こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

メンタリング


キャシー・クラム『メンタリング―会社の中の発達支援関係』―【自戒】メンタリングはマネジャーの役割を拡張するものではないのか?


メンタリング―会社の中の発達支援関係メンタリング―会社の中の発達支援関係
キャシー クラム Kathy E. Kram

白桃書房 2003-06

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 本書の帯には「メンター、メンタリングとは何か。経営組織という文脈における発達支援的関係の理論を実証データを基に打ち立てた『古典』的著作」と書かれているぐらいだから、「メンタリングを導入しようとしている企業、あるいはメンタリングに関するコンサルティングや教育研修サービスを提供している企業は絶対に読むべし」と言っているようなものだろう。

 著者はメンタリングの機能をまずは「キャリア機能」と「心理・社会的機能」という2つに分けている。その上で、「キャリア機能」には、①スポンサーシップ(メンティー〔※メンタリングを受ける人〕の昇進や、希望するポジションへの異動を支援する)、②推薦と可視性(①と似ているが、メンティーが希望通り昇進・異動できるように関係者に直接働きかけ、メンティーがそのポストにふさわしいことを具体的な事実をもって示す)、③コーチング、④保護(メンティーに害を与える可能性のある上位の役員などのコンタクトからメンティーを保護する)、⑤やりがいのある仕事の割り当て、という5つの機能があるとする。

 もう1つのカテゴリーである「心理・社会的機能」には、①役割モデリング(例えば、マネジャーとはどういう人物であるべきなのかを、マネジャーであるメンターが示す)、②受容と確認(メンターがメンティーに対して肯定的な関心を持つ)、③カウンセリング、④交友(お互いを気に入り、仕事でも仕事以外でも楽しいインフォーマルなつき合いをもたらす)、という4つの機能が含まれる。

 私は本書を読んで、「メンタリングは上司であるマネジャーの役割を拡張するものではないか?」と感じた。ブログ本館の記事「比較的シンプルな人事制度(年功制賃金制度)を考えてみた」で、どの企業でも共通して求められる能力を導く際に、「タスク志向―人間関係志向」と「短期的―中長期的」という2軸でマトリクスを作成し、「問題解決力(タスク志向&短期的)」、「コミュニケーション力(人間関係志向&短期的)」、「構想力(タスク志向&中長期的)」、「組織を動かす力(人間関係志向―中長期的)」という4つの能力を導き出したが、メンタリングはこのうち「コミュニケーション力」に該当すると考えられる。言い換えれば、メンタリングとは、部下の育成を、キャリア開発の視点から、また心理的側面を取り入れながら行うものである。事実、本書で紹介されている様々なメンタリングの事例は、いずれも上司―部下関係を扱ったものばかりである。

 私の前職は組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供するベンチャー企業であった。2006年春にコンサルタントとして入社した私は、2008年夏の事業再編で思いがけず教育研修サービス事業に異動となり、自社のマーケティングも兼務するようになった。マーケターとしてそれぞれの研修サービスの売上高を見た結果、一番数字が悪かったのがメンタリング研修であった。

 しかも、メンターには上司とは別の第三者を割り当てることとされていた。確かに、上司には直接相談しにくいことを第三者に言いたい時もあるだろう。大企業の中には、職場からは切り離されたキャリアカウンセリング室を設けているところもある。だが、本書に書かれているメンタリングがメンタリングの王道であるとするならば、メンターを第三者にするにはよほどの理由が必要である。メンタリング研修を開発した担当者は、本書を読んだのかと今さらながらに思う。

 第三者も同じように部下を抱えており、日常業務と部下の育成に忙しい。そこに、どこか別の部署の、素性もあまりよく解らない人間のメンタリングもせよと言われたら、現場が猛反発するのは必至である。では、あまり忙しくない第三者にメンターをお願いすればよいかと言うと、それもまた疑問である。これだけコストにシビアな時代なのに、企業が忙しくない社員を抱えておく余裕などない。仮にそういう社員がいたとしても、メンティーは「あまり忙しくない第三者」=「この企業で上がってしまった人」と見なし、メンターを軽視する可能性が高い。

 百歩譲って、メンターを第三者にする方が効果的であるとしよう。その際、”適切な”第三者を選定するために、メンターは、メンティーと階層が離れている方がよいのか、近い方がよいのか?メンターの職種は、メンティーの職種と近い方がよいのか、遠い方がよいのか?メンターの年齢は、メンティーの年齢と近い方がよいのか、離れていた方がよいのか?メンター自身の最近の人事評価の結果の傾向は、メンティーのそれと近い方がよいのか、異なっていた方がよいのか?メンターとメンティーの上司との間には何らかの人間関係があった方がよいのか、ない方がよいのか?メンターとメンティーの物理的な距離はメンタリングの効果に影響を及ぼすのか?メンタリングの実施頻度はどのくらいが適切なのか?といった論点に答える必要がある。しかも、メンティーの年齢、性別、職能・役職、職種などによって、答えが変化する点にも注意を払わなければならない。

