こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント)のブログ別館。1,500字程度の読書記録の集まり。

ミャンマー

松田健『最後のフロンティア―ミャンマーの可能性』


最後のフロンティア ミャンマーの可能性最後のフロンティア ミャンマーの可能性
松田 健 重化学工業通信社

重化学工業通信社 2015-02-12

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 ヤンゴンの中国人の紹介で中国からの観光客に工場を見せてあげて欲しいと頼まれたオン・ミント社長は、「もしかしたら大量に買ってくれるかも知れない、と期待して工場を見せた。この中国人グループは工場でデジカメを使って新製品である子供用のスリッパの写真をたくさん撮って帰った」という。同社のスリッパの販売価格は約300円。

 それからたった1か月も過ぎないのにTWP社とまったく同じデザインの製品が中国で生産されてミャンマーに輸出されるようになった。「誰が見ても明らかに当社のデザインをコピーしたものなのです。しかも価格は当社の4分の1以下の約70円で、とても対抗できない」
 知的財産権に対する中国の意識が低いことは今さら言うまでもないが、なぜ中国はこれほどまでに知的財産権を軽視するのか、かねてから疑問であった。1つ考えられるのは、中国が共産主義であるため、ということである。共産主義の下では、私有財産は否定され、あらゆる財産が共有とされる。だから、知的財産も特定の個人には帰属せず、社会全体で共有することとなる。共有財産なのだから、誰かが勝手に使っても問題ない、という理屈である。

 だが、近年は中国だけでなく、ASEAN諸国における知的財産権の侵害が増加している。特許庁「2014年度模倣被害調査報告書」によれば、日本企業が海外において模倣被害を受けた国・地域の1位は中国(67.0%)、2位はASEAN6か国(20.4%)(※ASEAN6か国とはインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、ベトナム、フィリピン)となっている。ミャンマーはこのASEAN6か国の中に入っていないが、本書ではミャンマーにおける知的財産侵害の事例が紹介されている。
 ヤンゴンの中心部に目立つサムスンの正規代理店の並びにはかなり以前から偽の「DOCOMO」店があったが、最近名前を変えた。おそらく日本のドコモが交渉してやめさせたのであろう。しかし他にもニセモノ店が多く、日本のブランドイメージを使いながら安い携帯電話を売りまくっており、日本のイメージ低下につながっている。「ニッポンのLG」(LGは韓国の財閥企業)というわけがわからない看板も見かける。
 ミャンマーにはつい最近まで知的財産権に関する法律がなかったと言われる。ミャンマーの経済開発特区の関係者が来日して開催したセミナーに参加した時、参加者から「ミャンマーの知的財産権法はどうなっているのか?」という質問が出た。ところが、関係者が「知的財産権」という言葉を理解できていなかったようで、なぜかずっと固定資産の話をしていた。同席していたJETROの担当者が途中で我慢できなくなったのか、「現在、法律を作成中のようである」とフォローした。

 ASEANで模倣品侵害が起きるのは、アジアが基本的に農耕民族であることと関係しているような気がする。農民は土地を共有し、共同で作業をし、収穫物を山分けする。だから、知的財産権の果実も皆のものだと考えているのかもしれない。狩猟民族の場合、狩りは単独行動であり、獲物は獲った人のものである。だから、個人財産という意識が強く働く(こういう農耕民族―狩猟民族という区分は、物事をあまりに単純化しているのであまりよくないのだが・・・。旧ブログの記事「中坊公平氏の「森林文化―砂漠文化」という2軸による経済発展の差の説明は根拠が乏しい」では、そういう区分を批判したこともあった)。

 ここでもう1つ解らなくなることがある。本当に共有財産制であれば、ゴミを不当に廃棄すると財産の価値が毀損されるため、不当な廃棄に対しては周囲の厳しい監視の目が働くはずである。ところが、中国が環境汚染物質を垂れ流して周辺国で公害を引き起こしていることは有名な話である。本書では、中国産の古い機械がミャンマーに流れ込んで問題になっていることにも触れられていた。
 「中国はミャンマーを中国で使えなくなった機械のゴミ捨て場にしようと考えている」と怒っているミャンマーの機械加工メーカーの経営者もいる。品質が極めて悪い中国製中古機械が雲南省国境から大量にミャンマーに入ってきている。ミャンマー製より断然安いので中国製機械が氾濫してしまうのだが、「すぐに修理もできなくなるほど壊れ、動かずにゴミになってしまう」と困惑するところが多い。
 ゴミになった途端、他国・他人に押しつけてもよいという発想は、一体どこから生まれてくるのだろうか?(なお、上記のような問題もあって、現在のミャンマーでは中古機械の輸入が禁止されているそうだ)

