『一橋ビジネスレビュー』2018年AUT.66巻2号一橋ビジネスレビュー 2018年AUT.66巻2号: EVの将来
一橋大学イノベーション研究センター

東洋経済新報社 2018-09-14

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 ブログ本館の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年AUT.66巻2号『EVの未来』―トヨタに搾り取られるかもしれないパナソニックの未来」では書ききれなかったことを別館で書きたいと思う。

 EVは不思議な技術革新である。通常、技術革新は急速に進行し、古い技術は一瞬のうちに新しい技術に取って代わられるのだが、EVをめぐる技術革新は非常にゆっくりとしている。『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2017年6月号の論文「『正しいタイミング』が価値創造の成否を分ける 技術戦略はエコシステムで見極める」(ロン・アドナー 、ラフル・カプール)は、「新規技術のエコシステムの課題の大小」と「既存技術のエコシステムの事業機会の大小」という2軸でマトリクスを作成し、将来的な変化のパターンを整理している。

ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)ダイヤモンドハーバードビジネスレビュー 2017年 06 月号 [雑誌] (ビジネスエコシステム 協働と競争の戦略)

ダイヤモンド社 2017-05-10

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 新規技術のエコシステムの課題が小さく(=新規技術を包摂する新しいビジネスエコシステムが完成しており)、既存技術のエコシステムの事業機会には拡大の余地がないのが普通であり、この場合は新規技術が一気に既存技術を駆逐する。だが、EVに関しては、まだまだ新規技術のエコシステムの課題が大きい(EV自体の技術に課題がある上、充電スポットをどのように整備するかといった社会的課題もある)。一方で、世界的には自動車市場は順調に成長している。そのため、既存技術のエコシステムに事業拡大の余地がある。ここで言う既存技術とはエンジン車のことであるが、厳密に言えばエンジン車は各国で規制の対象となっているため、実際に拡大しているのはハイブリッドカーなどである。こういう状況では、技術の交代は極めて緩やかになると著者は教えてくれる。

 EVが不思議な技術革新であるもう1つの理由は、自動運転という別の技術革新が同時に進行しているからである。同じ製品・サービスに関して、複数の技術革新が同時並行で起きている事例は、私は他に思いつかない。個人的には、EVと自動運転の相互作用、すなわち、EVが自動運転の価値を、また自動運転がEVの価値をどのように高めるかに関心がある。また、EVが自動運転の技術を制約する場合、逆に自動運転がEVの技術を制約する場合、その制約を取り払うために両方の技術の間でいかなる調整がなされるのかも興味深い。

 ここで1つ問題になるのが、EVや自動運転という技術革新が、本当に顧客のニーズを満たすのかという点である。延岡健太郎、松岡完「自動車の顧客価値」という論文はこの点を掘り下げている。まず、自動車には商品起点の価値として「走る喜び」、ユーザー起点の価値として「使う楽しみ」、商品&ユーザー起点の価値として「持つときめき」という3つの大きな価値があるとする。一方、現在進行している技術革新は、EV、自動運転、さらにカーシェアリングである。その上で、3つの技術革新が3つの顧客価値に与える影響を考察している。

 まず、EVは、加速性能やレスポンスのよさ、モーターのスムーズさや静粛性、回生ブレーキなどを特徴とし、新たな「走る喜び」を提供する。一方で、精緻な機械と高効率な燃費から生まれるエンジンサウンドや、ダイナミックなトルク特性を操るといった、エンジン車特有の楽しみはない。よって、EVは「走る喜び」に対して(+)と(-)の両方の影響を及ぼす。「使う楽しみ」に関しては、航続距離と充電時間を考えると、電池を多く消費する暖房が冬場に使えない可能性がある。また、皆でレジャーを楽しむ時に、充電の心配はしたくないものである。したがって、「使う楽しみ」に対して(-)の影響を及ぼす。

 次に、自動運転は、ユーザーから運転するという行為を奪うから、「走る喜び」に対して明らかに(-)である。一方で、「使う楽しみ」を重視するユーザーにとっては、自動車の走りよりも空間としての自動車が重要であるから、自動運転に対する期待は大きいだろう。例えば、家族での自動車を使ったレジャーにおいても、ドライバーも運転に集中する必要がなく、車内で一緒に楽しむことができる。したがって、自動運転は「使う楽しみ」に対して(+)の影響を及ぼす。

 最後にカーシェアリングである。論文の著者が行った調査によると、多くのユーザーは自動車に機能性・合理性を超えた価値を見出しており、「持つときめき」の重要性が高まっているという。カーシェアリングはこの傾向に逆行するものであり、「持つときめき」に対して(-)の影響を及ぼす。

