場開拓戦略に該当するのかもしれない。つまり、パキシルという既存の薬を、うつ病患者という既存のマーケットに販売するのではなく、別の精神疾患というセグメントを創造することで、売上拡大を狙う戦略である。表面的に見れば見事な成功例なのだが、顧客にとって本当に価値があるかどうかという点から考えると、手放しで成功例と認めるわけにはいかない。

戦略を立案する7つの視点

 もう1つの問題は、精神疾患の原因を単純に捉えすぎているという点である。因果関係をできるだけ単純化しようとするアメリカ的思考の弊害である。うつ病をはじめとする多くの精神疾患の原因は、脳内伝達物質であるセロトニンの不調であるとされる。ところが、以前の記事「功刀浩『研修医・コメディカルのための精神疾患の薬物療法講義』」でも述べたように、この仮説は臨床的に証明されていない。それどころか、本書によれば、精神疾患の原因を、何でもかんでも生物学的要因に帰着させるのは無理があるという。

 本書では、DSMが精神疾患の原因を多面的に把握するフロイト的な発想を排除し、原因を生物学的に特定するクレペリンの研究を下敷きにしていることが紹介されている。その証拠に、フロイトが発見した「神経症」はDSMで採用されていない。それどころか、DSMの編集メンバーは、神経症に関するフロイトの研究を侮蔑していたらしい。著者は、精神疾患を生物学的な要因だけでなく、心理的、社会的、環境的要因など、様々な角度から分析するべきだと警鐘を鳴らす。
 議論は、辞書や類義語辞典のなかから必死に言葉を探す場となってしまい、臨床試験や科学的調査で明らかになった明確な分析結果を採用する場とはなっていなかった。
 DSMには何百もの精神疾患が掲載されているが、あの手この手で日常生活の不調を病気と定義する言葉遊びになっている節がある。臨床的なデータに基づいて議論するのではなく、理論的に考えうるケースを想定し、適当な言葉を辞書の中から探り当てて、精神疾患を創造しているのである。

 話は変わるが、現実のことをあまり見ずに、机上の推論だけでマニュアルや社内文書を作る困った人に、私は今までに1人だけ出くわしたことがある。こういう人と一緒に仕事をすると非常に大変だ。その人は無尽蔵にルールを作り出しては、マニュアルをどんどん分厚くしていく。そのルールが適用される例が現実にどの程度存在するのかは、その人にとって関係ない。あくまでも、全体を網羅していることが重要なのである。DSMの編集メンバーも似たところがあるのかもしれない。