こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

共産主義

佐々木卓也『冷戦―アメリカの民主主義的生活様式を守る戦い』―レーガンとトランプという行動が全く読めない2人の大統領の共通性


冷戦 -- アメリカの民主主義的生活様式を守る戦い (有斐閣Insight) 冷戦 -- アメリカの民主主義的生活様式を守る戦い (有斐閣Insight)
佐々木 卓也

有斐閣 2011-11-14

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 冷戦はアメリカの「生活様式」をかけた戦いだったという。冷戦とは、端的に言えば自由主義と全体主義の戦いである。トルーマンは、自由主義的な生活様式とは、「多数の意志に基づき、自由な諸制度、代議政体、自由選挙、個人の自由の保障、言論・信仰の自由、政治的抑圧からの自由」によって特徴づけられる一方、全体主義的な生活様式は「多数者に対して強制される少数者の意志に基づく。それは恐怖と圧制、出版と放送の統制、形だけの選挙、そして個人の自由の抑圧に依存している」と述べた。

 ここでは、生活様式=政治となっている点が興味深い。以前の記事「丸山俊一『欲望の民主主義―分断を越える哲学』―民主主義の実現のために国民は政治に直接参加した方がよいのか?」で、アメリカ人は間接民主主義を採用しているが、心のどこかで政治に直接参加することを望んでいるようだと書いた。また、全体主義は、ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(1)】前提としての啓蒙主義、全体主義、社会主義」で書いたように、個人が全体に等しく、民主主義が独裁と両立するため、個人が全体であり、全体が政治であるという関係が成立する。個人は政治に参加するというよりも、個人が政治そのものとなる。政治と距離を置きたがる日本人には、なかなか理解が難しい点である。

 ピーター・ドラッカーは著書『産業人の未来』の中で、第2次世界大戦は、自由を全体主義から守る戦いだと述べた。だとすると、共産主義によって全体主義化していた当時のソ連が連合国側に立っているのはおかしな話になる。4年ほど前に、ブログ本館の記事「高橋史朗『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』―戦後の日本人に「自由」を教えるため米ソは共謀した」という記事を書いたが、考えが浅かったと反省している。

ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)ドラッカー名著集10 産業人の未来 (ドラッカー名著集―ドラッカー・エターナル・コレクション)
P・F・ドラッカー 上田 惇生

ダイヤモンド社 2008-01-19

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 民主主義も全体主義も、啓蒙主義にルーツを持つ自由を内包している。全体主義においては、全ての人間が絶対的な理性を等しく有しているから、完全に自由に振る舞うことができる。その振る舞いは皆同じであるため、自由が衝突することがない。だが、概念上はそうであっても、実際に完全に自由に振る舞えるのは独裁者だけであり、独裁者の自由な意思が全てとされる社会では、人々の現実的な多様性は圧殺される。よって、全体主義は、理念的には自由を掲げながら、現実には大多数の自由を犠牲にするという矛盾を露呈する。

 他方、民主主義の場合は完全な理性を前提としない。理性には欠陥がある。それゆえ、ある人が自由に振る舞うと、別の人の自由を害する恐れがある。そうした利害を調整するためのメカニズムとして民主主義が採用されている。ソ連の自由とアメリカの自由は中身がまるで違うから、両国が日本に自由を教えるために結託したなどというのはちゃんちゃらおかしな話である。

 本書によると、アメリカがソ連と一緒に戦っているのは「偶然の一致」(ジョージ・ケナン)だったそうだ。何ともあっさりとした理由である。トルーマンは大統領になる前の1941年に、「我々としてはドイツが勝っているようであればソ連を助け、ソ連が勝っているようであればドイツを助けるべきである。そうすることでドイツとソ連ができるだけ多く殺し合うことになるであろう。ただし私はいかなる状況であれ、ヒトラー・ドイツの勝利を望まない」と、品性に欠く発言をしたそうだ。つまり、共産主義のソ連もナチスのドイツも恐るべき全体主義であるが、ドイツの方がより脅威であるから、ソ連は味方にしておこうというわけである。

 だが、1917年にレーニンが共産主義的な国際秩序を提唱した時、ウィルソンはこれに対抗する形で自由主義的な国際秩序を提唱している(後の国際連盟につながった)。ということは、1917年の時点で、既にアメリカはソ連の共産主義を警戒していたのであり、なぜそれ以降約20年にわたってその脅威に対処しなかったのかという疑問は生じる。また、共産主義という明確なイデオロギーを持つソ連よりも、1930年代に突然表舞台に登場し、アーリア人至上主義と徹底的なユダヤ人排斥以外にこれといった思想を持たないナチス・ドイツの方を恐れた理由が何であったのかもはっきりしない。今後も考察を続けたい論点である。