 メンタリング研修の開発担当者が作成したと思われる人事部向け提案書には、「適切なメンターを選定し、全社的にメンタリングの体制を構築するためのコンサルティングも実施する」と書かれていた。だが、どう考えても、当時の担当者たちに、上述の問いに対する答えが用意されていたとは思えない。これでいくらコンサルティングフィーをもらうつもりだったのかと想像するだけで寒気がする。今となれば、何の知見もないのに「メンタリングは優れている。だが、その導入には組織変革が必要だ」などと吹聴するよりも、単純に当時別に存在していた部下マネジメント研修の内容を充実させた方が誠実だったのではないかと思う。

 著者はメンタリングにおける発達支援関係には4つの段階があると言う。「開始⇒養成⇒分離⇒再構築」という4段階である。このうち、興味深いのが「分離」という段階である。部下が上司を信頼して始まる発達支援関係も、最初の数年は充実したものになるが、年上である上司の成長スピードの鈍化と、若手である部下の成長スピードの加速によって能力差が縮まってくると、両者の関係が疎遠になるという。それを著者は「分離」と呼んでいる。その後、関係を「再構築」するケースもあるが、大半の関係は「分離」によって終了すると指摘されている。簡単に言えば、部下は同じ上司の下で数年間仕事を続けていると、「もうあの上司にはついていけない」と思う時期が来るということである。

 多くの日本企業では、3年程度を目安に定期的なジョブローテーションが行われる。つまり、上司が3年程度で入れ替わる。「どんなに嫌な上司でも、3年経てばどこか別の部署に異動になるから、その間我慢すればよい」などと冗談交じりに言われることもある。日本企業が元々意識していたのかどうかは解らないが、このジョブローテーション制度は、発達支援関係を常に新鮮に保つことで、メンタリングの効果を持続させるという側面があるとも言える。もっとも、新しくやってきた上司=メンターが必ずしも部下からの信頼を得られるほど優秀でない可能性もあり、その場合にどう対処すればよいのかは本書には書かれていない。本書では日本企業は研究の対象外になっているから、ジョブローテーションの効果に関する考察がなされていないのは仕方がない。

 それよりも、私は本書が抱えている大きな問題点を2つ指摘しておきたいと思う。本書では、エリク・H・エリクソンが提唱した「発達課題」に言及して、年齢ごとの発達課題に対処することがメンタリングの目的の1つとされる。例えば、若年層の心理的課題は「同一性VS同一性の拡散」(13~19歳)、「親密性VS孤独」(20~39歳)である。別の言い方をすれば、アイデンティティを確立できるか否か、仲間と適切な人間関係を構築できるか否か、ということである。上司は、若手の部下がこれらの課題を克服できるようにメンタリングを実施する。

 40~64歳の心理的課題は「生殖VS停滞」である。この年代は、自分が今まで培ってきた経験、知識、能力を若い世代に伝えることができるかどうかがカギとなる。問題なのは、本書ではこの心理的課題がメンターの課題ではなく、メンティーの課題とされていることである。つまり、40歳を過ぎたらマネジャーとなり、メンティーからメンターに切り替わることが暗黙裡に当然視されているわけだ。しかし、40代というのは多くの企業においてやっと課長に昇進できる年齢であり、メンターになると同時に、依然としてシニアマネジャーからのメンタリングを必要とするメンティーでもある。本書の事例は、若手社員とマネジャーの関係を扱ったものが多く、ジュニアマネジャーとシニアマネジャーの関係には言及が少ない。

 以前の記事「エド・マイケルズ、ヘレン・ハンドフィールド=ジョーンズ、ベス・アクセルロッド『ウォー・フォー・タレント―人材育成競争』―人材の奪い合いではなくマネジャー育成の本である」でも書いたように、企業の成長を大きく左右するのはマネジャーの育成である。その意味でも、マネジャーに対するメンタリングの実態をもっと掘り下げてほしかったというのが率直な感想である。エリクソンの発達課題の区分は、人生全体を俯瞰した非常に大雑把なものであり、企業活動の実像を必ずしも精緻に反映していない。にもかかわらず、著者がこの発達課題にこだわったことが、こうした問題を生んでしまったと考える。

 もう1つの問題点は、「結局、メンタリングによって企業の業績は向上するのか?」という点に全く答えていない点である。メンターとメンティーの間でどのようなやり取りがなされたのか、その結果、メンターとメンティーはどのような感触をつかんだのかについては、豊富な実例が紹介されている。企業内の人間関係の形成と変化に関心がある社会学者にとっては、本書は非常に大きな意味を持つことだろう。では、そういうメンタリングを実施すると、企業の業績はどのように変化するのだろうか?本書を手に取った経営者や人事担当者などが一番関心を持つのはこの1点である(私もその1人である)。

