こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

ソニー


ゲイリー・ハメル『リーディング・ザ・レボリューション』―イノベーション=自己否定ができない人間をトップに据えてはいけない


リーディング・ザ・レボリューションリーディング・ザ・レボリューション
ゲイリー ハメル Gary Hamel

日本経済新聞社 2001-01

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 C・K・プラハラードとの共著『コア・コンピタンス経営―未来への競争戦略』で有名なゲイリー・ハメルの著書。以前の記事「河合忠彦『複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析』―複雑系の理論を取り入れたことで論理展開がカオスに」で、マーケティングはミドルマネジメントを中心とした創発的戦略、イノベーションはトップマネジメントを中心とした包括的戦略が出発点になることが多いと書いた。だが、本書には次のような記述があった。
 巨大な複雑なシステム(読者のなかにもそんな組織に所属する人がいると思う)は、危機的な状況に直面していないかぎり、トップがイノベーションを主導することはまずない。
 本書には、IBMにインターネット文化を持ち込んだジョン・パトリックとデビッド・グロスマン、ソニーでプレイステーションを開発した久夛良木健、ロイヤル・ダッチ・シェルで再生可能エネルギーへの転換を主導したジョルジュ・デュポンロックの例が紹介されていた。彼らはいずれもトップマネジメントではない。現場からアイデアを発案し、周囲の猛烈な反対に遭いながらも自身のアイデアを貫き、成功体験を積んで、ついにはトップマネジメントを説得したという事例である。

 確かに、トップマネジメントがイノベーションに後ろ向きになるのは解らなくもない。トップマネジメントがトップマネジメントたるゆえんは、既存事業で大きな成功を収め、その功績を買われたからである。ところが、大部分のイノベーションは既存事業を破壊する。ブログ本館の記事「【戦略的思考】事業機会の抽出方法(「アンゾフの成長ベクトル」を拡張して)」で書いたように、私が考えるイノベーションには、非顧客に着目して既存製品・サービスの新しい使い道を発掘する「新市場開拓戦略」、全く新しい市場に全く新しい製品・サービスを供給する「完全なるイノベーション戦略」、代替品や破壊的イノベーションなど、既存の産業・市場構造を抜本的に刷新する「代替品戦略」の3つがある。

 このうち、「新市場開拓戦略」と「完全なるイノベーション戦略」は、新しい市場を追加するわけだから、既存事業にとって脅威は大きくない。ところが、「代替品戦略」は完全に既存事業の破壊を目的としている。そして、社会全体が成熟し、新しい需要の創造が難しくなった現代では、イノベーションと言うと大半はこの「代替品戦略」なのである。例えば、スマートフォンがどれだけの既存産業を破壊したかを思い起こしてみるとよい。据え置きゲーム機、CD、DVD、メール、デジカメ、書籍、漫画、雑誌、クレジットカードなど、枚挙にいとまがない。

 トップマネジメントにとっては、自分の今の地位を築いた事業が破壊されるのを見届けるのは気分がいいものではない。だから、外部企業のイノベーションからは目を逸らし、既存事業に拘泥する。しかし、やがては外部企業のイノベーションに浸食されて、業績が急激に悪化する。その責任はトップマネジメントが取ることになる。ということは、裏を返せば、自社の業績が悪化しないように、先手を打ってイノベーションに着手することはトップマネジメントの責任であると言えるだろう。トップマネジメントは、自分や自社の過去の成功を捨てる勇気を持つ必要がある。トップマネジメントはこう問わなければならない。「仮に予期せぬ競合他社が現れて、我が社を倒産させるとしたら、どんな方法を使うだろうか?」

 もちろん、前掲の例のようにミドルマネジメントが出発点となるイノベーションも存在する。しかし、ミドルマネジメントにとって、複雑な社内政治をかいくぐって、破壊的なアイデアを貫き通すことは容易ではない。まず、最初の障害として立ちはだかるのが上司である。上司が「そんなアイデアは実現できない」と言ってしまえば、もうそのアイデアは握りつぶされてしまうのである。上司という壁を突破するのでさえこんな具合なのだから、社内中に張りめぐらされた関門を通るのは至難の業である。その点、トップマネジメントには大きな権限がある。トップマネジメントがアイデアを認めれば、予算と人材を集め、チームを結成し、開発に集中投資し、関係部門に協力を要請し、評価制度を変更することができる。少なくとも、ミドルマネジメントに比べれば、これらのことははるかに実行しやすい。

