こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント)のブログ別館。1,500字程度の読書記録の集まり。

ミャンマー

みずほ銀行国際戦略情報部『グローバル化進む日本企業のダイナミズム』―ASEAN主要7か国+インドのポイント


グローバル化進む日本企業のダイナミズムグローバル化進む日本企業のダイナミズム
みずほ銀行国際戦略情報部

きんざい 2016-11-04

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 本書は中国、東アジア、ASEAN、南西アジア、オセアニア、米州、欧州、中東、アフリカのポテンシャルとリスクについて俯瞰できる1冊である。その中で、私が特に関心を寄せているASEANとインドについて、本書のポイントをまとめておく。

 <ベトナム>
 ①統計上、近年ベトナムに進出する日系企業の件数は増加傾向にあるものの、投資金額はそれほど伸びていない。これは、レンタル工場へ進出する中堅中小企業が増えているためである。また、ベトナム企業が運営する工業団地であっても、日系の代理店が進出をサポートするなど、製造業での進出が容易になっている点も理由として挙げられる。
 ②チャイナプラスワン戦略の候補として北ベトナムが選ばれることが多い。これは、中国・華南地域のサプライチェーンを活用できるためである。ただ、逆に言えば、華南から部品を調達することができるため、北ベトナムにおける現地調達率は低い水準にとどまっている。
 ③北ベトナムは東西経済回廊を通じてバンコクと陸路でつながっており、所要日数も2~3日にすぎない。ただし、タイからベトナムへの貨物は多数あるが、ベトナムからタイへの貨物が少なく、片道の輸送コスト分をもう一方に転嫁せざるを得ない。そのため、輸送コストは海路を利用した場合の倍近くになる。なお、海路の場合、タイのレムチャバン港と北ベトナムのハイフォン港を結ぶにはインドシナ半島を経由する必要があるため、10日以上かかる。
 ④二人っ子政策などによる少子化や晩婚化の影響を受け、日本を上回るペースで少子高齢化の時代が訪れると予想される。2015年には、早くも人口構成の変化が人口オーナス期に突入している。
 ⑤ベトナム南部の気質として、「貯蓄をするよりも給料はその月のうちに使い切る」というものがある。また、見えを張る気質もあり、日本と同水準の家電製品がよく売れている。笑い話として、ベトナムでは来客に見せびらかすために、冷蔵庫を玄関に置いているという話もある。

 <カンボジア>
 ①舗装されているのは国道のみであり、民家から国道へ出るためには未舗装の道路を通らなければならないため、わずか数キロを通勤するのに1時間から1時間半を要するケースもある。
 ②カンボジアの教育水準は低い。ワーカーとして雇用する労働者には小学校の途中退学者が多く、文字が読めない、計算ができないといった状況に加え、トイレの使い方が解らない者などが多くいるのも現実である。
 ③プノンペンとホーチミンは南部経済回廊で結ばれているが、プノンペンからホーチミンは、メコン川を利用した水上輸送の方が3分の1程度のコストで済む。

 <ラオス>
 ①ラオスにはビエンチャンとサワンナケートに工業団地があるが、2015年7月、南部のパクセーある工業団地が日系中小企業専用の経済特区として指定された。ラオスは労働力人口が少ないため、大企業が1社でも進出すると周辺の労働力が大企業に吸い上げられてしまう。中小企業が人材の流出を食い止めようと賃金を大手の水準に引き上げれば、労働コスト面のメリットがなくなってしまう。こうしたリスクを回避するための策である。
 ②ラオスに工場が設立されれば、タイに出稼ぎに出ているラオス人が戻ってくるとラオス政府や工業団地は主張する。しかし、そもそもタイに出稼ぎに出ているラオス人は高給を求めてタイに行っているわけだから、賃金水準の低いラオス国内に出稼ぎ先を変える必要性は薄い、という見方も存在する。
 ③ラオスに工場を設立すれば、言語・文化的に近いタイからマネジャーを連れてくることができると言われることも多い。しかし、ラオスの工業団地に隣接しているタイの都市は地方都市であり、有名大学が多くホワイトカラーを輩出できるバンコクからは遠く離れているのが実情である。