 さて、ブログ本館では度々、大国は二項対立的な発想をすると書いてきた。米ソ関係が最も解りやすいため、米ソ関係で説明する。矛盾するようだが、大国は自国の存続のために敵国を必要とする。アメリカは別の大国ソ連を敵として設定する。これが第一段階の二項対立である。ただ、大国も一枚岩で敵国に向かうわけではなく、国内は分裂する。これが第二段階の二項対立である。アメリカ国内は反ソ派と親ソ派に分かれる。同様に、ソ連国内は反米派と親米派に分かれる。アメリカで反ソ派が、ソ連で反米派が主流になる時、両国の緊張は最大となる。ただし、お互いに戦意が高まりすぎており、本当に武力衝突が起きると破滅的な結果が予想されるから、実はこのパターンでは戦争に発展しにくい。

 一方、政権交代などによってアメリカで親ソ派が、ソ連で親米派が台頭すると、対話ムードが生まれ、軍縮へと向かいやすい。戦争リスクが高まるのは、アメリカで親ソ派が、ソ連で反米派が主流になるといった具合に、均衡が崩れる時である。アメリカはソ連と融和したいが、ソ連はアメリカと戦いたくて仕方がない。ソ連からの圧力を受けたアメリカでは、非主流派である反ソ派の声がだんだんと大きくなり、主流派の親ソ派を戦争へと傾かせる。親ソ派はやむなくソ連と戦火を交えるものの、根が親ソであるからソ連に勝つ気はなく、ソ連の前に屈する。アメリカで反ソ派が、ソ連で親米派が主流になった時には、逆の現象が起きる。

 本書を読むと、

 ・第2次世界大戦ではソ連と一緒に戦いながら、内心では反ソであったフランクリン・ルーズベルト
 ・口先ではソ連を全体主義と批判しつつも、限定的な封じ込め作戦にとどまると同時に、中国をソ連に渡した点でソ連寄りであったトルーマン
 ・軍事費削減とソフト・パワーによる外交を掲げてソ連寄りであったアイゼンハワー(ただし、軍事費は減ったが核兵器は増えた)
 ・キューバ危機を経験し、反ソであったケネディ
 ・ソ連との外交樹立(1933年)以来アメリカがソ連と締結した協定数を上回る協定を在任期間中に締結しソ連寄りであったジョンソン
 ・デタント(雪解け)の象徴でソ連寄りであったニクソン
 ・逆に、反デタントを掲げ、反ソであったジャクソン
 ・ヘルシンキ宣言(1975年)という、一見するとソ連の外交の勝利に見える取り決めを結びながら、実は東欧で人権問題を監視するグループを発足させて、後の東欧諸国の共産体制崩壊を招く一因を作るなど、反ソであったフォード
 ・最初はデタントの再活性化に取り組んだが、ソ連のアフガニスタン侵攻を受けて軍事的封じ込めを復活させ、反ソであったカーター

と、アメリカでは政権交代を機に、ソ連に対する態度が変化している。本書は冷戦をアメリカ側から考察したものであるため、ソ連側の視点が少ないのだが、アメリカの政権交代と連動して、ソ連国内でどんな動きがあったのか分析してみたいものだ(ソ連のトップは共産党書記長であるが、アメリカの大統領よりもはるかに任期が長い。特定の書記長の態度が任期途中で変化することは、後に述べるゴルバチョフを除いてほとんどないと思われ、アメリカの政権交代を契機に、反米派と親米派のどちらかが書記長の近くで主流派の椅子を固めることにより、ソ連全体としての態度を形成していたという仮説を持っている)。

 アメリカ大統領で注目すべきは、カーターの次のレーガンである。彼はソ連を激しく批判し、NATOにINF(中距離弾道ミサイル)を配備させるなど、かなりの反ソであった。ところが、ヨーロッパでINF配備に対する強い反対運動が起き、国内でも核凍結運動が広がると、いわゆるレーガノミクスで経済が好調だったにもかかわらず、軍事費の増大により財政赤字が拡大している点を問題視するようになった。また、1983年のNATOの大規模軍事演習がソ連に相当な心理的ダメージを与えたこともあって、ソ連に対する態度を一転させ、ソ連に接近し始めた。

 当時のソ連の書記長はゴルバチョフであった。ペレストロイカ、グラスノスチを掲げて改革路線を進めたゴルバチョフであるが、最初は反米であり、アメリカの軍拡に対抗して軍事費を増やし続けていた。しかしながら、国内経済が不振を極め、アフガニスタン支援の見直しなど軍事費削減の必要に迫られるようになると、アメリカに対する態度を一転させ、アメリカに接近し始めた。そして、核実験の停止を提案し、核保有国の核兵器廃棄を求めた。両国の外交は、INF条約の締結(1987年)という形で具体的な成果に結びついた。

