リーダーシップとニューサイエンスリーダーシップとニューサイエンス
マーガレット・J・ウィートリー 東出顕子

英治出版 2009-02-24

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 数年前に『U理論』をヒットさせた英治出版の本なので、U理論のように全体主義につながるような危なっかしいニューサイエンスが紹介されていたらどうしようかと思ったのだが、読んでみたら何てことはない、「複雑系」の理論に関する本であった(U理論については、ブログ本館の記事「【現代アメリカ企業戦略論(4)】全体主義に回帰するアメリカ?」を参照)。複雑系の理論を使うと、伝統的なリーダーシップと現代のリーダーシップの違いを説明することができる。

 近代科学の祖であるニュートンの機械論的組織観に従うと、組織は要素還元可能な複数の部品から成り立っている。これは、それぞれの部品間には有機的な連携がないことを意味する。組織の中身も、部品が単線的につながっているだけで、部品以外の空間は空っぽである。こういう組織を動かすには、トップが強力なリーダーシップを発揮して、それぞれの部品に働きかける必要がある。

 これに対して、複雑系の理論では、構成要素間に有機的なつながりがあると考える。つまり、要素間の「関係」を重視する。だから、ニュートンのように要素還元することはできない。そして、この有機的につながり合った要素を覆っているのが「場」である。ニュートンが考える組織とは違って、組織は空ではない。

 組織の場を構成する具体的なものとしては、例えば組織の価値観などがある。価値観とは、組織が諸活動に関する意思決定を下す際によりどころとする判断基準のことである。価値観は想いと言い換えてもよいだろう。こういう主観的な要因が組織を充填している。そして、組織が環境からの変化を感じ取ると、その情報は場を媒介として、有機的につながり合った要素に一斉に伝わる。ニュートン的組織では、トップが部品を1個ずつしか動かすことができないのに対し、複雑系の理論における組織では、場が組織全体を動かす土壌となり、情報が各要素の有機的連関の間を一瞬にして駆けめぐる。そのスピードは、価値観がよいものであればあるほど速くなる。利己的なものではなく、社会全体の利益を考えたものであればあるほどよい価値観であると言える。

 なぜ、複雑系の理論における組織では、情報が即座に移動するのだろうか?物理学では光より早く移動するものは存在するのかが議論になっている。物理学者ジョン・ベルは、「即時的遠隔操作」が起こり得ることを証明した。

 まず、2つの電子を組み合わせて対にする。つまり、相関させる。次に、その対の電子が、たとえ距離が離れていても、一体化した1つの電子として活動し続けるかどうか、そのスピンをテストする。電子は軸に従って、上下もしくは横から横へとスピンする。ただし、量子の現象であるから、軸が客観的な現実としてあらかじめ存在しているわけではない。科学者がどの軸を測定するかを決めるまでは、軸は可能性としてのみ存在する。電子にとって固定的なスピンはない。電子のスピンは、科学者が選ぶテスト対象に基づいて現れる(※)。

 (※)これが量子力学の大きな特徴の1つである。量子力学では、物質の振る舞いを客観的に、かつ事前に予測することはできない。物理学者が何を測定したいのかを決めると初めて、測定されるものが定まる。例えば、光は粒子と波動の両方の側面を持っている。観察者が粒子を観察したいと思えば粒子が観察されるし、波動を観察したいと思えば波動が観察される。近代科学は観察する主体と観察される客体を分離したが、現代科学においては主客は一体である。

 一旦2つの電子が対になると、もし一方が上向きスピンとして観察されれば、もう一方は下向きスピンになる。あるいは、もし一方が右向きスピンとして観察されれば、もう片方は左向きスピンになる。この実験で、2つの対の電子は別個に存在している。理論上は、対となり得る電子は宇宙全体に無限に存在する。どんなに距離が離れていても、1つの電子のスピンが測定される瞬間、観察者がその軸の挙動を観察したいと考えていた第2の電子が即座に正反対のスピンを示す。この第2の電子は非常に離れているのに、物理学者によってどの軸が測定対象として選ばれたのかが解っていることになる。

 この実験は、光の速度より早く移動する物質はないという定説を否定している。そこで物理学者は、2つの電子は目に見えない関係で結ばれていると解釈する。2つの電子は、空間的にどんなに離れていても、パーツに分解できない不可分の全体である。ここでは2つの電子のみを取り上げたが、宇宙に散らばるあらゆる電子はいずれも、全体からは切り離すことができない関係によって結びついている。だから、1つの電子の変化が他の多くの電子に即座に波及することは容易に想像できる。これを組織にあてはめれば、ある要素の変化は瞬時に他の要素を変化させることになる。どんなに他の要素が遠く離れていても、光よりも早い速度で影響するから、組織全体の変化は一発で起きる。

 しかも面白いことに、それぞれの要素は他の要素から受け取った情報や変化をそのまま反映するわけではない。少しずつ異なる解釈によって、その情報や変化を受け止める。これは、それぞれの要素は有機的・自律的な存在であり、場を構成する価値観を解釈する方法が要素によって少しずつ違うことが影響している。よって、各要素の振る舞いはバラバラになる。

 すると、組織は混乱に陥るのではないかと思われるかもしれない。実際、環境からの変化を受けた諸要素はバラバラに動く。だが、全体として見ると、一定の極めて美しい秩序が観察できるという不思議な現象が起きる。これが「決定論カオス」である。これによって、組織は崩壊せずに、新しい秩序へと移行する。通常、秩序と変化は両立しないと考えられる。ところが、複雑系の理論においては、組織は秩序を保ちながら変化する。いわゆる「自己組織化」である。

 こうして、組織は環境が変化しても自律的に自らを変革することができる。これは、例えば市場・顧客ニーズが変化した場合に、組織全体が自律的に変化して、新しいニーズに合致した新製品・サービスを自発的に生み出すことが可能であることを意味している。組織はマーケティングの力を十分に備えている。

 では、組織が環境の変化に反応するのではなく、組織の内部から変化を起こすようなイノベーションの場合はどうであろうか?イノベーションでは、組織の要素の1つであるイノベーターが内なる声に従って(内発的に)画期的なアイデアを実行する。これは複雑系の理論で説明できるのであろうか?

 ここまで環境と組織を便宜的に分けて書いてきたが、現実には両者の境界性は相対的である。環境も組織も、さらに巨視的な視点に立てば、1つの全体的なシステムに含まれる要素であり、相互に結びついている。マーケティングの場合は環境が組織に働きかけ、両者を包摂する全体的なシステムを変化させた。イノベーションの場合は組織が環境に働きかけ(より正確に書けば、まず組織内の特定のイノベーターが組織の他の要素を瞬時に変化させ、さらにその変化が環境に瞬時に伝播して)、全体的なシステムを変化させると解釈できる。

 従来のイノベーション理論によれば、イノベーションには普及段階があって、死の谷、魔の川、ダーウィンの海を順番に乗り越えないとイノベーションは成功しないと言われてきた。ところが、複雑系の理論に従うと、イノベーションであっても、環境を即座に変化させる、つまり新しい市場を瞬く間に創造する可能性があることが示唆される。そして、その変化の力は、システム全体を覆う場の力、つまりよい価値観の力が強いほど大きくなるのではないかと考えられる。