こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント)のブログ別館。1,500字程度の読書記録の集まり。

全体主義

出光佐三『人間尊重七十年』―出光佐三の人間尊重は国粋主義と結びつけられて大変だったと思う


人間尊重七十年人間尊重七十年
出光 佐三

春秋社 2016-03-08

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 2600年万世一系の皇室を中心として、家族主義の大傘下に抱擁され、人間中心の精神道徳を涵養し、外来の思想文化を完全に咀嚼摂取し来たれる日本国民としては、他国人の想像しえざる偉大なる力を有しているのであります。この力に十分の自信を有し、自己を尊重強化し人間尊重主義の達成に努め、国運とともに永遠ならんことを希望する次第であります。
 これは1940(昭和15)年の出光佐三の言葉である。戦後の人が読めば、「何という国粋主義、全体主義だ」と感じるかもしれない。出光佐三は1942(昭和17)年にはこう述べており、いよいよ全体主義の色を濃くしているように見える。
 私は15、6年前から、日本は将来東亜の盟主となり、次いで世界の盟主となるべきものであると断言したのであります。それは日本の国体、日本の道徳に対する確固たる信念の上からそう信じたのであります。満州事変が起こったときは、これは日支提携の前提であり東亜の盟主たる門出であるといったのでありますが、今日大東亜戦争において他日世界の盟主たることを信ずるのであります。この意味から大東亜建設の意義の重大なることを感ずるのであります。
 出光は終戦直後に石油業に携わることを禁じられ、日本市場から締め出されたことがある(そのため、一時期はラジオ修理業なども行っていた)。表向きはアメリカと日本両政府からの圧力を受けたためであるが、出光佐三の国粋主義的、全体主義的な思想が危険なものと見なされた可能性もあるに違いない。出光佐三は、戦後になると戦中ほど国体や全体主義といった言葉を使う機会が減ったものの、皇室の話をしようものなら、「出光さん、皇室の話は止めておいた方がいいですよ」と学者連中などからたしなめられたと本書には書かれていた。

 ただ、出光佐三の言う全体主義は、いわゆる全体主義とは異なる。全体主義についてはブログ本館で考察を続けているが、理論的には全人類の理性を唯一絶対の神と同一と見なし、自己と他者の区別を取り払い、政治的には独裁と民主主義を区別せず、経済的には共有財産制を適用する(しばしば、最も原始的な経済活動である農業に集中すべきだという農業共産制が唱えられる)。だが現実には、独裁者と国民の間にヒエラルキーが存在し、国民は独裁者の意向に従うことが絶対であり、国民の財産は全て没収される。独裁者が正しい方向を向いているうちはよいが、独裁者が権力に溺れると失政を犯し破滅へと向かう。

 出光佐三は、西洋は物質主義の世界であり、各個人が自らの財産を守ろうとする個人主義的、利己的な行動をとるために、対立や闘争が絶えないと指摘する。この点では、資本主義も社会主義も変わらないと言う。一方、日本社会のベースにあるのは無私、利他主義である。この無私の精神のルーツをずっと遡っていくと、神に行き着く。日本社会は、無私の神を頂点とし、その下に皇室があって、人々が義理人情や互譲互助の精神に基づいて、お互いが信頼し、融和し合い、一致団結する社会である。これが出光佐三の言う全体主義である。

 理論的な全体主義においては、自己=他者である。いや、厳密に言えば、前述の通り自己と他者の間に境界線はなく、究極の平等主義が実現される。これに対して、出光佐三の言う全体主義は、個人の間に差を認める。才能の優れた人、手腕のある人、能率の上がる人、熱心な人、他人のために尽くす人、賢い人、偉い人など、様々なタイプがある。そしてまた、これらの正反対のタイプもある。出光佐三は、人間のタイプに応じてその人を活用すべきであり、この点で不平等が生じるのは当然であるとしている。そして、不平等こそ公平だとも述べている。

 出光佐三の全体主義では無私の精神が基本とされているが、では個人は全体の中に完全に埋没するのかというと、決してそうではない。むしろ逆に、個人は強くなければならない。大いに自己修養し、立派な人間を目指さなければならない。鍛錬、苦労、思索を通じて、確固たる自己認識を持たなければならない。そうすれば、研究も、討議も、方針の決定も自由に行ってよい。自己の主張を堂々と主張してよい。しかし、個人の自由が他者の自由と衝突する時、または組織の目的と矛盾する時には、人々が集まって大いに議論をし、最後は譲り合いの精神によって、自己の自由を全体と調和させる必要がある。