 レーガンの後に大統領となったブッシュ(父)は反ソであり、冷戦終結の前提としてポーランドとハンガリーの自由化・民主化、すなわち共産党体制からの脱却を挙げた。また、ブッシュの時代にはオーストリアの国境開放が実現し、東ドイツ国民が大量に流出した。これがベルリンの壁の崩壊(1989年)につながり、事実上冷戦は終結した。ヨーロッパにおける一連の動きに対して、ゴルバチョフはもはやソ連軍を送らなかった。アメリカは反ソ派(ブッシュ)が、ソ連は親米派(ゴルバチョフ)が主流となり、均衡が崩れて戦争リスクが高まったわけだが、冷戦は文字通り戦火を交えない戦争であったから、アメリカがソ連を押し切って、ベルリンの壁の崩壊という非軍事的要因をもって戦争を終結させたと言える。

 実は、冷戦の終結時期については、世界で見ても統一的な見解がない。通常の戦争と異なり、終戦宣言もなければ当事国間の条約もないからだ。本書の著者は、ベルリンの壁の崩壊とそれに続く東西ドイツ統一によって冷戦が終結したという立場である。ソ連崩壊は冷戦終結とは直接関係のない事象だとしている。しかし、そもそも冷戦とは冒頭で述べたように自由主義と全体主義の戦いであるから、どちらかを完全に打ち砕いたという事実をもって終結とするべきではないかという気がする。この点が非常に曖昧であるから、現在、中国というもう1つのモンスター共産主義国家の台頭を許してしまっているように思える。

 平成という時代が来年4月末で終わることから、「平成とはどういう時代であったか?」という問いがしばしば投げかけられる。「平成」という区切りは日本国内の事情によるものであるから、世界情勢と結びつけるのは不適切だろうと思いながら敢えてこの問いに答えるならば、「平成とは、冷戦が終わったと思っていたのに、実は終わっていなかった時代」と位置づける。

 その中国に対し、20世紀に熱心にアプローチしたのがニクソンとキッシンジャーである。一般に、フルシチョフによる毛沢東批判に端を発する中ソ対立につけ込んで、中国をアメリカの味方にすることで、ソ連を封じ込めるのが目的だったと言われる。しかし、本書によれば、ニクソンは米ソデタントに非常に熱心であった。ニクソンが中国との関係を改善させると、ソ連はまるで中国をアメリカに取られたことに嫉妬したかのようにアメリカに接近し、米ソ関係も改善した。

 個人的には、このデタントを仕掛けたのは、親ソ派ではなく、実は反ソ派であったのではないかと考える。デタントは東西交流の活性化を目指していたが、特にアメリカからソ連に対して、文化、芸術、思想、技術などを伝達することを目的としていた。ソ連は閉鎖的な国家であったため、自国の文化などを輸出することができなかったのに対し、アメリカは自由主義国家であるから、それを行うのは容易であった(旧ブログの記事「旧ソ連の共産主義が敗れたのは大衆文化を輸出しなかったせい?―『ソフト・パワー』(1)(2)」を参照)。アメリカの自由な文化や思想に触れたソ連の国民は、自国の政治体制に不信感を抱くようになり、体制を転覆させる―これが反ソ派の狙いであった。

 反ソ派は、デタントによって長期的にはソ連が崩壊すると読んでいた。だが、そうすると大国アメリカの敵がいなくなってしまう。そこで、ソ連と同じ共産主義国家である中国に目をつけ、中国を大国に育て上げて、将来の敵国にしようと目論んだ。そんな反ソ派の思惑を知らない親ソ派は、反ソ派の口車に乗せられて米ソデタントに走った。その勢いで、親ソ派は親中派となり、中国を積極的に支援するようになった。当時の中国は共産主義国とはいえ、経済的にも軍事的にもひ弱であった。親中派は、過去にアメリカが第三世界に介入して親米政権を樹立させたのと同様に、中国を親米国家に転換するつもりだった。

 半世紀近く前の中国は軟弱であり、反米派と親米派が未分離であった。誰が反米で、誰が親米か解らない、そもそも反米―親米という区分があるのかさえ解らなかったため、アメリカの親中派は手当たり次第に中国人を支援した。その結果、中国はあれよあれよと大国の地位まで上り詰めた。そして、大国の流儀に倣って、国内に反米派対親米派という二項対立を確立した。支援した中国人から多くの反米派が生まれるのを見て、『China 2049』を著したマイケル・ピルズベリーのような親中派は「騙された」と思った。一方、反ソ派は反中派に転じて、当初の狙い通り、大国となった中国の反米派と対峙することになった。

