こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

ナショナリズム


墓田桂『難民問題―イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題』―アメリカに責任を取らせよう


難民問題 - イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題 (中公新書)難民問題 - イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題 (中公新書)
墓田 桂

中央公論新社 2016-09-16

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 <難民の数(2015年末時点、上位10件)>
 ①シリア・・・4,850,792
 ②アフガニスタン・・・2,662,954
 ③ソマリア・・・1,123,022
 ④南スーダン・・・778,629
 ⑤スーダン・・・622,463
 ⑥コンゴ民主共和国・・・541,291
 ⑦中央アフリカ・・・471,104
 ⑧エリトリア・・・379,766
 ⑨ウクライナ・・・321,014
 ⑩ベトナム・・・313,155
 
 <国内避難民の数(2015年末時点、上位10件)>
 ①シリア・・・6,600,000
 ②コロンビア・・・6,270,000
 ③イラク・・・3,290,000
 ④スーダン・・・3,182,000
 ⑤イエメン・・・2,509,000
 ⑥ナイジェリア・・・2,096,000
 ⑦南スーダン・・・1,697,000
 ⑧ウクライナ・・・1,679,000
 ⑨コンゴ民主共和国・・・1,500,000
 ⑩パキスタン・・・1,459,000

 <難民の受け入れ数(2015年末時点、上位10件)>
 ①トルコ・・・2,541,352
 ②パキスタン・・・1,561,162
 ③レバノン・・・1,070,854
 ④イラン・・・979,437
 ⑤エチオピア・・・736,086
 ⑥ヨルダン・・・664,118
 ⑦ケニア・・・553,912
 ⑧ウガンダ・・・477,187
 ⑨コンゴ民主共和国・・・383,095
 ⑩チャド・・・369,540

 上記の数字は本書からの引用である。現在、世界には約1,548万人の難民、約4,080万人の国内避難民がいるそうだ。そのうち、最も高い割合を占めているのがシリアである。シリアの難民は4,850,792人(全体の31.3%)、国内避難民は約660万人(同16.2%)にも上る。

 シリアをはじめとする難民の多くは、地理的に近いEUに向かう。ドイツは比較的難民の受け入れに積極的である。というのも、伝統的に製造業に強みを持つドイツでは、日本と同じく少子高齢化の進展に伴い、工場で働く若手の現場作業員が不足している。難民は、労働力不足を解消するカギと見なされているわけだ。ドイツでは、難民を受け入れるための様々なプログラムが用意されている。難民に対してドイツ語教育を施すのはもちろんのこと、移住先の地域の歴史を理解するのに役立つ情報を積極的に発信したり、フェライン(日本で言うNPO)などが主催するイベントで文化交流を促進したりしている。

 ただし、EUでは難民受け入れをめぐって深刻な問題を生じているのは周知の通りだ。イギリスのEU離脱の理由の1つも難民問題であったし、ドイツにおいても難民排斥を訴える政党「ドイツのための政党(AfD:Alternative für Deutschland)」が台頭している。EUは、ヨーロッパ諸国が国家主権をEUという機構に預けて、「ヨーロッパ人」という新たなアイデンティティを確立する試みであった。ところが、ヨーロッパ人が確立されるどころか、難民の流入によってかえって各国のナショナリズムが刺激されてしまい、難民のナショナリズムとの衝突を引き起こしている。

 ドイツの取り組みを見ると、ナショナリズムの統合は、企業の合併のようにとらえられているように感じる。一般的に、企業が合併すると、PMI(Post Merger Integration)と言って、合併した企業同士のビジョンや価値観、組織風土を統合するための施策が実施される。ドイツが難民に対して行っているのも同じようなことである。言語を統一し、文化や歴史に対する理解を促し、価値観を浸透させれば、難民をドイツのナショナリズムに包摂することができると思われていた。

 しかし、ナショナリズムとは複雑な感情である。ナショナリズムとは、「民族、言語、歴史、伝統、文化、価値観、生活様式、風習など多くの面で共通点を持つ人々が自国を愛する感情である」と言えるだろう。しかし、実は言語や歴史、伝統や価値観などの背後にはさらに”何か”があって、それはおそらく人間の性格の大半が幼少期に形成されるのと同様に、幼少期の連続的な体験が大きく影響していると考えらえる。だから、PMIのように、単に文化統合プログラムを実施しただけでは、難民のナショナリズムを変更することはできないのである。