 出光佐三は、日本の国体の長所として、無私ゆえに多様な価値観や考え方を抱擁する力がある点を挙げている。出光佐三は資本主義にも社会主義にも批判的であり、欧米流の権利・自由思想には嫌悪感を示したが、それでもなおそれらの主義には何らかの長所があるはずであり、優れた点は積極的に取り入れようとした。ただ、出光佐三のこうした強い信念には反発する人も多く、出光を潰そうとする者も出てくる。特に、同業他社からの攻撃は凄まじかったようだ。ここで出光が彼らと対立すれば、出光佐三が批判した欧米人と同じになってしまう。よって、出光佐三は「敵をして味方たらしむ」という姿勢で臨んだ。堂々たる主張を持って、努力と熱意によって「相手を溶かし尽く」そうとしたのである。

 出光佐三にとって、石油業は目的ではなく手段にすぎなかった。真の目的は、人間が「お互い」という精神を持って一致団結すればどんな困難も成し遂げられることを証明することであり、「真に人間が働く姿をあらわして、国家社会に示唆を与える」ことであった。出光佐三は折に触れて、現在の出光はまだ試験管の中の実験材料にすぎない、これからは日本全体、そして世界へと飛び出して、日本精神の普遍なることを示さなければならないと社員に発破をかけている。

 ブログ本館では、「神⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家庭」という日本の多重階層社会のラフなスケッチを何度か示してきた。企業は第一義的には市場に尽くすことが目的であるが、「下剋上」(山本七平からの借用)を通じてさらに上の階層のために尽くすことがある。野心的な企業家は、数段階の下剋上を経て、国家の発展のために事業を行う。出光佐三もそのようなタイプの1人であろう。もちろん、出光佐三は非常に崇高な経営者であり、特に戦後の経営者にはこのようなタイプの人が多かったと思う。しかし、彼らはどちらかと言うと例外的な存在ではないかというのが私の素直な実感である。

 というのも、国家の目的は、特に日本の場合は必ずしも明確ではないからだ。先ほどのスケッチに従えば、無私の精神に従って家庭は学校のために、学校は企業/NPOのために、・・・天皇は神のために存在しており、神に仕えることが最終の目的となる。しかし、和辻哲郎が指摘しているように、神々の世界もさらに多重化しており、頂点が見えない。「仕える先」の終点が見えない。よって、国家の目的を究極的に決定する者がいないのである。

 国家の目的が明確であれば、その目的を実現するために企業は何をすべきかを論理的に導くことができる。だが、曖昧な目的に対してはどのようにコミットすればよいのか、大半の日本人には解らない。下手に強くコミットすると、雲の中に猛スピードで突っ込むようなものであり、事故を起こす確率が高まる。

 私は、多くの日本人にとって最も現実的な生き方というのは、まずは「自分の持ち場で頑張る」ことだと思う。企業であれば、今目の前にいる具体的な顧客のために尽くす。行政府の人間であれば、今目の前にいる具体的な政治家・議員のために尽くす。その上で、前述の「下剋上」や、私がブログ本館でしばしば用いている下の階層への「下問」(これも山本七平からの借用)、水平方向の「コラボレーション」を通じて、階層社会の中を少しだけ上下左右に動く。

 欧米社会は、社会の明確な目的の下に各人の役割がはっきりと決まるため、例えるならば「モザイク画」のようになる。これに対し、日本の社会は、各人が皆少しずつ持ち場から動き回るので、言わば「にじみ絵」のようになる。にじみ絵は、別の言い方をすれば部分最適である。だが、その部分最適が社会の各所で時に重なり合いながら実現されることで、日本という国家が漸次的に前進する。これが日本の理想形ではないかと私は考えている。

堤未果『アメリカから<自由>が消える【増補版】』―アメリカも中国も似たような監視社会


増補版 アメリカから<自由>が消える (扶桑社新書)増補版 アメリカから<自由>が消える (扶桑社新書)
堤 未果

扶桑社 2017-07-02

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 ・金融機関は顧客情報やクレジットカード情報を、通信事業者は通信情報を、医師は患者のカルテを、図書館の司書は利用者の貸し出し記録を、本屋は顧客の購買履歴を、といったように、国内の様々な機関や団体は政府から要請があった時はいつでも個人情報を提出しなければならない。

