こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント)のブログ別館。1,500字程度の読書記録の集まり。

ドイツ

陳破空『米中激突―戦争か取引か』―台湾を独立させれば中国共産党は崩壊する


米中激突 戦争か取引か (文春新書)米中激突 戦争か取引か (文春新書)
陳 破空

文藝春秋 2017-07-20

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 さらに重要なポイントは、ここで言う「我々の」とは、「アメリカの『一つの中国』政策」という意味であり、「中国の『一つの中国』政策」ではない、という点である。言いかえれば、「一つの中国」政策について、北京には北京の、ワシントンにはワシントンの見解がそれぞれあり、2つは別物である、ということだ。

 北京の見解とは、「世界には一つの中国があるだけで、大陸と台湾は、共に一つの中国に属し、中華人民共和国政府こそが中国を代表する唯一の合法政府である」というもので、ワシントンの見解とは、「アメリカの『一つの中国』政策とは『米中間の3つのコミュニケ(上海コミュニケとも言われる、1972年2月のニクソン大統領の訪中に関する米中共同声明など)』、アメリカの『台湾関係法』、アメリカ議会の『台湾に対する6つの保証』などの法案に基づくもの」というものである。
 ブログ本館で、現代の大国であるアメリカ、ドイツ、中国、ロシアはいずれも二項対立的な発想で動くという特徴があると書いてきた。こうした伝統は、少なくとも「正」に対しては「反」が存在すると主張したヘーゲルにまで遡ることができる。私の二項対立論はまだ非常に軟弱なのだが、改めて整理すると次のようになる。

 今、A国とB国という2つの大国が二項対立的な関係にあるとする。実はA国とB国の国内も二項対立になっており、A国内には反B派(A国政府派)と親B派(A国反政府派)が、B国内には反A派(B国政府派)と親A派(B国反政府派)が存在する。最前線で観察できるのは、A国の反B派とB国の反A派の激しい対立である。だが、もう少し詳しく見ていくと、そこには複雑な関係がある。まず、A国の反B派はB国の親A派を、B国の反A派はA国の親B派を支援している。さらに、A国の親B派とB国の親A派は裏でつながっている。これによって、A国内の反B派と親B派、B国内の反A派と親A派も対立する。これが大国同士の二項対立の構造である。この構造の利点は、A国・B国ともに、国内の対立の処理に配慮せざるを得ず、両国が全面的に対立しなくても済むという点である。

 二項対立のもう1つの利点は、一方が誤りだと判明した場合、すぐさまもう一方が正として前面に出てくるということである。仮に、上記の例で、A国内の反B派が誤りであることが判明したとしよう。すると、反B派と親B派の立場が逆転する(親B派がA国政府派になり、反B派がA国反政府派になる)。そして、A国の動きに呼応して、B国でも同様の逆転が生じる。その結果、表面的にはA国の親B派とB国の親A派が手を結ぶようになる。しかし、両国は完全に同じ船に乗っているわけではない。依然としてA国内には反B派が、B国内には反A派がいる。A国の親B派はB国の反A派と、B国の親A派はA国の反B派と対立する。さらに、A国内では親B派と反B派が、B国内では親A派と反A派が対立する。

 日本人的発想に立つと、せっかくA国の親B派とB国の親A派が仲良くしているのだから、その関係を保てばよいのにと思うところだが、この複雑な関係にもメリットがある。それは、大国同士が完全に融合して、超大国が誕生するのを防ぐことができるということである。二項対立の関係にある大国は、右手で殴り合いながら左手で握手をしているようなものであり、状況に応じて殴る右手の方が強いか、握手をする左手の方が強いかという違いが生じるにすぎない。こうした関係を通じて、大国は勢力均衡を保っている。

 仮に、A国内で二項対立が消えたとしよう。A国は国全体が反B派になるか、親B派になる。つまり、A国が全体主義になったケースである。A国全体が反B派になった場合、A国はB国を潰しにかかる。親B派になった場合、A国はB国を吞み込もうとする。いずれにしても、A国の全体主義の目的は、B国を完全に消滅させることである。全体主義の場合、国内対立がもはや見られないため、B国に向かうエネルギーを抑制する要素がない。A国は全力でB国に向かってくる。

