こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント)のブログ別館。1,500字程度の読書記録の集まり。

世界

『世界』2017年11月号『北朝鮮危機/誰のための働き方改革?』―朝日新聞が「ファクトチェック」をしているという愚、他


世界 2017年 11 月号 [雑誌]世界 2017年 11 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-10-07

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 (1)特集1のタイトルが「北朝鮮危機―解決策は対話しかない」となっているのを見た時、これはおそらく中身がない特集だろうと推測したのだが、果たしてその予感は的中した。どの記事を読んでも、「アメリカ(もしくは日本)と北朝鮮が対話をすべきだ」ということ以上のことは書かれていなかった。「対話をすべきだ」と主張するからには、いつ、どこで、誰がどのようなチャネルを通じて北朝鮮の誰と会い、具体的にどんな話をするのか、という点にまで踏み込まなければ意味がない。そのようなことに一切触れずに、ただ単に対話が重要だと言うだけであれば、単身で北朝鮮に乗り込んでいったアントニオ猪木議員以下である。

 ロシア外相が「幼稚園の子どものけんか」と呼んだ米朝間の緊張について、対話の重要性を説くリベラルは、まるで日本が親のように振る舞って、暴れん坊の子どもをなだめることができると信じているらしい。だが、アメリカも北朝鮮も実際には子どもなどではない。むしろ暴力団の抗争に例える方が適切だろう。日本では、山口組が本部のある神戸市の住民に対してハロウィンイベントでお菓子を配るなど、住民の間に溶け込む努力をしている。しかし、いくら山口組が神戸市民と良好な関係を築いているからと言って、神戸市民が山口組と住吉会の抗争を対話で止めさせようとはしない。それと同様に、日本がアメリカと同盟関係にあるからと言って、米朝の間に入ってできることなど、残念ながら現実的にはない。

 神戸市民が山口組と住吉会の抗争に巻き込まれないように身を守るのと同様に、日本も北朝鮮からミサイルが飛んできた場合を想定した国民の防衛策を真剣に検討すべき段階に来ている。永世中立国のスイスに倣って、公共のあらゆる場に急ピッチで地下シェルターを作るのも一手であろう。

 (2)欧米では最近、「ファクトチェック」と呼ばれる活動が活発になっているそうだ。これは、政治家など公的な立場にある人間が発する言葉やネット上に流れる様々な情報について事実か否かを確認し、その結果を指摘する作業のことである。虚偽の情報を意図的に流すフェイクニュースがネット上にあふれる中で、それに対抗する手段として登場してきたものである(立岩陽一郎「フェイクニュースとの闘い―ファクトチェックの現在」)。

 思わず笑ってしまったのは、日本でファクトチェックに注力しているのが朝日新聞だということである。最初に記事を掲載したのは2016年10月24日で、同年9月29日の安倍総理の発言を検証している。安倍総理は「参議院選挙において街頭演説などで私は必ず必ず、平和安全法制についてお話をさせていただきました」と発言していた。だが、朝日新聞が確認した64か所の街頭演説のうち、「平和安全法制」という言葉を使ったのは20か所だったため、「誇張」と判定した。

 また、2017年1月に憲法改正について安倍総理が「どのような条文をどう変えていくかということについて、私の考えは述べていないはずであります」と発言した点について、過去の国会の議事録を検証して「誤り」と指摘している。議事録で確認したところ、憲法96条について「3分の1をちょっと超える国会議員が反対をすれば、指一本触れることができないということはおかしいだろうという常識であります。まずここから変えていくべきではないかというのが私の考え方だ」と答弁していたことが判明したというのがその理由である。

 吉田清治の妄言を信じて世界中に従軍慰安婦のフェイクニュースをまき散らし、日本国民の名誉を著しく傷つけた朝日新聞が、こんな枝葉末節なチェックをしているとは噴飯物である。朝日新聞は、他人の情報よりも、自社が発信する情報が事実かどうかを検証する社内体制をもっと強化すべきではないだろうか?