 だから、私はイノベーションの第一責任はトップマネジメントにあると考える。仮にトップマネジメントがイノベーティブなアイデアを創出するのを苦手としている場合には、社内からアイデアが上がってくる仕組みを構築することが重要である(河合忠彦氏はこれを「創発的インフラ」と呼んだ)。旧ブログでは、P&Gの元CEOアラン・ラフリーの著書『ゲームの変革者』から、P&Gの仕組みを紹介した。

ゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばすゲームの変革者―イノベーションで収益を伸ばす
A.G.ラフリー ラム・チャラン 斎藤 聖美

日本経済新聞出版社 2009-05-23

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 《参考記事》
 P&Gが顧客(=ボス)との距離を極限まで縮めるためにやっていること―『ゲームの変革者』
 柔らかいアイデアの段階で予算をつける勇気がイノベーションのカギ―『ゲームの変革者』
 イノベーションを既存事業部門から敢えて切り離さないP&G―『ゲームの変革者』
 P&Gは”イノベーションは結果が出ればOK”という柔な評価で済まさない―『ゲームの変革者』

 ゲイリー・ハメル自身も、先ほどはイノベーションの役割はトップマネジメントにはないと書いていたのにもかかわらず、本書の後半では、やはりイノベーションはトップマネジメントの仕事だと言っている。以下の引用文は若干解りづらいが、私なりに解釈するとこうなる。まず、「新しいビジネス・コンセプト(=イノベーション)」を考案する第一義的な責任はトップマネジメントにある。だが、それが難しい場合は、(P&Gのように)ミドルマネジメント層に存在する革命家がイノベーションを推進するための仕組みを業務に組み込むべき、ということである。
 壮大な戦略を立案するのは、革命の時代にあっては無益な作業である。経営幹部は経営とは関係がないなどと主張しているのではない。それどころか大ありだ。だが、経営幹部の仕事は戦略を策定することではない。それは、時代に合った新しいビジネス・コンセプトをつねに案出することである。望ましい状況を整えることが求められるのであって、その内容を考え出すことではない。その役割は、イノベーション精神が深く根づいた企業をつくりあげるために、年輪を重ねた革命家の場合に作用したような、構想のための法則を業務に組み入れることだ。
 本書では、トップマネジメントがイノベーションを主導した例として、チャールズ・シュワブのCEOデビッド・ポトラック、シスコシステムズのCEOジョン・チェンバースが挙げられている。本書の出版が2001年と古いので事例も古くて恐縮だが、アメリカの証券会社チャールズ・シュワブは、2000年代初頭に、今で言うマルチチャネルを既に実現していた。インターネットの普及で競合他社がネット取引専業にシフトする中、チャールズ・シュワブは店舗とネットの共存を目指した。

 というのも、同社の顧客は投資に詳しいプロではなく、一般市民が大半であったからだ。彼らは、口座を開く時にはリアル店舗を訪れ、投資のアドバイスを対面で受ける。そして、実際に投資する時はインターネットを活用する。これによって、同社の手数料は競合他社であるイー・トレードの2倍ほどするにもかかわらず、顧客の満足度を大きく上昇させることに成功した。

 シスコは通信機器の世界的リーダーである。同社は技術志向が強いと思われがちだが、実際には技術に対するこだわりはなく、徹底した顧客中心の企業である。そして、顧客が必要とする技術なら何でも取り揃えることを信条としている。同社には「6か月ルール」が存在する。これは、新製品を開発する際に、6か月以内でできるならば自社開発、6か月以上かかるならば買収を行うというものである。これによって、同社は迅速にイノベーティブな技術を獲得している。