 全体主義は、人間の理性が完全無欠であることを前提としている(以前の記事「大井正、寺沢恒信『世界十五大哲学』―私の「全体主義」観は「ヘーゲル左派」に近いと解った」を参照)。だが、歴史が証明しているように、人間の理性が無謬であることはあり得ない。国の方向性が間違っていることに気づいた国民は、やがて国家に対して反旗を翻す。二項対立的な発想をしていれば、反対派を国内の二項対立の構造に押し込めて対処することもできるが、全体主義国にはそうした装置がない。したがって、全体主義国は反対派を抹殺するしかない。だが、国家による暴力は国民のさらなる反発を招き、やがては自壊に至る。

 前置きが長くなってしまったが、米中関係を二項対立の構図でとらえてみたいと思う。まず、中国は内部に中華人民共和国(=反米派)と台湾(=親米派)という二項対立を抱えている。一方のアメリカは、反中派(=親台湾派)と親中派(=反台湾派)という二項対立を抱えている。表面的にまず観察されるのは、中華人民共和国とアメリカの反中派の対立である。加えて、中華人民共和国はアメリカの親中派を支援し、アメリカの反中派は台湾を支援する。これによって、アメリカ国内の反中派と親中派、中国内の中華人民共和国と台湾の対立が激化する。

 中国の場合、中華人民共和国と台湾の関係が入れ替わることがないというのが難点だが、形式上は一応、大国同士の二項対立の構図に収まっている。中華人民共和国が共産党の一党独裁でありながら崩壊しないのは、逆説的だが台湾という対立項を内部に抱えているからだと私は考えている。

 だから、逆に言えば、中華人民共和国、正確には中国共産党を崩壊させようとするのであれば、アメリカは台湾を独立させてしまえばよい。そうすると中国は全体主義に陥る。中国は、中華人民共和国と台湾の関係が固定的であるため、国内で反乱分子が生じた際にそれを国内の二項対立の構図で処理する術を持たない(反乱分子を台湾に押し込めるわけにはいかない)。簡単に言えば、反乱分子の取り扱いに慣れていない。そのため、現時点で既に、年間約18万回の暴動が起き、約10万人の共産党関係者が逮捕・検挙され、約100万人の国民が取り締まりを受けているという。この国家が全体主義に陥った時、内乱が拡大し、自ずと崩壊の道をたどるであろう(ただし、崩壊するのは中国共産党であって、中国自体は二項対立的な発想に従って新たな国家を建設するに違いない)。

大井正、寺沢恒信『世界十五大哲学』―私の「全体主義」観は「ヘーゲル左派」に近いと解った


世界十五大哲学 (PHP文庫)世界十五大哲学 (PHP文庫)
大井 正 寺沢 恒信

PHP研究所 2014-02-05

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 作家の佐藤優氏が本書のことを激賞していたが、確かに非常に解りやすい哲学の入門書である。特に、唯物論に関しては理解がしやすい。ブログ本館では、「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」などで、政治哲学についての知識が乏しいまま、全体主義などについて好き放題書いてきた。本書を読んでみると、私の全体主義についての理解は、ヘーゲル左派に近いのではないかと感じた。