 ただ、そうは言っても現に難民は発生しているわけで、この問題を解決しなければならない。個人的には、アメリカがもっと積極的に責任を取るべきだと思う。

 というのも、シリア難民は、アサド政権の転覆を狙ってアメリカが介入し、アサド政権を支持するロシアと対立したことが原因である。アフガニスタンに関しては、同国に親米政権を樹立するためにタリバンを育成したが、やがてタリバンが反米に転じ、アルカーイダのウサーマ・ビン・ラーディンを生み出してしまった。アメリカはビン・ラーディンを殺害したものの、相変わらず頻発するテロとの戦いは継続しており、その結果、同国から大量の難民が発生している。南スーダンの混乱も、アメリカがスーダンから親米政権を独立させたことに起因する(中国の石油開発を妨害するのが狙いだったとも言われている)。

 EUの各国にしてみれば、アメリカのせいで大量に発生した難民をなぜ自国がケアしなければならないのかという憤りもあるに違いない。EUに流入した難民は、EU各国で分担して引き受けるのではなく、いっそアメリカに送りつけてはどうか?(もっとも、メキシコからの移民にさえ目くじらを立てているトランプ大統領がEUからの難民を受け入れる可能性は限りなく低いが・・・)。日本のメディアが難民問題をめぐってアメリカを批判しないのは、広告収入でビジネスが成立しているメディアが企業批判を控えるように圧力を受け、それ以上に政府批判をしないように政府から圧力を受け、さらにそれ以上に、日本を同盟で庇護しているアメリカを批判しないようにアメリカから圧力を受けているためではないかと勘繰ってしまう。

内藤正典『イスラームから世界を見る』


イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)イスラームから世界を見る (ちくまプリマー新書)
内藤 正典

筑摩書房 2012-08

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 現在の国家観は、西欧の歴史・文化に根差している。西欧は定住型の狩猟社会である。つまり、土地が決定的に重要な意味を持つ。また、狩猟社会においては、獲得した獲物はそれを獲得した人のものとなる。よって、私有財産制が発達する。そこに、近代に入るとナショナリズムという考えが生まれ、国民国家が形成された。ネーションとは、土地に降り積もった歴史認識を共有することで生まれる。定住型の西欧社会とは非常に親和性の高い考え方である。さらに、啓蒙主義によって政治の場面から宗教的な要素が排除され、国家全体が世俗化した。宗教はあくまでも個人の内面の問題とされた。

 このいずれもが、イスラーム社会には該当しない。イスラーム社会は、遊牧社会である。よって、土地は意味を持たず、代わりに血縁が重要視される。血縁で結ばれた共同体は、土地の境界線を引いてもそれを容易に超えていく。また、家畜は共同体の共有財産である。「この家畜は自分のものだ」と言い出す人が現れたら、共同体は崩壊する。土地が意味を持たないため、土地を基礎とするナショナリズムは成り立たない。代わりに、共同体の結束を強めているのがイスラームである。だから、共同体の政治からイスラームを取り除くことはできない。

 こういうイスラーム社会に対して、西欧流の国民国家のやり方を押しつけ、強引に国境線を引いたことが、現在の中東の混乱の基ではないだろうか?
 一人の学生が、「一向に平和にならないのは宗教が原因か?」と尋ねたのに対して、(※アフガニスタンの)カルザイ大統領は、「宗教のせいではない。(国境で仕切られた)国民国家のモデルを押し付けられてきたためだ」と答えました。
 イスラーム社会においては、土地に縛られない国家のあり方がもっと模索されてもよいと思う。約半世紀前には、そのような試みが見られた。
 1958年から61年までのほんの一時期ですが、シリアとエジプトが合体してアラブ連合共和国という国になったことがあります。地理的にはつながっていないのに、こういう連合国家ができたのも、アラブ世界の英雄となったナセルの力が大きく働いていました。
 アラブ連合共和国は、シリアのアレッポを支配するエジプト人にシリア人が反発したことで短命に終わった。そもそも、エジプト人、シリア人という呼び方が、西欧流のナショナリズムを反映している。イスラームの精神に基づいて、同じムスリムであるという意識を醸成し、土地に縛られない共同体を構築することが、イスラーム社会の安定につながると考える。それが実現した時、現在とは似ても似つかない世界地図ができ上がるに違いない。

 西欧から見ると、イスラームは脱宗教化、世俗化が行われていない前近代的な世界に見える。特に、徹底的な政教分離を行ったフランスにとっては、イスラーム社会は不可解であるに違いない。だが、世俗化された法律が宗教的な法律(イスラームの場合はクルーアン〔コーラン〕)に勝るとどうして言えるだろうか?我々は世俗化された法律をそれが絶対であるかのように信じている。そういう意味では、世俗化された法律も宗教のようなものである。