 こうして見てみると、3つの大きな技術革新は、必ずしも顧客ニーズと合致していないことになる。もっとも、論文という紙面の制約上、顧客ニーズをたったの3つに集約している点(一口に「走る喜び」や「使う楽しみ」と言っても、その意味するところは顧客によって千差万別である)や、カーシェアリングを望む顧客が一定数存在するのは確かであり、ニッチ戦略として展開できる可能性が無視されてしまっている点など、色々と問題は多い。ただ、顧客ニーズが技術に先行しなければならないという、経営の基本を改めて認識させられる。

 ここまで私は、「イノベーション」という言葉を使わずに、「技術革新」と書いてきた。昔に比べると最近はこの両者が混同されることは少なくなったと思う。「イノベーション(技術革新)」といった誤った表記は見かけなくなった。イノベーションは、マーケティングと対比される概念である。マーケティングが単純に既存市場のシェアを奪い合うことであるとするならば、イノベーションは、①新しい市場を創造すること、②既存市場の構造を破壊し、競争のルールを転換して、既存企業から一気に顧客を”強奪”すること、である。多くのイノベーションは技術革新を伴うが、それは必須条件ではない。クレイトン・クリステンセンが発見した破壊的イノベーションでは、高度な技術ではなく、むしろ単純化・小型化を実現する技術が多く見られる。定義上は、技術革新を全く伴わないイノベーションもあり得る。

 ①はさらに、①-1.非顧客に着目し、非顧客を顧客として取り込む工夫を製品・サービスに施すことで市場を拡大すること、①-2.全くの新しい市場をゼロから創出すること、に分けられる。また、②はさらに、②-1.ある顧客価値を提供するビジネスエコシステムの中身を抜本的に刷新すること、②-2.ある顧客価値を提供する既存の製品・サービスに対して、別の手段でその顧客価値を実現する製品・サービスを投入すること、に分けられる。ブログ本館の記事「【戦略的思考】事業機会の抽出方法(「アンゾフの成長ベクトル」を拡張して)」で書いた7つの戦略と対応させると、①-1が「新市場開拓戦略」、①-2が「完全なるイノベーション戦略」、②-1と②-2が「代替品開発戦略」に該当する。

 また、ブログ本館の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で用いたマトリクス図について、私は今まで、左上の<象限③>がイノベーションの世界であり、下段の<象限①><象限②>がマーケティングの世界であると簡単に切り分けることが多かった。しかし、この図はもう少し丁寧に説明しなければならないと思うようになった。

 まず、<象限③>でもマーケティングは必要である。ただし、<象限③>はイノベーションのタイプ①-2と相性がよく、アメリカ企業が強いことはこれまで何度か述べてきた通りである。さらに、①-2に関しては、ニーズのないところにニーズを生み出すわけだから、例外的に技術が顧客ニーズに先行する。

 一方、<象限①><象限②>でもイノベーションは起きる。特に、①-1、②-1、②-2のタイプのイノベーションが発生しやすい。私が<象限③>のイノベーションに関して、「顧客がまだ存在せず、市場調査ができないから、イノベーター自身が自らを最初の顧客に見立て、自分が心の底からほしいと思う製品・サービスを形にする」などと書いたことから、イノベーターは市場や顧客の声を聞かなくてもよいのだという誤ったメッセージを送ってしまったかもしれない。

 だが、②-1、②-2のタイプのイノベーション、つまり「代替品開発戦略」では、既存市場の構造や競争ルールひっくり返して、既存企業からごっそり顧客を奪うことを狙っているから、市場の声によく耳を傾けなければならない。①-1のタイプは非顧客を対象とするものであるが、非顧客は将来的な潜在顧客であると考えれば、これもまた広い意味で、顧客の声に耳を傾けることが要請されていると言える。EVは非連続的な技術革新により、産業・市場構造を抜本的に変化させる点で②-1に該当し、自動運転は運転免許を持っていない人をターゲット顧客に含めることが可能になる点で①-1に該当する。よって、自動車メーカーは市場や顧客の声を丁寧に拾い上げ、技術と擦り合わせをしなければならない。
 寺師(※トヨタ取締役副社長):電動車の使い方は多様です。街中であれば、それほど高速で長く走らないので電池もそれほど要りません。少ない電池量でそれほど航続距離も長くない小型EVで間に合います。あるいは、山間部の過疎地では、軽トラックや軽自動車を電動車にして、一晩家で充電して、翌日に20~30km走れれば十分だというご老人の足代わりをするといったことも可能です。

 どこでも使えるEVというよりは、各地域に合ったEV規格が出てきて、それに長い距離を走る場合に備えてレンジエクステンダーをつけておく。これはPHVだから駄目だ、エンジンがないからEVだと、ようかんを切るがごとく、明確に分け方を議論することには意味がないのです。
(寺師茂樹、米倉誠一郎、延岡健太郎、藤本隆宏「利用シーンに適した電動車で多様なモビリティサービスを展開する」)
 取締役副社長がここまでおっしゃるトヨタが、どこまで本気を出して、市場や顧客に密着したイノベーションを起こせるか、注目してみたいと思う。