 私の全体主義観を改めて簡単に整理すると、以下のようになる。

 ・唯一絶対の神が世界を創造した。
 ・世界には神の設計図が完璧に反映されており、合理的である。
 ・人間は神に似せて創造され、神の性質を継承している(以上、理神論)。
 ・人間は生まれた時点で完全であり、現在という一点において永遠である(過去や未来は存在せず、時間の流れもない)。
 ・神が無限であるのと同様に、人間も物質的には無限である。
 ・どの人間も神と等しく、自己と他者の区別はない。別の言い方をすれば、一(個人)は全体(神)に等しい。
 ・よって、所有権については、私有であると同時に共有であり、政治については、民主主義と独裁が両立する。
 ・人間は神と同じく絶対的であるから、絶対的に自由である。つまり、その自由を制約する法は存在しない。
 ・ところで、現実の人間は、生まれた時の能力が未熟である。しかし、全体主義においてはその能力を完成形と見る。人間が教育を受けずともできることとは、農業である。これと前述の共有財産が相まって、農業共産制が生まれる。
 ・また、現実の人間は死ぬ。全体主義においては、生まれた時点で能力が完成していると見るから、下手に教育を施すことは害である。教育を受けるぐらいなら、完成した能力を持ったまま早く死んだ方がよい。全体主義には現在しか存在しないため、死んだ人間の精神は再び現在に舞い戻って、新たな生として噴出する。こうして、人間は農業共産制を基礎とする革命を永遠に続ける。

 やや長くなるが、本書からヘーゲル左派に関する記述を引用する。
 すなわち、1つは、ヘーゲル哲学から神学的な衣裳をひきはがして、現実を唯物論的にとらえなおす方法である。ヘーゲルでは、現実は、本質としての神が、その創造した世界としての存在(existentia)と合一しているところのものとして神秘的に説明されてあが、この説明はいまや神秘の衣をはがれて、現象(existentia)のなかにその本質をさぐることにより、現実をそのいきたすがたで把握しようとする科学的な方法に変質させられる。

 そうすることによって、ヘーゲルの「現実的なものはすべて合理的である」という命題は、現象的に現実とみえているものがかならずしも真に現実的であるのではなく、日々に合理性をうしないつつあるものは、一見いかに現実的に強大にみえようとも、じつは日々に現実性をうしなってゆきつつあるものであって、反対に、いまは一見いかに力よわく非現実的にみえようとも、真に合理的であるものは、かならず勝利し、現実となる、という革命的な命題に転化させられる。現実は、神とか絶対的精神とかいうようなフィルターをとおすことなしに、そのもの自身にその具体的な諸条件において、とらえられる。―これは、シュトラウスやフォイエルバッハら「ヘーゲル左派」(青年ヘーゲル派)をつうじてマルクス、エンゲルスにいたる方向であった。
 上記のように、私なりに全体主義のことを何とか理解してきたが、実際には上記の内容では説明できないことがたくさんある。一部を挙げると次のようになる。これらの問いに答えていくことが、今後の私の課題である。

 ・実際の全体主義国家は、資本主義国家と同様に、いや資本主義国家以上の熱意を持って、科学的な発展を追求していた。ドイツのヒトラーや旧ソ連を見れば明らかである。人間が科学的に発展するということは、人間の能力が最初は制限されており、かつそれが時間の流れとともに向上することを前提としている。科学的発展の妥当性を全体主義の中でどのように説明すればよいのか?

 ・上記の説明では、全体主義と共産主義・社会主義を区別することができない。しかし、実際には両者は完全には一致しないはずである。両者が異なるからこそ、第2次世界大戦では全体主義のドイツと共産主義のソ連が対立した。両者を厳密に区別するには、どのような説明をすればよいか?また、第2次世界大戦において、ドイツとソ連はなぜ対立したのか?

 ・私の全体主義観では、民主主義と独裁が両立する。1人の政治的意思決定は全体のそれに等しく、全体の政治的意思決定は1人のそれに等しい。よって、意思決定の階層を想定する必要がない。ところが、実際の全体主義国家においては、独裁主義者がヒエラルキーの頂点に立って、権威主義的な政治を展開する。現在の中国がその典型である。全体主義と組織構造の関係、さらには全体主義における意思決定のプロセスをどのように説明すればよいか?

 ・私の全体主義観では、絶対的な人間の自由を制約する法は存在しない。ところが、全体主義が科学的な発展を追求する一方で、科学がもたらす弊害を左派は批判し、人間の諸活動を法によって制約しようとする。この矛盾をどう説明すればよいか?全体主義において、法とはいかなる意味を持つのか?

高松平藏『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』―日本の理想社会を一足先に実現しているドイツ?


ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズムドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム
高松 平藏

学芸出版社 2016-08-28

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 ブログ本館でしばしば、日本の多重階層構造を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という形でラフにスケッチしてきたが、「行政府⇒市場/社会」の部分、すなわち、行政府が市場や社会に対して何かしらを命じるとはどういうことかと疑問に思われた方もいらっしゃるだろう。自由主義に従えば、行政府による介入は必要最低限に抑えるべきだというのが一般的である。しかし私は、行政府が法律や規制を通じて、市場や社会に積極的に関与していくのが日本の理想ではないかと考えている。

 具体的には、行政府が「日本人としてどう生きるべきか?」を示し、市場や社会に対して、その生き方を実現するための製品やサービスを効果的に配分する、別の角度から言えば、人々がそのような製品・サービスを欲するように要求する。これらの製品・サービスは、①衣食住など健康的な生活を送るのに十分な量・質であること、②精神面、文化面を豊かにするものであること、③倫理観、道徳観にかなったものであること、④限られた地球資源を有効に活用するものであること、という4つの条件を満たす必要がある。個人の欲望に任せて資源を浪費するのではなく、日本国、日本人として見た場合に最適な資源分配を実現すべく、行政府が市場や社会に干渉する。この点で、一般的な自由主義とは異なる。

 ドイツでは、「社会的市場経済」というシステムが戦後から構築されており、日本の理想の一歩先を行っているような気がした。
 まず経済について、戦後ドイツは「社会的市場経済」という体制をとる。後に首相となるルートヴィヒ・エアハルトが連邦政府の経済大臣時代(1949~1963年)に推進し、社会が経済システムをコントロールし、富の再分配と社会的公正を実現しようというものだ。需要と供給に任せておけばよいという自由市場経済とは一線を画す。富の再分配に関連させていえば、貧困対策、年金・失業保険などの社会保障といった分野も入ってくる。そして、そういった分野に関するシステム、法律、組織、取り組みといったものが「社会的」という概念と重ねられる。
 冒頭のラフなスケッチでは十分に表現されていないのだが、日本の多重階層社会にはもう1つ重要な特徴がある。それは、階層が下に行けば行くほど、多様性が増していくということである。多様性が増すということは、それだけ分権化も進むことになる。日本は明治維新と第2次世界大戦後に中央集権的な国家運営で急激な成長を遂げたため、中央集権制の方が親和性が高いように思われている。しかし、中央集権制は、開国後と戦後という国難の時期における臨時の手法である。現代でも中央集権制を引きずっているのは、アメリカのトップダウン型のリーダーシップの影響であると考える。本来は、江戸時代の幕藩体制のように、分権制の方が日本は上手く回るはずだというのが私の仮説である。

 ドイツは多数の連邦(それ自体が1つの国と言ってもよい)をかき集めて1つの国家にまとめ上げたという歴史的背景があるため、現在でも各連邦の権限が非常に強い。日本のように中央官庁が作成した政策を地方自治体が裏書きしてそのまま実行するということはない。ドイツの州や市は、中央からの指示に対して(時には中央の指示を待たずに)、地元の事情を踏まえた独自の案を構想する。こうした動きは、まちづくりやクラスター形成の場面で如実に表れる。
 日本でも2000年代に産業クラスター政策が全国で推進された。ただ日本の場合、各クラスターの範囲が地理的に広く、さらに政府によってつくられたという傾向がなきにしもあらずだ。それに対して、エアランゲン市では自らのまちのポテンシャルを見極め、経済戦略として打ち立てた。
 現在、日本では地方創生という題目を掲げて全国各地に魅力ある地域を構築することを目指している。ここはドイツに倣うと同時に、本来日本人の中に眠っているはずの分権制を呼び覚ますことが重要ではないかと考える。

 ブログ本館の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」でも書いたが、日本社会では、各プレイヤーが多重階層構造の一角に閉じ込められるのではなく、垂直方向には「下剋上」と「下問」、水平方向には「コラボレーション」を通じて移動する自由がある。この点で私は日本社会を自由主義的であると言う。