『世界』2017年10月号『「一強」は崩壊したのか』―「仁徳天皇陵古墳」という表記は考古学・歴史学的に誤り


世界 2017年 10 月号 [雑誌]世界 2017年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-09-08

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 『世界』を定期購読して2年ぐらいになるが、今尾文昭「世界遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」の天皇陵古墳名称を問う」は、『世界』の中で初めて面白いと思える記事であった(『世界』の記事としても異色である)。

 2017年7月31日、国の文化審議会は大阪の古墳群である「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産登録に向けて、ユネスコへ推薦することを決定した。百舌鳥・古市古墳群には、堺市の大山古墳や羽曳野市の誉田御廟山古墳をはじめとする陵墓(宮内庁が管理する天皇・皇后他皇族の墓所など)となる古墳が多く含まれている。ここで著者が問題にしているのは、例えば大山古墳に対する構成資産名称が「仁徳天皇陵古墳」となっている点である。他の陵墓もこれに倣い、○○天皇陵古墳などという名称になっている。

 記事によれば、これらの名称の問題点は、大きく3つある。1つ目は、大山古墳に仁徳天皇が、誉田御廟山古墳に応神天皇が埋葬されているというのはあくまでも考古学・歴史学上の推定であり、また宮内庁が管理上便宜的にそのように呼んでいるだけであって、必ずしも史実を反映していないということである。2つ目は、「仁徳」や「応神」などの漢風の諡号は古墳時代には存在しておらず、8世紀になって国史を編纂する際に初めて与えられたものであるから、古墳時代の為政者の意向に沿ったものではないということである。3つ目は、2つ目とも関連するが、陵墓制度が古墳時代に確立されていたという史実はなく、したがって名称に「陵」を用いるのは適切ではないということである。

 さらに言うと、百舌鳥陵山古墳と大山古墳の間には、築造時期に1世代ほどの時間的隔たりがあることが考古学の研究から明らかになっている。しかし、宮内庁は、大山古墳には第16代天皇の仁徳天皇が、百舌鳥陵山古墳には第17代天皇の履中天皇が埋葬されているとしている。すると、天皇の時系列と古墳の時系列が逆転していることになり、矛盾した話になってしまう。

 こういうことは、私は全く考えたことがなかった。高校で日本史を学んだ時には、大山古墳=仁徳天皇陵古墳、誉田御廟山古墳=応神天皇陵古墳であると何の疑いもなく記憶したものである。ちなみに、私の蔵書の中には私が高校生の時に使っていた日本史の教科書が今でも残っているので、どのように記述されているのか確認してみたところ、「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」、「誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)」となっていた。著者の考えに従えば、カッコ内の表記は不適切ということになる。さらに、「大仙陵古墳」という名称は、地名+「陵」+古墳となっており、おそらくこれも適切ではないのだろう。

 著者自身は、古墳の表記については、遺跡としての古墳名+現陵墓としての便宜的呼称を併記することを基本としている。例えば、「大山古墳(現、仁徳天皇陵)」といった具合だ。まずは大山古墳の表記を第一とするが、近代以降の施策の中で広く周知されてきた仁徳天皇陵の表記も併記する。さらに、宮内庁が管理と祭祀を行っているという現実があるので、”現”を加えている。

 さらに、記事のタイトルに含まれる「天皇陵古墳」という用語についても、前述の通り古墳時代には陵墓制度が存在していなかったことを踏まえると、「天皇制古墳」と呼ぶのが望ましいのではないかという記述で著者は記事を締めくくっている。ただ、個人的には「天皇制」という言葉は、今度は戦前の国体における「天皇制」を想起させてしまうため、「天皇”性”古墳」の方がよい気がする。

『9・11から15年―世界はどう変わったか(『世界』2016年10月号)』


世界 2016年 10 月号 [雑誌]世界 2016年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2016-09-08

