引き算する勇気 ―会社を強くする逆転発想引き算する勇気 ―会社を強くする逆転発想
岩崎 邦彦

日本経済新聞出版社 2015-09-18

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 良い引き算は、何かを引き算することによって、大切な何かに「集中」する。だから、引くことによって本質が引き出され、中身が凝縮される。表面的にはシンプルに見えたとしても、中身は深いので、時間がたっても顧客に飽きられない。
 簡単に言えば、顧客の多様なニーズに応えようと機能過多にするのではなく、重要かつ本質的な価値に集中せよ、ということである。ただこれは、ブログ本館で何度も述べたように、一神教的な発想だと思う(例えば「日本とアメリカの戦略比較試論(前半)(後半)」など)。

 一神教文化の企業、とりわけアメリカでイノベーションに強い企業は、世界のニーズの最大公約数をとらえて、非常にシンプルな製品・サービスを創造する。そして、豊富な資金力をバックに、その製品・サービスを世界中に展開する。アップルの戦略はまさにこれである。逆に、イノベーションで成功した企業の業績に陰りが見えてくると、違う分野の製品・サービスに手を出そうとする。ところが、市場はそういう取り組みを迷走としか受け取らない。マクドナルドが変わった新製品を出すたびに、顧客から冷ややかな反応を買ってしまうのはそのためだろう。

 製品・サービスや戦略をシンプルにするのは顧客や企業のためだが、実は証券会社の策略でもある。彼らは、豊富な資金の割に株価が低い企業にターゲットを絞る。そして、資金を活用してM&Aをするように勧める。M&Aの成功確率を高めるには、企業の戦略をシンプルにしなければならない。まずここで証券会社が暗躍する。その後数年が経過すると、統合の効果が切れて業績が低迷し始める。ここで再び証券会社が登場し、今度は戦略を整理して不採算部門を売却しましょうと働きかける。こうして、証券会社は2度おいしい思いをすることができる。

 日本は多神教文化の国であるから、多様なニーズを持つ顧客に対し、多様な製品・サービスで応えるのが戦略の基本路線である。これを勘違いして、多様なニーズに1つの製品・サービスで応えようなどと考えると、機能過多でガラパゴス化した製品・サービスになってしまう。

 アメリカ企業が単一の製品・サービスを市場に投入してしばらくすると、その製品・サービスではニーズが十分に満たされないセグメントが出てくる。世界中のニーズの最大公約数だけをとらえているから、そこから漏れるニーズがあるのは当然だ。日本企業は、そのセグメント向けに新しい製品・サービスを作り出す。さらに他のセグメントが不満を抱えていることが判明すれば、日本企業はそのセグメントにも別の製品・サービスを展開する。こうして、徐々にアメリカ企業の牙城を崩していくのが日本企業のやり方である。ピーター・ドラッカーは『イノベーションと企業家精神』の中で、日本企業のこうした戦略を「起業家的柔道」と呼んだ。

「新訳」イノベーションと起業家精神〈下〉その原理と方法 (ドラッカー選書)「新訳」イノベーションと起業家精神〈下〉その原理と方法 (ドラッカー選書)
P.F. ドラッカー Peter F. Drucker

ダイヤモンド社 1997-11

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 多神教的な日本企業の戦略には、2つの方向性があると思う。上記リンク中の記事で掲載した図の左下の象限は、「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが小さい」という象限である。この象限では、同じセグメントに属する顧客が日常生活で使用する様々な消費財などを幅広く揃えるとよい。新興国では、この象限に属する財閥系のコングロマリットがよく観察されるが、そのような事業展開が日本にもフィットしていると感じる。

 この点で、かつてユニクロが農業に進出し、ワタミが介護事業に進出した理由もよく理解できる(どちらも失敗してしまったが)。この象限に属する代表的な業種である飲食店は開廃業の回転が速いが、飲食店がなかなか長続きしないのは、他分野への進出や、他業種との連携が不足しているからではないかと推測している。大手飲食チェーンは、傘下に様々な飲食店のブランドを用意することで、顧客の食事を広くカバーしようとする。もちろんそれも重要ではあるものの、食事以外の分野にも積極的に手をつけることが実はカギなのではないかと思う。

 右下の「必需品である&製品・サービスの欠陥が顧客の生命・事業に与えるリスクが大きい」という象限は、日本企業が最も強い象限である。この象限では、前述の起業家的柔道によって、多様なセグメントに多様な製品・サービスを提供するのがよい。トヨタ自動車がアメリカの大量生産方式に対抗して、多品種少量生産を実現するためにトヨタ生産方式を生み出したのはその代表である。

 この象限の特徴は、高度な機能と厳しい品質を実現するために、最終製品・サービスに至るまで非常に長いバリューチェーンが必要になることである。自動車業界には系列があるし、建設業界やIT業界(BtoBの基幹システムなどを構築するIT企業)には多重下請構造が見られる。様々なプレイヤーと手を取り合いながら、1つの製品・サービスを完成させる。そして、顧客が違えば製品・サービスも異なる。つまり、この象限の企業は、顧客も取引先も非常に多様化している。この複雑なネットワークをいかにマネジメントするかが重要な課題となる。

 実は、製品・サービスをシンプルにすることと、製品・サービスを多角化することは両立する。本書には次のような記述があった。
 メリハリをつけると、ハロー効果(後光効果)が生じる。これは、何か1つが突出していると、他の要素のレベルも高いと思われやすいという心理的メカニズムである。例えば、「すべての商品が平均的に美味しい和菓子屋」はハロー効果が働かないが、「大福がとびっきり美味しい和菓子屋」はハロー効果が作用し、饅頭など他の商品もおいしいと思われやすい。
 ブログ本館の記事「「起業セミナー」に参加された方にアドバイスした3つのこと」でも、専門分野を極限まで絞っている中小企業診断士が、かえって色んな分野の仕事をして成功していると書いた。日本企業に必要なのは、特定のセグメントやニーズを対象にシンプルな製品・サービスを作り、セグメントやニーズの数だけシンプルな製品・サービスをたくさん揃えることであろう(間違っても、たくさんのセグメントやニーズを一気に満たす製品・サービスを作ろうとしてはならない)。これが、一神教的なアメリカ企業と、多神教的な日本企業の戦略の違いである。