 <タイ>
 ①2013年以降、製造業の新規進出には一服感がある。これは、インラック政権が2012年に実施した「ファーストカー減税」(初めて自動車を購入する人に最大10万バーツの物品税還付を行うという施策)により、需要が先食いされたためである。一方で、2013年以降は、タイの国内市場をターゲットとした各種消費財や食品の販売、外食チェーン、IT関連、不動産開発といった物販、サービス関連の日本企業の進出が多くなっている。
 ②タイに進出する飲食店は、タイ市場を「甘く見すぎている」。バンコク市内の日本食レストランを数件視察し、タイ人客で繁盛する様子と、それほどレベルが高くないように見えるサービスや料理を目にして、「これなら自社の方がよいサービスと料理を提供できる」と思ってしまう。タイ人は新しいもの好きなので、視察時にその飲食店がたまたま繁盛していただけかもしれない。タイに進出する際には、日本で出店するのと同様に、入念な調査と準備を行う必要がある。
 ③現地事情を知り尽くしたタイ企業は、日本の主要プレイヤーを分析した上で、タイでヒットする可能性が高いと認めた日本レストランを戦略的に「一本釣り」している。タイ側からアプローチを受けたことがない企業は、タイ進出を決める前に、タイ企業からどう思われているのか(そもそも知られているのか)、ビジネスモデルに問題がないか、改めて考えてみる必要がある。

 <ミャンマー>
 ①ミャンマーは現在もアメリカの制裁対象国である。ミャンマーの財閥などと提携を検討する際には、「SDN(Specially Designated Nationals and Blocked Persons List)リスト」の対象者となっていないかを確認する必要がある。
 ②バンコクから東西経済回廊を利用してメソート、ミャワディ、ヤンゴンへと至る陸路を走破するには、約4日(約960㎞)で十分である。海路の場合、マレー半島を迂回する必要があり、約21日かかる。ミャンマーはインド、中東へ進出するための重要な国である。ただ、ヤンゴン港は河川港で水深が浅く、大型船の乗り入れができないという難点を抱えている。
 ③そこで日本は、タイが開発を進めていたダウェーSEZへの参画を決め、ダウェー港の開発に注力している。ダウェーは深海港の開発が可能である。ダウェー港が完成すれば、マラッカ海峡を通らずにインド洋に進出できる。なお、バンコクとダウェーは、南部経済回廊で結ばれている。
 ④中国は、チャオピューを輸出入拠点とすべく港湾開発を進めている。2013年秋には、マンダレーを通り、ミャンマー国境のムセ~中国国境の瑞麗、雲南省の昆明を通過し、広西チワン族自治区の貴港市までに至る全長約2,800kmのガスパイプラインが完成した。また、原油パイプラインも並走している。中国にとっても、マレー半島を大きく迂回し、マラッカ海峡を通る海上輸送ルートはリードタイム面で課題となっており、パイプラインによって物流レベルが数段改善される。
 ⑤笑い話だが、文房具も輸入に頼っており、同じ店で同じ種類のものが手に入るとは限らない。書棚のファイルを種類・色で分類するのも一苦労である。

 <フィリピン>
 ①フィリピンの労働力人口は2075~80年まで増加すると予想されている。一方、ベトナム、インドネシアの労働力人口は、2030~35年がピークである。
 ②フィリピンは、他のASEAN諸国に比べて、基本給の上昇率が低く、またストライキの発生件数も少ないので、労働環境は非常に安定している。
 ③BPO(Business Process Outsourcing)で経済が発展したが、反面製造業が弱く、裾野産業が育っていない。そのため、現地調達率が28.4%(2014年)と著しく低い。現地調達率を上げるには、現在部品を輸入している中国の珠江デルタから、いかにしてサプライヤーにフィリピンへ進出してもらうかがカギとなる。