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 (1)
 中東や東南アジア、西欧諸国においては、軍・警察中心のハードなアプローチがテロ対策の中核をなしていた。だが、ここ数年で徐々にソフトなアプローチが重視されるようになってきた。とくにテロリスト予備軍をコミュニティー・レベルで監視・捕捉し、彼らが実際に行動に移るまえに、脱洗脳と社会復帰のためのリハビリ・プログラムを受けさせる、といった対策が現実に進んでいる。
(保坂修司「アルカイダからイスラーム国へ ジハード主義の来し方行く末」)
 イスラム国のようなテロリスト集団に対してどのように対処すべきか、私は十分な見解を持たない。上記のアプローチは一見もっともらしく聞こえるが、本号の別の箇所では次のように述べられている。
 すべてのムスリムを信仰だけを理由として無差別に監視することがどのような機序でテロの予防に寄与するのか、そのような研究成果はあるのかといった肝心の点については、証拠によらずに妄想で補ってしまったのだ。むしろ、世界の研究成果によると、このような監視捜査に予防効果はないとされている。
(井桁大介「ポスト9・11からポスト・スノーデンへ テロ監視政策」)
 ということは、冒頭のようにテロ予備軍をあぶり出してリハビリ・プログラムを行うのは、大変な労力がかかる割に十分な効果が期待できないことになる。本号で、加藤周一が1946年に書いた論文「天皇制を論ず―問題は天皇制であって、天皇ではない」に言及している箇所があったが、この表現を借りれば、「問題はイスラーム原理主義を支える何らかの仕組みであって、ムスリムではない」と言える。テロリストであれ犯罪予備軍であれ、人に着目してモグラ叩き的に対策を打っているうちは、残念ながらテロはなくならないであろう。

 (2)本号では「風評被害」という言葉が何度も用いられていた。福島原発事故後に放射線について学校で授業を行ったら、「風評被害が出るから止めてくれ」と親からクレームが入った話(尾松亮「教室で「放射能」を語れない―外国語に訳せないいくつかの理由」)、日本の国有林の中には枯葉剤が埋められている箇所が50ほどあるが、林野庁は風評被害を恐れてその場所を公開していないという話(宗像充「枯葉剤の埋められた山野を行く」)、最近、事故物件が密かな人気を集めているが、自死があった物件情報をいつまでも掲載する事故物件検索サイトに、「風評被害が広まるから掲載を取り下げてほしい」と家主が申し入れた話(杉山春「「事故物件」高額補償はなぜ起きるのか」)などである。

 尾松氏によると、「風評被害」という言葉は英語やロシア語に訳せないという。
 「風評被害」・・・。どう訳すか。ロシア語にはない言葉だ。「悪いイメージをつくる噂による被害」(?)と訳してみる。(中略)

 「DNAを放射線が傷つけるっていう話が、なんで噂になるの?悪いイメージをつくるって、何のイメージが悪くなるの?」うまく訳せない。もう一度トライする。「間違った情報の流布によって地域の人を傷つけ損失を与える」(?)「えっ、なんで?DNAを放射線が傷つけるっていうのは間違った情報じゃないでしょ。教科書にも書いてあるじゃない。なんでそれが、地域の人を傷つけるの?だれが損失を受けたの?」
 この福島訪問後、長崎で会ったバイリンガルの英語通訳者に「英語で『風評被害』はどう訳すか」を聞いてみた。この通訳者は、福島第一原発事故以来多くの外国人専門家を日本に招き、事故後の状況についての会話や報告を通訳してきた。「英語には『風評被害』なんて言葉ないですよ。”Harmful rumor(有害な噂)”と訳してみるんですけどね。少し違う」
 ブログ本館の記事「竹内洋『社会学の名著30』―「内部指向型」のアメリカ、「他人指向型」の日本、他」などで、日本人は他者との交わりを重視し、欧米人は自己を重視すると書いた(その違いを宗教観の違いに求めた)。日本の社会は巨大なピラミッドであり、垂直・水平方向に分化が進んでいる。1人1人の日本人は、社会全体のほんの一角を占めるにすぎない。だが、上の階層に対しては「下剋上」を起こし、下の階層には「下問」する(ブログ本館の記事「山本七平『帝王学―「貞観政要」の読み方』―階層社会における「下剋上」と「下問」」を参照)。

 さらに、日本人は水平方向にも積極的に協業する。企業内では同期のつながりが重視されるし、ジョブローテーションが頻繁に行われる。業界内では業界団体が競合他社とのリレーションを促進する。競合他社はライバルであると同時に、協業のよき友でもある。さらに、業界を飛び越えた異業種連携も見られる。以上を総合すると、日本人はピラミッドの中で、自分に課せられた役割を果たすだけでなく、上下左右へと移動し、他者の目的達成にも貢献しようとする。