 ・政府は、テロ容疑者は戦争捕虜に関するジュネーブ条約の対象外であるとし、捕まえた容疑者のほとんどを海外に移送して拷問している。

 ・政府は従軍記者の取材に大幅な規制をかけ、戦争報道支配を開始している。メディアは、軍の許可を受けた情報以外は一切外に出すことができない。さらに、新聞社やテレビ局など組織への介入ではなく、ジャーナリスト個人が直接召喚されるケースも増えている。

 ・政府はインターネットの世界にも介入してくる。近年、政府を批判する記事を書いたブロガーが投獄される事件が増加している。運よく投獄を免れた場合でも、反政府的なHPには政府からアクセス制限がかけられる。

 ・政府や行政は、自らにとって都合のよい政策や法律を議会で通すために、大手広告代理店を利用してメディアで大々的にキャンペーンを展開する。政府や行政のみこしを担ぎ、反政府派を批判するコメンテーターや評論家は、広告代理店を通じて政府や行政から多額の報酬を得ている。

 これは中国の話ではない。アメリカで起きていることである。21世紀で最悪の法律と言われる『愛国者法』(日本の共謀罪のモデルとなった)をはじめ、ありとあらゆる法律を駆使して、アメリカ政府は国民を監視する。当初の目的はテロの防止であったが、だんだんと目的が拡大し、最近では反政府的な動きがないかどうか、国民の一挙手一投足まで細かく監視するようになっている。これはジョージ・オーウェルが小説『1984』で描いた監視社会とまるで同じである。

 私は書籍の大半をAmazonで購入している。ところが、ある人から「Amazonでは買い物をしない方がよい」と言われたことがある。Amazonは顧客の購買履歴を政府に提供しているというのだ。アメリカ政府は、外交の場において、各国の要人がどのような政治的思想の持ち主なのかを調べるために、Amazonの購買履歴を活用しているらしい。もっとも、私はアメリカの外交に関与するほど偉い人間ではないから、そんなことは気にしなくてもいいのだが・・・。

 ブログ本館の記事「マイケル・ピルズベリー『China 2049』―アメリカはわざと敵を作る天才かもしれない」で、かなりざっくりとだが下のような図を作ってみた。

4大国の特徴

 「アメリカ&ドイツ」VS「中国&ロシア」の対立は、冷戦構造の名残である。だが、この対立構造は最近複雑化している。まず、アメリカはEUの盟主であるドイツと覇権を争っている(アメリカによるフォルクスワーゲンの提訴はその一環だと思っている)。中国とロシアは旧共産圏の国であり、お互いを戦略的パートナーと見なしているものの、例えばウクライナ問題をめぐっては微妙に対立している。

 一方で、ドイツとロシアの接近も見られる。両国は第2次世界大戦で激しく戦火を交えたが、戦後は関係深化に努めてきた。現在、両国は経済的に深く結びついている。さらに、ロシアがウクライナ問題で国際社会から非難を受けた時には、ドイツのメルケル首相がロシアのプーチン大統領をロシア語でなだめるという一幕もあった(メルケル首相は旧東ドイツ出身なので、ロシア語も堪能である)。

 アメリカと中国の関係も複雑である。軍事面では対立を見せているものの、経済的には両者は切っても切れない関係にある。また、アメリカが旧ソ連に対抗し、旧ソ連と中国の関係の分断を図って中国に接近したという経緯もあり、アメリカと中国は完全な敵対関係とは言えない。そして、トランプ大統領という予測不可能な指導者が現れたことで、アメリカと中国が突然手を結んで日本のはしごを外す日が来るのではないかと私は内心恐れている(ブログ本館の記事「『小池劇場と不甲斐なき政治家たち/北朝鮮/憲法改正へ 苦渋の決断(『正論』2017年8月号)』―小池都知事は小泉純一郎と民進党の嫡子、他」を参照)。

 本書で書かれているように、アメリカも中国のように全体主義化している。非常に安直な考えかもしれないが、似たもの同士がひょんなことでくっつく可能性はゼロではないと思う。事実、第2次世界大戦では、全体主義国であった日本、ドイツ、イタリアが同盟を組んだという歴史がある。