 <インドネシア>
 インドネシアの主要経済拠点は以下の5つである。
 ①ジャカルタ=インドネシア経済はジャカルタ一極集中である。インドネシアに進出した日系企業は2014年半ば時点で1,700社と言われるが、その9割がジャカルタおよび近郊に立地している。
 ②スラバヤ=ジャカルタから東1,000kmに位置する人口第2の都市である。日系企業は100社ほど進出しているが、近年はスラバヤに第2工場を開設する製造業が増えている。インドネシア西部商圏向けはジャカルタ工場で生産し、インドネシア東部商圏向けはスラバヤ工場で生産するケースが見られる。
 ③スラマン=ジャワ島中部沿岸に位置する、中ジャワ州の州都。最低賃金はジャカルタより3~4割程度低く、工場用地も半額近い。日系企業は30社弱が進出している。近年、インドネシア全体の賃金上昇を受け、地場縫製メーカーがジャカルタからスラマンに移転するケースが多い。
 ④バタム島・ビンタン島=シンガポールから20km、フェリーで約1時間の島である。1970年代より保税加工区に指定され、政策的にシンガポールより多数の工場が移転された。日系企業も、労働集約型の電子部品メーカーなどを中心に、ピーク時には100社近くが進出していた。だが、最低賃金がジャカルタ並みであり、近年の賃金上昇を受けて、ベトナムへ生産機能を移管するケースが見られる。現在の日系企業数は50社弱である。
 ⑤バンドン=ジャカルタの東200㎞の高原地帯に位置する。バンドン工科大学、インドネシア教育大学などがあり、学園都市としても有名である。地場の大手縫製メーカーや大手食品メーカーが立地している。日系企業の進出は、自動車部品、縫製、ガラス加工など数十社にとどまる。

 <インド>
 ①タミルナドゥ州とその州都チェンナイは、日本企業からの投資が多く、日系企業の進出数が最も多い地域である。チェンナイは「インドのデトロイト」と呼ばれる。日系企業の中には、チェンナイにグローバル部品調達拠点を作る完成車メーカーやサプライヤーがある。インド南部の問題は、JETROが州政府と覚書を締結した日系専用工業団地がなく、工業団地が不足していることである。
 ②グジャラート州(州都:アーメダバード)は天然資源が多く、石油化学系の企業が集積している。また、インドの中では電力、水の供給面で進んでいる。スズキの鈴木修氏は、「グジャラート州は電気が余っている。工場立地としてはナンバーワン」と語っている。企業誘致にも積極的であり、モディ首相が州首相を務めていた当時、タタモーターズの誘致に成功している。今後、日系の自動車関連企業の参入が増加すると見込まれている。
 ③国産主義を貫いてきたインドでは、エネルギー、鉄鋼、化学など基幹産業の集積が進んでいる他、自動車や機械産業の裾野産業が発達している。よって、日本企業がインド市場に参入する場合、日本企業にとっての競合先が地場企業となるケースが多く、価格面で厳しい競争を強いられる。
 ④モディ首相が率いるインド人民党のマニフェストには、「総合小売業種の外資参入禁止、中小小売業者の保護」が明文化されており、小売業については今後のさらなる規制緩和は期待できない。
 ⑤インドには29州、7連邦直轄地があり、それぞれの州・直轄地が税制を導入し、州をまたいだ流通には中央販売税(CST:州またぎ税)が課せられるなど、税制・流通の煩雑さが参入障壁の1つとなっている。そこで、まずは特定の州をターゲットとし、小さく事業を始めるのが現実的であると思われる。

松田健『最後のフロンティア―ミャンマーの可能性』


最後のフロンティア ミャンマーの可能性最後のフロンティア ミャンマーの可能性
松田 健 重化学工業通信社

重化学工業通信社 2015-02-12

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 ヤンゴンの中国人の紹介で中国からの観光客に工場を見せてあげて欲しいと頼まれたオン・ミント社長は、「もしかしたら大量に買ってくれるかも知れない、と期待して工場を見せた。この中国人グループは工場でデジカメを使って新製品である子供用のスリッパの写真をたくさん撮って帰った」という。同社のスリッパの販売価格は約300円。

 それからたった1か月も過ぎないのにTWP社とまったく同じデザインの製品が中国で生産されてミャンマーに輸出されるようになった。「誰が見ても明らかに当社のデザインをコピーしたものなのです。しかも価格は当社の4分の1以下の約70円で、とても対抗できない」
 知的財産権に対する中国の意識が低いことは今さら言うまでもないが、なぜ中国はこれほどまでに知的財産権を軽視するのか、かねてから疑問であった。1つ考えられるのは、中国が共産主義であるため、ということである。共産主義の下では、私有財産は否定され、あらゆる財産が共有とされる。だから、知的財産も特定の個人には帰属せず、社会全体で共有することとなる。共有財産なのだから、誰かが勝手に使っても問題ない、という理屈である。