 心理学には、「セルフモニタリング」という用語がある。セルフモニタリングが高い人はその場の状況に応じて言動を変える傾向が強く、逆に低い人は一貫した言動をとりやすい。セルフモニタリングが高い人ほど出世しやすいことも解っている。そして、研究によれば、日本は典型的なセルフモニタリング社会なのだという。これは、日本人がピラミッドの中で見せる柔軟性と無縁ではないだろう。

 ただし、セルフモニタリングが高いことには問題もある。他者に遠慮するあまり、他者に正しい情報を提供せず、自己を正当化する傾向が強いのである。日本語だけに風評被害という言葉があり、日本人が極度に風評被害を警戒するのは、「この情報を相手に伝えたら、相手に迷惑がかかるに違いない」と余計な心配をしてしまうからである。そして、そういう心配をせずに客観的な情報を公表する人を、風評被害のことを考えない無神経な人と責めるのである。

 通常、他者との関係を大切にするならば、客観的な情報を重視するはずである。ところが、日本人は他者との関係を大切にするあまり、客観的な情報を曲げてしまう。日本人のこの悪癖は、おそらく永遠に治らないだろう。逆説的だが、自己を重視する欧米人の方が、よっぽど客観性を重視する。

『アベノミクス破綻(『世界』2016年4月号)』


世界 2016年 04 月号 [雑誌]世界 2016年 04 月号 [雑誌]

岩波書店 2016-03-08

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 (1)
 厳しく言えば、国からの補助金に頼りきっている自治体の多くは、普段、国が示す下書きを上からなぞっているだけです。しかし、今回の震災では、当然のことながら、地区ごとに被害状況も違うし、必要とされているものも違う。だから国もスタンダードな下書きを書けない。だからこそ、地方自治体が頑張って住民の声を聞いて、具体的な復興プランを組み立てていかなければいけないのに、そのような動き方ができた自治体がどれだけあったでしょうか。
(真山仁、古川美穂「復興を誰がなしとげるのか」)
 日本は中央集権型の社会だと思っている人が多い。明治維新では政府が富国強兵を主導したし、戦後日本の経済成長も政府が資本主義を社会主義的に運用した結果であると説明される。ただ、私自身は、日本社会の本質は、江戸時代の幕藩体制に見られるような分権型だと考えている。分権型社会では、下の階層は上の階層からの命令に盲目的に従うのではなく、下の階層がよく知る現実に照らし合わせて、命令の内容を解釈し、具体的な実行方法を自律的に考案する。

 日本社会が平均的に皆優秀であると言われるのは、こうした歴史的背景があるためである。ところが、明治時代にはヨーロッパから、戦後はアメリカから外国のやり方が流入した。彼らのやり方は基本的にトップダウンである。戦後の行政は、政府や中央省庁を頂点とする上意下達の仕組みへと変貌した。だから、引用文にあるように、地方自治体が自分で考える力を失ってしまったのである。

 こうした弊害は、今回の震災に限った話ではない。いわゆる”箱モノ行政”によって、地方のニーズとはおよそマッチしない施設が乱立され、無謀な都市計画が実行されるのもその一例である。私は決して、お上が下々に命令するなと言いたいわけではない。お上はどんどん命令して構わない。重要なのは、「お上の言うことは十分ではない」、「お上の命令を現場の実情に合わせるならば、もっとこうした方がよい」と地方が声を上げ、中央とほどよい緊張関係を築くことである。

 (2)
 まず、指摘されるのは、三世代同居をモデルとし、それを支援する施策は、特殊な手法でしかありえず、少子化対策として有効性をもちえない、という点である。世帯総数に対する三世代世帯数の比率は減り続け、2013年では6.6%となった(国民生活基礎調査)。
(平山洋介「「三世代同居促進」の住宅政策をどう読むか」)
 安倍政権は一億層活躍社会を実現する施策の1つとして、三世代同居住宅の普及を目指している。この記事はその政策に疑問を示したものだが、私も三世代”同居”ではなく、”近居”でよいのではないかと考える。昔、野村総合研究所が出した『2015年の日本―新たな「開国」の時代へ』という書籍では、複数世代の家族が近所に住むことで緩やかに援助し合う「インビジブル・ファミリー」という概念が提示されていた。こちらの方が現実味がありそうである。

