こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

下剋上

山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―上下関係とは上から下への一方的な指揮命令関係だけではない


帝王学―「貞観政要」の読み方 (日経ビジネス人文庫)帝王学―「貞観政要」の読み方 (日経ビジネス人文庫)
山本 七平

日本経済新聞社 2001-03-01

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 「貞観政要」は、唐代に呉兢が編纂したとされる太宗(李世民)の言行録である。「貞観」は太宗の在位の年号で、「政要」は「政治の要諦」を意味する。本書はこの貞観政要の内容を山本七平なりに解釈したものである。貞観政要は日本でも幅広く読まれており、特に徳川家康は好んで読んだとされる。

 「貞観の治」と呼ばれる太宗の安定した政治を特徴づけるもののは、何と言っても太宗が臣下からの諫言を積極的に受け入れたことである。もちろん、天命によって君主となった人物とはいえ、太宗とて人の子であるから、臣下からあれこれと注意をされれば気分がよいものではない。事実、諫言をした臣下に対してあからさまに嫌悪感を示しているような、人間臭い一面もある。ただ、それはごくごく例外的で、大半において太宗は臣下からの声に耳をよく傾けた。

 太宗が特に重宝したのが、房玄齢、杜如晦、魏徴、王珪の4人である。房玄齢、杜如晦の2人は唐の律令制度をはじめ、様々な国家制度の整備に尽力した功労者である。面白いのが魏徴、王珪の2人であり、彼らは元々太宗の臣下ではなかった。太宗がまだ君主になる前のこと、つまり李世民だった頃、王位をめぐって李建民・元吉兄弟と争ったことがある(玄武門の変)。実は、魏徴と王珪は建民、元吉側の人間であった。玄武門の変に勝利した太宗は、敢えて敵に仕えていたこの2人をスカウトした。敵にあれだけの忠誠を誓うのだから、自分に対しても高い忠誠心を持ってくれるに違ないと期待してのことだった。事実、この2人は太宗の期待に応え、太宗の政治において重要な役割を果たした。

 特に、魏徴は太宗に対してよく、そして厳しく諫言したことが貞観政要からは読み取れる。随分昔に、旧ブログの記事「部下にだって「上司に物申す時の流儀」ってものがある」で、魏の君主・曹操に使えた郭嘉と孔融という2人を取り上げたことがある。この2人も曹操によく諫言したのだが、孔融は史実を都合のいいように曲げたり、多分に皮肉を含んだ迂言的な諫言をしたりしたために、結局は曹操に疎んじられ、殺害されてしまった。その点、魏徴の諫言は非常にストレートである。中には、「太宗が有終の美を飾るための提言」などというものもあって、まるで太宗に退位を迫るかのようなものなのだが、それでも太宗に受け入れられたのは、よほど厚い信頼関係で結ばれていたためであろう。

 太宗がこれほどまでに臣下の意見を重宝したのには理由がある。太宗は幼い頃から弓矢を好んでおり、その道には熟達していると思っていた。ところがある時、自分が手に入れた良弓を弓工に見せると、「こんなものは真っすぐに飛ばない」とばっさり切り捨てられてしまった。この時太宗は、自分は弓矢の道に通じていると天狗になっていたが、実は全く理解が及んでいないことを痛感させられた。弓矢の道ですらこのような具合なのだから、まして自分が不慣れな政治の道に関しては、様々な過ちを犯すであろう。だから、決して独断で物事を進めずに、必ず周囲の人々の意見を聞くことにしようと決意したわけである。

 古代の中国の政治を見ていると、太宗の例のように、君主から臣下に対する一方通行の指揮命令関係だけでは語れない側面がたくさんある。下から上に対して影響力を及ぼす関係も重要である。これを私はカギ括弧つきの「下剋上」と呼んでいる。通常の下剋上は、下の地位の者が上の地位の者に取って代わることを目的とする。これに対して、「下剋上」の場合は、下の地位にある者が、下の地位にいながら、その自由意思を発揮して、上の地位の者の言動を変化させることを目的としている。決して、地位を乗っ取ろうとしているわけではない点に大きな特徴がある。この「下剋上」があるから、上の階層の者は誤りを犯す確率が減るし、下の階層の者は生き生きと仕事をすることができる。現在のように共産党が強権的に支配する中国ではおよそ考えられないことだろう。

 こうした双方向的な上下関係の原点の一端を、私は『孟子』の中に見て取ることができると考えている。
 舜・帝に尚見(上見)すれば、帝は甥(むこ)を貳室(副宮)に館(み)て、亦舜を饗し迭(たがい)に賓主となれり。是れ天子にして匹夫を友とするなり。下を用いて上を敬する、之を貴を貴ぶと謂い、上を用(もっ)て下を敬する、之を賢を尊ぶと謂う。貴を貴ぶと賢を尊ぶとは、其の義一なり。

