新・野球を学問する (新潮文庫)新・野球を学問する (新潮文庫)
桑田 真澄 平田 竹男

新潮社 2013-02-28

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 平田竹男氏は、元日本サッカー協会専務理事、名誉副会長で、現在は早稲田大学大学院スポーツ科学研究科教授を務める。桑田真澄氏は、平田教授の指導の下で2010年に修士号を獲得した。桑田氏は、「日本学生野球の父」と呼ばれる早稲田大学野球部監督・飛田穂洲に、日本の野球思想の原点を求める。飛田の特徴は、①練習量の重視、②絶対服従、③精神の鍛練という3点に集約され、桑田氏はこれを「野球道」と名づけた。

 しかし、野球道が行きすぎると、非合理的な長時間練習が横行して怪我を誘発し、人格軽視の上下関係が子どもたちを過度に束縛してしまうとして、野球道を現代風に変革する必要があると桑田氏は指摘する。野球道の現代版として桑田氏が提唱する「スポーツマンシップ」においては、①練習の質の重視、②相互の尊重、③心の調和(バランスの取れた自律精神の養成)を目指すとされる。

 サッカーの仕事が長い平田教授と、元プロ野球選手である桑田氏の対談という形でまとめられた1冊ということもあってか、本書ではサッカーと野球の違いに数多く触れられていたが、やはり欧米のサッカーは欧米的な考え方が、日本の野球は日本的な考え方が反映されていると感じた。

 ブログ本館の記事「『叙述のスタイルと歴史教育―教授法と教科書の国際比較』―whyを問うアメリカ人、howを問う日本人」でも書いたように、欧米はまず達成すべきゴールを設定し、そのゴールに向かって何をなすべきか重要成功要因を特定するという、因果関係重視のバックキャスティング的な発想をする。他方日本人は、望ましい小さな行動を数多く積み重ねていけば、自ずと大きな成果が得られると考える。小さな行動1つ1つと大きな成果との因果関係は判然としない。小さな行動の束が大きな成果につながるといった具合に、大まかに把握する。

 サッカーでは、ゴールを奪うという最終目標に向けて、どのように相手からボールを奪い、どのようにパスをつないでいくか?という考え方をする。バックキャスティング的な発想は、日本サッカー協会にも見られる。日本代表チームのマッチメイクにおいては、Jリーグの日程や国際大会の日程など4年間のカレンダーを徹底的に分析して、ベストのタイミングでベストの対戦相手と強化試合を組む。

 例えば2014年のW杯大会で日本を活躍させるという目標があるとする。そこから逆算して、目標を達成するためには、いつ頃、どんなチームと日本代表は戦うべきかを順次考えていく(そういえば北朝鮮に敗れたハリル監督は、現地で十分な練習ができない日程が組まれたことに不満を漏らしていた。これはマッチメイクにおける逆算の仕方に課題があったことを示唆するものだろう)。

 野球の場合は、選手1人1人が状況に応じて自分に与えられた役割を果たすことが求められる。野球もサッカーと同じスポーツであるから、試合に勝つという目標から逆算して戦略・戦術を詰めることもできるのだろうが、日本ではあまりそういう発想をしないように思える。これは、野球は運に強く左右されることも影響しているのかもしれない。つまり、監督や選手が自力で制御できる要素が少ないため、やれることはきっちりとやって、後は運に任せようと考えるわけだ。

 1人1人がやれることをやるという姿勢は、試合中だけでなくグラウンド外でも要求される。桑田氏は、常日頃から影の努力を心がけていたという。15歳の桑田氏が考えたのは、トイレ掃除、ゴミ拾い、挨拶と返事、靴を揃えるといったことである。こんなことをしても野球は上手くならないと桑田氏ははっきり認めている。それでも、運とツキを貯金するために続けていた。

 プロ野球でもようやく代表チームが常設されるようになったが、サッカーのような緻密なマッチメイキングがされているのかどうか不明である。WBCに対する意識に選手の間でも温度差があるためか、WBCで優勝するという目標が明確に共有されているのかも疑わしい。代表試合は、各国のプロ野球の日程を見て、日程が空いている国と日程が空いている時期に試合をやろうと、半ば場当たり的に設定されているような気がしてならない。

 サッカーのもう1つの特徴は、水平関係の重視である。グラウンド内で先輩、後輩と言っていると、パスを要求する、走るタイミングを求めるという一瞬の間合いがうまくいかなくなることを恐れるためである。水平関係重視の源流をたどっていくと、1973年W杯予選のイングランドに行き着く。当時のイングランドは前近代的な徒弟制度を持っていたが、予選でポーランドに敗れて1974年W杯に出場できなかったことから、絶対服従に対する反省が高まったという。

 これに対して日本の野球は、未だに「野球道」に見られるように上下関係が絶対視される。だが、ブログ本館の記事「山本七平『山本七平の日本の歴史(上)』(2)―権力構造を多重化することで安定を図る日本人」、「加茂利男他『現代政治学(有斐閣アルマ)』―「全体主義」と「民主主義」の間の「権威主義」ももっと評価すべきではないか?」で書いたように、日本では下位の階層は上位の階層からのコントロールを受けつつも、それによってかえって自由度を増すという傾向が見られる。したがって、上下関係は必ずしも悪ではないと思う。