2015年の日本―新たな「開国」の時代へ2015年の日本―新たな「開国」の時代へ
野村総合研究所2015年プロジェクトチーム

東洋経済新報社 2007-12-01

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 ただ、私がこの引用文を取り上げた真意は、もっと別のところにある。すなわち、左派は民意が重要だと言って世論調査の多数派を重視する一方で、民主主義は少数派を圧殺しないための制度であるとして少数派の意見に肩入れすることもある、という矛盾である。左派は、自分が主張したい内容に応じて、多数派と少数派を恣意的に選択しているように見えることが、私には不思議である。

 今回のケースで言えば、三世代同居世帯は確かに現時点では6.6%と少数派である。しかし、この割合は、人口に占めるLGBTIの割合が約5%であるのとほぼ同じである。一方は取るに足りないと片づけ、もう一方は同性婚の制度化で擁護すべきだと主張する根拠は、一体どこにあるのだろうか?

 (3)
 所得税収は、ピーク時(1991年度)の26.7兆円から、2015年度(一般会計予算。以下同じ)で16.4兆円と10兆円以上減少し、法人税収もピーク時(1989年度)の19兆円から、2015年度で11兆円と激減している。これに対し、消費税は、2014年4月からの税率8%への引き上げにより、2015年度で17.1兆円と、ついに法人税収、所得税収を抜いて、税収のトップにおどりでた。
(伊藤周平「安倍政権の社会保障改革を問う」)
 国民医療費全体では、2000年の30.1兆円が2013年は40.1兆となり、10兆円増えた(33%増)。その内訳をみると、家計負担は2000年の13.3兆円が2013年は16.1兆円で2.8兆円の増(21%増)、事業主負担は2000年の6.8兆円が2013年は8.1兆円で1.3兆円の増(19%増)、国の負担は2000年の7.4兆円が2013年は10.4兆円で3兆円の増(40%増)、地方の負担は2000年の2.6兆円が2013年は5.2兆円で2.6兆円の増(倍増)となっている。

 すなわち、家計・国・地方の負担はそれぞれ2.6~3兆円増えているのに対し、事業主の負担はその半分も増えていない(+1.3兆円)。
(坂口一樹「”自助”へと誘導されてきた医療・介護」)
 興味深いデータを2つ引用した。簡単にまとめると、法人税収が減少している(そして、安倍政権が進める法人減税によって、さらに下がると予想される)一方で消費税収が増加していること、医療費負担は、国、地方、事業主、家計の中で、事業主の増加分が最も小さい、ということである。

 ブログ本館の記事「『震災から5年「集中復興期間」の後で/日本にはなぜ死刑がありつづけるのか(『世界』2016年3月号)』―「主権者教育」は子どもをバカにしている、他」でも書いたが、日本では個人よりも組織(企業)が優先される。この傾向はおそらく変えられない。まずは組織を富ます。そしてその次に、果実の一部を組織の構成員である個人にも流す、というのが日本の特徴である。

 問題は、企業⇒個人という利益配分のルートが機能不全に陥っていることである。アベノミクスは、両者の間で詰まっているパイプを一生懸命きれいにしようとした。異次元の量的緩和を通じて、企業にじゃぶじゃぶとお金を回した。ところが、デフレとはモノ余りのことである。この状態で企業がお金を手にしても、投資先がない。投資をすれば、さらに供給過剰となり、デフレが止まらなくなるからだ。

 だから、アベノミクスがやるべきことは、企業優先という原則を一時的に曲げて、家計に直接お金を注入することかもしれない(いわゆるヘリコプターマネー)。企業に賃上げの圧力をかけて、企業⇒個人へとお金が流れるように仕向けても、10兆円あると言われる需給ギャップはそう簡単に埋められそうにない。

『2015年夏という分岐点(『世界』2015年10月号)』


世界 2015年 10 月号 [雑誌]世界 2015年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2015-09-08

