沈みゆく大国アメリカ (集英社新書)沈みゆく大国アメリカ (集英社新書)
堤 未果

集英社 2014-11-14

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 タイトルからして、現在のアメリカの政治・経済・社会がどのような病理を抱えているのか?という内容を期待したのだが、それとは随分違った(汗)。本書は、アメリカの医療制度が崩壊寸前であることを赤裸々に描き出した1冊である。

 周知の通り、アメリカは市場主義万歳で、小さな政府を志向していることから、日本のような国民皆保険制度は長らく存在していなかった。しかし、2010年3月、オバマ大統領の下で国民皆保険制度を定めた法律が成立した。Patient Protection and Affordable Care Act(患者保護並びに医療費負担適正化法、PPACA)、通称Affordable Care Act(ACA)という法律が中心となっている。新しい医療制度は、大統領の名前を取って「オバマケア」と呼ばれる。

 オバマケア以前のアメリカでは、6人に1人が無保険者で、その数は約4,500万人に上ると言われていた。アメリカは医療費や薬代がべらぼうに高い。1週間ぐらい入院しようものなら、入院費が100万円を超えることもざらである。必然的に、その高額な治療費をカバーするための保険料も高くなる。よって、保険に入らない、いや正確には入れない人が多くなる。アメリカでは、広く国民全体でリスクを負担するという考え方が浸透せず、結局は金持ちしか満足な医療を受けられない。

 オバマケアは、そこにメスを入れるものであった。アメリカ議会予算局の試算では、以後10年間で、保険加入者は3100万人増加し、加入率は83%から94%に上昇するとされた。保険加入者が増えれば、保険料が下がり、国民が皆満足な医療を受けられるようになる・・・はずであった。

 2014年1月1日にオバマケアの本格適用が始まったが、本書から伝わってくるのは、国民の悲痛な叫びばかりである。以前加入していた保険と同じメニューの保険を選ぼうとすると、かえって保険料が上がってしまう、オバマケアが指定する保険に加入すると、以前の保険では対象になっていた薬が処方してもらえなくなるなど、国民の怒りと失望は計り知れないものがある。

 どうやら、オバマケアによって、国民が選択できる保険と薬の種類が極端に狭くなってしまったらしいのだ。その理由は、保険会社や製薬会社が政府とどっぷり癒着しているからである。ワシントンに約1万7,800人いるロビイストの実に4割が、医療・製薬業界を担当しているという。また、ロビー費用を業界別に見てみると、医薬品業界が突出している。政治力のある保険会社や製薬会社が、自社の保険や薬を使うように政府に訴えた結果がオバマケアなのである。

 アメリカとTPPを締結すれば、アメリカの自由主義的な考え方が日本の国民皆保険制度にも持ち込まれて、日本の医療制度が崩壊すると騒がれている。ところが、実際にはオバマケアは全く自由主義的ではない(民主党のオバマ大統領が作ったのだから、当然と言えば当然なのだが)。

 アメリカの自由主義は、世界を単一市場に見立てて、あらゆる企業をグローバル競争に巻き込み、最終的に限られた数社(たいていはアメリカ企業)が生き残るまで競争を続ける。勝者は世界中で収益を上げて、巨万の富を手中にする。この場合、一応は”競争をした”という事実があるから、最後にアメリカ企業が勝ち残ったとしてもまだ納得がいく。しかし、最初からアメリカ政府の力で勝者と決められた保険・製薬会社を日本に強要するのは、完全な内政干渉ではないか?

 ところで、医療費が高額ならばさぞかしアメリカの医師は儲かっているのだろうと思われがちだが、本書では医師の苦悩も打ち明けられている。アメリカの医師は、患者の治療が終わった後、保険会社から治療代の支払いを受けるために、膨大な資料を作成しなければならない。医師が読むべき資料は1万ページに上ることもある。保険会社のルールから少しでも外れると、支払いを拒否される。しかも、そのルールを作っている人間は、医療に関しては全くの素人である。

 アメリカの医師は、ルールを杓子定規にしか運用しようとしないズブの素人に対して、自らの治療の正当性をいちいち説明しなければならない。こうして、多くの医師は燃え尽きていく。アメリカの専門職で最も自殺率が高い職業は何か?―実は医師であると言われている。