こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

ヨーロッパ


百瀬宏『ヨーロッパ小国の国際政治』


ヨーロッパ小国の国際政治ヨーロッパ小国の国際政治
百瀬 宏

東京大学出版会 1990-11

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 ブログ本館の記事「千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる」で、小国は対立する大国の一方に過度に肩入れせず、双方のいいところ取りをするべきだと書き、国際政治におけるそのような戦略を「ちゃんぽん戦略」と名づけた。

 大国はお互いに対立するが、本当に衝突すると甚大な被害が出るため、寸前のところで衝突を回避している。代わりに、自国に強く味方してくれる小国を作り出し、同じように相手の大国に強く味方する小国との間で代理戦争をさせる。現在の中東などを見ていると、大国のやり方がよく解る。代理戦争に巻き込まれないようにするためには、大国のどちらからも必要とされるようなポジションをとる必要がある。これが「ちゃんぽん戦略」である。

 と書いてみたものの、実は「ちゃんぽん戦略」の現実的な中身は、自分の中であまり十分に煮詰められていない。その前に、そもそも日本は小国なのかという議論があるが、以前の記事「田中彰『小国主義―日本の近代を読みなおす』」でも書いたように、私は一般的な保守派に反して、日本を小国だと認識している。ヨーロッパの小国を紹介した本書では、フィンランドのことを「ヨーロッパの日本」としている。ということは、日本はやはり小国だということになる。

 私の考えでは、「ちゃんぽん戦略」とは、軍事、政治、経済、文化面などにおいて、対立する大国の双方と交流し、また双方に依存することである。そうすると、どちらの国も容易にその小国に手を出すことができなくなる。その小国に手を出せば、相手に損害を与えると同時に、自国にもダメージが跳ね返ってくるからだ。経済、文化面においては、双方への依存度を高めることは難しくない。端的に言えば、双方との貿易を拡大し、文化的交流を行えばよい。
 フィンランドは、対ソ賠償で発達した工業の生産品輸出の見返りとしてソ連から石油・天然ガスの安定的な供給を受け、かつ西側諸国とも経済交流を発展させることによって、社会主義諸国の計画経済と西側諸国の市場経済の両者から利益を受け、いわゆるオイル・ショックの衝撃も免れて、きわめて順調な経済発展を続けた。
 フィンランドは東側と西側の両方と経済的交流を深めてきた。これは日本でも実践していることである。日本の貿易相手国の1位と2位は、輸出・輸入ともにアメリカと中国が占めている。また、文化面では、古代には中国から儒教をはじめとする様々な思想を学び、戦後はアメリカから自由、平等、資本主義、民主主義、基本的人権などの考え方を学んで、両者を接合した。

 これに対して、軍事、政治面において、対立する双方の大国への依存度を高めるとは一体どういうことなのか、自分で具体的に記述することができない(汗)。
 ドイツは、デンマークにとって伝統的な脅威であったが、当時のデンマーク首相クリステンセンは、そうしたドイツの脅威が、実は、ドイツの仮想敵である英国とフランスがデンマークを経由してドイツの横腹を衝いてくることへの不安に発しており、デンマークを予防的に占領するおそれがあるからだと見抜き、そこでドイツの了解のもとにユトランド半島防衛のデンマーク軍を、英仏が侵入を思いとどまる程度まで増強することでドイツを安堵させ、デンマークに対するドイツの脅威を取除こうとしたのである。

 デンマークのこの企図は実現しなかったが、同じ相手国から脅威を受けている国どうしが結ぶことで自国の安全保障を図るという従来の発想を超えて、自国を脅威する相手の安全を保障することによって自国の安全保障を図るという、画期的なこの安全保障政策は、小国の叡智に発したものというべきであろう。
 つまり、ドイツと英仏に挟まれていたデンマークは、ドイツからの侵攻を防ぐ(この点では英仏側につく)とともに、英仏がデンマークを経由してドイツを攻撃する意図を減退させる(この点ではドイツ側につく)という安全保障戦略を採用しようとしたということである。日本の安全保障は、日米同盟によって完全にアメリカに取り込まれている。果たして、デンマークのような戦略は日本にとって参考になるのだろうか?日本はアメリカに対してだけでなく、中国に対しても安全保障を提供することができるのか?そもそも、そのような二面的な安全保障は、日本にとって本当に望ましいことなのか?今の私にはこれらをはっきりと論じる力がない。

 政治面に至っては、西側諸国に見られる多党制(二大政党制を含む)と、東側諸国に見られる一党独裁制の中間をとって、自民党が派閥政治を行ってきたことを私は称賛してきたにすぎない。これは、単に両者のいいところ取りをしただけで、政治面で双方の大国に依存していることを意味するわけではない。政治面で両大国に依存するとは、どういう状態を指すのだろうか?

岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』


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岩田 靖夫

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律法の完全な遵守により正しい人間になろうと精進するとき、人はたえず人生のあらゆる局面で律法の定めを意識し、律法の細則を立て、自分の一挙手一投足がそれらの掟に外れていないかどうかを心配するようになる。そうなると、掟の遵守に囚われるあまり、人間性の自然な発露を失う危険に陥るのである。道徳的に非難の余地のない人間になろうとすると、イエスに否定されたあのパリサイ人のように、他人と自分とを比較して、自分の超人的な禁欲を誇り、他人を軽蔑する、非人間的な道徳主義者になるのである。
 イスラム国が日本人2人を人質に取るという事件が発生し、テロの手が非ヨーロッパ国にも及び始めている。イスラム国には、はるか昔、イエスがユダヤ人のパリサイ派を批判した言葉を突きつけてやりたい。イスラームは「コーラン」を絶対視し、イスラム国もコーランの厳密な適用を狙っている。コーランには「自分の敵を殺してよい」という規定があるらしい。だが、イスラム国はコーランをあまりに機械的に狭く解釈しすぎている。

 もちろん、律法主義であるからただちに非難されるべきであるとか、ヨーロッパが経験した啓蒙主義による世俗化をイスラーム世界が経ていないから、イスラームは前近代的である、などと言いたいわけではない。イスラームにとってコーランは合理的で立派な法である。そのコーランを厳格に順守することが非難されるのならば、西洋諸国が法治国家を掲げて法律の厳格な運用を行っていることも同じく批判されるべきだということになってしまう。

 重要なのは、宗教の目的に立ち返ることである。言い換えれば、何のためにコーランを守るのかをもう一度認識することである。キリスト教は、人間が愛によって幸福になることを目指した。いや、幸福は他の動物でも感じることができるから、人間は幸福以上のもの、すなわち社会的な善を目指すべきだという主張もある。これに対して、イスラームは一体何を目指すのであろうか?「アラーの他に神なし」という主張は解った。では、アラーの下で人間はどのような人生を実現し、どのような社会を構築するべきなのだろうか?

 そもそも、キリスト教もイスラームも(、そしてユダヤ教も、)同じ唯一絶対の神から派生した宗教である。それならば、自ずと似たような目的にたどり着くはずである。イスラム国だけが排外主義に走るならば、その行為を支える論理が破綻をきたしているに違いない。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
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