世界 2016年 04 月号 [雑誌]世界 2016年 04 月号 [雑誌]

岩波書店 2016-03-08

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 (1)
 厳しく言えば、国からの補助金に頼りきっている自治体の多くは、普段、国が示す下書きを上からなぞっているだけです。しかし、今回の震災では、当然のことながら、地区ごとに被害状況も違うし、必要とされているものも違う。だから国もスタンダードな下書きを書けない。だからこそ、地方自治体が頑張って住民の声を聞いて、具体的な復興プランを組み立てていかなければいけないのに、そのような動き方ができた自治体がどれだけあったでしょうか。
(真山仁、古川美穂「復興を誰がなしとげるのか」)
 日本は中央集権型の社会だと思っている人が多い。明治維新では政府が富国強兵を主導したし、戦後日本の経済成長も政府が資本主義を社会主義的に運用した結果であると説明される。ただ、私自身は、日本社会の本質は、江戸時代の幕藩体制に見られるような分権型だと考えている。分権型社会では、下の階層は上の階層からの命令に盲目的に従うのではなく、下の階層がよく知る現実に照らし合わせて、命令の内容を解釈し、具体的な実行方法を自律的に考案する。

 日本社会が平均的に皆優秀であると言われるのは、こうした歴史的背景があるためである。ところが、明治時代にはヨーロッパから、戦後はアメリカから外国のやり方が流入した。彼らのやり方は基本的にトップダウンである。戦後の行政は、政府や中央省庁を頂点とする上意下達の仕組みへと変貌した。だから、引用文にあるように、地方自治体が自分で考える力を失ってしまったのである。

 こうした弊害は、今回の震災に限った話ではない。いわゆる”箱モノ行政”によって、地方のニーズとはおよそマッチしない施設が乱立され、無謀な都市計画が実行されるのもその一例である。私は決して、お上が下々に命令するなと言いたいわけではない。お上はどんどん命令して構わない。重要なのは、「お上の言うことは十分ではない」、「お上の命令を現場の実情に合わせるならば、もっとこうした方がよい」と地方が声を上げ、中央とほどよい緊張関係を築くことである。

 (2)
 まず、指摘されるのは、三世代同居をモデルとし、それを支援する施策は、特殊な手法でしかありえず、少子化対策として有効性をもちえない、という点である。世帯総数に対する三世代世帯数の比率は減り続け、2013年では6.6%となった(国民生活基礎調査)。
(平山洋介「「三世代同居促進」の住宅政策をどう読むか」)
 安倍政権は一億層活躍社会を実現する施策の1つとして、三世代同居住宅の普及を目指している。この記事はその政策に疑問を示したものだが、私も三世代”同居”ではなく、”近居”でよいのではないかと考える。昔、野村総合研究所が出した『2015年の日本―新たな「開国」の時代へ』という書籍では、複数世代の家族が近所に住むことで緩やかに援助し合う「インビジブル・ファミリー」という概念が提示されていた。こちらの方が現実味がありそうである。

2015年の日本―新たな「開国」の時代へ2015年の日本―新たな「開国」の時代へ
野村総合研究所2015年プロジェクトチーム

東洋経済新報社 2007-12-01

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 ただ、私がこの引用文を取り上げた真意は、もっと別のところにある。すなわち、左派は民意が重要だと言って世論調査の多数派を重視する一方で、民主主義は少数派を圧殺しないための制度であるとして少数派の意見に肩入れすることもある、という矛盾である。左派は、自分が主張したい内容に応じて、多数派と少数派を恣意的に選択しているように見えることが、私には不思議である。

 今回のケースで言えば、三世代同居世帯は確かに現時点では6.6%と少数派である。しかし、この割合は、人口に占めるLGBTIの割合が約5%であるのとほぼ同じである。一方は取るに足りないと片づけ、もう一方は同性婚の制度化で擁護すべきだと主張する根拠は、一体どこにあるのだろうか?

 (3)
 所得税収は、ピーク時(1991年度)の26.7兆円から、2015年度(一般会計予算。以下同じ)で16.4兆円と10兆円以上減少し、法人税収もピーク時(1989年度)の19兆円から、2015年度で11兆円と激減している。これに対し、消費税は、2014年4月からの税率8%への引き上げにより、2015年度で17.1兆円と、ついに法人税収、所得税収を抜いて、税収のトップにおどりでた。
(伊藤周平「安倍政権の社会保障改革を問う」)
 国民医療費全体では、2000年の30.1兆円が2013年は40.1兆となり、10兆円増えた(33%増)。その内訳をみると、家計負担は2000年の13.3兆円が2013年は16.1兆円で2.8兆円の増(21%増)、事業主負担は2000年の6.8兆円が2013年は8.1兆円で1.3兆円の増(19%増)、国の負担は2000年の7.4兆円が2013年は10.4兆円で3兆円の増(40%増)、地方の負担は2000年の2.6兆円が2013年は5.2兆円で2.6兆円の増(倍増)となっている。

 すなわち、家計・国・地方の負担はそれぞれ2.6~3兆円増えているのに対し、事業主の負担はその半分も増えていない(+1.3兆円)。
(坂口一樹「”自助”へと誘導されてきた医療・介護」)
 興味深いデータを2つ引用した。簡単にまとめると、法人税収が減少している(そして、安倍政権が進める法人減税によって、さらに下がると予想される)一方で消費税収が増加していること、医療費負担は、国、地方、事業主、家計の中で、事業主の増加分が最も小さい、ということである。

 ブログ本館の記事「『震災から5年「集中復興期間」の後で/日本にはなぜ死刑がありつづけるのか(『世界』2016年3月号)』―「主権者教育」は子どもをバカにしている、他」でも書いたが、日本では個人よりも組織(企業)が優先される。この傾向はおそらく変えられない。まずは組織を富ます。そしてその次に、果実の一部を組織の構成員である個人にも流す、というのが日本の特徴である。

 問題は、企業⇒個人という利益配分のルートが機能不全に陥っていることである。アベノミクスは、両者の間で詰まっているパイプを一生懸命きれいにしようとした。異次元の量的緩和を通じて、企業にじゃぶじゃぶとお金を回した。ところが、デフレとはモノ余りのことである。この状態で企業がお金を手にしても、投資先がない。投資をすれば、さらに供給過剰となり、デフレが止まらなくなるからだ。

 だから、アベノミクスがやるべきことは、企業優先という原則を一時的に曲げて、家計に直接お金を注入することかもしれない(いわゆるヘリコプターマネー)。企業に賃上げの圧力をかけて、企業⇒個人へとお金が流れるように仕向けても、10兆円あると言われる需給ギャップはそう簡単に埋められそうにない。