 シスコは買収の際に細心の注意を払っている。シスコの買収の目的は、実は相手企業の技術ではない。相手企業の人材こそが真のターゲットである。というのも、その人材が逃げてしまえば、技術も一緒に流出してしまうからだ。だから、買収にあたっては、相手企業の人材の価値観や特徴、組織の風土を調べ、シスコと親和性が高いかを入念にチェックする。そして、買収後はシスコの企業文化に合わせるように時間をかけて人材を育成する。こうした一連の取り組みを主導しているのが、CEOのジョン・チェンバースである。

 伊神満『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(日経BP社、2018年)という本がある。同書は、クレイトン・クリステンセンの破壊的イノベーションに限定した本であるが、トップマネジメントがイノベーションを推進できない4つの理由を挙げている。私はそれに対して反論を加えたいと思う。

「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明
伊神 満

日経BP社 2018-05-24

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 《難問①》冴えない新事業はトップマネジメントでも育てられない。
 いくら社長直属のプロジェクトとは言え、社長自身が社内政治から自由になれるわけではない。また、新設の弱小部門に人員がどれだけ集まるであろうか?主力事業のスター社員がわざわざ転籍するだろうか?
 ⇒《反論》確かに社長であっても社内政治から自由ではないものの、一般社員はもっと社内政治から自由ではない。また、会社が重大な局面を迎えているのに自ら人事権を発動できないようなトップマネジメントは、トップマネジメント失格である。今日の主力事業は、明日のイノベーションによって消えるかもしれない。消えるかもしれない事業にスター社員を張りつけておく方が愚かである。

 《難問②》技術はM&Aでは買えない。
 イノベーションを素早く起こすためには、自社にない技術をM&Aで調達すればよいと言われる。しかし、マーク・L・シロワー『シナジー・トラップ―なぜM&Aゲームに勝てないのか』(プレンティスホール出版、1998年)が明らかにしているように、M&Aは失敗例の方が圧倒的に多い。M&Aをした結果、M&A後の企業価値が、合併前の2社の企業価値の合計を下回るケースが非常に多く見られる。
 ⇒《反論》M&Aは失敗が多いことは私も知っている。だが、それはM&Aのやり方がまずいだけであって、M&Aという手法自体の有効性を否定するものではない。実際、前述の通り、用意周到に計画されたM&AとPMI(統合プロセス)によって急成長を遂げているシスコのような例がある。

 《難問③》既存事業は簡単には切れない。
 新事業が軌道に乗り、次代の稼ぎ頭に成長したとする。その時、不採算で足手まといの旧部門を自分の手で切れるだろうか?自分の在任期間中なら、「今後の市況動向に注目し」、「前向きに検討」するだけでよいではないか?
 ⇒《反論》既に書いたように、過去を否定できないトップマネジメントはその責務を果たしていない。かつてカネボウは、紡績事業が深刻な不振に陥っていたにもかかわらず、自社のルーツであるという理由だけで紡績事業を守った。それどころか、社長は紡績事業の出身者でなければ就くことができなかった。その結果どうなったかは周知の通りである。自分の在任期間中は何とかごまかそうというのは、いかにも日本企業のサラリーマン社長的な発想である。

 《難問④》経営陣と株主の「最適」は違う。
 経営陣がイノベーションに投資したとする。ところが、株主は既存事業に対して自分の資本を投資している。イノベーションが既存事業を破壊したら、株主の投下資本は毀損されたことになる。
 ⇒《反論》金融機関からの借入金は資金使途が指定されているのに対し、株主から調達した資金をどのように使うかは経営陣の裁量に任されている。イノベーションに投資した結果、企業の利益が大幅に伸びたら、株主にとって喜ばしいことである。逆に、経営陣がイノベーションの機会を逃して企業の業績にダメージを与えたら、怒るのは株主である。

河合忠彦『複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析』―複雑系の理論を取り入れたことで論理展開がカオスに


複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析複雑適応系リーダーシップ―変革モデルとケース分析
河合 忠彦