 だが、近年は中国だけでなく、ASEAN諸国における知的財産権の侵害が増加している。特許庁「2014年度模倣被害調査報告書」によれば、日本企業が海外において模倣被害を受けた国・地域の1位は中国(67.0%)、2位はASEAN6か国(20.4%)(※ASEAN6か国とはインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、ベトナム、フィリピン)となっている。ミャンマーはこのASEAN6か国の中に入っていないが、本書ではミャンマーにおける知的財産侵害の事例が紹介されている。
 ヤンゴンの中心部に目立つサムスンの正規代理店の並びにはかなり以前から偽の「DOCOMO」店があったが、最近名前を変えた。おそらく日本のドコモが交渉してやめさせたのであろう。しかし他にもニセモノ店が多く、日本のブランドイメージを使いながら安い携帯電話を売りまくっており、日本のイメージ低下につながっている。「ニッポンのLG」(LGは韓国の財閥企業)というわけがわからない看板も見かける。
 ミャンマーにはつい最近まで知的財産権に関する法律がなかったと言われる。ミャンマーの経済開発特区の関係者が来日して開催したセミナーに参加した時、参加者から「ミャンマーの知的財産権法はどうなっているのか?」という質問が出た。ところが、関係者が「知的財産権」という言葉を理解できていなかったようで、なぜかずっと固定資産の話をしていた。同席していたJETROの担当者が途中で我慢できなくなったのか、「現在、法律を作成中のようである」とフォローした。

 ASEANで模倣品侵害が起きるのは、アジアが基本的に農耕民族であることと関係しているような気がする。農民は土地を共有し、共同で作業をし、収穫物を山分けする。だから、知的財産権の果実も皆のものだと考えているのかもしれない。狩猟民族の場合、狩りは単独行動であり、獲物は獲った人のものである。だから、個人財産という意識が強く働く(こういう農耕民族―狩猟民族という区分は、物事をあまりに単純化しているのであまりよくないのだが・・・。旧ブログの記事「中坊公平氏の「森林文化―砂漠文化」という2軸による経済発展の差の説明は根拠が乏しい」では、そういう区分を批判したこともあった)。

 ここでもう1つ解らなくなることがある。本当に共有財産制であれば、ゴミを不当に廃棄すると財産の価値が毀損されるため、不当な廃棄に対しては周囲の厳しい監視の目が働くはずである。ところが、中国が環境汚染物質を垂れ流して周辺国で公害を引き起こしていることは有名な話である。本書では、中国産の古い機械がミャンマーに流れ込んで問題になっていることにも触れられていた。
 「中国はミャンマーを中国で使えなくなった機械のゴミ捨て場にしようと考えている」と怒っているミャンマーの機械加工メーカーの経営者もいる。品質が極めて悪い中国製中古機械が雲南省国境から大量にミャンマーに入ってきている。ミャンマー製より断然安いので中国製機械が氾濫してしまうのだが、「すぐに修理もできなくなるほど壊れ、動かずにゴミになってしまう」と困惑するところが多い。
 ゴミになった途端、他国・他人に押しつけてもよいという発想は、一体どこから生まれてくるのだろうか?(なお、上記のような問題もあって、現在のミャンマーでは中古機械の輸入が禁止されているそうだ)

Watch!CLMB編集部『アジアの雑誌復刻版 その先のアジアへ ミャンマー・ラオス・カンボジア』


アジアの雑誌 復刻版 その先のアジアへ ミャンマー・ラオス・カンボジア (アジアの雑誌復刻版)アジアの雑誌 復刻版 その先のアジアへ ミャンマー・ラオス・カンボジア (アジアの雑誌復刻版)
室橋裕和ほか Watch!CLMB編集部

キョーハンブックス 2014-09-29

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 完全に私の無知だったのだが、本書を読むまでは、インパールはてっきりミャンマーにあるものだと思っていた。実際にはインドにある。ミャンマー、バングラデシュ、ブータン、中国などに囲まれて陸の孤島のようになっている(実際にはつながっているのだが)地域は、「セブン・シスターズ」と呼ばれ、アルナーシャル・プラデーシュ州、アッサム州、メーガーラヤ州、トリプラ州、ナガランド州、マニプル州、ミゾラム州の7つの州からなる。インパールはマニプル州の州都である。


