欧州複合危機 - 苦悶するEU、揺れる世界 (中公新書)欧州複合危機 - 苦悶するEU、揺れる世界 (中公新書)
遠藤 乾

中央公論新社 2016-10-19

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 EU(母体はECSC〔欧州石炭鉄鋼共同体〕)は元々、ドイツ(当時は西ドイツ)を抑え込むための装置であった。第2次世界大戦後、フランスは自国の戦後復興を第一に考えていた。そのため、競争力のある同国の鉄鋼業の発展を図るのに必要な石炭の確保を迫られ、その供給源として目をつけたのがドイツであった。フランスは、石炭を「共同管理」することがフランスの復興・発展のためになり、同時にドイツのそれを制御することにつながると計算していた。

 冷戦が始まると、アメリカはソ連との対抗上、かつての敵国だった西ドイツを支援し、その潜在的な工業力を西側陣営のために使いたいと考えた。再び西ドイツが脅威となっていくのを危機ととらえたフランスが西ドイツを制御し、自国のエネルギー不足を補いながら鉄鋼業を伸ばし、国力をつけるために、石炭・鉄鋼の共同管理、すなわちECSCを主導したというのが実態に近い。フランスは、憎き西ドイツと手を結ばざるを得なかったのである。

 ECSCの設立を呼びかけたシューマン宣言が1950年に提出されたその翌年、朝鮮戦争が始まった。ヨーロッパでも東西間の緊張が激化する中、西側防衛に資するとして、西ドイツの再軍備が政治日程に上った。それは、再びドイツの強大化を招くものとして、フランスをはじめとした諸国の間に深刻な懸念を生んだ。

 その西ドイツ再軍備をヨーロッパの枠で回収し、ドイツ軍の復活でもなく、ヨーロッパ軍として統合してしまおうというのが、プレヴァン・プランとそれに引き続く欧州防衛共同体(EDC)構想であった。しかし、それは1954年夏、フランスの国民議会により批准が延期されたことで、実質的に葬り去られた。これは、戦後のヨーロッパ統合が被った最大の打撃の1つとなった。以後、軍事安全保障は基本的に課題から外され、長いこと経済中心に統合を図ることになる。

 時代が下り、冷戦が終結すると、マーストリヒト条約が1991年末に合意された。同条約は、強大化するドイツに対する保険であった。つまり、両独統一と引き換えに、それまでのボン共和国(西ドイツ)が最も誇りに感じていた安定通貨・マルクとそれをつかさどってきた連邦中央銀行による通貨政策の策定とを、単一通貨の下で共有させるよう、フランスやイタリアが求めたことに由来する。

 このように、EUは何とかしてドイツの力を抑え込み、第2次世界大戦の悲劇を繰り返さないためにどうすればよいかという問いに対する、フランスを中心としたヨーロッパ全体の「解」であった。ところが、EUで様々な危機が相次ぎ、現在のEUはドイツの独壇場となっている。「ヨーロッパのドイツ」を目指す取り組みは、いつしか「ドイツのヨーロッパ」に変質した。

 EUの金融・財政危機の際にドイツが供出した金額や信用、さらにそれに付随する行動を見れば、そこそこの越境的連帯が成立していた可能性がある。ドイツはギリシア一国に対し、最大840億ユーロの持ち出しがあり、ギリシアが破産すれば、それは返ってこないリスクを抱えている。さらに、ユーロの決済システムであるTARGET2へのドイツのエクスポージャーは、最大値に達した2012年8月の時点で約8,515億ユーロに上った。日本の国家予算に匹敵する規模である。TARGET2はユーロ圏の「隠れた救済システム」として作動しており、欧州中央銀行経由で決済の滞る債務国の支援をしているのに他ならない。

 それでも著者は、ドイツにはまだヨーロッパ全体を牽引する責任が不足していると指摘する。ドイツには責任に応じたより一層の権力行使が必要だと主張する。ところが、ドイツ国民自身が戦前の状態に戻ることを恐れており、また、元来勤勉家で合理的な国民性が権力の行使を阻害しているという。

 さらに著者は、イギリスがEUの集権化を嫌ってEU離脱を決めたにもかかわらず、現在のEUはさらなる集権化が必要だとさえ言っている。ただし、その権力に対するヨーロッパ全体の支持が不可欠であるとつけ加えている。換言すれば、「皆で決めたことをEUの中央が実行している」という意識を醸成しなければならない。現在の欧州議会の投票率はあまりにも低く、およそ民主主義からは遠い。