 【現代語訳】舜が帝尭に謁見するときは、天子はわざわざ婿の舜をその泊まっている離宮に訪ねていって会われ、また舜を招いて饗宴を催され、二人は互いに賓客となったり、主人役となったりして待遇の礼を尽くされた。これこそ身は尊い天子でありながら、その尊貴を忘れて賢者を尊んで、ただ一介の平民をば友とされたものである。いったい、身分の下のものが上のものを敬うのを貴を貴ぶといい、身分の上のものが下のものを敬うのを賢を尊ぶというものであるが、貴を貴ぶのも賢を尊ぶのも、どちらも尊敬すべき点があるからこそ尊敬するのだから、その道理は全く同じで、決して変わりはないものである。
 これは決して、身分が上の者がへりくだって、身分が下の者に対しておもねることを意味するのではない。また、身分が下の者も、身分が上の者がへりくだってきたことを利用して身分が上の者に接近することをよしとするのでもない。最近は、上司が部下に対して厳しく接することができず、また部下も上司に怒られたくないから、お互いにまるで友達であるかのように振る舞うケースが増えていると聞くが、これは組織における人間関係というものを勘違いしている。
 曰く、その多聞なるが為ならば、則ち天子も師を召さず、而るを況や諸侯をや。その賢なるが為ならば、則ち吾未だ賢を見んと欲して之を召すを聞かざるなり。繆公亟(しばしば)子思を見て、古は千乗の国〔の君〕も以て士を友とすとは如何と曰えば、子思は悦ばずして、古の人言えるあり、之に事(つか)うと曰うも、豈之を友とすと曰わんやと曰えりとぞ。子思の悦ばざりしは、豈位を以てすれば則ち子は君なり、我は臣なり、何ぞ敢て君と友たらん、徳を以てすれば則ち子は我に事うる者なり。奚ぞ以て我と友たるべけんといふにあらずや。千乗の君すら之と友たらんことを求めて得べからず。而るを況や召すべけんや。

 【現代語訳】孟子はいわれた。「物識りだから〔召す〕というのなら、多分その人を師として学ぶつもりだろうが、天子さまでさえも師を呼びつけにはしないのに、まして諸侯ではなおさらのことではないか。また、賢者だから〔召す〕というなら、私は賢者に会いたいからといって、呼びつけるなどという無礼な話はまだ聞いたことがない。

 昔、魯の繆公(穆公)はたびたび子思に会われたが、ある時繆公は『その昔、戦車千台を出すことのできる大国の君でありながら、〔その身分を忘れて〕一介の士を友達として交際した者があるというが、これをいったいどう思うか』といって、暗に自分を褒めたので、子思は〔公が身分を鼻にかけているのを〕不快な様子で『古人の言葉に、賢者には〔その徳を師として〕事えるとこそ申していますが、どうして友達扱いにするなどと申していましょうや』といったということだ。

 子思が不快に思ったのは、それはおそらくこういう腹づもりだったのではあるまいか。つまり『地位からいえば貴方は主君であり、私は臣下です。どうして主君と〔対等の〕友達になろうなどと思いましょうや。しかし徳からいえば、貴方は門人で、私に師事する者です。どうして〔師である〕この私と友達になどなれましょうぞ』。かように、大国の君ですら賢者と友達になりたいとのぞんでもなれないのに、ましてこれを呼びつけるなどどうしてできようぞ」
孟子〈下〉 (岩波文庫)孟子〈下〉 (岩波文庫)
小林 勝人

岩波書店 1972-06-16

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 国家も組織である以上、トップに最高責任者としての君主があり、上下関係で結ばれた臣下がいる。だが、臣下の方が優れている分野に関して臣下の力を借りたいと思う場合には、君主の方から臣下に会いに行かなければならない。決して、身分の高いことを鼻にかけて臣下を呼びつけにしてはならない。古代の中国にはこういうしきたりがあったようである。

 以前の記事「岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え』―現代マネジメントへの挑戦状」で、アドラーは垂直関係を否定し、水平関係を重視していると書いたが、個人的にはこのアドラーの主張にはどうも賛同できない。垂直関係があるからこそ、人々は立場が上の人に対して敬意を払うことができる。上の人を思いやることができる。ただ、立場が上の人も、立場が上であることに胡坐をかいているわけにはいかない。立場が下の人の中に知識、能力、経験、人格面で優れている人がいるならば、彼らの元へ出向いて教えを請わなければならない。これによって、立場が上の人は独善的にならずにすむ。そして、組織も抑圧的な権威主義に傾くことを防止できる。

