世界 2017年 10 月号 [雑誌]世界 2017年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2017-09-08

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 『世界』を定期購読して2年ぐらいになるが、今尾文昭「世界遺産候補「百舌鳥・古市古墳群」の天皇陵古墳名称を問う」は、『世界』の中で初めて面白いと思える記事であった(『世界』の記事としても異色である)。

 2017年7月31日、国の文化審議会は大阪の古墳群である「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産登録に向けて、ユネスコへ推薦することを決定した。百舌鳥・古市古墳群には、堺市の大山古墳や羽曳野市の誉田御廟山古墳をはじめとする陵墓(宮内庁が管理する天皇・皇后他皇族の墓所など)となる古墳が多く含まれている。ここで著者が問題にしているのは、例えば大山古墳に対する構成資産名称が「仁徳天皇陵古墳」となっている点である。他の陵墓もこれに倣い、○○天皇陵古墳などという名称になっている。

 記事によれば、これらの名称の問題点は、大きく3つある。1つ目は、大山古墳に仁徳天皇が、誉田御廟山古墳に応神天皇が埋葬されているというのはあくまでも考古学・歴史学上の推定であり、また宮内庁が管理上便宜的にそのように呼んでいるだけであって、必ずしも史実を反映していないということである。2つ目は、「仁徳」や「応神」などの漢風の諡号は古墳時代には存在しておらず、8世紀になって国史を編纂する際に初めて与えられたものであるから、古墳時代の為政者の意向に沿ったものではないということである。3つ目は、2つ目とも関連するが、陵墓制度が古墳時代に確立されていたという史実はなく、したがって名称に「陵」を用いるのは適切ではないということである。

 さらに言うと、百舌鳥陵山古墳と大山古墳の間には、築造時期に1世代ほどの時間的隔たりがあることが考古学の研究から明らかになっている。しかし、宮内庁は、大山古墳には第16代天皇の仁徳天皇が、百舌鳥陵山古墳には第17代天皇の履中天皇が埋葬されているとしている。すると、天皇の時系列と古墳の時系列が逆転していることになり、矛盾した話になってしまう。

 こういうことは、私は全く考えたことがなかった。高校で日本史を学んだ時には、大山古墳=仁徳天皇陵古墳、誉田御廟山古墳=応神天皇陵古墳であると何の疑いもなく記憶したものである。ちなみに、私の蔵書の中には私が高校生の時に使っていた日本史の教科書が今でも残っているので、どのように記述されているのか確認してみたところ、「大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)」、「誉田御廟山古墳(応神天皇陵古墳)」となっていた。著者の考えに従えば、カッコ内の表記は不適切ということになる。さらに、「大仙陵古墳」という名称は、地名+「陵」+古墳となっており、おそらくこれも適切ではないのだろう。

 著者自身は、古墳の表記については、遺跡としての古墳名+現陵墓としての便宜的呼称を併記することを基本としている。例えば、「大山古墳(現、仁徳天皇陵)」といった具合だ。まずは大山古墳の表記を第一とするが、近代以降の施策の中で広く周知されてきた仁徳天皇陵の表記も併記する。さらに、宮内庁が管理と祭祀を行っているという現実があるので、”現”を加えている。

 さらに、記事のタイトルに含まれる「天皇陵古墳」という用語についても、前述の通り古墳時代には陵墓制度が存在していなかったことを踏まえると、「天皇制古墳」と呼ぶのが望ましいのではないかという記述で著者は記事を締めくくっている。ただ、個人的には「天皇制」という言葉は、今度は戦前の国体における「天皇制」を想起させてしまうため、「天皇”性”古墳」の方がよい気がする。