有斐閣 1999-05

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 先日の記事「河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察」の続き。本書は続編にあたるのだが、複雑系の理論を強引に取り入れたせいで、かえって論理展開がカオス(複雑系におけるカオス〔決定論的カオス〕の意味ではなく、文字通りのカオス)になってしまった印象である。

 前回の記事では、市場が構造的不確実性に直面している場合にはトップによる「包括的戦略」が、競争的不確実性に直面している場合にはミドルによる「創発的戦略」が有効であると書いた。本書ではこの点が拡張されている。私なりに本書の内容を簡単にまとめたものが下図である。

複雑系適応リーダーシップ

 まず、イノベーションにおいては、市場を一から創造する、あるいは既存市場の構造を抜本的に破壊するため、構造的不確実性に直面する。この場合、トップによる包括的戦略が出発点となる。イノベーションにおいては、まだ市場が存在しない、または顧客ニーズの変化が予測できないことから、客観的な市場調査は不可能である。代わりに、トップが内なる声に耳を傾けたり、市場で観察される限定的な事実を個人的な価値観に従って解釈し、潜在顧客の潜在ニーズを先取りしたりして、画期的な新製品・サービスを考案する(本書では、「会社代表として」ではなく、「一構成主体として」戦略を構想するという表現が使われている)。簡単に言えば、主観的な情報を中心にイノベーション戦略を組み立てる。

 前書はここまでであったが、本書ではこれにミドルによる戦略が加わる。ミドルは、トップの包括的戦略を唯々諾々と受け止めるだけでなく、ミドルなりの内なる声や価値観に基づいて創発的戦略を形成する。創発的戦略は、包括的戦略の不足を補い、また抽象的な包括的戦略を具体化する役割を担う。こうして、全社一丸となってイノベーションが実行される。

 一方、マーケティングとは、既存市場のパイを奪い合う行為である。市場は成熟しており、競合他社が多数存在する。よって、競争的不確実性に直面する。この場合、イノベーションの場合とは逆に、ミドルによる創発的戦略が出発点となる。市場の成熟段階では、事業構造やビジネスモデルがある程度確立され、トップからミドルへと権限移譲が進む。ミドルは日常業務の中で個別の顧客や競合他社と対峙しており、具体的な市場ニーズや競合他社情報を客観的に収集することができる。ミドルはこの情報を中心としてマーケティング戦略を構築する。

 ただし、マーケティング戦略は創発的戦略だけで終わるわけではない。その創発的戦略をトップが吸い上げ、大局的な視点から事業環境を眺め、マーケティング戦略を洗練する。これが包括的戦略である。これによって、イノベーションの場合と同様に、全社一丸となった戦略展開が可能となる。

 もちろん、イノベーションにおいては包括的戦略から創発的戦略へ、マーケティングにおいては創発的戦略から包括的戦略へと単に直線的に進むわけではない。包括的戦略と創発的戦略は相互に作用しながら、戦略の質を高めていく。ここで言いたいのは、イノベーションにおいては包括的戦略が、マーケティングにおいては創発的戦略が出発点になることが多いということである。

 本書は私にとって解らないことだらけである。マーケティングにおいて創発的戦略と包括的戦略が上手くかみ合った例としては、前書でアサヒビールが挙げられていた。一方、イノベーションにおいて包括的戦略と創発的戦略がかみ合った例としては、本書でNECが挙げられているが、前述の整理とは逆に、創発的戦略が包括的戦略に先行している。NECでは90年代に一部のミドルがNTサーバの導入を試みた。NTサーバとはIBM互換機であり、互換性のない自社規格サーバばかりか、長いことNECのドル箱であったPC-98を否定する代替品であった。NTサーバを導入すれば、サーバのビジネスモデルが完全に変化するという意味で、NTサーバはイノベーションであった。