 仮に全員が水平関係にあったら、相手に対する敬意も思いやりも消え、代わりに顔を出すのがエゴをむき出しにした敵意や憎悪である。それが端的に表れているのが、民主的とされるインターネットの世界である。私はそういう敵意や憎悪に触れたくないので、Q&Aサイトや掲示板の類はほとんど見ない。

 ブログ本館の記事「【ベンチャー失敗の教訓(第42回)】いびつなオフィス構造もコミュニケーション不全を引き起こす原因に」で書いたように、私の前職のベンチャー企業のオフィスでは、若手のスタッフが狭い端っこの部屋に押し込められ、マネジャーは少し離れた大部屋でブースを与えられて仕事をしているという具合であった。私は、大部屋にいるマネジャーから内線電話がかかってきて、「作ってもらった資料について話があるから大部屋に来て」と呼び出されるのが非常に嫌であった。もちろん、当時の私はコンサルタントとしてはカスみたいな存在だったから、マネジャーからそんな扱いを受けても文句は言えなかった。

 だが、たかが歩いて数秒の距離である。もし私が自分よりも優秀な部下を持ったならば、そのスタッフ部屋に直接出向いて話をしようと思ったものである。そして、これだけ知識が目まぐるしく変化する時代においては、自分よりも知識面などで優れいている部下を持つ確率は格段に高まっている。

寺本義也、近藤正浩、岩崎尚人『ビジネスモデル革命―競争優位から共創優位へ』―「共創」とは顧客にコンテンツを作らせること(CGM)ではないだろう


ビジネスモデル革命―競争優位から共創優位へビジネスモデル革命―競争優位から共創優位へ
寺本 義也 近藤 正浩 岩崎 尚人

生産性出版 2007-05

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 本書では、次のような「第5世代のビジネスモデル」が提示されている。
 P*NP∬NW∬SV(H+S)
 日本語で説明するならば、まずハードウェアだけでなく、ソフトウェアを組み合わせたサービスを提供しなければならない。そしてそのサービスは、自社が全て提供することにこだわらず、他社と手を組んでネットワークで提供する。その目的は営利であると同時に非営利でなければならない。つまり、経済的ニーズを満たすと同時に社会的ニーズも満たさなければならないというわけである。

 本書は10年以上前の本なので事例が古い点はご容赦いただきたいのだが、本書の中では、他社と手を組んでネットワークで顧客価値を実現した例として、Appleとサトー(プリンタ、プリンタ関連製品、ハンドラベラー、自動ラベル貼付機器、シールなど自動認識ソリューションを提供)が挙げられている。Appleは携帯音楽プレイヤー事業に参入するにあたって、自社を単なるプレイヤーのメーカーとは見なさなかった。もしAppleがただのメーカーであったならば、そのバリューチェーンは、部品調達⇒組立という単調なものになっていただろう。Appleは音楽レーベル(レコード会社)と手を組むことで、顧客に対して新しい音楽体験を提供することに成功した。Appleのビジネスモデル図には、一般の製造業ではまず登場しない音楽レーベルという存在が書き込まれていた。

 サトーが取り扱う製品の中には、TECをはじめとする大手企業が参入し、サトーにとっては競合相手となり得るものも存在する。大手企業との体力勝負では勝ち目が少ないため、同社は大手企業の製品をむしろシステムの一環として仕入れることで、大手企業とは同じ土俵に立たない仕組みを確立した。これにより、大手企業にとってサトーは競合他社であると同時に大口顧客となった。

 また、本書ではビジネスモデルを4つのサブモデルに分けている。すなわち、①顧客価値創造モデル、②収益モデル、③ファイナンスモデル、④人材モデルの4つである。ブログ本館の記事「DHBR2018年5月号『会社はどうすれば変われるのか』―戦略立案プロセスに組織文化の変革を組み込んで「漸次的改革」を達成する方法(試案)、他」で戦略立案プロセスについて整理したが、人材については、ビジネスモデルやビジネスプロセスを描いた後の戦略的打ち手として、資金調達については、将来の予測損益計算書・貸借対照表を作成した後に検討することを想定していた。このファイナンスや人材を、ビジネスモデルを構想する段階で検討しておくべきだという本書の提言は一聞に値する。

 例えば、セコムは機械警備の導入にあたって、「支払いは3か月分前金、2年契約、契約破棄にはペナルティを課す」という条件をつけた。セコムは、料金を前払いにすることで、莫大な設備投資の資金を調達することに成功した。つまり、セコムのビジネスモデルには、収益モデルだけでなく資金調達の方法についてもあらかじめ盛り込まれていたわけだ。また、本書ではサトーの中途採用を中心としたユニークな人材育成の方法についても紹介されている(ただし、それがサトーの提供する各種サービスとどう関連しているのかがやや不透明であった)。

