60億を投資できるMLBのからくり60億を投資できるMLBのからくり
アンドリュー ジンバリスト Andrew Zimbalist

ベースボールマガジン社 2007-03

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 現中日の松坂大輔が2006年オフにボストン・レッドソックスに移籍したのを受けて出版された書籍であるため、本の帯には「松坂大輔に投じた『60億』の大金はどこから調達したのか?MLBのビジネスモデルを徹底分析した本書にその答えはある」とあるが、残念ながら直接的な回答はこの本には書かれていない。

 本書の断片的な情報をつなぎ合わせて先ほどの回答に間接的に回答するならば、次のようになる。まず、MLBの各チームのオーナーは、チームだけでなく、ローカルメディアを始めとして野球関連ビジネスを多数保有している。その中にはスタジアム運営会社、不動産会社、コンサルティング会社、金融会社、輸送会社などが含まれる。そして、ローカルメディアは自チームの試合の放映を通じて多額の収入を得ている。本書に書かれているように、MLBは反トラスト法の免除措置を受けているため、放送に関しても排他的テリトリーを設定できる(つまり、敵チームの地元メディアはその試合を放送できない)。さらに、近年のアメリカにおけるケーブルテレビへの移行が、ローカルメディアの収入を大きく押し上げた。

 オーナーは、チームを彼らの投資ポートフォリオの一部として扱う。チーム自体はプロフィットセンターではなく、オーナーの他の投資の価値向上の手段として運営される。例えば、スタジアム周辺に商業・住宅施設を開発したり、スタジアムがある地域の不動産価格を上昇させたりする。これらの恩恵を受けるのは、ポートフォリオを構成する不動産会社などである。こうしたグループ内の相乗効果は年間数千万ドルに上ると推計される(本書では各チームの財務分析が詳細に行われていたが、オーナーが保有するビジネス全体となると、各社の関係性が複雑であるがゆえ、著者の力をもってしても実態を明らかにするのは難しかったようだ)。松坂に投じられた60億円は、ここから捻出されたと考えられる。

 本書の主眼は、MLBが反トラスト法の免除措置を受けているという特権的地位を利用して、選手のチーム間の移籍を制限したり、年俸を安く抑えようとしたりしてきたのに対し、選手会がどのように交渉してきたのか、その歴史を克明に記録することにある。また、MLBは独占的立場にあるから、経済学の理論に従えば超過利潤(レント)の恩恵にあずかっているはずなのに、各チームの財務諸表を操作して(前述の通り、オーナーは多数の企業を保有しているため、本来チームに帰属すべき売上を他の企業につけ替えたり、他の企業が負担すべき費用をチームの会計に計上したりしている)、「MLBは大赤字で貧乏だ」と触れ回り、「連邦政府や州政府が補助金を出してくれなければスタジアムが建設できない」などと言って公的資金を引き出していたことも暴露されている。

 現在、MLBではメジャーリーグ、マイナーリーグともに、チームが自由に参入することができない。著者は、MLBの反トラスト法の免除措置を止めてチーム間で自由に競争をさせれば、チーム間の戦力格差が是正され、毎年優勝を争うチームが入れ替わって、リーグ全体が盛り上がると考えているようだ。

 確かに、何年も優勝を続けるチームは、短期的に見ればチームの収益を押し上げるが、長い目で見れば選手の年俸の高騰に悩まされるようになり、高年俸の選手を手放さなければならなくなる。また、何年も実力のある高年俸の選手に頼ってきたため、若手が育っていない。だから、高年俸の選手を失った途端、一気に弱小チームに転落する。その一方で、若手を着実に育成してきたチームが今度は優勝争いをし、常勝軍団の仲間入りをする。しかし、そのチームもやがては選手の年俸高騰という問題を抱えるようになる。この繰り返しで、常勝軍団が定期的に入れ替わるということは、頭の中では十分に成り立つことだ。

