インドビジネス40年戦記インドビジネス40年戦記
中島 敬二

日経BP社 2016-04-01

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 著者の中島敬二氏は住友商事出身である。1975年からインドとの取引に関わり、スズキ自動車がインドに設立したマルチ・ウドヨノ(現マルチ・スズキ)については、立ち上げ期から支援を行った。1998年からインド住友商事社長を務めた。2004年に定年退職したが、2006年には住友商事が出資するインド企業の再建を依頼され、同社取締役としてインドに赴任している。トータルで約40年にわたりインドビジネスに携わっているインドのエキスパートである。

 海外ビジネスに詳しい方々が口を揃えて言うのは、「インドは肌に合う人と合わない人がはっきりと分かれる」ということである。インドの文化や国民性にすっかり惚れ込んで、インドでの仕事が大好きになる人がいる一方で、水を飲めば下痢になり、食事を食べても口に合わず、一刻も早く日本に帰任したいと本社に懇願する人もいるようだ。中島氏は前者の中でも強者の部類に入る。

 以前の記事「清好延『インド人とのつきあい方―インドの常識とビジネスの奥義』」でも書いたが、インド人は他人、特に友人との距離が非常に近く、男性同士でも手をつないで歩くことがあるという。これは本当なのかと半信半疑だったが、本書にも次のように書かれていたので、どうやら真実のようだ。
 K会長はこう言ってくれた。「多くのインド人や外国人が私に接近する。だが、そのほとんどはビジネス上の付き合いである。君は若いけれど、私の親友だ。A friend in need is a friend indeedという言葉を知っているかい?今後君に困ったことが起こったら、どんな問題であろうとも私はあなたを助ける」と。K会長は「日本の弟」と私を呼ぶようになった(彼と私とはインドではよく手を繋いで歩いていたが、お互いにホモではないことを念のため申し添えておく)。
 ここからはインドの話からは外れる。商社のビジネスは、言い方は悪いが、モノを右から左へ流すビジネスである。顧客からすれば、間に商社が介在している分だけ、高い価格を払わされることになる。そこで、顧客はメーカーとの直接取引によって、コストカットをしたいと考えるようになる。商社は常に中抜きをされるリスクにさらされている。そのリスクを巧みに回避し、さらに顧客に対して商社ならではの付加価値を提供できる人が商社の世界で生き残っていくに違いない。
 3回目のF氏(※日本の自動車関連会社X社との合弁を計画していたN社の社長。住商はX社とN社を仲介していた)の来日時、彼を東京でアテンドし、X社へ送り出したところ、X社の課長から、「F氏は住商抜きで取引をしたいと言っているよ」との電話がかかってきた。私は普段は冷静で温厚な人間だと自認していたのだが、このときばかりは怒り心頭に発し、机に置いてあったF氏から貰った土産を叩き潰した。

 翌日彼は再び住友商事本社を訪れた。本部長が海外出張中だったので、私は本部長室を借りて、1人で彼と対峙した。彼が入室するなり、私は彼を睨み、そして私は厳しい態度で言った。「当社抜きの直接取引を申し出たとの話を聞いたが本当ですか?もし本当なら、大変遺憾な話です。今すぐこの部屋から出て行ってください。私は約束を守らない会社とは関わりたくない。当社の本部長の名代として貴方にはっきり申し上げる」と。
 ブログ本館の記事「安土敏『スーパーマーケットほど素敵な商売はない』―一度手にした商圏を”スッポン”のように手放さない執念、他(続き)」で、製造業と流通業の価値観の違いについて書いた。製造業の価値観は、自社の得意技術を活かして、特定分野の製品を極め、それを広く市場に広めようとする。製造業が重視するのは、その製品の「市場シェア」である。一方、流通業の価値観は、特定の顧客を極めることである。つまり、顧客のニーズを幅広くつかみ、かつ深堀して、「あの企業にお願いすれば手に入らないものはない」と思ってもらえるように製品・サービスを揃える。だから、流通業は「ウォレット・シェア」を重視する。

 強い商社マンというのは、単に手持ちの製品を横流しするだけではなく、顧客が無理難題を言ってきても、世界中のネットワークを活かして、顧客がほしがる製品・サービスをありとあらゆる手を使って(もちろん合法的に)調達できる人のことを指すのだろう。顧客のことが好きで好きで仕方なく、顧客を喜ばせたい一心で顧客のために何でもしてあげられる人が、商社や流通業には向いている。

 流通業の中には、特定メーカーの系列に組み込まれていて、顧客からの受注情報をメーカーに伝えるだけの存在になっているところもある。今はそれでよいのかもしれないが、仮に顧客が力を持ち始めて、「メーカーとの直接取引をしたい」とプレッシャーをかけるようになれば、きっと流通網は崩壊する。また、「もっと製品・サービスの選択肢がほしい」という声が大きくなれば、系列関係が崩れ、多様なメーカーの製品・サービスを扱う流通業者が出現するに違いない。

 私は、どちらかと言うと製造業の価値観に近い。自分の得意分野に磨きをかけて、質の高いコンサルティングや研修・セミナーを提供したいと思う。もちろん、私も顧客の役に立ちたいと思って仕事をしている。だが、いくら顧客がほしがっているからといって、自分があまりよく知らない製品・サービスまで探し出して紹介しようとは思わない。私のような人間が総合商社に入社していたら、真っ先に出世競争から脱落していただろう。むしろ、今の仕事の方が性に合っている。