 ○図1
企業のサブ目的

 ○図2
企業のステークホルダー

 ここからは本書に対する不満。図1についてはブログ本館の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ、図2については「『一橋ビジネスレビュー』2017WIN.65巻3号『コーポレートガバナンス』―コーポレートガバナンスは株主ではなく顧客のためにある」を参照していただきたい(この2つの図は統合したい(特に、図1からは取引先が抜けている)のだが、私の怠慢で進んでいない)。

 企業がネットワークで価値を提供するという場合、そのネットワークには垂直方向と水平方向の2つがある。垂直方向には自社に対してモノを提供する取引先と、市場や社会のルールを制定する行政がある。企業は取引先を単なる仕入先、外注先として下に見るのではなく、対等なパートナーとしてどのように協業できるかを考えなければならない。また、行政に対しては、行政が市場や社会に対して課している様々な規制のうち、顧客のために変更した方がよい、または導入・撤廃した方がよいものを積極的に提案する役割が今後は求められるだろう(私はこれを山本七平の言葉を借りて「下剋上」と呼んでいる)。

 さらに、これからのビジネスモデルには、モノを提供する取引先だけでなく、ヒトを提供する家族、カネを提供する株主・金融機関、知識を提供する学校も描かれる必要があると考える。そして、取引先をパートナーとするのと同様に、これらのプレイヤーもパートナーと見なす。パートナーとして見なすということは、彼らの目的の達成を企業が支援するということである。取引先に対しては「その企業の業績が向上するために自社として何ができるか?」、家族に対しては「家族の構成員が健康を取り戻すために自社として何ができるか?」、株主・金融機関に対しては「彼らが望むリターンを獲得するために自社として何ができるか?」、学校に対しては「学校が教育ある人を輩出するために自社として何ができるか?」と問う(これを山本七平の言葉を借りて「下問」と呼んでいる)。

 図1では「サブ目的」という表現を使った。これは、企業の第一目的はドラッカーが言うように「顧客の創造」であり、前述の問いに答えることは2次的な目的であるという意味合いである。だが最近は、サブ目的というよりも、第一目的を達成するための「ルール」という表現をした方がよいと考えるようになった。企業は第一義的に顧客の創造を目指すが、その過程で例えば取引先の業績も向上させなければならない。これは必ず守らなければならないルールである。ちょうど、100m走において、目的は「速く走ること」であるのに対し、「決められたレーンの中を走らなければならない」ことがルールであるのと同じ関係である。この辺りはもっと論理的に整理が必要なので、もう少し時間をいただきたい。

 《2018年5月22日追記》
 ブログ本館で、企業の目的と従うべきルールについて整理してみました。
 【戦略的思考】企業の目的、戦略立案プロセス、遵守すべきルールについての一考察


 水平方向のネットワークとしては、図1にあるように、まず競合他社や異業種企業との連携がある。これは、自社の経営資源だけではカバーできない顧客ニーズを満たすための協業である。あるいは、協業を通じて顧客に対して新たな価値を顧客に提供することである。もう1つの連携先として、NPOがある。これは、企業が社会的ニーズを満たすための連携である。NPOは社会的ニーズを抱えた人々を多数抱えているが、ニーズに応えるための製品・サービスをどのように開発し、それを事業としてどうマネジメントするかについてはノウハウが乏しい。この点を補う役割が企業には期待される。いずれの連携も顧客の幅を広げるものであり、先ほど書いた企業の第一目的である「顧客の創造」につながっていく。

 このように、第5世代のビジネスモデルにおけるネットワークはかなり広範囲に及び、かつダイナミズムにあふれているのだが、本書の事例(Google、mixi、Apple、サトー、JR東日本、セコム)ではそこまで詳細な分析がなされていなかった。特に、第5世代のビジネスモデルの最大の特徴として非営利を追求する、つまり社会的ニーズを充足するという点が強調されていながら、どの事例もこの点に触れていなかったのが残念である。

 本書には「競争優位から共創優位へ」というサブタイトルがついている。ここで言う共創とは、第1には競合他社や異業種企業、NPOとの協業を通じた価値の創造であり、第2には行政に対する下剋上、自社に経営資源を提供する各パートナーへの下問を通じて達成されるものであると私は理解している。ところが、本書を読むと、googleやmixiが、ユーザの作成するコンテンツをベースに無料で資源を獲得している点を共創ととらえている節がある。いわゆるCGM(Consumer Generated Media:消費者生成メディア)のことである。確かに顧客との共創かもしれないが、これでは共創の意味をかなり限定してしまうような気がする。

高松平藏『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』―日本の理想社会を一足先に実現しているドイツ?


ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズムドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか:質を高めるメカニズム
高松 平藏

学芸出版社 2016-08-28

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 ブログ本館でしばしば、日本の多重階層構造を「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という形でラフにスケッチしてきたが、「行政府⇒市場/社会」の部分、すなわち、行政府が市場や社会に対して何かしらを命じるとはどういうことかと疑問に思われた方もいらっしゃるだろう。自由主義に従えば、行政府による介入は必要最低限に抑えるべきだというのが一般的である。しかし私は、行政府が法律や規制を通じて、市場や社会に積極的に関与していくのが日本の理想ではないかと考えている。

 具体的には、行政府が「日本人としてどう生きるべきか?」を示し、市場や社会に対して、その生き方を実現するための製品やサービスを効果的に配分する、別の角度から言えば、人々がそのような製品・サービスを欲するように要求する。これらの製品・サービスは、①衣食住など健康的な生活を送るのに十分な量・質であること、②精神面、文化面を豊かにするものであること、③倫理観、道徳観にかなったものであること、④限られた地球資源を有効に活用するものであること、という4つの条件を満たす必要がある。個人の欲望に任せて資源を浪費するのではなく、日本国、日本人として見た場合に最適な資源分配を実現すべく、行政府が市場や社会に干渉する。この点で、一般的な自由主義とは異なる。

 ドイツでは、「社会的市場経済」というシステムが戦後から構築されており、日本の理想の一歩先を行っているような気がした。
 まず経済について、戦後ドイツは「社会的市場経済」という体制をとる。後に首相となるルートヴィヒ・エアハルトが連邦政府の経済大臣時代(1949~1963年)に推進し、社会が経済システムをコントロールし、富の再分配と社会的公正を実現しようというものだ。需要と供給に任せておけばよいという自由市場経済とは一線を画す。富の再分配に関連させていえば、貧困対策、年金・失業保険などの社会保障といった分野も入ってくる。そして、そういった分野に関するシステム、法律、組織、取り組みといったものが「社会的」という概念と重ねられる。
 冒頭のラフなスケッチでは十分に表現されていないのだが、日本の多重階層社会にはもう1つ重要な特徴がある。それは、階層が下に行けば行くほど、多様性が増していくということである。多様性が増すということは、それだけ分権化も進むことになる。日本は明治維新と第2次世界大戦後に中央集権的な国家運営で急激な成長を遂げたため、中央集権制の方が親和性が高いように思われている。しかし、中央集権制は、開国後と戦後という国難の時期における臨時の手法である。現代でも中央集権制を引きずっているのは、アメリカのトップダウン型のリーダーシップの影響であると考える。本来は、江戸時代の幕藩体制のように、分権制の方が日本は上手く回るはずだというのが私の仮説である。

 ドイツは多数の連邦(それ自体が1つの国と言ってもよい)をかき集めて1つの国家にまとめ上げたという歴史的背景があるため、現在でも各連邦の権限が非常に強い。日本のように中央官庁が作成した政策を地方自治体が裏書きしてそのまま実行するということはない。ドイツの州や市は、中央からの指示に対して(時には中央の指示を待たずに)、地元の事情を踏まえた独自の案を構想する。こうした動きは、まちづくりやクラスター形成の場面で如実に表れる。
 日本でも2000年代に産業クラスター政策が全国で推進された。ただ日本の場合、各クラスターの範囲が地理的に広く、さらに政府によってつくられたという傾向がなきにしもあらずだ。それに対して、エアランゲン市では自らのまちのポテンシャルを見極め、経済戦略として打ち立てた。
 現在、日本では地方創生という題目を掲げて全国各地に魅力ある地域を構築することを目指している。ここはドイツに倣うと同時に、本来日本人の中に眠っているはずの分権制を呼び覚ますことが重要ではないかと考える。

 ブログ本館の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」でも書いたが、日本社会では、各プレイヤーが多重階層構造の一角に閉じ込められるのではなく、垂直方向には「下剋上」と「下問」、水平方向には「コラボレーション」を通じて移動する自由がある。この点で私は日本社会を自由主義的であると言う。

 企業を例に取ると、単に顧客のニーズに応えるだけでなく、顧客に対して「もっとこうした方が(中長期的に見て)生活の質が上がるのではないか?」と(時に顧客のニーズに反する厳しいことを)提案する「下剋上」、さらに顧客(市場)の上に位置する行政府に対して、「もっとこういう法律や規制にした方が、市場や社会の効果が上がるのではないか?」と提案する「下剋上」がある。一方、下の階層に関しては、企業に知識労働者を供給する学校に対して、「学校がもっと高い成果を上げるために、企業としてどんな支援ができるか?」と問う「下問」、企業に毎日社員を送り込む家庭に対して、「家庭生活がもっと上手くいくようにするために、企業としてどんな支援ができるか?」と問う「下問」がある。