 ミドルからの提案を受けたトップは、NTサーバと自社規格製品との共存戦略を案出した。NTサーバ、SV-98、ワークステーションなどのプラットフォームを共通化し、パソコンの世界標準部材を使ってコストダウンを図り、既存製品の採算性を向上するとともに、NTサーバ市場を開拓してシェアトップを狙うというものであった。トップは共通化加速資金として10億円を投資した。これにより創発的戦略と包括的戦略が、単なる妥協に終わらず、より優れたイノベーションとして結実した。だが、イノベーションにおいて創発的戦略が包括的戦略に先行する(例を代表として挙げている)ならば、日本企業のトップは戦略の形成において能動的な働きをほとんどしていないことになってしまうのではないかと感じる。

 本書ではソニーが80年代にワークステーション事業に参入した事例も紹介されている。当時ワークステーションはほとんど普及しておらず、その意味でイノベーションであった。このイノベーションを主導したのも、やはり一部のミドルの創発的戦略である。ソニーの場合は、トップが「コンピュータなんて海のものとも山のものとも解らない」と述べており、包括的戦略の構築を事実上放棄している。こうなると、いよいよ日本企業のトップの役割は一体何なのかと思えてくる。

 一応、日本企業のトップが包括的戦略を掲げたという例も掲載されている。日産の川本信彦社長は、オデッセイを投入するにあたって、販売台数80万台という主観的な目標を設定し、同時に目標達成のために、クリエイティブ・ムーバー・シリーズ4車種を連続して投入して、進行しつつあるRVへの需要のシフトを加速させると表明した。だが、これは戦略というよりも単なる販売計画である。

 90年代にIBMを復活させたルイス・ガースナーは、自身が前職でIBMのシステムを使っていた時の不満や、IT業界のトレンドの変化に関する個人的な読みに基づいて、ハードウェアの箱売りからトータルソリューションビジネスへの転換を決意した。これは、顧客のニーズを先読みした具体的なサービスコンセプトであった。そして、自社以外の製品・サービスを取り揃え、開発・販売部隊を再構築し、社員に新しい価値観、ビジネスモデル、仕事のやり方を教え、業績評価制度もがらりと変えた。元来、戦略とはこういう具体性を持ったものではないだろうか?

 本書では、複雑系の理論から「ゆらぎ」の概念を借用しているが、これもまた非常に解りにくい。複雑系におけるゆらぎとは、初期状態のわずかな違いが結果的に大きな差となって現れることを意味する。「バタフライ効果」が有名である。本書では、まず、包括的戦略と創発的戦略の間でゆらぎがあると説明される。別の言い方をすれば、既に見てきたように、両戦略の間で相互作用があることを表す。だが、複雑系におけるゆらぎとは、ある環境の下で包括的戦略と創発的戦略のどちらを選択するかによって、結果(企業の業績)に大きな差が生じるという意味であると思う。両方の戦略の間を行ったり来たりするというのは、企業経営の実態としては正しいものの、複雑系のゆらぎを誤解しているように感じる。

 また、戦略の形成においては、「分析的か非分析的か?」、「適応的かプロアクティブか?」、「会社代表としてか一構成主体としてか?」との間でゆらぎが生じるという。「分析的&適応的&会社代表として」という組み合わせは客観性が高く、マーケティング戦略と親和性がある。逆に、「非分析的&プロアクティブ&一構成主体として」という組み合わせは主観性が高く、イノベーション戦略と親和性がある。ただし、マーケティング戦略だからと言って完全に客観的だとは限らず、ゆらぎが生じて主観性が顔を出すことがある。だから、前掲の図では「客観的情報『中心』」と書いた。同じことはイノベーション戦略にもあてはまる。

 ここでも、「分析的か非分析的か?」、「適応的かプロアクティブか?」、「会社代表としてか一構成主体としてか?」という2択の間で揺れ動くことは、現実の戦略としては大いにあり得ることだが、複雑系のゆらぎの概念にはそぐわないと思う。例えば、ある環境の下で、トップが会社代表として振る舞うか、一構成主体として振る舞うかによって、結果(企業の業績)に大きな差が生じるというのが、複雑系のゆらぎに従った解釈であるはずである。

 最後にもう1点。本書は、創発的戦略の担い手として、一部のミドルにしか注目していない点が問題である。本書が新聞・雑誌の記事に大きく依拠していることによる限界と言える。新聞・雑誌は、目立つミドルしか取り上げないからだ。