 企業を例に取ると、単に顧客のニーズに応えるだけでなく、顧客に対して「もっとこうした方が(中長期的に見て)生活の質が上がるのではないか?」と(時に顧客のニーズに反する厳しいことを)提案する「下剋上」、さらに顧客(市場)の上に位置する行政府に対して、「もっとこういう法律や規制にした方が、市場や社会の効果が上がるのではないか?」と提案する「下剋上」がある。一方、下の階層に関しては、企業に知識労働者を供給する学校に対して、「学校がもっと高い成果を上げるために、企業としてどんな支援ができるか?」と問う「下問」、企業に毎日社員を送り込む家庭に対して、「家庭生活がもっと上手くいくようにするために、企業としてどんな支援ができるか?」と問う「下問」がある。

 水平方向の「コラボレーション」は、自社の強み、組織能力、アイデンティティ、価値観に対する理解を深めるため、異質との出会いを通じて学習を重ねることを狙いとしている。コラボレーションの相手は競合他社かもしれないし、異業種のプレイヤーかもしれない。あるいは、社会的ニーズを満たすNPOかもしれない。NPOとの協業を通じて社会的価値を創造し、それを経済的価値と両立させる、つまり企業としても一定の業績を上げることができれば、マイケル・ポーターの言うCSV(Creating Shared Value)を実現したことになる。私は、日本企業にはこうしたコラボレーションを実施する素地が十分に備わっていると思っている。

 本書によると、ドイツ企業は地元に密着しており、地元の「フェライン(NPOに該当する)」と緊密な連携を取っているという。フェラインは地域の福祉のために仕事をしたり、地域で行われる様々なイベントの担い手になったりしている。ドイツ企業はフェラインに対する資金的援助を惜しまない。ただ、CSVの観点から言えば、単に企業が非営利組織に資金を供給するだけでは十分とは言いがたい。企業と非営利組織の活動を統合して、経済的価値と社会的価値の両方を創出することが、ドイツ企業にとっての課題であると言えそうだ。

相沢幸悦『よみがえる日本、帝国化するドイツ―敗戦国日独の戦後と未来』―左派の言う「東アジア共同体」は幻想であり欺瞞


よみがえる日本、帝国化するドイツ:敗戦国日独の戦後と未来よみがえる日本、帝国化するドイツ:敗戦国日独の戦後と未来
相沢 幸悦

水曜社 2015-11-20

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 本書のタイトルからして保守系の本だと思っていたのだが、実際にはゴリゴリの左翼系で、読んでいて久しぶりにげんなりした。
 これを回避する道は、これからすすむアジアの経済統合に参画することしかない。中国や韓国、アセアンのGDP合計は、日本の3倍はある。日本をあわせれば2000兆円にもなるだろう。虫のいい話ではあるが、そうすると、1100兆円余あまりの政府債務残高のGDP比は50%程度に激減し、財政規律のきびしいドイツよりも健全財政に生まれ変わる。政府債務残高の半分、500兆円あまりの日本国債をアジア諸国の外貨準備に組み込んでもらえば、円の国際化もすすむし、過重な債務負担とはならない。
 著者の頭の中には、左派に典型的に見られるあの世界観、つまり、「自己と他者の区別がなく、国家もなければ宗教もなく、天国も地獄もない、皆一つになって平和に暮らしている、人類愛に満ち溢れた世界」が描かれていることだろう。それをアジアにあてはめれば、EUに倣って東アジア共同体(East Asian Community)を構築し、各国が主権を東アジア共同体に預けて政治的な統一を果たすとともに、通貨を統一して経済的な統一も目指すということになる。

 しかし、引用文に書かれている著者の構想は、一見バラ色の未来のようであって、実は日本だけが得をする独善的なものである。仮に東アジア共同体が実現されて、通貨がユーロのように統一されたとしよう。東アジア共同体のメンバーとなっている国の大半は、経済発展の途上にある新興国であり、通貨は本質的に弱含みである。よって、統一通貨は円に比べて安くなる。つまり、日本にとっては円安が実現されるのと同じ効果がある。すると、輸出産業が活発化する。