 だが、アメリカの親中派と中国の親米派は、意外と国内で力を持っているように思える。ピルズベリーが中国の「100年戦略」をすっぱ抜いても、アメリカの民間シンクタンク「プロジェクト2049研究所」が中国による台湾侵攻や尖閣諸島奪取の時期をリークしても、中国側は彼らを潰そうとしない。仮に中国の反米派が強ければ、どんな手段を使ってでも彼らを消し去るだろう(ブログ本館の記事「『世界』2018年10月号『安全神話、ふたたび/沖縄 持続する意志』―辺野古基地が米中のプロレスで対中戦略から外れたら沖縄は「他国の紛争に加担しない権利」を主張してよい」を参照)。そして、中国の本当の戦略を特定されないように、高度な情報戦を仕掛けるはずだ。中国がそうした情報戦にあまり積極的でないところを見ると、反米派は思ったほどの力を持っていない可能性がある。

 現在、米中では熾烈な貿易戦争が繰り広げられている。トランプがレーガンに憧れていることは有名だ。レーガンは元々俳優で政治経験がなく、就任当初は知性がないと散々非難されていた。ところが、実際には素晴らしい政治手腕を発揮し、前述のように冷戦終結への道筋をつけるという偉業を成し遂げた。レーガンは、大国の指導者としては珍しく、自分自身を二項対立させ、一方の項から他方の項へと、具体的には反ソからソ連寄りへと途中で態度を転換させた。

 トランプも実業家上がりで政治に疎く、レーガン以上に粗野である。仮にトランプがレーガンを見習うならば、レーガノミクスを真似たトランポノミクスの実現だけでなく、レーガン流の転向を見せるかもしれない。反中から突然中国寄りへと態度を変える可能性である。ここで、中国の習近平が反米を貫けば戦争のリスクが高まり、中国が勝利する確率も上がる。しかし、国内の親米派が一定の力を持っていることから、習近平はゴルバチョフのように、反米からアメリカ寄りへと態度を改める可能性の方が高い。お互いに歩み寄った米中が、ともに日本と協調するのか、逆に日本のはしごを外すのかはよく注視しておかなければならない。

出光佐三『働く人の資本主義』―日本企業が「仕組み化」を覚えたらもっと競争力が上がるのに


働く人の資本主義 〈新版〉働く人の資本主義 〈新版〉
出光佐三

春秋社 2013-10-18

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 人間は働かなければならない。しかも、お互いのために働かなければならない。自分のためのみでなく人のために働く。そこに真の福祉がある。そして人のために働くなら能率をあげなきゃならない。こういうことになってくるんです。この能率をあげることでは資本主義が最も適している。ただ、資本主義の欠点は資本家の搾取です。それだから資本主義から資本家の搾取をとってしまえば能率主義になりますね。社会主義・共産主義は働く人を尊重するところはいいが、社会主義は国営だから非能率であり、共産主義は悪平等で、人間性の無視である。そこで社会主義・共産主義の働く人のためというところをとり、能率主義の資本主義とくみあわせる意味で「働く人の資本主義」という言葉を使ってみたんです。
 出光佐三の言う「働く人の資本主義」とは、資本主義、社会主義、共産主義のいいところどりである。これはいかにも日本人的な発想であると思う。ブログ本館で、世界の大国は二項対立的な発想をすると何度か書いた。現代の大国はアメリカ、ロシア、中国、ドイツである。そして、アメリカ&ドイツという資本主義圏の国と、ロシア&中国という旧共産主義圏の国が対立している(実際には、この4か国の対立はもっと複雑なのだが、その点についてはブログ本館の記事「『小池劇場と不甲斐なき政治家たち/北朝鮮/憲法改正へ 苦渋の決断(『正論』2017年8月号)』―小池都知事は小泉純一郎と民進党の嫡子、他」を参照)。

 日本は経済大国だと言われるものの、私は所詮極東の小国にすぎないと感じている(今後、少子高齢化が進めばますますそうだ)。大国の二項対立に挟まれた小国が生き延びる道は、対立する双方の大国の長所を採用して、それをちゃんぽんにし、西側からも東側からも攻撃されにくい独自のポジションを確立することであると考える(ブログ本館の記事「『トランプと日本/さようなら、三浦朱門先生(『正論』2017年4月号)』―米中とつかず離れずで「孤高の島国」を貫けるか?」を参照)。この意味で、出光佐三の発想は非常に日本人的である。

 出光佐三は、世界中の人々が「働く人の資本主義」を採用し、互譲互助の精神を発揮して、「お互いに仲良く」すれば、世界の様々な対立は消えると主張する。そして、世界で最も「働く人の資本主義」が発達している日本こそが先頭に立って、世界各国をリードすることが日本の使命であると述べている。

