日本の思想 (岩波新書)日本の思想 (岩波新書)
丸山 真男

岩波書店 1961-11-20

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 私に丸山眞男の考えなんてこれっぽちも解るわけがないのだが、頑張って記事を書いてみることにする。

 通常、理論と精神は固く結びついている。基本的な精神の上に理論は構築されている。ところが、日本の場合は、外国から次々と新しい理論が入ってきて、それらが雑居(雑種ではない)するという状態が見られる(私はこれを小国らしい「ちゃんぽん戦略」だと評価するのだが、丸山の場合はそうではなさそうだ)。日本に導入された理論は、時系列に従って整然と整理されていない。だから、理論の生みの親である西洋では既に時代遅れになったものが、未だに日本ではもてはやされるという事象が頻繁に見られる。また、ある理論が否定されると、その代わりに突如として昔の理論が思い出されることもある。

 一方の精神はどうかと言うと、日本の精神は抽象化されず、直接的に把握されるという特徴がある。本居宣長の国学が追求したのはこの点であった。明治時代には「国体」という言葉で日本精神を統一し、国体のために戦争に突入したわけだが、その中身はついに煮詰められることがなく終戦を迎えた。端的に言えば、国体の中身は空っぽであった。空っぽなのだから何でも受け入れる余地がありそうなのに、実際はそうではない。日本の国体は、普段は沈黙しているが、自分が気に食わない精神は徹底的に排撃するという暴力性を備えている。

 丸山は、日本にはイデオロギー論争がなかったと指摘する。通常、イデオロギーを議論の俎上に載せるには、その前提となる精神を抽象化しなければならない。その上で、その精神が正当であるかを問うことを通じて、理論の効用を論じるという手順を踏む。ところが、前述のように、日本の場合は、次々と新しい理論が流入する一方で、精神の側が空っぽであるから、論争にならない。

 理論と精神の関係は、社会科学と文学の関係と言い換えてもよい。近代の日本において、社会科学と文学の関係が最も強固な形でもたらされたのが、マルクス主義(とプロレタリアート文学)であった。しかし、日本には理論と精神を固く結びつけるという伝統がない。そこに、社会科学と文学ががっちりと手を結んだマルクス主義が流入したことは、日本にとって大きな衝撃であった。とはいえ、日本にはマルクス主義を受け入れる精神が存在しない。マルクス主義によって、ようやく文学における自然主義が認識される程度であった。

 精神の側がそんな具合だから、理論の側もマルクス主義の衝撃を受け止めることができなかった。マルクス主義に限らずどんな理論でも必ずそうだが、理論は論理的一貫性を通すために、現実の一部を敢えて捨てている。この意味で、理論はフィクションである。日本人はこの点を理解することができなかった。現実が理論と等しいものと勘違いしてしまった。この時点で、理論は敗北を喫している。

 理性的なもの(社会科学)を追求する根源的なエネルギーは非理性的(文学)である。理論(合理的)を現実(非合理的)に適用するには、一種の賭けをしなければならない。この意味でも、理論(社会科学)と精神(文学)の固い絆は不可欠である。だが、その絆を我がものにできなかった日本では、理論が現実に歩み寄ってしまった。これはちょうど、日本という理想を中国という現実に合わせて、中国に対して土下座外交をしたと指摘した山本七平の主張に通じるところがあるように思える(ブログ本館の記事「イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人と中国人』―「南京を総攻撃するも中国に土下座するも同じ」、他」を参照)。