中小企業診断士_実務補習テキスト(指導員) 中小企業診断士として登録されてからもう8年目なのだが、ようやく実務補習の副指導員をやる機会がめぐってきた。指導員用(副指導員用を兼ねる)のテキストとして(一社)中小企業診断協会から送られてきたのがこの本。8年以上前に自分が受けた実務補習のことを何となく思い出した。

 これを読書記録に入れていいものかどうかやや微妙なところがあるが、読んでいて気になった点が3点ほどあり、せっかくなので記録しておく。

 (1)
 ○受講生の涙が社長をやる気にした
 和菓子製造販売のH社は業績が低迷の中、社長は様々な悩みを抱えていました。実務補習のチームは、社長の悩みを受け止め、休日でも打ち合わせをするなど懸命に取り組み、具体的な提案を作成しました。報告会で社長のコメントを聞いたとき、班長が感極まって涙を見せるほどでした。この班長の涙が社長をやる気にしました。「あの涙に応えなきゃ男じゃない」そう言って、診断報告書を教科書として日々改善に励んでいます。
 このテキストに限らず、中小企業診断士の世界では時々こういう話が美談として語られるのだが、個人的にはあまり好きではない。涙、つまり情で人を動かそうというのは、コンサルタントの仕事ではない。もちろん、理だけで動かないのが人間であって、最後は情が必要であることは私も反対しない。しかし、最初から情で動かすことをよしとするのは、どうも感心しないのである。

 人間は、情が先行すると冷静な意思決定ができなくなる。提案内容の合理性ではなく、「頑張って調査してくれたから」、「熱意にほだされたから」というバイアスがかかって、意思決定が歪められる。コンサルタントの仕事は、あくまでも第三者的な立場で、意思決定の選択肢を提示することである。クライアントである社長は、頭をフラットな状態にして、オプションの中から決断を下す。その極めて大事な瞬間を、コンサルタントの個人的かつ余計な情で邪魔してはならない。

 (2)企業診断で使用する様々なフレームワークを紹介するページの中に、プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント(PPM)のページがあった。「自社の相対的市場シェア」と「市場の成長率」という2軸でマトリクスを作るという、有名なフレームワークである。ところが、中小企業の場合はデータの取得が困難であるという理由で、「市場成長率」と「相対的市場シェア」を、それぞれ「利益率」と「商圏における想定占有率」に置き換えるとよい、という記述があった。

 はっきり言って、これはおかしい。PPMの2軸は、「自社の相対的市場シェア」がキャッシュイン、「市場の成長率」がキャッシュアウトの大きさを表している。市場シェアが高ければ利益率(キャッシュイン)が高いというのは、PIMSという海外の研究に基づいている(ただし、その後の研究で、両者は必ずしも相関しないという結果もある)。市場の成長率が高いとキャッシュアウトが大きくなるのは、成長に追いつくための設備やマーケティングへの投資が必要なためである。

 PPMはこういう前提のもとに設計されている。だから、

 ①「自社の相対的市場シェア」=大、「市場の成長率」=大
 ⇒キャッシュイン=大、キャッシュアウト=大⇒花形
 ②「自社の相対的市場シェア」=大、「市場の成長率」=小
 ⇒キャッシュイン=大、キャッシュアウト=小⇒金のなる木
 ③「自社の相対的市場シェア」=小、「市場の成長率」=大
 ⇒キャッシュイン=小、キャッシュアウト=大⇒問題児
 ④「自社の相対的市場シェア」=小、「市場の成長率」=小
 ⇒キャッシュイン=小、キャッシュアウト=小⇒負け犬

 という分類が成り立つわけである。

 ところが、PPMの2軸を「利益率」と「商圏における想定占有率」にしてしまうと、どちらもキャッシュインを表すことになってしまい、マトリクスとして機能しない。「商圏における想定占有率」を算出するにあたっては、商圏の人口や消費支出などに関するデータを自治体の統計ページから引っ張ってくるはずである。それならば、「商圏における市場の成長率」もある程度推測できるはずだ。無理にPPMの2軸をいじる必要などない。

 中小企業診断士の中には、経営学で使われるフレームワークをカスタマイズして使う人が結構いるが、元のフレームワークの本質的な意味を忘れてしまい、自分にとって都合のいいように使っているだけということが往々にしてある。これでは論理的一貫性が崩れてしまうから、よく注意しなければならない。

 (3)
 経営者の中には、厳しい経営状況の中でがんばっている方が多いです。経営者を力づけるため、報告書には「経営者の姿勢に感動しました」などのことばを入れるようにすると、プレゼンテーションが円滑に実施できます。
 私は企業を経営したこともないし、前職のベンチャー企業ではブログ本館の【シリーズ】ベンチャー失敗の教訓」で書いたように失敗だらけであったから、私自身、中小企業の経営者に偉そうな口を叩ける身ではないのだが、何もここまでして相手に迎合する必要はないと思う。ダメなものはダメと言えなければ、プロのコンサルタントとしては失格ではないだろうか?

 私は、幸いなことに、中堅・大企業のコンサルティングも、中小企業のコンサルティングも両方経験させていただいた。中堅・大企業は、はっきり言って、業績不振の時には仕事を依頼してこない。コンサルフィーは真っ先にコストカットの対象になる。業績が好調な時に、「どれどれ、第三者の意見でも聞いてみようか?」などといった具合に、高いフィーを払って仕事を依頼する。業績がいいのだから、悪いところなどそう簡単に見つからないのだけれども、それでも「ダメなところを見つけてダメと言え」と教えられた。

 これに対して、中小企業の場合は、本当に経営に行き詰まって相談に来られる方が多い。蓋を開けてみると財務諸表がボロボロというのはざらだ。そういう企業の経営者を全否定してはもちろんダメだが、だからと言って「社長は頑張っていますね」などと無理に持ち上げる理由もない。社長は頑張っているつもりでも、客観的に見ればまだ頑張りが足りないから、あるいは頑張っている方向性が違うから、業績不振に陥っているわけである。

 引用文には「中小企業の経営者は、厳しい経営環境の中で頑張っている」とあるが、これはもう少し深読みすれば、「中小企業が苦境に陥っているのは、経営環境が厳しいからだ」という意味であり、業績不振の原因を外部環境に求めていることになる。しかし、企業の業績に与える要因と影響度合いを調査した研究によると、企業の業績を決めるのは、①マクロ経済要因=10%、②外部の経営環境=10%、③内部の経営資源=40%、④不確実性=40%であるという。つまり、経営不振を外部環境のせいにするのは単なる言い訳だと思う。