 水平方向の「コラボレーション」は、自社の強み、組織能力、アイデンティティ、価値観に対する理解を深めるため、異質との出会いを通じて学習を重ねることを狙いとしている。コラボレーションの相手は競合他社かもしれないし、異業種のプレイヤーかもしれない。あるいは、社会的ニーズを満たすNPOかもしれない。NPOとの協業を通じて社会的価値を創造し、それを経済的価値と両立させる、つまり企業としても一定の業績を上げることができれば、マイケル・ポーターの言うCSV(Creating Shared Value)を実現したことになる。私は、日本企業にはこうしたコラボレーションを実施する素地が十分に備わっていると思っている。

 本書によると、ドイツ企業は地元に密着しており、地元の「フェライン(NPOに該当する)」と緊密な連携を取っているという。フェラインは地域の福祉のために仕事をしたり、地域で行われる様々なイベントの担い手になったりしている。ドイツ企業はフェラインに対する資金的援助を惜しまない。ただ、CSVの観点から言えば、単に企業が非営利組織に資金を供給するだけでは十分とは言いがたい。企業と非営利組織の活動を統合して、経済的価値と社会的価値の両方を創出することが、ドイツ企業にとっての課題であると言えそうだ。

藤井厳喜、飯柴智亮『米中激戦!いまの「自衛隊」で日本を守れるか』―【結論】守るのは難しいかもしれない


米中激戦!  いまの「自衛隊」で日本を守れるか米中激戦! いまの「自衛隊」で日本を守れるか
藤井厳喜 飯柴智亮

ベストセラーズ 2017-05-26

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 ブログ本館の記事「『終わりなき「対テロ戦争」(『世界』2016年1月号)』」で、日本は海洋国家であるにもかかわらず、自衛隊の構成が陸自に偏っていることを指摘したが、本書にも同じことが書かれていた。
 飯柴:現在、自衛隊総定員数約24万人のうち、陸上自衛隊員がいちばん多くて約15万人、全体の60%以上です。これは割合がおかしい。まったく同じ予算と総人数で、割合を空4:海4:陸2に変えていかなければいけないと思います。それだけで、かなりの戦力アップになります。軍事費の増額は必要ありません。そうしておいて、米軍を守る兵器ばかりではなく、米軍がいなくなっても自主防衛できるよう、少しずつ軍備もシフトしていく。これがスタートです。
 藤井:日本の国土で自衛隊の戦車が走りまわって戦闘しているようであれば、その時点で日本は終わっているということですからね。かつてはソ連を相手に北海道あたりで戦うつもりだったのだろうと思います。確かに、もう戦車は必要ない。
 ブログ本館では、日本社会の多重階層構造について何度か言及してきた。通常、階層型組織においては、上の階層から下の階層に対して一方的に命令がなされる。また、組織論で言われる「権限・責任一致の原則」に従うと、階層が上に行けば行くほど責任が重くなり、その分大きな権限が与えられる。

 ところが、日本の場合は、下の階層の人間が上の階層の人間の命令に対して、「もっとこうした方がよいのではないか?」と提案する自由がある。これは、上司の命令が絶対である欧米組織ではなかなか考えられないことである(もっとも、最近は部下の意見を尊重するマネジメントを実践している欧米企業も増えつつある)。そして、部下からの提案を受けた上司は、「君がそこまで言うのなら、自分でやってみなさい」と言って、上司が持っていた権限を大幅に部下に移譲する。これを私は、山本七平の用語の使い方に倣って「下剋上」と呼んでいる。

 下剋上が行われると、部下は責任よりも大きな権限を手にし、逆に上司は権限よりも責任が大きくなる。山本七平の言う下剋上では、部下が上司に取って代わろうとしているわけではない点が特徴である。部下はあくまでも部下の立場にとどまり、拡張された自由の中で大いに創造性を発揮する。仮に失敗しても、上司が責任を取ってくれる。これが日本組織の1つの美点であると私は思う。