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 (1)
 (「人種差別撤廃施策推進法(通称「ヘイト・スピーチ規制法」)」は)基本法ゆえ、この法案が成立しても即効性は高くないが、何より、これまで人種差別を放置してきた姿勢を改め、国と地方公共団体が総体として取り組み、人種差別撤廃政策を策定・実施していくことで、反人種差別が国と社会の主流となり、差別撤廃に向けた歴史的な転換点となる意義がある。
(師岡康子「審議入りした「人種差別撤廃施策推進法案」の意義」)
 ブログ本館の記事「山内志朗『ライプニッツ―なぜ私は世界にひとりしかいないのか』―全体主義からギリギリ抜け出そうとする思想」でも書いたように、左派は個の違いを無視して、皆が平等な社会の実現を目指す。怖いのは、左派が人種以外の様々な違いを差別と呼び、その撤廃に動き出すことである。例えば、学校が入試試験によって一定の偏差値以上の生徒の身を確保することを「学力差別」と呼ぶかもしれない。また、企業が顧客の年収に応じて製品・サービスのレベルを変えることを「収入差別」と呼ぶかもしれない。

 一般論で言えば、人種、出自など本人の努力ではどうしようもない要素についての差別は取り締まるべきであり、逆に学力、年収など本人の努力で変えられる可能性がある要素については差別しても構わない、ということになるだろう。ところが左派は、親の年収が低いと学力向上の機会が与えられないとか、会社の底辺で搾取されていると年収が一向に上がらないなどと、あたかも外部環境のせいで差別が固定化されているかのように扇動する可能性がある。

 (2)
 読売新聞が2005年10月に行なった面接方式の世論調査によれば、対中戦争については、68%の人が日本の「侵略戦争」と考えています。対米戦争を「侵略戦争」だと考える人は34%ですが、対中・対米ともに侵略戦争ではなかったという回答は10%にとどまっています。これは、国民の総意に近いものではないでしょうか。
(加藤陽子、半藤一利「歴史のリアリズム―談話・憲法・戦後70年」)
 左派が目指すのは市民社会の実現であるから、彼らにとって世論というのは非常に重要なのだろう。一方で、本号の別の箇所にはこんな記述がある。
 もっと気味が悪いのは、「(安倍)談話」発表後のメディアの世論調査結果。共同通信が最初で、15日に全国電話調査の結果を発表したが、「談話」を評価するが44.2%、しないが37.0%、さらに内閣支持率は、不支持がまだ僅差で多いが、支持するが前回より5.5ポイントも改善、37.7%まで上昇。つづく読売の結果は、「談話」を評価するが48%、しないが34%。産経・FNNとなると、評価するが57.3%、しないが31.1%で(中略)、全体的には、多くの国民の心情が、あの程度の「談話」でも、よいとする方向に振れる様子を、浮き彫りにした。
(神保太郎「連載メディア批評第94回 (1)新たな「過ち」の始まり―安倍談話報道をふり返る、(2)アーカイヴ・「戦後70年特番」」)
 左派が世論は正しいとするのならば、安倍談話は”あの程度”であっても正しいと言わなければならない。世論調査の結果を主張したい内容の文脈に応じて都合のいいように利用するのは、国民を愚弄する行為ではないだろうか?

 国民は概して、短期的、自己中心的に行動する。そんな国民の人気を取るのは実に簡単なことだ(経済対策を打ち出せば、すぐに支持率が上がる)。しかしながら、世論調査というのは、どこまで行っても所詮参考値にすぎないと思う。そもそも政治は、国民の人気を集めるためにやっているわけではない。

 各人が短期的、自己中心的に振る舞っても、結果的に全体最適が達成されるのは、自由経済の世界のみである。政治の世界ではそうはいかない。時には中長期的な視点に立ち、誰かの利害を犠牲にするような行動をとらなければならない。必然的に、国民から理解が得られないこともある。だが、孔子は『論語』で、「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」と説いているではないか?