 また、宗教的な法律には人権を無視した処罰が規定されていると批判される。しかし、一応法律が世俗化されているとされる日本でも相変わらず死刑は残っている(ここでは日本の死刑論の是非は論じない)。法の世俗化が人権を担保するとは断言できないと思う。個人的には、中東の各国が民族自決ならぬ”宗教自決”をすればよいと考える。イスラーム原理主義の膨張に対する不安はあるが、本来のイスラームとは他宗教に寛容であり、他国の文化を柔軟に吸収する柔軟性を持ち合わせている。イスラーム原理主義の過激さばかりが取り上げられて、イスラームの潜在的可能性が過小評価されている気がしてならない。

塩川伸明『民族とネイション―ナショナリズムという難問』


民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)
塩川 伸明

岩波書店 2008-11-20

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 「国民」とはある国家の正統な構成員の総体と定義される。近代社会における国民主権論と民主主義観念の広まりを前提すれば、国民とはその国の政治の基礎的な担い手ということになる。(中略)

 このようなものとして「国民」を考えるとき、1つの国の中にはさまざまな出自・文化的伝統をもつ人々がいるから、「国民」は必ずしもエスニックな同質性をもつとは限らない。この点を重視するなら、「国民」と「民族」「エスニシティ」はまったく違う概念であり、次元を異にすると考えられる。
 民族とは、非常に狭く定義すれば、祖先を同じくする血縁で結ばれた同じ人種ということになるだろう。彼らが共同で生活するうちに、言語、宗教、生活様式といった、非常にプリミティブな部分も共有できるようになり、民族が強化される。

 民族の範囲が広がると、その民族単独では生き残ることが難しくなり、他の民族と交易関係を結ぶようになる。すると、「あの民族とは経済的なルールが共有できそうだ」と思える民族と、そうは思えない民族とに分かれる。前者とは交易関係を強化する反面、後者は交易関係から排除するようになる。

 また、経済的な結びつきが強くなれば、モノや貨幣の流れに乗って、他の民族の文化や情報も流入してくる。ここでも再び、ある民族の文化や情報には共感し、別の民族の文化や情報は敬遠する、ということが起こる。こうして、ある民族は特定の民族と経済・情報・文化面で強いつながりを持つことになる。一言で言えば、「我々は仲間である」という意識が、民族を超えて成立する。

 民族を超えた集団が、自己防衛のために国家を希求する時、その集団はネイション(国民)となる。近代国家は国民国家が前提とされているが、これは国家の範囲とネイションの範囲を一致させることが理想であることを表している。そして、国家とネイションを一致させる運動が、ナショナリズムである。

 国家は国土と結びついているため、ナショナリズムは国境の変更を要請することがある。国境の変更を理論的に類型化すれば、以下のようになるだろう。

 (1)1国の中から特定のネイションが独立する。
 《例》カナダのケベック州独立運動、イギリスのスコットランド独立運動など。

 (2)国境変更が2国以上に及ぶ。
  (2)-1.ある国が、別の国の特定のネイションを吸収する。
  《例》ロシアのクリミア編入など。
  (2)-2.ある国の特定のネイションが、別の国を吸収する。
  (《例》理論的には考えられるが、小が大を飲み込むような国境変更は現実にあるのだろうか?)
  (2)-3.ある国が、別の国を吸収する。
  《例》東西ドイツ統一など。
  (2)-4.ある国の特定のネイションが、別の国の特定のネイションを吸収する。
  《例》イスラム国など。

 問題は、現代において国境の変更手続きに関する国際的なルールが何も確立されていないことである。帝国主義の時代には、戦争によって植民地を獲得し、国境を変更することが可能であった。ところが、20世紀の2つの世界大戦を経て、戦争による領土獲得は違法とされた。しかし、議論はそこで止まってしまっていて、戦争の代わりとなる手段は何なのか?あるいは国境変更はもはや認められないのか?といった点については、今のところ非常に不透明である。

 だから、イスラム国のような過激派組織が生まれてしまう。彼らにとっては、ネイションを国家に結びつける合法的手段がない。そのため、近代的な戦争という手段をとるしかない。だが、彼らの戦争は近代の戦争に比べて全く異質である。近代の戦争は軍隊同士の戦いであり、軍隊が壊滅すれば戦争は終わりであった。民衆は戦争に巻き込まれることはあっても、基本的に戦争とは無関係であった。

 これに対して、イスラム国の場合は、国民全員が民衆であると同時に戦闘員でもある。よって、イスラム国を倒すには、国民全員を倒さなければならない。しかも、世界中に散らばっている全国民を、である。だが、イスラム国との戦いのように、どこからともなく敵が現れて、ずるずると紛争が長期化するのは、アメリカが最も苦手とするパターンである。ベトナム戦争では結局ゲリラを倒せなかったし、イラク戦争も局地的なテロに随分と手を焼いた。

 欧米諸国は現在、フランス同時多発テロに対する報復として、イスラム国の中枢部への空爆を行っている。しかし、軍の中心部を攻撃するというのは近代戦争の発想であり、これではイスラム国を倒せない。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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