 下剋上のメリットは、部下が提案活動を通じて上司の仕事の視点を先取りし、より大局的な視点から創造的な仕事をすることが可能となる点にある。ところが、自衛隊の組織は、単に部下に対する権限移譲だけがなされており、部下が俯瞰的に物事を見ることができなくなっているようである。そうすると、例えば軍事技術の開発に携わっている部下は、上司から与えられた潤沢な権限(資源)をバックに、個別の技術レベルを必要以上に上げることばかりに集中してしまい、その技術を軍事システム全体の中でどのように活用するのかという視点を失ってしまう。これを山本七平は、自身の陸軍での体験から「武芸の絶対化」と呼んだ。
 藤井:今、日本で心神(X-2/先進技術実証機)というステルス戦闘機をつくっていますね。それが、エンジンの出力不足でミサイルが格納できないという指摘です。ミサイルを外にぶら下げたままにならざるをえない。それではステルス性がなくなります。細かいエレクトロニクスはよくても、基本的なところがなっていない。(中略)「システムの中でこそ機能するもの」という発想がどうもないんじゃないかという気がしますね。
 システム思考の欠如は、次のような事例にも表れている。
 飯柴:だから、(※日本は)F-22(ロッキード・マーティン社とボーイング社が共同開発した、レーダーや赤外線探知装置などからの隠密性が極めて高いステルス戦闘機)を売ってくれと言っていますが、同じことです。シパーネット(※秘密情報を扱うアメリカの独自ネットワークで、ハッキング不可能)とジェイウィクス(※トップシークレットを扱う専用ネットワークで、インターネットからは物理的にも論理的にも完全に隔離されている)の端末が入っていますし、情報収集は衛星の秘匿回線を通じてするものですからね。(※シパーネットやジェイウィクスにアクセスできない日本が)どう使うんだという話です。シパーネットとジェイウィクスが、F-22を運用していくための基幹システムなんです。だからこれは「役に立たないスマホ」ですよ。
 技術は素晴らしくても、それをシステムとして活用する力が弱いのは、日本軍の伝統である。第2次世界大戦中、イギリスとアメリカは、レーダー用アンテナの実戦配備に成功した。イギリスは、1940年7~10月のバトル・オブ・ブリテンにおけるドイツ空軍による航空攻撃に対する防空邀撃システムの一環として、イギリス本土に24か所の早期警戒レーダー網を展開し、ドイツ空軍の封殺という目覚ましい成果を上げた。このアンテナの名前は”Yagi Antenna”と言う。開発したのは日本人の八木秀次であった。日本軍は八木アンテナの軍事的な有用性に気づかず、その間に技術を米英に盗まれ、実用化されてしまったのだ(杉之尾宜生「「攻撃は最大の防御」という錯誤 失敗の連鎖 なぜ帝国海軍は過ちを繰り返したのか」〔『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2012年1月号〕)。

Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]Harvard Business Review (ハーバード・ビジネス・レビュー) 2012年 01月号 [雑誌]

ダイヤモンド社 2011-12-10

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 いや、システム思考の欠如は、現代においても日本社会の至るところで見られる病巣なのかもしれない。ある電子機器メーカーを取材した中小企業診断士から話を聞いたのだが、このメーカーでは最近、非常に高精度のセンサーを開発したらしい。ところが、診断士が技術者にインタビューすると「このセンサーをどのように使ったらよいのか解らない」という答えが返ってきた。IoT(Internet of Things)がこれだけ注目されており、センサーはIoTシステムの重要な構成要素であるのに、ソリューションとしてのシステムが構想できないのである。せっかく権限移譲されても、個別最適に陥り巨視的な視点を欠くという悪癖がここでも見られる。

 それでもまだ、部下に対して権限移譲がされているならましなのかもしれない。最近の防衛省や自衛隊は、部下に対する権限委譲もされず、上からの命令を絶対視し、融通が利かない官僚組織と化しているようである。
 飯柴:実戦形式の合同演習を行ったときの話です。シナリオが4つありました。仮にそれらをA-B-C-Dとしておきましょう。基本的に順不同です。撤収の効率などを考えると「C-A-B-Dの順番が面倒にならないのでそうしましょう」と、米軍が提案したところ、いや、それはできません、という答えなんですね。「演習の順番は防衛省に報告済みだからできない」と言うんです。違うことをやるわけではないから、司令官権限でできるでしょうと言っても、「それはできない」と。
 藤井:「官僚主義」というやつですね、それは。順番が違っていただけで、背広組にいじめられるとか、まして、野党の政治家や朝日新聞に嗅ぎつけられたらえらいことになるということですね。現場の判断で制服組が動いたことが問題にされるわけです。
 戦場ではいつ何時何が発生するか解らない。よって、現場で状況に応じて柔軟に意思決定をすることが不可欠となる。したがって、海外の軍隊では、絶対にやってはいけないことだけをあらかじめ定めておき、それ以外は現場の裁量で自由に実行できるようになっている。これをネガティブリスト方式と呼ぶ。ところが、日本の自衛隊の場合は、やってよいことだけをあらかじめ明記するというポジティブリスト方式を採用しており、世界的に見れば異端である。この方式で、果たして海外からの攻撃に自衛隊が対応できるのか、私としては非常に不安である。