 (3)
 (安倍談話の)全体としての印象を言えば、第一に、客観主義的で、まるである種の教科書のように公式的に、戦争に至る歴史的経緯が論じられていることである。(中略)第一の点に関連して指摘しておかなければならないことは、安倍談話は、その内容としては、総理の私的諮問機関として今年2月に設けられた21世紀構想懇談会から安倍首相に提出された報告書(8月6日付)を下敷きにしたものだということである。それが何を意味するかといえば、談話において、首相という政治指導者が示すべき歴史についての主体的判断を、専門家集団に丸ごと委ねたということである。
(三谷太一郎「主体性を欠いた歴史認識の帰結は何か」)
 安倍談話、しかも私的な談話ではなく閣議決定された談話は、政府としての公式の歴史見解を反映させたものである。それが「教科書のように公式的」であることの一体何が悪いというのだろうか?

 ブログ本館の記事「E・H・カー『歴史とは何か』―日本の歴史教科書は偏った価値がだいぶ抜けたが、その代わりに無味乾燥になった」でも書いたが、戦後日本の歴史教育は、日教組が教育現場に深く入り込んでいたこともあって、共産主義の影響を強く受けた。日本は満州事変の時から侵略国家になった、いや明治維新の時から侵略国家を目指していた、と左派はとらえている。

 右派は左派の影響を1つずつ解除し、客観的・中立的な記述を目指してきた。その結果でき上がったのが現在の歴史教科書である。確かに、歴史用語が次々と登場するだけで淡泊だという批判はある。だが、かつての歴史教科書が左派偏向だったことを考えれば、これは大変な進歩である。さて、安倍談話に目を向けると、安倍談話と歴史教科書の近現代史観は共通点が多い(国内向けの歴史と、国外に発信する歴史の整合性を取ったという点は偉業である)。歴史教科書が進歩したのと同様、今回の安倍談話もこれまでの談話に比べて進歩したと言える。

 最後にもう1つ。三谷氏は、首相が21世紀構想懇談会に報告書を作成させたことを批判している。しかし、仮に首相が独断で談話を出せば、「なぜ有識者会議を開かなかったのか?」と批判したに違いない。だから、三谷氏の批判は典型的な揚げ足取りであり、何も意味をなさないと思う。

 (4)
 かつて、オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』(1930年)において、「一つのことに知識があり、他のすべてのことには基本的に無知である人間」、すなわち大衆化した専門家の野蛮性を厳しく排撃した。専門家が自己限定の自覚を欠いたとき、専門家支配は暴走する。
(三谷太一郎「主体性を欠いた歴史認識の帰結は何か」)
 専門家が暴走した例として、この記事では東日本大震災における福島第一原発事故を挙げている。左派は知識が支配力を持つことを嫌うので、エリートや専門家を厳しく批判する傾向がある。代わりに、(無知な)市民を広く参加させよと主張する。だが、別の記事にはこんなことが書かれている。
 安倍新説の最大の問題点は、それが歴史的に間違っているという部分だ。安倍が依拠した有識者懇談会の16人のメンバーのうち歴史家と呼ばれる人たちは4人だけだったゆえ、その錯誤は驚くにはあたらないのかもしれない。
(テッサ・モーリス=スズキ「安倍70年談話における戦争史の欠陥」)
 これではまるで、有識者懇談会にもっと歴史の専門家を入れろと言っているようなものだ。有識者懇談会が専門家で支配されることこそ、左派が最も嫌うのではなかったか?有識者懇談会には歴史が専門ではないメンバーが12人もいたのに、報告書をまとめることができたという事実を、なぜ左派は評価できないのか?

 (5)
 その(小選挙区制の政治的効果の)結果、自民党は党内での緊張感を弱め、地域や地方での手足を失うことになった。派閥の力が弱まって集権化が進み、2世議員や3世議員が増え、選挙区との日常的なつながりが薄まった。派閥の新人発掘機能や議員への教育・訓練機能も失われ、若い候補者が政治家として鍛えられるチャンスが減った。その結果、「こんな人が」と思われるような不適格者も国会議員になってしまう。
(五十嵐仁「自民党の変貌 ハトとタカの相克はなぜ終焉したか」)
 この記事に限らず、本号では自民党議員の質の低下を小選挙区制に帰結させる論調が目立った。しかし、日本に小選挙区を導入したのは、非自民の細川連立政である(1994年に、衆議院の選挙区制度を小選挙区比例代表並立制に改革する法案が成立)。中選挙区制では同一政党・会派同士が多額の金をかけて争い、政治腐敗を招きやすいので、それを是正するというのが当時の目的であった。左派の要求に従って小選挙区制を導入したのに、それによって議員の質が低下していると批判されるのは、何とも理不尽な話である。