 複雑系の理論には「自己組織化」という考え方がある。これは、ニュートン以来の機械論的な組織観とは全く異なる。機械論的な組織においては、組織の要素は各コンポーネントに完全に分解される。組織自体は機械であり意思を持たないから、組織=機械を動かすにはトップによる強い命令が必要となる。これに対して、自己組織化における組織は、コンポーネントに還元不可能な「関係」を重視する。組織を取り巻く環境が変化すると、環境からのインプットを基に、局所的な変化が関係を通じて組織システムに伝播し、さらにその変化が相互作用を伴って、結果的に組織全体が意思を持つように自律的に変化する。

 本書も、創発的戦略に着目するのであれば、一部のミドルの局所的な戦略的変化が他のミドルや現場社員にどのように影響を及ぼし、加えて彼らが他のミドルや現場社員からどんなフィードバックを受けて、結果的に組織全体としてどのような変化が実現されたのかを掘り下げるべきであった。

河合忠彦『戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較』―3社のその後の命運を分けた要因に関する一考察


戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較戦略的組織革新―シャープ・ソニー・松下電器の比較
河合 忠彦

有斐閣 1996-02

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 20年以上前の本を今さら読んでみた。アメリカ流の一般的・伝統的な戦略論に従えば、まずは経営陣をサポートする企画スタッフが事業環境に関する大量のデータを客観的に分析して、どこに戦略的機会があるのかを発見し、その機会をものにするためのビジネスモデル、ビジネスプロセス、組織構造、人材配置、人事制度、IT投資、予算の配分などを計画して経営陣に進言する。経営陣はその計画に多少の修正を加えた後で計画にゴーサインを出し、トップダウンで戦略を企業全体に浸透させるというものである。

 一方、著者の戦略観はこれとは異なる。確かに、トップダウン型の戦略は存在する。経営陣が事業環境を大局的に見回して、大きな戦略的構想を練り上げ、全社的に展開する。これを「包括的戦略」と呼ぶ。一方、ミドルマネジメントも戦略を立案する。ミドルマネジャーは個別の顧客に密着しており、具体的なニーズを吸い上げるのに長けている。その情報に基づいて、顧客ニーズの変化に柔軟に対応できる戦略を考案し、局所的に実行する。これを「創発的戦略」と呼ぶ(これは明らかにヘンリー・ミンツバーグの影響を受けたものと思われる)。強い企業は、この包括的戦略と創発的戦略が相互に作用しているというのが著者の主張である。トップダウンの経営だけではなく、ミドルマネジャーによる「ミドル・アップダウン」の流れを指摘した金井壽宏氏の主張にも通じるところがある。

 ただし、包括的戦略と創発的戦略のどちらがより強く作用するかは、製品・市場のライフサイクル上のステージによって異なると著者は言う。市場の創成期においては、トップとミドルが緊密に協力する必要があることから、包括的戦略と創発的戦略の両方が必要となる。成長期に入ると、市場構造が大きく変化するため、マクロ的な視点からトップが包括的戦略を展開することの方が重要になる。成熟期になれば、顧客ニーズに関する情報が十分に手に入る。よって、今度は創発的戦略の方が強く作用する。衰退期に入ると、このまま残存利益を収穫しつつ事業規模を縮小するのか、あるいは新規事業を立ち上げるのかという構造的な意思決定を下す必要があることから、包括的戦略の方が強くなる。

 本書は、80~90年代にかけて、シャープ、ソニー、パナソニック(当時は松下電器)がデジタル化の波に対して、戦略的にどのように対応したのかを分析した1冊である。デジタル化という構造的な変化が押し寄せていることから、包括的戦略が強い企業の方が業績がよいという仮定を置いている。その上で3社の戦略や各種施策を紐解いていくと、事業部の力が強く創発的戦略が生まれやすかったパナソニックが最も遅れを取っており、カンパニー制で分権化に着手していたソニーはまずまず、一番優れているのは液晶に特化してトップダウンのリーダーシップを発揮していたシャープであるという結論に至った。