諸富祥彦『あなたのその苦しみには意味がある』―他者貢献から得られる「承認」は日本人にとって重要な比較不可能な報酬


あなたのその苦しみには意味がある (日経プレミアシリーズ)あなたのその苦しみには意味がある (日経プレミアシリーズ)
諸富 祥彦

日本経済新聞出版社 2013-07-09

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 フランクル(※実存的心理療法家ビクトール・フランクル)の講演の折、ある青年がこう質問した。「洋服屋の店員です。・・・私はどうすれば人生を意味のあるものにできるんですか」。これに対して、フランクルはこう答えた。「仕事の大きさが重要なのではありません。大切なのは、その活動の範囲においてその人が最善を尽くしているか、人生がどれだけ『まっとうされて』いるかだけなのです。その具体的な活動においては、1人1人の人間はかけがえなく代替不可能な存在です。誰もがそうなのです。1人1人の人間にとって、その人の人生が与えた仕事は、その人だけが果たすべきものであり、その人だけに求められているものなのです」
 ブログ本館の記事「『艱難汝を玉にす(『致知』2017年3月号)』―日本人を動機づけるのは実は「外発的×利他的」な動機ではないか?」でも書いたが、個人的にはマズローの欲求5段階説にあるような、自己実現が最高次の欲求であるというのは、所詮は自己啓発が大好きなアメリカ人が飛びつきそうなきれいごとだと考えている。とりわけ、人と人との間を生きる日本人の場合は、具体的に困っている人の前に放り出された時に、「その人を何としてでも助けなければ」といった具合に最も強く動機づけられる。それが「外発的×利他的」の意味である。

 「外発的×利他的」要因によって動機づけられた日本人は、次に「外発的×利己的」要因へと移行する。「外発的×利己的」要因の例としては、金銭的報酬、地位、他者からの承認、肯定的評価などが挙げられる。日本人は面子を重視するので、地位は強烈な動機づけ要因として作用する。しかし、残念ながら地位や金銭的報酬には限りがあり、全ての人の欲求を満たすことが難しい。これに対して、他者からの承認や肯定的評価には制限がない。我々がかかわりを持つ人々の範囲を広げ、彼らに貢献すればするほど、無限大に承認や評価を得られる。私は、日本人はこの点をもっと重視するべきだと思う。

 ブログ本館の記事で何度も書いてきたが、日本人は組織内であるポジションを与えられながら、上下左右に移動する自由を有している。上の階層からの命令に単に従うだけの存在ではない。企業の中においては、上司から命令されるだけでなく、上司に対して「もっとこうしてはどうか?」と提案=「下剋上」する。物わかりのよい上司は、「君がそこまで言うならやってみよ。責任は私が取る」と言って、権限を委譲してくれる。また、自分の部下に対しては、単に指示するだけでなく、「君が成果を出すために私に支援できることはないか?」と「下問」する。上司という地位に胡坐をかくのではなく、自分から部下の立場に下りていく。水平方向については、日本企業では昔から、困った時には部門間が協力して問題解決するのが当然とされている。ジョブローテーションの慣行がそれを下支えしている。

 こうして日本人は、自分に求められている成果を上げるだけでなく、自分の上司や部下、さらには他部門の成果を支援する自由がある。自分の影響圏を広げていけば、自ずと周囲から承認される機会も増える。これが日本人にとって非常に重要な非金銭的報酬となる。しかも、承認のされ方は人それぞれであり、承認の価値は人によって異なる。よって、地位や金銭的報酬のように、その過少をめぐって他人と比較するという不毛な競争をしなくて済む。上司の命令が絶対であり、さらに能力開発は自己責任で行われるものであって、上司が部下を育成するという考えが希薄な欧米企業では、上司と部下という単線的な関係が全てであり、日本企業のような自由や承認は考えにくい。

 企業自体も、顧客からの要望を受けて、その通りに応えるだけの存在ではない。顧客の期待水準を超えるように「下剋上」し、時には市場のルールを司る行政に対しても、顧客のためを思って「下剋上」する(=規制内容の変更を求める)。また、企業に人、モノ、カネという経営資源を差し出す家庭、仕入先、株主、金融機関に対しては、彼ら自身が追求する目的を達成できるように「下問」する。水平方向には、同業他社や異業種と組んで新しい顧客価値を創造したり、NPOなどの非営利組織と協業して社会的ニーズを充足したりする。企業自身もまた、上下左右に自由に動くことで、ステークホルダーから広く承認を受けることができる(ブログ本館の記事「【ドラッカー書評(再)】『断絶の時代―いま起こっていることの本質』―「にじみ絵型」の日本、「モザイク画型」のアメリカ」を参照)。

 1つ忘れてはならないのは、日本人が垂直方向に下剋上や下問を、水平方向にコラボレーションをする自由を有するということは、自分自身もまた下剋上や下問、コラボレーションを他者から受けるということである。その際には、相手に対して惜しみない承認を送らなければならない。日本人同士がお互いを尊重し合い、承認を相互交換する時、金銭だけが唯一の価値であるかのような社会像は崩れ、日本的な共同体が復活すると私は信じている。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

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