『人を育てる(『致知』2016年12月号)』


致知2016年12月号人を育てる 致知2016年12月号

致知出版社 2016-12


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 そこで行われているマインド・フルネスをひと言で説明すると、光よりも早く駆け巡る人間の頭の中の思考を止めることです。吸う息、吐く息だけに意識を集中しながら、一切の妄想から離れる訓練をするのです。
(鈴木秀子「人生を照らす言葉〔連載90〕」)
 現在、アメリカではマインドフルネスが流行しているようである。グーグル、フェイスブック、ゴールドマン・サックス、IBMなどがこれを取り入れているという。私の安直な考えだが、このマインドフルネスは、数年前にこれまたアメリカで流行した「U理論」とよく似ていると思う。U理論もマインドフルネスも、人間関係に起因する様々なしがらみやトラウマから離れ、精神を集中させることで、宇宙全体を覆う意識とつながることができるという考え方である。

 非常に雑駁な言い方をすれば、他者との関係は一旦脇に置いて、個人が宇宙という絶対と直接につながることを目指している。それでいながら、個人が宇宙とつながれば、他者ともつながることができ、そこから変革が自ずと発生するという。つまり、1は全体でありかつ絶対である。これを人々は全体主義と呼ぶのではないだろうか?全体主義においては、時間の流れは存在しない。現在という1点が全てであり正しい。引用文にも、「光よりも早く駆け巡る人間の頭の中の思考を止める」とあり、現在という1点が強調されている。

 《参考記事(ブログ本館)》
 オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい
 安岡正篤『活字活眼』―U理論では他者の存在がないがしろにされている気がする?

製品・サービスの4分類(修正)

製品・サービスの4分類(各象限の具体例)

 全体主義は言いすぎたかもしれないが、グーグル、フェイスブック、ゴールドマン・サックス、IBMなどがマインドフルネスを取り入れているのは、上図を眺めるとよく理解できる(図の説明については、ブログ本館の記事「森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体』―私のアメリカ企業戦略論は反知性主義で大体説明がついた、他」や、以前の記事「『プラットフォームの覇者は誰か(DHBR2016年10月号)』」などを参照)。

 私の理解では、グーグル、フェイスブック、ゴールドマン・サックスは左上の象限に位置する。IBMは右下の象限に位置するのだが、近年はAIに力を入れており、またプラットフォーム事業にも乗り出しているから、左上の象限に移動しつつあると言える。左上の象限はイノベーションの世界である。市場にはまだニーズが存在しないため、伝統的な市場調査は無力である。代わりに、リーダーが自分自身を最初の顧客に見立て、「私ならこういう製品・サービスがほしい。私がほしいということは、世界中の人々も同じくほしがるに違いない」と信じる。そして、そのイノベーションを全世界に普及(布教)させることを唯一絶対の神と契約する。

 リーダーがイノベーションに関して神と契約するプロセスは、マインドフルネスやU理論のプロセスと酷似している。いずれも、神や宇宙という絶対性に触れることで、世界中の人々とつながることができるという全体性を強調している。だから、グーグル、フェイスブック、ゴールドマン・サックス、IBMなどがマインドフルネスに注力している理由がよく解ると述べたわけである。

 ところで、マインドフルネスは日本の禅の影響を受けているという。私は禅について無知なので何とも言えないのだが、本来の禅とは、絶対性や全体性の獲得を目指すものだったのであろうか?確かに禅には、静謐な空間で、他者との交わりを断って厳しい修練を積むというイメージがある。しかし、その修行の目的は、他者の異質性を認め、顔の見える他者と血の通った交流をじわじわと広め、さらにその関係を深化させることにあるのではないだろうか?禅とマインドフルネスの相違点を整理することが、今後の私の課題である。

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ダイヤモンド社 2016-09-12

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 ブログ本館の記事「北川東子『ハイデガー―存在の謎について考える』―安直な私はハイデガーの存在論に日本的思想との親和性を見出す」でも書いたが、日本では大雑把に言うと「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という上下関係、階層社会が成立している。当然のことながら、下の階層は上の階層の命令によって動く。ここで問題になるのは、頂点に君臨する天皇は誰の命令を聞いているのかということである。

 「(神?)⇒天皇」と書いたように、天皇は日本の神の命令を聞いていると考えられる。そのために、天皇は私的行為として神道にのっとった祭祀を行う。では、神は誰の命令を聞いているのだろうか?ブログ本館の記事「和辻哲郎『日本倫理思想史(1)』―日本では神が「絶対的な無」として把握され、「公」が「私」を侵食すると危ない」でも書いたように、八百万の神の世界では、神々の間にも上下関係がある。だから、下位の神は上位の神の命令に従う。ここでさらに踏み込むと、神々の世界の頂点に立つ神は一体誰の命令を聞いているのだろうか?