 出光佐三の理想は非常に素晴らしいが、個人的には、残念ながら日本にはそこまでの力はないと思う。日本がある思想や主義を世界に広めようとするとたいてい失敗することは、豊臣秀吉の朝鮮出兵や、太平洋戦争における大東亜共栄圏の構想を見れば明らかである。日本は出しゃばる必要はない。仮にある国が、対立抗争に疲れ果てて日本の精神に学びたいと言ってきたら、その国に進んで協力するというぐらいのスタンスがちょうどいいように思える。

 さて、出光佐三は、資本主義の利点として能率の高さを挙げている。ところが、海外の資本主義圏の国の人々は、基本的に「お互いが対立すること」が出発点となっている。そこで、対立する人々を企業の共通目的に向かわしめる仕組みが必要となる。具体的には、組織、機構、法律、規定、技術、管理などである。欧米の企業は、放っておけば対立する大勢の社員をかき集めて、これらの仕組みを総動員することによって生産性を上げている。確かに、欧米企業が次々と開発する様々なマネジメントの仕組みは目を見張るものがある。

 これに対して、日本企業の場合は、出光佐三が何度も繰り返し本書で述べているように、「お互いに協力すること」が精神の根底にある。よって、対立に時間を費やす必要がなく、欧米企業よりも少人数で欧米企業と同じ成果を上げることができる。本書でも、満州では欧米の石油会社が何百人もの社員を抱えていたのに、出光は数十人の社員で運営していたというエピソードが紹介されている。

 この少数精鋭の経営に、欧米流の生産性向上のための仕組みを上手くドッキングさせることができれば、日本企業の生産性は欧米企業のそれをはるかに凌駕することになるのにと思う。生産性が向上すれば、社員の賃金が上昇し、消費が刺激されて適度なインフレが実現されるであろう。ただ、日本企業は仕組みを活用するのがどうも苦手であることは、以前の記事「一條和生『グローバル・ビジネス・マネジメント―経営進化に向けた日本企業への処方箋』―日本人は「仕組み化」ができないわけではないが、「道具」の使い方が下手」でも書いた。

 日本人は勉強熱心であるためか、欧米企業の最新の仕組みに飛びつきやすい。ある仕組みが開発されると、我先にとそれに飛びつく。数年が経ってまた新たな仕組みが開発されると、以前の仕組みをあっさりと捨て去って、それに飛びつく。だが、このような刹那的なやり方では、生産性向上はあまり期待できない。出光佐三は、人間が組織、機構、法律、規定、技術、管理などを使うのであって、組織、機構、法律、規定、技術、管理などに人間が使われてはならないと本書で警告している。この点は我々も十分に心に留めておく必要があるだろう。

 マネジメントの仕組みというのは必ずしも普遍性があるとは限らず、むしろある特定の状況においてよく機能するものが多い。日本企業は、欧米企業の組織、機構、法律、規定、技術、管理などがどういう状況の下でよく機能しているのかを研究し、仮にこれらを日本企業で機能させるためにはどのような修正を施さなければならないのかを検討する必要がある。新しい仕組みが出るたびにとっかえひっかえするのではなく、各国、各企業のいいところどりをして、それらを融合させ、自社に固有の仕組みへと磨き上げていくことが肝要である。ここでもまた、日本人は小国ならではのちゃんぽん精神を上手に発揮することが要求される。

小倉和夫『日本人の朝鮮観―なぜ近くて遠い隣人なのか』


日本人の朝鮮観 ―なぜ近くて遠い隣人なのか日本人の朝鮮観 ―なぜ近くて遠い隣人なのか
小倉 和夫

日本経済新聞出版社 2016-03-26

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 《参考記事(ブログ本館)》
 『「慰安婦」戦、いまだ止まず/台湾は独立へ向かうのか/家族の「逆襲」(『正論』2016年3月号)』―朝鮮半島の4つのシナリオ、他
 『非立憲政治を終わらせるために―2016選挙の争点(『世界』2016年7月号)』―日本がロシアと同盟を結ぶという可能性、他
 千野境子『日本はASEANとどう付き合うか―米中攻防時代の新戦略』―日本はASEANの「ちゃんぽん戦略」に学ぶことができる

 日本と朝鮮半島の関係を、歴史的観点に加えて文学の視点からも分析した1冊。(わざわざマトリクスにするまでもないのだが、)「相手を尊敬するか卑下するか?」、「相手に接近するか敬遠するか?」という2軸でマトリクスを作った場合、普通は尊敬する相手には接近し、卑下する相手は敬遠するものである。