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 マニプル州には「マニプル王国」が存在したが、マニプル王国はビルマとの国境にありしばしば侵入を受けた。1754年にビルマを統一したコンバウン朝は、イギリス領インドに対する武力侵略をきっかけとして、3度に渡る英緬戦争を起こした。1885年11月の第3次英緬戦争で王朝は滅亡し、1886年6月、ビルマはイギリス領インドに併合されてその1州となった。

 その頃、マニプル王国では後継者争いが続いていた。1891年3月、イギリス政府は王位を奪ったジュヴラジ・ティケンドラジットを簒奪者と見なし、イギリス軍を送り込んでマニプル軍との戦闘が始まった。これがイギリス・マニプル戦争の発端となり、同年4月にマニプルは屈服した。

 1941年の太平洋戦争開戦後間もなく、日本軍は援蒋ルートの遮断などを目的としてビルマへ進攻し、勢いに乗じて全土を制圧した。連合国軍は一旦退却したものの、1943年末以降、イギリスはアジアにおける植民地の確保を、アメリカと中国は援蒋ルートの回復を主な目的として本格的反攻に転じた。その際、拠点となったのがインパールである。

 インパールは、牟田口廉也によるインパール作戦の失敗であまりに有名である。牟田口は、インパールの攻略によって連合軍の反攻の機先を制し、さらにインド国民軍によってインド国土の一角に自由インド仮政府の旗を立てさせることで、インド独立運動を刺激できると主張した。さらに、ナガランド州ディマプルへの前進をも考えていた。これが成功すれば、ハンプ越えの援蒋ルートを絶ち、ジョセフ・スティルウェル指揮下の米中連合軍への補給も絶つことができる。

 牟田口の案は、第15軍の3個師団(第15、第31、第33師団)に3週間分の食糧を持たせてインパールを急襲し占領するというものだった。そのためには、川幅1,000メートルのチンドウィン川を渡河し、標高2,000メートル級のアラカン山脈を踏破しなければならない。さらに問題だったのは、作戦が長期化した場合の前線部隊への補給だった。ビルマ方面軍は当初牟田口の案を無謀と判断したが、南方軍と大本営は最終的にこの案を支持した。



 結局、懸念された通り補給が途絶え、日本軍は多くの犠牲を払うことになった。牟田口は補給不足打開策として、牛・山羊・羊・水牛に荷物を積んだ「駄牛中隊」を編成してともに行軍させ、必要に応じて糧食に転用しようという「ジンギスカン作戦」を立てていた。しかし、頼みの家畜の半数がチンドウィン川渡河時に流されて水死、さらに行く手を阻むジャングルや急峻な地形によって兵士が食べる前に脱落し、たちまち破綻した。また3万頭の家畜を引き連れて徒歩で行軍する日本軍は、進撃途上では空からの格好の標的となった。

 1944年7月3日、日本軍は作戦中止を正式に決定した。将兵は豪雨の中、傷つき疲れ果て、飢えと病に苦しみながら、泥濘に覆われた山道を退却していった。退却路に沿って死体が続く有様は「白骨街道」と呼ばれた。最終的には、イギリス軍側の損害17,587名に対し、日本軍は参加兵力約85,600名のうち30,000名が戦死・戦病死し、20,000名の戦病者が後送されたという。

 本書は他に、ミャンマーとタイ、カンボジアとタイの国境付近の旅行記などが興味深い。また、カンボジアでは、インフラを整備するために中国資本が大量に入り込んでいることも指摘されている。日本のODAは主要都市間を結ぶ道路を作って終わりだが、中国は国土の大部分を占める地方の道路を人海戦術的に開発しているらしい。「日本は多額のODAを拠出しているから親日国になってくれる」などといつまでも思わない方がよさそうだ。

森哲志『こんなはずじゃなかったミャンマー』他


こんなはずじゃなかったミャンマーこんなはずじゃなかったミャンマー
森 哲志

芙蓉書房出版 2014-07-18

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1時間でわかる図解ミャンマー早わかり1時間でわかる図解ミャンマー早わかり
工藤 年博