 これは、現在の3社の業績を知っている我々からすると意外な結論である。周知の通り、現在この3社の中で最も好調なのはパナソニックである。ソニーは一時期大変な苦境に陥り、最近持ち直しつつある。シャープは倒産寸前まで行ってしまい、台湾の鴻海精密工業に買収された。なぜこのような差が出たのか、後知恵になるが私なりに説明すると次のようになる。

 まずパナソニックだが、家電というBtoCビジネスからBtoBビジネスに軸足を移した。ブログ本館の記事「『構造転換の全社戦略(『一橋ビジネスレビュー』2016年WIN.64巻3号)』―家電業界は繊維業界に学んで構造転換できるか?、他」でも書いたように、私が好んで用いる製品・サービスの4分類のマトリクスに従えば、家電は「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命に与える欠陥が小さい」という左下の<象限①>に該当する(もちろん、家電の事故でユーザーが死傷することはあるが、たいていの場合は製品の劣化や製品の誤った使い方によるもので、企業側の責任は小さい)。<象限①>は低コストが武器の新興国企業の主戦場になりつつあり、先進国企業が戦うことは難しくなっている。

 そこで、パナソニックはBtoBビジネス中心のビジネスモデルへと転換した(家電を完全に手放したわけではない)。BtoBの市場は、製品・サービスの4分類のマトリクスにおいては、「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客企業の事業に与えるリスクが大きい」という右下の<象限②>に該当する。BtoB市場へのシフトにあたって、パナソニックは、ITソリューションのように、先行者が既に存在し、市場が成熟している分野を敢えて選択したように思える。前述の通り、成熟市場では創発的戦略の方が有効である。そして、当初はパナソニックの弱みと思われた事業部制が、BtoBの成熟市場では強みに転じたのである。一般的には組織が戦略に従うのだが、パナソニックの場合は戦略が組織に従ったと言える。

 次にソニーであるが、ソニーはウォークマンに代表されるイノベーションを次々と世に送り出し、音楽や映画といったコンテンツ産業にも強いことから、製品・サービスの4分類のマトリクスに従えば、「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命に与える欠陥が小さい」という左上の<象限③>に軸足を置く企業である。近年、イノベーションの寿命はますます短くなっており、企業は次々とイノベーションを投入しなければならなくなっている。つまり、常に市場の創成期に直面しているわけであり、包括的戦略と創発的戦略が融合していなければならない。ところが、ソニーはカンパニー制を導入してパナソニックの事業部制よりもより強固に分権化を進めてしまった。これによって、包括的戦略の出番が極端に限られたことが、ソニーを苦しめた要因だと考えられる。

 最後にシャープである。シャープは液晶テレビに社運を賭け、「日本中のテレビを液晶に置き換える」と息巻いていた。だが、液晶であろうと何であろうと家電であることには変わりがない。液晶技術はテレビという分野における連続的な技術進化に過ぎない。テレビ市場それ自体は、日本においては既に成熟し切っていたのである。だから、本来であれば創発的戦略の出番であった。ところが、シャープの場合は包括的戦略が主導権を握り、トップダウンで大型の設備投資を次々と実行した。結局、それが裏目に出てしまった。

 では、鴻海精密工業に買収されてから何が変わっただろうか?実はほとんど何も変わっていない。相変わらずトップダウンで大型の設備投資を行い、液晶テレビを世界中で大量生産している。しかしながら、それが功を奏してシャープの業績は回復した。これは次のように解釈できるであろう。まず、<象限①>に該当する家電事業を先進国である日本の企業ではなく、新興地域である台湾の企業が握ったことが大きかった。さらに、買収前のシャープは日本市場を中心に見ていたのだが、前述の通り、日本市場に限って言えば市場が成熟していた。これに対して、鴻海精密工業は世界中をターゲットとした。日本市場から世界市場に目を転ずれば、液晶テレビの市場はまだまだ成長期にある。よって、トップによる包括的戦略が有効になったというわけである。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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