 ただし、尊敬する相手を敬遠する場合もある。個人的な話で大変恐縮なのだけれども、私は長年のMr.Childrenファンである。にもかかわらず、一度もコンサートに行ったことがない。いつもCDとDVDだけで楽しんでいる。同じミスチルファンからは、「ミスチルもあと何年音楽活動を続けるか解らないから、今のうちに観に行った方がいいよ」などと言われる。確かにそうなのだが、私にとってミスチルはあまりに存在が大きすぎるので、生で観ることをためらってしまうのだ。

 尊敬する相手を敬遠する場合とは逆に、卑下する相手に敢えて接近するというパターンもある。アメリカはこういうことをしょっちゅうやっている。アメリカが信じる自由、平等、資本主義、民主主義、基本的人権を絶対視し、これらがないがしろにされている国を名指しで批判する。そして、その国の内政に入り込んで、政治・経済システムを(アメリカにとって都合のよいように)変えてしまう。

 日本と朝鮮半島の関係、とりわけ近代のそれは非常に複雑である。明治時代にいち早く近代化に成功した日本は、朝鮮半島を遅れた国と見下していた。本書では、高浜虚子などが遅れた人々を敬遠していた様子が紹介されている。ところが、日本は、西欧から押し寄せる帝国主義の波からアジアを守るという名目で、朝鮮半島に接近し、近代化を試みた。

 朝鮮半島の人々は遅れた、野蛮な、汚らしい存在であったものの、彼らの奥底には一種の精悍さ、たくましさがあった。日本人は、一周回って朝鮮半島の人々を憧れの目で見る時もあった。日本が性急な近代化によって失った伝統的な素朴さを、朝鮮半島の人々の中に見出していた。こうして、日本人は朝鮮半島の人々に近づくのだが、反面、ロマンはロマンとして遠ざけておきたいという心理も働いた。そのため、日本人は朝鮮半島の人々と距離をとることがあった。

 要するに、日本人と朝鮮半島の人々は、先ほど述べたマトリクスの全ての象限を経験しているのである。こんなにも複雑な関係になってしまったのは、本書の分析によれば、日本人と朝鮮半島の人々が本質的に似ているからということになる。似ているから近づきたくなるし、逆に「放っておいてもよいか」という気持ちにもなる。あまりに似すぎているがために、かえってお互いの些細な違いが目につき、近親増悪のような状態を生み出す。相手を矯正してやろうと思うこともあれば、矯正を諦めて離れていくこともある。

 混迷を極める朝鮮半島が、今後どのようになるかは予測がつかない。最も望ましいのは、北朝鮮と韓国が全く新しい国家として1つに統一され、右派と左派が混合された政治・経済体制が敷かれることである。つまり、日本のような国になることである。小国が生き残るには、対立する大国の一方に過度に肩入れするのではなく、大国のいいところ取りをして「ちゃんぽん状態」を生み出すことが最善であると考える。「ちゃんぽん国家」同士が相互に連携できればなお望ましい。

 だが、どうやらこのシナリオは実現可能性が低そうだ。最も可能性があると私が見ているのは、「中国が暴走する北朝鮮を見限って、親中派が増えた韓国を使って朝鮮半島を共産主義国として統一する」というシナリオである。こうなった場合、日本は朝鮮半島に対して下手に手を出すべきではない。朝鮮半島の新国家は、小国であるにもかかわらず、大国である中国にべったりとなる。そんな危険な国家に日本から近づくと、大国間の争いに巻き込まれるリスクが高まる。だから、この場合は、「朝鮮半島の新国家を放っておく」ことが日本の最善策となる。

 では、朝鮮半島の共産主義化を防ぐべく、朝鮮半島に「ちゃんぽん国家」が建設されるように、日本を手本として日本が積極的に支援するというのはどうだろうか?私は、これも止めておいた方がよいと考える。日本は、アメリカのように高らかな理想を掲げて朝鮮半島に介入し、2度失敗している(そもそも、その理想の中身は実は空っぽだったという疑惑があるが)。1度目は豊臣秀吉の朝鮮出兵であり、2度目は韓国併合である。日本はあくまでも小国にすぎないのであり、アメリカの真似はできない。身の丈に合わないことは控えるべきである。

松田健『最後のフロンティア―ミャンマーの可能性』


最後のフロンティア ミャンマーの可能性最後のフロンティア ミャンマーの可能性
松田 健 重化学工業通信社

重化学工業通信社 2015-02-12

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 ヤンゴンの中国人の紹介で中国からの観光客に工場を見せてあげて欲しいと頼まれたオン・ミント社長は、「もしかしたら大量に買ってくれるかも知れない、と期待して工場を見せた。この中国人グループは工場でデジカメを使って新製品である子供用のスリッパの写真をたくさん撮って帰った」という。同社のスリッパの販売価格は約300円。