Watch!CLMB編集部『アジアの雑誌復刻版 その先のアジアへ ミャンマー・ラオス・カンボジア』


アジアの雑誌 復刻版 その先のアジアへ ミャンマー・ラオス・カンボジア (アジアの雑誌復刻版)アジアの雑誌 復刻版 その先のアジアへ ミャンマー・ラオス・カンボジア (アジアの雑誌復刻版)
室橋裕和ほか Watch!CLMB編集部

キョーハンブックス 2014-09-29

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 完全に私の無知だったのだが、本書を読むまでは、インパールはてっきりミャンマーにあるものだと思っていた。実際にはインドにある。ミャンマー、バングラデシュ、ブータン、中国などに囲まれて陸の孤島のようになっている(実際にはつながっているのだが)地域は、「セブン・シスターズ」と呼ばれ、アルナーシャル・プラデーシュ州、アッサム州、メーガーラヤ州、トリプラ州、ナガランド州、マニプル州、ミゾラム州の7つの州からなる。インパールはマニプル州の州都である。


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 マニプル州には「マニプル王国」が存在したが、マニプル王国はビルマとの国境にありしばしば侵入を受けた。1754年にビルマを統一したコンバウン朝は、イギリス領インドに対する武力侵略をきっかけとして、3度に渡る英緬戦争を起こした。1885年11月の第3次英緬戦争で王朝は滅亡し、1886年6月、ビルマはイギリス領インドに併合されてその1州となった。

 その頃、マニプル王国では後継者争いが続いていた。1891年3月、イギリス政府は王位を奪ったジュヴラジ・ティケンドラジットを簒奪者と見なし、イギリス軍を送り込んでマニプル軍との戦闘が始まった。これがイギリス・マニプル戦争の発端となり、同年4月にマニプルは屈服した。

 1941年の太平洋戦争開戦後間もなく、日本軍は援蒋ルートの遮断などを目的としてビルマへ進攻し、勢いに乗じて全土を制圧した。連合国軍は一旦退却したものの、1943年末以降、イギリスはアジアにおける植民地の確保を、アメリカと中国は援蒋ルートの回復を主な目的として本格的反攻に転じた。その際、拠点となったのがインパールである。

 インパールは、牟田口廉也によるインパール作戦の失敗であまりに有名である。牟田口は、インパールの攻略によって連合軍の反攻の機先を制し、さらにインド国民軍によってインド国土の一角に自由インド仮政府の旗を立てさせることで、インド独立運動を刺激できると主張した。さらに、ナガランド州ディマプルへの前進をも考えていた。これが成功すれば、ハンプ越えの援蒋ルートを絶ち、ジョセフ・スティルウェル指揮下の米中連合軍への補給も絶つことができる。

 牟田口の案は、第15軍の3個師団(第15、第31、第33師団)に3週間分の食糧を持たせてインパールを急襲し占領するというものだった。そのためには、川幅1,000メートルのチンドウィン川を渡河し、標高2,000メートル級のアラカン山脈を踏破しなければならない。さらに問題だったのは、作戦が長期化した場合の前線部隊への補給だった。ビルマ方面軍は当初牟田口の案を無謀と判断したが、南方軍と大本営は最終的にこの案を支持した。



 結局、懸念された通り補給が途絶え、日本軍は多くの犠牲を払うことになった。牟田口は補給不足打開策として、牛・山羊・羊・水牛に荷物を積んだ「駄牛中隊」を編成してともに行軍させ、必要に応じて糧食に転用しようという「ジンギスカン作戦」を立てていた。しかし、頼みの家畜の半数がチンドウィン川渡河時に流されて水死、さらに行く手を阻むジャングルや急峻な地形によって兵士が食べる前に脱落し、たちまち破綻した。また3万頭の家畜を引き連れて徒歩で行軍する日本軍は、進撃途上では空からの格好の標的となった。