 ブログ本館の記事「『一橋ビジネスレビュー』2018年SPR.65巻4号『次世代産業としての航空機産業』―「製品・サービスの4分類」修正版(ただし、まだ仮説に穴あり)」で紹介したマトリクス図において、スポーツは「必需品でない&製品・サービスの欠陥が顧客の生命(BtoCの場合)・事業(BtoBの場合)に与えるリスクが小さい」という<象限③>に該当すると考えている。<象限③>のイノベーションは多産多死の世界だが、勝つ確率が高いのは、資金力がありプロモーションや人材に惜しみなく投資できる企業である。さらに、長期的に存続する可能性があるのは、無数のイノベーションを束ねるプラットフォーム企業である(Amazon、Google、Facebook、Appleなどが該当する)。これをスポーツにあてはめると、リーグがプラットフォームで、各チームがイノベーターととらえることができる。

 本書では、イギリスのプレミアリーグに言及している部分がある。プレミアリーグ自体は30チームに固定されているが、下位リーグには誰でも自由にチームを作って参入することができる。つまり、著者の言う自由競争が実現されている。では、定期的に常勝軍団が入れ替わっているかというと、そうではない。

 プレミアリーグが始まった1992-93シーズン以降の優勝チームは、マンチェスター・ユナイテッド(マンU)を始め6チームしかなく、しかもマンUが断トツの優勝回数を誇る。マンUが強いのは、ひとえに多角化ビジネスが成長をしており、優秀な選手に惜しみなく投資ができるからだ。30シーズン経って30チーム中6チームしか優勝経験がないというのは、日本のプロ野球の感覚に慣れている私などからすると異常である。ほとんどマンUしか優勝しないリーグのどこが面白いのかと素朴な疑問が生じるのだが、こればかりはイギリス人に聞いてみないと解らない。

 MLBでは戦力バランスを保つために、「収益分配制度」と「ぜいたく税」が導入されている。収益分配制度は、各チームの純収入(総収入から球場経費を除いた額)に34%課税し、課税額の全てを全チームに均等分配する「ストレート・プール方式」と、収入の高いチームに課税し、一定のルールに基づいて収入の低いチームに再分配する「スプリット・プール方式」から成り立っている。ぜいたく税とは、球団側が選手に支払う年俸総額が一定額を超えた場合、超過分に課徴金を課すものである。4年間に一定額を超えた回数に応じて税率が引き上げられ、2013年からは最大で50%の税率が課されることになった。

 だが、本書によれば、収益分配制度は戦力バランスを保つのにあまり貢献していないようだ。というのも、ポストシーズンへの進出の見込みが薄くなったチームは、わざと選手年俸を下げるからである。MLBでは年俸総額とチームの成績に一定の相関があり、選手年俸を下げたチームの成績は悪化する可能性が高くなる。すると、弱いチームの試合を観に行くファンが減るから、チームの業績も下降する。その結果、収益分配制度によって多額の収益を得られるのだが、そのお金はオーナーのポケットに入ってしまい、選手への投資に使われない。

 一方、近年はFA選手の年俸が高騰しており、優秀な選手が資金力のあるチームに集中する傾向がある。ぜいたく税を払ったとしても、冒頭で述べたオーナーの多角化ビジネス全体から見れば微々たる額である。それに、各チームは独占の恩恵もプラスアルファで受けていることも踏まえれば、オーナーにとってはぜいたく税など痛くもかゆくもない。こうして、両方の制度があるにもかかわらず、戦力格差はむしろ広がっている。桑田真澄氏が早稲田大学大学院で「野球道」の研究を行った時の指導教官である平田竹男教授によれば、「MLBは共産主義的」なのだが(桑田真澄、平田竹男『新・野球を学問する』〔新潮社、2013年〕)、それにもかかわらずMLBでは戦力格差が拡大するという珍現象が起きている。

新・野球を学問する (新潮文庫)新・野球を学問する (新潮文庫)
桑田 真澄 平田 竹男

新潮社 2013-02-28

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