 それからたった1か月も過ぎないのにTWP社とまったく同じデザインの製品が中国で生産されてミャンマーに輸出されるようになった。「誰が見ても明らかに当社のデザインをコピーしたものなのです。しかも価格は当社の4分の1以下の約70円で、とても対抗できない」
 知的財産権に対する中国の意識が低いことは今さら言うまでもないが、なぜ中国はこれほどまでに知的財産権を軽視するのか、かねてから疑問であった。1つ考えられるのは、中国が共産主義であるため、ということである。共産主義の下では、私有財産は否定され、あらゆる財産が共有とされる。だから、知的財産も特定の個人には帰属せず、社会全体で共有することとなる。共有財産なのだから、誰かが勝手に使っても問題ない、という理屈である。

 だが、近年は中国だけでなく、ASEAN諸国における知的財産権の侵害が増加している。特許庁「2014年度模倣被害調査報告書」によれば、日本企業が海外において模倣被害を受けた国・地域の1位は中国(67.0%)、2位はASEAN6か国(20.4%)(※ASEAN6か国とはインドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、ベトナム、フィリピン)となっている。ミャンマーはこのASEAN6か国の中に入っていないが、本書ではミャンマーにおける知的財産侵害の事例が紹介されている。
 ヤンゴンの中心部に目立つサムスンの正規代理店の並びにはかなり以前から偽の「DOCOMO」店があったが、最近名前を変えた。おそらく日本のドコモが交渉してやめさせたのであろう。しかし他にもニセモノ店が多く、日本のブランドイメージを使いながら安い携帯電話を売りまくっており、日本のイメージ低下につながっている。「ニッポンのLG」(LGは韓国の財閥企業)というわけがわからない看板も見かける。
 ミャンマーにはつい最近まで知的財産権に関する法律がなかったと言われる。ミャンマーの経済開発特区の関係者が来日して開催したセミナーに参加した時、参加者から「ミャンマーの知的財産権法はどうなっているのか?」という質問が出た。ところが、関係者が「知的財産権」という言葉を理解できていなかったようで、なぜかずっと固定資産の話をしていた。同席していたJETROの担当者が途中で我慢できなくなったのか、「現在、法律を作成中のようである」とフォローした。

 ASEANで模倣品侵害が起きるのは、アジアが基本的に農耕民族であることと関係しているような気がする。農民は土地を共有し、共同で作業をし、収穫物を山分けする。だから、知的財産権の果実も皆のものだと考えているのかもしれない。狩猟民族の場合、狩りは単独行動であり、獲物は獲った人のものである。だから、個人財産という意識が強く働く(こういう農耕民族―狩猟民族という区分は、物事をあまりに単純化しているのであまりよくないのだが・・・。旧ブログの記事「中坊公平氏の「森林文化―砂漠文化」という2軸による経済発展の差の説明は根拠が乏しい」では、そういう区分を批判したこともあった)。

 ここでもう1つ解らなくなることがある。本当に共有財産制であれば、ゴミを不当に廃棄すると財産の価値が毀損されるため、不当な廃棄に対しては周囲の厳しい監視の目が働くはずである。ところが、中国が環境汚染物質を垂れ流して周辺国で公害を引き起こしていることは有名な話である。本書では、中国産の古い機械がミャンマーに流れ込んで問題になっていることにも触れられていた。
 「中国はミャンマーを中国で使えなくなった機械のゴミ捨て場にしようと考えている」と怒っているミャンマーの機械加工メーカーの経営者もいる。品質が極めて悪い中国製中古機械が雲南省国境から大量にミャンマーに入ってきている。ミャンマー製より断然安いので中国製機械が氾濫してしまうのだが、「すぐに修理もできなくなるほど壊れ、動かずにゴミになってしまう」と困惑するところが多い。
 ゴミになった途端、他国・他人に押しつけてもよいという発想は、一体どこから生まれてくるのだろうか?(なお、上記のような問題もあって、現在のミャンマーでは中古機械の輸入が禁止されているそうだ)

三橋貴明『いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由』


いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由 (WAC BOOK)いよいよ、韓国経済が崩壊するこれだけの理由 (WAC BOOK)
三橋 貴明

ワック 2013-01-09

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 おそらく、日本で最も有名な中小企業診断士は、本書の著者である三橋貴明氏であろう。ただし、彼が有名なのは中小企業診断士としてではなく、経済評論家、もしくは作家としてであるが・・・。
 (韓国の)寡占状態は、1997年のアジア通貨危機とその後のIMFの介入が契機となっています。当時の構造が韓国の運命を決定づけたとも言えます。それまでの韓国には多くの財閥企業が存在し、傘下にある企業が過当競争を繰り広げていました。(中略)しかしIMFは、過当競争によって各企業の利益が圧迫されていることこそが問題だとして「ビッグディール(企業の大規模事業交換)」を強制的に行なったのです。
 韓国を支える輸出企業はことごとく外国人株主が半数を占めているのです。サムスン電子は49パーセント、現代自動車、ポスコなど、韓国経済の中核を担う企業のほとんどは50パーセント近くに達しています。(中略)このような状態に陥ってしまったのは、やはり通貨危機後のIMF管理によって行われた構造改革が原因です。グローバリズムに基づく資本移動の自由化が進められた結果でもあります。