 1944年7月3日、日本軍は作戦中止を正式に決定した。将兵は豪雨の中、傷つき疲れ果て、飢えと病に苦しみながら、泥濘に覆われた山道を退却していった。退却路に沿って死体が続く有様は「白骨街道」と呼ばれた。最終的には、イギリス軍側の損害17,587名に対し、日本軍は参加兵力約85,600名のうち30,000名が戦死・戦病死し、20,000名の戦病者が後送されたという。

 本書は他に、ミャンマーとタイ、カンボジアとタイの国境付近の旅行記などが興味深い。また、カンボジアでは、インフラを整備するために中国資本が大量に入り込んでいることも指摘されている。日本のODAは主要都市間を結ぶ道路を作って終わりだが、中国は国土の大部分を占める地方の道路を人海戦術的に開発しているらしい。「日本は多額のODAを拠出しているから親日国になってくれる」などといつまでも思わない方がよさそうだ。

森哲志『こんなはずじゃなかったミャンマー』他


こんなはずじゃなかったミャンマーこんなはずじゃなかったミャンマー
森 哲志

芙蓉書房出版 2014-07-18

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1時間でわかる図解ミャンマー早わかり1時間でわかる図解ミャンマー早わかり
工藤 年博

中経出版 2013-03

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本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ (講談社現代新書)本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ (講談社現代新書)
下川 裕治

講談社 2015-03-19

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 ミャンマーには3つの経済特区がある。

 (1)チャウピュー経済特区
 チャウピューは中国によって開発が進められている。ただし、大型のタンカーが就航できる深海港の開発・整備がメインで、港の後背地に工業団地などを建設する計画に中国がどこまで本気かはっきりしていない(2015年2月、チャウピュー経済特区の開発に応札した企業のうち、9割が中国企業であったことが発表された)。とはいえ、中国は、ミャンマー国土を縦断する大動脈作りに乗り出している。

 まずは、原油・天然ガスのパイプライン建設である。チャウピュー⇒マグウェイ⇒マンダレー⇒ムセ⇒大理⇒昆明をつなぐ、総延長距離1,100キロ(東京―福岡間に相当)のパイプラインである。中国最大の国有企業・中国石油天然気集団(CNPC)が50.9%、ミャンマー国営石油ガス公社が49.1%出資する。

 原油は、チャウピュー東側のマデ島の積み下ろし埠頭から昆明まで輸送する。天然ガスは、ラカイン州沖合のシュエ・ガス田産を海底輸送し、チャウピューから石油パイプラインと並行して運ぶ計画である。2010年6月に着工されたが、これに先立ち、CNPCは同ガス田の天然ガスを2013年から30年間購入する契約を締結している。両パイプラインは、2013年6月に開通した。

 次に鉄道である。2011年5月に両国間で建設に合意した。大理―チャウピュー間810キロに、時速200キロの高速鉄道を走らせる。建設費として、中国開発銀行から7億6,300万ドルのクレジットが供与される。中国は他にも様々な施策を展開し、ミャンマーを衛星国並みの存在に置き換えてしまった。

 (2)ダウェー経済特区
 ダウェー経済特区はタイが開発を進めており、ダウェー新港(深海港)とその後背地に工業団地が建設される予定である。総プロジェクト面積は2,500ヘクタールと広大である。これまでの開発は順調ではなかったが、今はミャンマー政府がタイ政府と委員会を作り、国家プロジェクトとして取り組んでいる。また、2015年2月には、ダウェー経済特区の開発計画に日本が加わることも発表された。

 タイにとって、ダウェーはバンコクまで300キロの距離にあり、重化学工業の製造拠点として大きな可能性を秘めている。また、ダウェー新港はタイにとっては南アジアへの玄関口であり、インド・中東・ヨーロッパへの輸送時間も短縮されることから、進出企業にとって貿易面でも大きなメリットが出てくる。

 (3)ティラワ経済特区
 2012年4月、日本・ミャンマー首脳会議において、ヤンゴンから23キロのところにあるティラワ港(河川港)の後背地2,400ヘクタールの開発、および周辺インフラ整備のマスタープラン策定に関する意図表明覚書が締結された。