 直感的には、人材育成に注力している企業は業績もよいことが解っているので、メンタリングも効果があるとは思う。だが、メンタリングはマネジャーの人材育成の役割を拡張するものであり、拡張された各々の機能がどのような経路をたどって、別の言い方をすれば、周囲の様々な社員の行動や、企業という1つのシステムを構成する諸要素に対しどのように影響することで業績向上につながるのか、この点を明らかにすることが本書の残した課題であると感じた(前職のベンチャー企業でメンタリング研修が全く売れなかったのは、既に述べたようにメンタリングをわざわざ大掛かりな組織変革にしようと誤解していたこともあるが、メンタリングの投資対効果が全く解らなかったことにも原因がある)。

井出元『『礼記』にまなぶ人間の礼(10代からよむ中国古典)』―「憎んで而も其の善を知る」と言えども有言不実行の人は許さない


『礼記』にまなぶ人間の礼 (10代からよむ中国古典)『礼記』にまなぶ人間の礼 (10代からよむ中国古典)
井出 元

ポプラ社 2010-01-16

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 孔子は春秋時代の戦乱の世の中にあって、「和」の重要性を説いた。「礼」とは、和の状態を願い、それを実現するために相手を傷つけない方法、信頼関係を築く方法、そして人生における喜びや楽しみを実感するための気遣いを意味している。『礼記』に書かれている内容は、至極当たり前のことばかりである。
 出ずるに必ず告げ、反れば必ず面す。
 (出かけるときにはかならず行き先を知らせ、帰ったときには「ただいま」と挨拶しましょう)
 先生に道に遭えば、趨(はし)りて進み、正しく立ちて手を拱す。
 (道で先生(年上の人)に出会ったら、小走りして近づき、姿勢を正して挨拶しましょう)
 後れて入る者有れば、閉じて遂ぐること勿れ。
 (扉を開けて入ったとき、自分のあとから続けて入る人がいる場合は、扉に手をそえてあとの人が入れるようにしましょう)
 先生に侍坐するときは、先生問えば、終りて則ち對(こた)う。
 (先生に質問されたときは、先生が質問をいい終えてから答えるようにしましょう)
 辞無ければ相接(まじわ)らず。
 (いつも顔をあわせていても、挨拶をしなければ仲よくはなれません)
 『礼記』にはこんな言葉もある。
 愛して而も其の悪を知り、憎んで而も其の善を知る。
 (好きな人であってもその人の欠点を理解するようにし、嫌いな人であってもその人のよいところを見るようにしましょう)
 確かにこれはもっともである。ブログ本館の記事「『致知』2018年7月号『人間の花』―私には利他心が足りないから他者から感謝されない」でも書いたが、私は人の好き嫌いが激しいせいで、師匠を見つけるのに苦労している。その人に少しでも欠点があると、その人の全てが劣っているように見えて、師匠とみなすことができないのである。その悪い癖を治すために、「仮に今日からこの人と長期間一緒に働かくことになったら、その人から何を学ばなければならないか?」と強制発想しようと書いた。ただ、だからと言って、私は誰とでも均等に仲良く仕事をしようとは今でも思っていない。今までは感覚的に人の好き嫌いを決めていたが、自分が遠ざけるべき人の基準を明確にしておくことが重要であると考えている。

 孔子は論語の中で次のように述べている。
 子の曰わく、吾れ知ること有らんや、知ること無きなり。鄙夫(ひふ)あり、来たって我れに問う、空空如(こうこうじょ)たり。我れ其の両端を叩いて竭(つ)くす。(子罕第九―八)
 (先生がいわれた。「わたしはもの知りだろうか。もの知りではない。つまらない男でも、まじめな態度でやってきてわたくしに質問するなら、わたくしはそのすみずみまでたたいて、十分に答えてやるまでだ」)
 孔子は自分が信じる仁の道を世に広めるために尽力した。相手がどんな身分や出自の人であっても、対話を通じてお互いに仁に対する理解を深めようとした。このように書くと、孔子は全ての人を平等に扱う博愛主義者のように思える。だが他方で、孔子は次のようにも述べている。
 子の曰わく、狂にして直ならず、侗(どう)にして愿(げん)ならず、悾悾(こうこう)にして信ならずんば、吾れはこれを知らず。(泰伯第八―十六)
 (先生がいわれた、「気が大きな(積極的な)くせにまっすぐでなく、子供っぽい(無知)なくせにきまじめでなく、馬鹿正直なくせに誠実でない、そんな人はわたしはどうしようもない」)
論語 (岩波文庫 青202-1)論語 (岩波文庫 青202-1)
金谷 治訳注