 ウォンと株価が暴落し、バーゲンセールになった状態で、外国人投資家がサムスン電子などの株を買い漁ったために、外国人の資本的支配を受けることになってしまいました。そして、韓国国民の利益に何の関心も持たない外国人が株主として君臨し、配当金の最大化を目指す「株主資本主義」のための最適な経済モデルを作り上げていきました。
 旧ブログの記事「アメリカ金融帝国主義が本当なら経営学は何のためにあるのか?―『「競争力再生」アメリカ経済の正念場(DHBR2012年6月号)』」で述べたような、アメリカの金融帝国主義の仕組みに韓国もまんまと組み込まれてしまったというわけだ。IMF(≒アメリカ)に韓国を救おうという気持ちはさらさらなくて、アメリカにとって有利になるように改革を進めたというのが実情であろう。アメリカは韓国企業をいいように利用し、配当金やキャピタルゲインを搾り取れるだけ搾り取った後で、韓国企業をポイ捨てするかもしれない。

 一方で、本書にはこんなことも書かれていた。
 (韓国の教育レベルは、)全体的なレベルでは、お世辞にも優秀とは言えません。その元凶となっているのは「平準化教育」です。過熱する受験戦争を和らげる、という目的で高校の入試をなくし、志望者を抽選で各校に割り当てるようにしたものです。学校間の学力差をなくす目的ですが、その本質は、北朝鮮を礼賛する左翼政権による「愚民化政策」です。(中略)漢字を廃止してハングルのみにしたのも「愚民化」であり、一方で捏造した愛国の歴史を頭に詰め込むだけの教育です。
 共産主義は、労働者が資本家を打倒して平等な社会を実現する革命運動である。その革命思想に沿って、共産主義の下での歴史教育は、(1)自国民にとっての敵を想定し、(2)自国民はその敵によって虐げられていること、そして(3)実際には、自国民はその敵よりも優れていることを教える。韓国は(1)の結果として日本を敵視しているわけだが、(2)が行き過ぎると被害者意識が暴走して、実際にはなかった被害を「あった」と言って歴史を捏造するようになるし、(3)が行き過ぎると「劣等な日本人が優秀な韓国文化をパクった」などと主張するようになる。

 そういう教育をしていれば、やがては行き詰まることは目に見えている。共産主義は、常に何らかの敵を想定しなければならない。その敵がいなくなってしまったら、自らの存在意義がなくなってしまうからだ。よって、共産主義者は永遠に誰かに虐げられているのであり、それゆえに永遠に成熟することがない。加えて、韓国から漢字が奪われていることが韓国の衰退に拍車をかけるであろう。歴史を振り返ってみると、文字を奪われた民族は例外なく滅んでいるのである。

 韓国は、一方ではアメリカの資本主義の草刈り場になっており、もう一方では北朝鮮の共産主義の草刈り場になっている哀れな国である。1976年に南北ベトナムが、そして1989年に東西ドイツが統一され、冷戦が終結した現在では、もともと同じ国であった場所が資本主義と共産主義によって分断されているのは朝鮮半島だけである。北朝鮮は北朝鮮で、別の理由から崩壊が近づいていると言われる。南北朝鮮の統一はもはや遠い夢かもしれない。となると、このままの緊張状態で、韓国の政治や経済はどのように舵取りをしていくのだろうか?
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プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京から実家のある岐阜市にUターンした中小企業診断士(コンサルタント・トレーナー)。双極性障害Ⅱ型を公表しながら仕事をしているのは、「双極性障害(精神障害)の人=仕事ができない、そのくせ扱いが難しい」という世間の印象を覆したいため。

 中長期的な研究分野は、
 ①日本の精神、歴史、伝統、文化に根差した戦略論を構築すること。
 ②高齢社会における新しいマネジメント(特に人材マネジメント)のあり方を確立すること。
 ③20世紀の日本企業の経営に大きな影響を与えたピーター・ドラッカーの著書を、21世紀という新しい時代の文脈の中で再解釈すること。
 ④日本人の精神の養分となっている中国古典を読み解き、21世紀の日本人が生きるための指針を導くこと。
 ⑤激動の多元的な国際社会の中で、日本のあるべき政治的ポジショニングを模索すること。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

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