 2013年には、丸紅・住友商事・三菱商事などが企業連合を作り、ミャンマーの商工会にも企業連合を立ち上げることを要請し、両者で合弁会社を作って特区の開発・建設に着手することになった。2,400ヘクタールのうち、400ヘクタールの開発・建設を2015年までに終える予定になっている。

 3つの経済特区の中では最も完成のめどが立っていると言われるが、問題も多い。1つ目はティラワ港の問題である。ティラワ港は海洋に面しておらず、ヤンゴン川河口から少し奥まった港であるため、水深が9メートルしかない。これでは搬入物資が限られる。また、河川港は土砂が港に流入しやすいという欠点がある。

 2つ目は電力である。電力不足はティラワ経済特区に限った話ではないのだが、ティラワ経済特区の場合は別の問題を抱えている。2013年10月、ティラワ経済特区の電力を担う火力発電所の建設が発表された。チャウタン郡内に500MWと300MWの2基を2015年度までに完成させる計画であった。

 問題は、受注したのが”DIAMOND PALACE SERVICE”と”VIRTUE LAND”という無名の企業であり、一般競争入札を行った形跡がなく、随意契約の経緯も不明となっていることだ。この2社がこれほど大きな発電所を建設する企業能力を有しているとは思えない。仮に中国系の企業に丸投げしていたとすると、日本企業にとっては首根っこを押さえられるようなもので、到底認められない。

 ミャンマーの大型プロジェクトに絡む地元企業は、軍幹部筋などの息がかかった企業が多いと言われる。公共事業など政府支出額の25~30%が軍幹部筋に流れている。一部には「軍部縁故資本主義」と揶揄する声もある。

 3つ目は土地の契約の問題である。ティラワ経済特区の視察をしたある日本企業の話によると、工業用地の契約が70年で、しかも賃料を50年分前払いせよという、とんでもない条件になっているらしい。しかも、明確な開発プランがあるわけでもなく、解っているのは水道が2018年に通るということだけだという。

 最後はティラワの住民対策である。ミャンマーは、国民に対して絶対に譲らず、高圧的に、必要に応じて武力で抑え込む歴史的経験しか持ち合わせていない。そのため、ミャンマー政府と住民との間で、立ち退きに際しての補償条件が取り交わされているのに、当局は農漁業への環境影響調査を実施せず、果ては「立ち退きに応じなければ身柄を拘束する」という文書を突きつけるありさまだ。

 2013年3月、日本政府はミャンマー政府に対して、「ティラワ経済特別区開発の協力覚書」(2012年12月調印)に基づき、「国際的な環境基準を順守して住民に対応してほしい」との異例の申し入れを行った。今のところ住民問題は落ち着いているようだが、住民の不満の矛先が、開発主体である日本企業に向けられるリスクはゼロではない。事実、住民側は日本に対し、JICAの環境ガイドラインに順応して開発するよう要請したこともある。

森哲志『こんなはずじゃなかったミャンマー』


こんなはずじゃなかったミャンマーこんなはずじゃなかったミャンマー
森 哲志

芙蓉書房出版 2014-07-18

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 ミャンマーの駐日大使館がある品川御殿山は、ミャンマー人にはあまり好かれていないらしい。それは以下の2つの理由による。

 (1)日本で働くミャンマー人は、大使館に税金を納めなければならない。この制度は1989年に創設されたと言われる。前年に「血の8888事件」が起きて軍事政権が誕生したのを契機に海外からの経済援助がストップし、ただでさえ悪い財政がさらに悪化した。こうした国内の状況を嫌った人々は、次々と海外出稼ぎに出るようになった。政府としてもこの流れを止めることができず、収入の10%を税金として納めることを条件に、出稼ぎを容認するようになった。経済援助を打ち切られたミャンマー政府にとって、外貨獲得のための苦肉の策であった。

 ところが、ミャンマー人は、その税収は国庫に入っていないと見ている。大使館は使途不明なアングラマネーを集めているということで、ミャンマー人からは嫌われているのである。税金は軍事政権の資金源になっている疑いもあった。なお、この税制は、民主化の流れの中で2012年1月にようやく廃止された。

 (2)もう1つの理由は、ミャンマー大使館をめぐり、バブル時代に土地売買で巨額の資金が動き、軍事政権を支える原動力となったことである。軍事政権発足当初、大使館の敷地はもっと広大で、御殿山に1万6,000平方メートルほどあった。その6割近い9,300平方メートルを、1990年1月に銀座の不動産会社に340億円で売却した。この不動産会社はマンションを建設する予定だったが、第一種住居専用地域のため、建物建設には10メートルの高度制限があった。それをクリアするため、空中権としてさらに240億円を支払った。