中経出版 2013-03

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本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ (講談社現代新書)本社はわかってくれない 東南アジア駐在員はつらいよ (講談社現代新書)
下川 裕治

講談社 2015-03-19

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 ミャンマーには3つの経済特区がある。

 (1)チャウピュー経済特区
 チャウピューは中国によって開発が進められている。ただし、大型のタンカーが就航できる深海港の開発・整備がメインで、港の後背地に工業団地などを建設する計画に中国がどこまで本気かはっきりしていない(2015年2月、チャウピュー経済特区の開発に応札した企業のうち、9割が中国企業であったことが発表された)。とはいえ、中国は、ミャンマー国土を縦断する大動脈作りに乗り出している。

 まずは、原油・天然ガスのパイプライン建設である。チャウピュー⇒マグウェイ⇒マンダレー⇒ムセ⇒大理⇒昆明をつなぐ、総延長距離1,100キロ(東京―福岡間に相当)のパイプラインである。中国最大の国有企業・中国石油天然気集団(CNPC)が50.9%、ミャンマー国営石油ガス公社が49.1%出資する。

 原油は、チャウピュー東側のマデ島の積み下ろし埠頭から昆明まで輸送する。天然ガスは、ラカイン州沖合のシュエ・ガス田産を海底輸送し、チャウピューから石油パイプラインと並行して運ぶ計画である。2010年6月に着工されたが、これに先立ち、CNPCは同ガス田の天然ガスを2013年から30年間購入する契約を締結している。両パイプラインは、2013年6月に開通した。

 次に鉄道である。2011年5月に両国間で建設に合意した。大理―チャウピュー間810キロに、時速200キロの高速鉄道を走らせる。建設費として、中国開発銀行から7億6,300万ドルのクレジットが供与される。中国は他にも様々な施策を展開し、ミャンマーを衛星国並みの存在に置き換えてしまった。

 (2)ダウェー経済特区
 ダウェー経済特区はタイが開発を進めており、ダウェー新港(深海港)とその後背地に工業団地が建設される予定である。総プロジェクト面積は2,500ヘクタールと広大である。これまでの開発は順調ではなかったが、今はミャンマー政府がタイ政府と委員会を作り、国家プロジェクトとして取り組んでいる。また、2015年2月には、ダウェー経済特区の開発計画に日本が加わることも発表された。

 タイにとって、ダウェーはバンコクまで300キロの距離にあり、重化学工業の製造拠点として大きな可能性を秘めている。また、ダウェー新港はタイにとっては南アジアへの玄関口であり、インド・中東・ヨーロッパへの輸送時間も短縮されることから、進出企業にとって貿易面でも大きなメリットが出てくる。

 (3)ティラワ経済特区
 2012年4月、日本・ミャンマー首脳会議において、ヤンゴンから23キロのところにあるティラワ港(河川港)の後背地2,400ヘクタールの開発、および周辺インフラ整備のマスタープラン策定に関する意図表明覚書が締結された。

 2013年には、丸紅・住友商事・三菱商事などが企業連合を作り、ミャンマーの商工会にも企業連合を立ち上げることを要請し、両者で合弁会社を作って特区の開発・建設に着手することになった。2,400ヘクタールのうち、400ヘクタールの開発・建設を2015年までに終える予定になっている。

 3つの経済特区の中では最も完成のめどが立っていると言われるが、問題も多い。1つ目はティラワ港の問題である。ティラワ港は海洋に面しておらず、ヤンゴン川河口から少し奥まった港であるため、水深が9メートルしかない。これでは搬入物資が限られる。また、河川港は土砂が港に流入しやすいという欠点がある。

 2つ目は電力である。電力不足はティラワ経済特区に限った話ではないのだが、ティラワ経済特区の場合は別の問題を抱えている。2013年10月、ティラワ経済特区の電力を担う火力発電所の建設が発表された。チャウタン郡内に500MWと300MWの2基を2015年度までに完成させる計画であった。

 問題は、受注したのが”DIAMOND PALACE SERVICE”と”VIRTUE LAND”という無名の企業であり、一般競争入札を行った形跡がなく、随意契約の経緯も不明となっていることだ。この2社がこれほど大きな発電所を建設する企業能力を有しているとは思えない。仮に中国系の企業に丸投げしていたとすると、日本企業にとっては首根っこを押さえられるようなもので、到底認められない。