 一方で、新興国にとっては、通貨圏に日本というリスクオフの国家が含まれることで、通貨が割高になる。端的に言い換えれば、新興国はお金持ちになる。日本の輸出産業は、アジアの新興国に向けて輸出を拡大する。新興国のあぶく銭は、日本企業がかすめ取っていく。したがって、通貨統一によって得をするのは日本企業だけということになる。これは、EUで実際に起きたことである。ドイツがマルクを放棄してユーロを受け入れた時、事実上通貨安となったため、輸出産業が活性化された。ドイツ企業が向かった先は、EUの中で比較的貧乏だった国で、ユーロの恩恵を受けてお金持ちとなったギリシアのような国々であった。現在も、EUではドイツ一強の状態が続いているのは周知の通りである。

 日本政府が抱える1,100兆円の債務の半分をアジア諸国に保有してもらうというのも暴論である。日本の国債は、大部分が日本国内だけで消化されているからこそ、為替の変動とはほとんど無関係でいることができる。その国債を海外に向けて開放すると、為替の変動の影響を受けるようになる。繰り返しになるが、アジア統一通貨を採用する国は、新興国が多く、財政基盤が決して盤石とは言えない国も多い。ある国の財政が悪化すれば、アジア統一通貨が暴落する恐れがある。そして、アジア統一通貨の価値が下がると、必然的に国債も暴落する。国債の暴落は、日本にとって借金の増大を意味する。

 EUは、経済成長のレベル、財政の健全さが比較的似通っている(と思われていた)国で構成された共同体である。そのEUでも、ギリシアの財政危機が発覚すると大幅なユーロ安となり、さらにギリシャの危機がスペインやイタリア、ポルトガルにも飛び火して各国の国債が暴落し、EUのみならず世界経済を混乱に陥れた。アジアの国々は、EUに比べるとはるかに多様である。その多様性を抱きかかえるということは、こうしたリスクを日本が背負い込むことを意味する。本書の著者がこの点をどこまで理解していているのかは不明である。

墓田桂『難民問題―イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題』―アメリカに責任を取らせよう


難民問題 - イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題 (中公新書)難民問題 - イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題 (中公新書)
墓田 桂

中央公論新社 2016-09-16

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 <難民の数(2015年末時点、上位10件)>
 ①シリア・・・4,850,792
 ②アフガニスタン・・・2,662,954
 ③ソマリア・・・1,123,022
 ④南スーダン・・・778,629
 ⑤スーダン・・・622,463
 ⑥コンゴ民主共和国・・・541,291
 ⑦中央アフリカ・・・471,104
 ⑧エリトリア・・・379,766
 ⑨ウクライナ・・・321,014
 ⑩ベトナム・・・313,155
 
 <国内避難民の数(2015年末時点、上位10件)>
 ①シリア・・・6,600,000
 ②コロンビア・・・6,270,000
 ③イラク・・・3,290,000
 ④スーダン・・・3,182,000
 ⑤イエメン・・・2,509,000
 ⑥ナイジェリア・・・2,096,000
 ⑦南スーダン・・・1,697,000
 ⑧ウクライナ・・・1,679,000
 ⑨コンゴ民主共和国・・・1,500,000
 ⑩パキスタン・・・1,459,000

 <難民の受け入れ数(2015年末時点、上位10件)>
 ①トルコ・・・2,541,352
 ②パキスタン・・・1,561,162
 ③レバノン・・・1,070,854
 ④イラン・・・979,437
 ⑤エチオピア・・・736,086
 ⑥ヨルダン・・・664,118
 ⑦ケニア・・・553,912
 ⑧ウガンダ・・・477,187
 ⑨コンゴ民主共和国・・・383,095
 ⑩チャド・・・369,540

 上記の数字は本書からの引用である。現在、世界には約1,548万人の難民、約4,080万人の国内避難民がいるそうだ。そのうち、最も高い割合を占めているのがシリアである。シリアの難民は4,850,792人(全体の31.3%)、国内避難民は約660万人(同16.2%)にも上る。