 西欧の神学論で言えば、万物にはそれを生み出す原因が必ず存在する。その原因を順番にたどると、最後は神に行き着く。ただし、神だけは神を生み出した原因を持たず、自ら有を生んだことになる。よって、神は絶対性・無限性を有すると説明される。その神の絶対性・無限性が人間にも転写され、あちら側のメシアニズムがこちら側のメシアニズムに手繰り寄せられたのが近代の啓蒙主義であり、それが結果的に全体主義、共産主義をもたらした(ブログ本館の記事「『「坂の上の雲」ふたたび~日露戦争に勝利した魂を継ぐ(『正論』2016年2月号)』―自衛権を認める限り軍拡は止められないというパラドクス、他」を参照)。

 ブログ本館の記事「飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1/2)」等でも書いたが、人間は生まれながらにして絶対であるため、完全なる自由を有する。また、生まれた時点で人間として完成しているわけだから、教育によって人間を育成するという発想は消える(よって、全体主義や共産主義の下では、しばしば知識人・教育者が迫害される)。技術進歩に対しては極めて懐疑的であり(人間の改悪とされる)、人間が生まれながらの能力でできる仕事、すなわち農業が重視される。多くの社会主義国家が農業の振興に注力するのはそのためだ。

 (余談だが、宇宙飛行士が退職後に就く職業の第1位は農家であるという話を聞いた。宇宙の深遠さに触れると、技術革新よりも自然の方が大切であることに気づくらしい。ただし、私は次のように解釈する。宇宙とは神の世界である。神の世界に触れた人間は、神のようになって帰って来る、というわけである)

 さらに、人間の無限性は、人間が1人でありながら人類全体そのものであることを意味する。この関係においては、人間は皆平等であり、あらゆる階層は否定される。加えて、1人の財産は人類全体の財産でもあり、共有財産制が敷かれる。逆に、全体の意思は1人の意思と同一視できるため、民主主義と独裁が両立する。人間の無限性は、時間の流れを否定する。過去や未来を想定することは、時間の始まりや終わりを想定することに等しく、時間が有限であることを前提としているからだ。時間の流れを否定するとは、言い換えれば、現在というこの一瞬が時間軸全体を覆いつくしていることである。だから、全体主義者や共産主義者は歴史を否定する。さらに、革命は”世界同時”でなければならないと説く。

 話を日本に戻そう。日本の神々の頂点に立つ神は誰の命令を聞いているのかという問いであった。ここで、話をぶち壊してしまうようだが、日本の神々には頂点は存在しない。上には上があり、それがどこまでも続くかのように見える。”かのように見える”と書いたのは、本当は頂点があるのかもしれないけれども、神にはその頂点がぼんやりとしていてよく見えないのである。

 西欧人であれば、見えないその頂点を何とか明らかにしようと試みるだろう。しかし、日本人は、頂点の曖昧さをそのまま受け入れる。わざわざ頂点の正体を暴こうとするのは、野暮な行為である。究極の本質はよく解らないが、それでよしとする。だからこそ、日本人は絶対性・無限性に陥ることがない(ただし、天皇を絶対神扱いした昭和の一時期だけは、日本が全体主義に陥ったことをここで思い出す必要がある)。冒頭で紹介したブログ本館の記事中の引用文を再掲する。
 むしろ、ハイデガーは、「投げ込まれたこと」を存在論的な基礎概念として捉えるべきだと言います。自分がいるかぎり、私たちは、自分を「投げ込まれた存在」として受け止めるしかない。「誰が」や「どのようにして」というような「投げ込まれた」ことの根拠を明らかにすることはできない。

八代京子、樋口容視子、コミサロフ喜美、荒木晶子、山本志都『異文化コミュニケーション・ワークブック』


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八代 京子 樋口 容視子 コミサロフ 喜美 荒木 晶子 山本 志都

三修社 2001-09-01

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 相手を完全に理解するということは、「相手は完全に理解できるはずの存在である」という前提のもとに成立することであり、それはすなわち「相手が自分と同じである」という信念を持つことにほかなりません。他者との関わりを完全な理解をもとに実現しようとしている人のアプローチを奥村は2つ挙げています。