 (6)
 安倍談話の中で謝罪に言及した部分に、謝罪の対象は書き込まれていない。「私たちの子や孫、そしてのその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」ここで目指されているのも、当事者の被害回復の目的で行われる、被害者に対する謝罪ではなく、第三者からの評価を期待した、謝罪というパフォーマンスだからであろう。
(牧野雅子「性暴力加害者の語り」と安倍談話)
 私は、従軍慰安婦問題について何か主張できるほど情報を持っていない。ただ、私にとって不思議なのは、日本国内では犯罪加害者にも人権があると言って擁護に乗り出す左派が、慰安婦問題に関しては徹頭徹尾謝罪することである。朝日新聞が吉田証言の誤報を世界に発信したことで、日本人の尊厳が傷つけられたことには全く触れない。仮に、国内で容疑者の間違った情報をメディアが報じたら、「メディアは加害者の人権を侵害した」と左派は騒ぎ立てるに違いない。

 (7)
 国防という観点からいえば、日本は海岸線がたいへん長く、世界で6番目、アメリカよりも長い。だから四方八方どこからでも攻められる。文字どおり隙だらけです。この守りづらい国土を守るためには外で守るほかはない。勝海舟も坂本龍馬も、結局、まず海軍が必要だと考えたし、明治維新以来、日本の指導者は苦労してきた。
(加藤陽子、半藤一利「歴史のリアリズム―談話・憲法・戦後70年」)
 日本の海岸線が世界で6番目に長いという事実から導かれる結論は、左派にとっておよそ受け入れがたいものだろう。それはつまり、海軍自衛隊を強化せよ、ということである。日本の自衛隊員の数を見ると、陸軍は約14万人であるのに対し、海軍はその4分の1あまりの約4万人しかいない(ちなみに、空軍も約4万人)。これは、自衛隊が基本的に、敵が上陸した場合の防衛を主としているためである。だが、隙だらけの日本の海岸線を守るには、海軍を強化する以外にない。

 (8)本号に限らず、左派は原子力発電に対して非常に強いアレルギー反応を示す。左派の基本的なメンタリティは、力への抵抗である。よって、人間にとって少しでも脅威となる技術や事象については、それが人間の生活を豊かにできる可能性を秘めていたとしても、徹底的に排斥しようとする。だから、原発再稼働を許さないし、武力行使にも反対する。最も急進的な左派は、人間が技術などを持たない時代、つまり皆が農業にいそしんでいた時代へ戻れとさえ主張する。

 過去の『世界』を調べたわけではないが、数十年前の左派は、自動車が交通事故死をもたらすとか、公害を引き起こすといった理由で、自動車を否定していたのではないだろうか?また、数十年後の左派は、AI(人工知能)を敵視し、ロボットに雇用が奪われるだの、機械に人間が支配されるだのと批判するに違いない。

 左派はあらゆる危険分子を取り除いて、鎖国状態、無菌状態、自分だけは純潔という状態を作り出す。しかし、そういう状態は長続きしないし、一旦危険分子が入り込むと、堰を切ったように大きな反動が生まれる。鎖国から抜け出した明治政府が急速な社会改革を進めたのはその一例だろう。現在の日本は、平和憲法という名の下に、武力を排除している。ところが、その極端な武力嫌いが、かえって反動としての戦争を引き起こすのではないかと心配している。

 我々に必要なのは、リスクをはらむ技術などを一方的に遠ざけるのではなく、リスクがあると知りながらなおその技術を活用し、生活や社会を充実させる方法を模索することではないだろうか?右派の人たちは、ややもすると技術を礼賛してリスクを顧みないことがある。だから、左派に対しては、そのリスクを指摘し、リスクとの上手な共存を提案するという姿勢を期待したい。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、1,500字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
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