岩波書店 1999-11-16

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 つまり、学習の態度に問題がある人は、一緒に対話するに足りないと切り捨てているのである。私が切り捨てる人の基準はブログ本館で改めて整理しようと思うが、切り捨てるべき人として真っ先に挙がるのが「有言不実行の人」である。有言不実行の人は不誠実の極みである。こちらが歩み寄って信頼しても、必ず裏切られる。だから、近づかないに越したことはない。

 私の今までの人生で最も有言不実行だった人間が、前職のベンチャー企業の社長である。彼は本を書くのが趣味みたいなもので、何冊も本を出していた。私が最初に読んだ彼の本は、組織営業に関する本であった。現在は法人営業が複雑化しており、営業担当者が単独プレーで頑張る個人営業ではなく、チームで顧客企業と関係を構築する組織営業が求められるという。現場の営業担当者は顧客企業側の担当者を巻き込み、現場レベルの課題解決を支援する。ミドルマネジャーは顧客企業側のミドルマネジャーを巻き込み、ミドルマネジメントレベルの課題解決を支援する。事業トップ・経営者は顧客企業側の事業トップ・経営者を巻き込み、経営レベルの課題解決を支援する。顧客企業が抱える重層的な課題をチームで解決するのが組織営業の要諦である。

 前職のベンチャー企業は組織・人事コンサルティング&教育研修サービスを提供していたから、典型的なBtoBビジネスであった。しかも、サービスの性質上、顧客企業の購入の決裁権は事業トップや経営陣にあり、社長がクロージングをする必要があった。にもかかわらず、社長は自分が考えた組織営業を自社に適用したことがない。営業活動は現場のマネジャー任せであった。社長は顧客企業を表敬訪問するだけで、顧客企業のトップと関係を構築することに極めて消極的であったし、したがって顧客企業の経営課題に深く入り込む気がなかった。致命的だったのは、社長にクロージングの能力が欠けていたことである。そのせいで、過度な値引きを余儀なくされた案件を私は多数知っている。

 前職のベンチャー企業は、キャリア研修やメンタリング研修、リーダーシップ研修などを販売していたが、自社の社員のキャリア開発を支援したこともないし、メンタリング制度もなかったし、自社の社員にリーダーシップ研修を受講させたことがないことは、ブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第10回)】自社ができていないことを顧客に売ろうとする愚かさ」でも書いた。

 私が退職した後も相変わらず本は書いていたみたいで、最近は人事評価制度はもういらないといった本を出したようである。私は彼がどんな本を書こうともう興味は失っていたのだが、定期購読している『TOPPOINT』で彼の本が紹介されていたから、概要だけは否が応でも知らされることになった。近年、GEをはじめとするアメリカ企業が人事評価制度を廃止している。その理由は、年に1~2度の人事評価のために現場と人事部が膨大な時間を取られること、その割に1年の業績評価をたった1~2回で行うのは限界があることである。だから、マネジャーは日常業務の中でもっとこまめに部下へフィードバックを与えるべきだという。

 これは、今まで人事評価制度を厳密に運用してきて、その限界に気づいた人であれば主張する権利がある。だが、前職のベンチャー企業には人事評価制度がほとんど存在しなかった。組織・人事コンサルティングを事業ドメインとしているのに、自社に人事評価制度がないというのだから、もはや笑い話にもならない。私は5年半在籍していたから、仮に半年に1回人事評価が行われていれば11回機会があったことになる。しかし、私が実際に人事評価を受けたのはたったの2回である。しかも、そのうちの1回は昇給の通知書を1枚渡されただけであった。

 社長はきちんとした人事評価制度を作るために、事業会社で人事部のマネジャー経験がある人を採用したことがあった。その人は半期評価では満足せず、四半期評価制度を構築しようとした。だが、わずか数か月で企画倒れに終わってしまった。よくよく話を聞いてみると、その人が事業会社で人事マネジャーとして行った仕事はリストラ関連ばかりであり、人事制度構築の経験はなかったという。そのぐらいは採用面接で見抜けたはずなのに、何ともお粗末な話である。

 社長は、マネジャーが頻繁に部下に対してフィードバックを与えるための方法として、1on1ミーティングに注目したようで、それについての本も出したらしい(これも『TOPPOINT』で知った)。しかし、私は彼に1on1ミーティングをする力がないことを知っている。彼は組織営業の話でも触れたように、対人関係を構築する能力に難があった。会議室で1対1になって30分間ミーティングをすると、全身に蕁麻疹が出るというぐらい、対人関係が苦手であった。だから、彼に1on1ミーティングは無理である。自分にはできないのにそれを正しいと主張し、その上それをビジネスの種として顧客企業からお金を取ろうとするのは、もはや詐欺である。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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