 1つめは、自分が持っている類型で相手を判断して理解し、よくわからない部分はそれ以上見ずに存在しないことにして、「わかるところとだけつきあう」という方法。2つめは、理解する努力を重ねても相手のことがわからないのであれば、一緒にいることができないから「わからないところとつきあわない」方法。前者は「差別」の現象に近く、後者は「別れ」であり、時に「暴力」の形態をとることもあるだろうと述べられています。
 「自分は他者と同じ」という考えが、「人間は神に似せて創られた(神と人間は契約を結んだ)」という考えと結びつくと、あらゆる人間は神と同じく万能な理性を有し、その理性は他者とも共通するという究極の平等社会になる。そして、それがファシズムにつながることは、ブログ本館の記事「飯田隆『クリプキ―ことばは意味をもてるか』―「まずは神と人間の完全性を想定し、そこから徐々に離れる」という思考法(1)(2)」でも書いた。ファシズムでは、同質の人間を共同体に強く引き込む一方、異質の人間は神との契約がない人間として、暴力的に排除する。

 『新約聖書』には「己の欲する所を人に施せ」、『論語』には「己の欲せざるところ人に施す勿れ」という有名な一説がある。自分がしてほしいことを他人にもせよ、あるいは自分がしてほしくないことは他人にもするな、という考えは、いずれも自分と他者が同じ考えの持ち主であるという前提がある。私は今まで、『新約聖書』も『論語』の教えも素晴らしいものと盲目的に信じていたのだが、この教えが行きすぎると全体主義に帰着することに気づかされた。確かに、ヨーロッパではドイツやイタリアがファシズムに陥ったし、現在の中国共産党も全体主義的である。

 ナチス・ドイツはアーリア人の優位性を主張し、アーリア人の間では共産主義的な民主主義を目指した(民主主義と言っても、アーリア人は皆同じ理性を持つはずだから、ヒトラーの意思=ドイツ国民の意思であり、民主主義と独裁は両立する)。一方で、アーリア人以外、とりわけユダヤ人は人間扱いせず、暴力的に抹殺した。中国では、中国共産党と同じ考えを持つ者だけが人間と見なされ、反対派や異端児は社会から消される。中国共産党は日本のファシズムに勝利して中国を建国したのに、今や自分が全体主義的な存在となっている。

 本書によれば、異文化理解で重要なのは、相手を完全に理解しようとしないことだという。完全に理解できないことを認めつつも、それでもなお一緒にいることを目指すべきである。ここで重要なのは、「シンパシー(sympathy: feeling with)」ではなく「エンパシー(empathy: feeling (in)side)」である。
 シンパシーは自分の過去の体験や価値観と照らしあわせて相手の体験がどんなものなのか、自分の物の見方の範囲内で想像することになります。(中略)エンパシーは内側で感じるという表現の通り、相手の物の見方を共有し、相手の物の見方で現実を再構成することで「相手の体験に知的かつ情動的に参加」します。
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京23区、神奈川県川崎市・横浜市を中心に活動する中小企業診断士・コンサルタント。

 専門領域は、(1)経営ビジョン・事業戦略の策定、(2)ビジョンや戦略とリンクした人材育成計画の立案・人事評価制度の構築、(3)人材育成計画に沿った教育研修プログラムの企画・開発。

 モットーは「日々改善、日々成長」、「実事求是」、「組織のためではなく知識のために働く」、「奇策は定石より先に立たず」、「一貫性(Consistency)」、「(無知の知ならぬ)無知の恥」

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、1,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
所属組織など
◆個人事務所
 「シャイン経営研究所」◆ シャイン経営研究所ロゴ

(一社)東京都中小診断士協会一般社団法人東京都中小企業診断士協会
(城北支部執行委員、青年部長、および国際部員を務めています)

NPOビジネスサポート特定非営利活動法人NPOビジネスサポート
(監事を務めています)

企業内診断士フォーラム(KSF)企業内診断士フォーラム
(独立診断士の立場から、企業内診断士の活動を応援しています)

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(一緒にお仕事をさせていただいている「コンサルビューション株式会社」は、世界最大の信用調査会社Experianの正規代理店です)

【中小企業診断士は独学で取れる】中小企業診断士に独学で合格するなら「資格スクエア」中小企業診断士の安い通信講座なら「資格スクエア」
(以下の資格の講師をしています。
 ―ITパスポート
 ―情報セキュリティマネジメント
 ―経営学検定(初級・中級)
 ―中小企業診断士(企業経営理論、経営情報システム、中小企業経営・中小企業政策)
 谷藤友彦と株式会社サイトビジット代表取締役・鬼頭政人氏の対談動画(1)(2)(3)
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