 シリアをはじめとする難民の多くは、地理的に近いEUに向かう。ドイツは比較的難民の受け入れに積極的である。というのも、伝統的に製造業に強みを持つドイツでは、日本と同じく少子高齢化の進展に伴い、工場で働く若手の現場作業員が不足している。難民は、労働力不足を解消するカギと見なされているわけだ。ドイツでは、難民を受け入れるための様々なプログラムが用意されている。難民に対してドイツ語教育を施すのはもちろんのこと、移住先の地域の歴史を理解するのに役立つ情報を積極的に発信したり、フェライン(日本で言うNPO)などが主催するイベントで文化交流を促進したりしている。

 ただし、EUでは難民受け入れをめぐって深刻な問題を生じているのは周知の通りだ。イギリスのEU離脱の理由の1つも難民問題であったし、ドイツにおいても難民排斥を訴える政党「ドイツのための政党(AfD:Alternative für Deutschland)」が台頭している。EUは、ヨーロッパ諸国が国家主権をEUという機構に預けて、「ヨーロッパ人」という新たなアイデンティティを確立する試みであった。ところが、ヨーロッパ人が確立されるどころか、難民の流入によってかえって各国のナショナリズムが刺激されてしまい、難民のナショナリズムとの衝突を引き起こしている。

 ドイツの取り組みを見ると、ナショナリズムの統合は、企業の合併のようにとらえられているように感じる。一般的に、企業が合併すると、PMI(Post Merger Integration)と言って、合併した企業同士のビジョンや価値観、組織風土を統合するための施策が実施される。ドイツが難民に対して行っているのも同じようなことである。言語を統一し、文化や歴史に対する理解を促し、価値観を浸透させれば、難民をドイツのナショナリズムに包摂することができると思われていた。

 しかし、ナショナリズムとは複雑な感情である。ナショナリズムとは、「民族、言語、歴史、伝統、文化、価値観、生活様式、風習など多くの面で共通点を持つ人々が自国を愛する感情である」と言えるだろう。しかし、実は言語や歴史、伝統や価値観などの背後にはさらに”何か”があって、それはおそらく人間の性格の大半が幼少期に形成されるのと同様に、幼少期の連続的な体験が大きく影響していると考えらえる。だから、PMIのように、単に文化統合プログラムを実施しただけでは、難民のナショナリズムを変更することはできないのである。

 ただ、そうは言っても現に難民は発生しているわけで、この問題を解決しなければならない。個人的には、アメリカがもっと積極的に責任を取るべきだと思う。

 というのも、シリア難民は、アサド政権の転覆を狙ってアメリカが介入し、アサド政権を支持するロシアと対立したことが原因である。アフガニスタンに関しては、同国に親米政権を樹立するためにタリバンを育成したが、やがてタリバンが反米に転じ、アルカーイダのウサーマ・ビン・ラーディンを生み出してしまった。アメリカはビン・ラーディンを殺害したものの、相変わらず頻発するテロとの戦いは継続しており、その結果、同国から大量の難民が発生している。南スーダンの混乱も、アメリカがスーダンから親米政権を独立させたことに起因する(中国の石油開発を妨害するのが狙いだったとも言われている)。

 EUの各国にしてみれば、アメリカのせいで大量に発生した難民をなぜ自国がケアしなければならないのかという憤りもあるに違いない。EUに流入した難民は、EU各国で分担して引き受けるのではなく、いっそアメリカに送りつけてはどうか?(もっとも、メキシコからの移民にさえ目くじらを立てているトランプ大統領がEUからの難民を受け入れる可能性は限りなく低いが・・・)。日本のメディアが難民問題をめぐってアメリカを批判しないのは、広告収入でビジネスが成立しているメディアが企業批判を控えるように圧力を受け、それ以上に政府批判をしないように政府から圧力を受け、さらにそれ以上に、日本を同盟で庇護しているアメリカを批判しないようにアメリカから圧力を受けているためではないかと勘繰ってしまう。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、1,500字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
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