 不動産会社に購入資金を融資したのは、大手金融機関であった。富士銀行が260億円、第一勧業銀行と日本長期信用銀行系の長銀インターナショナルリースがそれぞれ140億円、三菱銀行が100億円(銀行名称はいずれも当時)である。問題は、これがバブル崩壊直前の融資であったことだ。当時の大蔵省は、バブル崩壊を予測して、不動産向けの大型融資を控えるように通達を出していた。それに反して融資をしたのだから、マスコミは「ずさん融資」と書き立てた。

 果たしてバブルは崩壊し、融資は不良債権化した。その後、損失処理のため、共同債権買取機構に売却された。不動産会社は資金難に陥り、マンション建設も中止に追い込まれた。御殿山は10年以上も更地で放置されることになった。ミャンマー人にとって大使館は「不健全」の象徴であり、親しみを持てないのだ。

工藤年博『1時間でわかる 図解ミャンマー早わかり』


1時間でわかる図解ミャンマー早わかり1時間でわかる図解ミャンマー早わかり
工藤 年博

中経出版 2013-03

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 テイン・セイン氏の下で民主化が進んでいるミャンマーだが、依然として軍人の影響は強いようである。ミャンマーの議会は、人民代表院(下院)と民族代表院(上院)から構成され、両院を合わせて連邦議会と呼ぶ。議席数は人民代表院が440、民族代表院が224であるが、両院ともその4分の1は、国軍司令官の指名した軍人議員が占めることになっている。つまり、人民代表院の110議席、民族代表院の56議席は、軍人議員が選挙を経ずに選ばれる。

 ミャンマーの大統領は、3人の大統領候補から選ばれる。人民代表院の民選議員から1人、民族代表院の民選議員から1人、両院の軍人議員の中から1人、候補が選出される。連邦議会の議員全員で、3人の中から1人を大統領に選ぶ。そして、落選した2人が自動的に副大統領になる。したがって、大統領と副大統領のうち必ず1人は軍人議員出身となり、国軍の影響力が及ぶこととなる。

 2015年に行われる総選挙では、アウンサンスーチー氏が率いるNLD(国民民主連盟)が勝利すると予測されている。しかし、現行憲法では、両親、配偶者、子ども、子どもの配偶者が外国籍である者は大統領候補の資格がないと定められており、息子がイギリス国籍を持つアウンサンスーチー氏は大統領になれない。

 そこで、憲法を改正する必要があるのだが、ここでも国軍の壁が立ちはだかる。憲法改正には4分の3を超える議員の賛成が必要と定められている。ところが、前述の通り4分の1は軍人議員であるから、軍人議員の中から憲法改正に賛成する議員が出ないことには、憲法改正ができない仕組みになっている。

 軍人議員を指名する国軍司令官は、非常に大きな権力を持っている。まず、組閣に関して、国防大臣、国境大臣、内務大臣の3人は、大統領ではなく国軍司令官が任命することになっている。

 国軍司令官は、大統領が国防治安評議会の提案・承認を受けて任命する。国防治安評議会は、大統領、2人の副大統領、両院議長、国軍司令官、国軍副司令官、国防大臣、外務大臣、内務大臣、国境大臣の11人で構成されている。このうち過半数の6人が、国軍司令官の指名する人間によって占められている。つまり、国防治安評議会の議決には、国防司令官の意向が強く反映される。

 国防治安評議会は、国家の独立が失われる危機があった場合などに、非常事態宣言を出すことができる。非常事態宣言が出されると、全権が大統領から国防司令官に移譲される。国防司令官は、自分が影響力を持つ国防治安評議会に非常事態宣言を出させることで、大統領から全権を奪うことも可能ということになる。この仕組みが、「ミャンマーでは国軍が合法的にクーデターを起こすことができる」と批判されるゆえんである。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、1,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
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 「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ

(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

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(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

【中小企業診断士は独学で取れる】中小企業診断士に独学で合格するなら「資格スクエア」中小企業診断士の安い通信講座なら「資格スクエア」
(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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