 ミャンマーの大型プロジェクトに絡む地元企業は、軍幹部筋などの息がかかった企業が多いと言われる。公共事業など政府支出額の25~30%が軍幹部筋に流れている。一部には「軍部縁故資本主義」と揶揄する声もある。

 3つ目は土地の契約の問題である。ティラワ経済特区の視察をしたある日本企業の話によると、工業用地の契約が70年で、しかも賃料を50年分前払いせよという、とんでもない条件になっているらしい。しかも、明確な開発プランがあるわけでもなく、解っているのは水道が2018年に通るということだけだという。

 最後はティラワの住民対策である。ミャンマーは、国民に対して絶対に譲らず、高圧的に、必要に応じて武力で抑え込む歴史的経験しか持ち合わせていない。そのため、ミャンマー政府と住民との間で、立ち退きに際しての補償条件が取り交わされているのに、当局は農漁業への環境影響調査を実施せず、果ては「立ち退きに応じなければ身柄を拘束する」という文書を突きつけるありさまだ。

 2013年3月、日本政府はミャンマー政府に対して、「ティラワ経済特別区開発の協力覚書」(2012年12月調印)に基づき、「国際的な環境基準を順守して住民に対応してほしい」との異例の申し入れを行った。今のところ住民問題は落ち着いているようだが、住民の不満の矛先が、開発主体である日本企業に向けられるリスクはゼロではない。事実、住民側は日本に対し、JICAの環境ガイドラインに順応して開発するよう要請したこともある。

森哲志『こんなはずじゃなかったミャンマー』


こんなはずじゃなかったミャンマーこんなはずじゃなかったミャンマー
森 哲志

芙蓉書房出版 2014-07-18

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 ミャンマーの駐日大使館がある品川御殿山は、ミャンマー人にはあまり好かれていないらしい。それは以下の2つの理由による。

 (1)日本で働くミャンマー人は、大使館に税金を納めなければならない。この制度は1989年に創設されたと言われる。前年に「血の8888事件」が起きて軍事政権が誕生したのを契機に海外からの経済援助がストップし、ただでさえ悪い財政がさらに悪化した。こうした国内の状況を嫌った人々は、次々と海外出稼ぎに出るようになった。政府としてもこの流れを止めることができず、収入の10%を税金として納めることを条件に、出稼ぎを容認するようになった。経済援助を打ち切られたミャンマー政府にとって、外貨獲得のための苦肉の策であった。

 ところが、ミャンマー人は、その税収は国庫に入っていないと見ている。大使館は使途不明なアングラマネーを集めているということで、ミャンマー人からは嫌われているのである。税金は軍事政権の資金源になっている疑いもあった。なお、この税制は、民主化の流れの中で2012年1月にようやく廃止された。

 (2)もう1つの理由は、ミャンマー大使館をめぐり、バブル時代に土地売買で巨額の資金が動き、軍事政権を支える原動力となったことである。軍事政権発足当初、大使館の敷地はもっと広大で、御殿山に1万6,000平方メートルほどあった。その6割近い9,300平方メートルを、1990年1月に銀座の不動産会社に340億円で売却した。この不動産会社はマンションを建設する予定だったが、第一種住居専用地域のため、建物建設には10メートルの高度制限があった。それをクリアするため、空中権としてさらに240億円を支払った。

 不動産会社に購入資金を融資したのは、大手金融機関であった。富士銀行が260億円、第一勧業銀行と日本長期信用銀行系の長銀インターナショナルリースがそれぞれ140億円、三菱銀行が100億円(銀行名称はいずれも当時)である。問題は、これがバブル崩壊直前の融資であったことだ。当時の大蔵省は、バブル崩壊を予測して、不動産向けの大型融資を控えるように通達を出していた。それに反して融資をしたのだから、マスコミは「ずさん融資」と書き立てた。

 果たしてバブルは崩壊し、融資は不良債権化した。その後、損失処理のため、共同債権買取機構に売却された。不動産会社は資金難に陥り、マンション建設も中止に追い込まれた。御殿山は10年以上も更地で放置されることになった。ミャンマー人にとって大使館は「不健全」の象徴であり、親しみを持てないのだ。
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谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、1,500字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

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