神(ゴッド)と近代日本―キリスト教の受容と変容神(ゴッド)と近代日本―キリスト教の受容と変容
塩野 和夫

九州大学出版会 2005-03

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 日本は海外から様々な技術、制度、文化、風習などを輸入し、自由自在に接合することに長けている、いやそうすることでしか生き長らえることができない国である。私はこれを小国なりの「ちゃんぽん戦略」と呼んでいる。こういう自由度の源泉がどこにあるのかというと、私は「天皇」という存在だと思うのだが、この点についてはまだ十分にロジックを積み上げることができていない。

 本書の副題は「キリスト教の受容と変容」となっているから、近代日本においてキリスト教はどのように摂取され、従来の神道、仏教、儒教にどんな影響を与えたのか、逆に神道、仏教、儒教からどんな影響を受けて日本流のキリスト教に変質したのかという内容を期待していたのだが、やや期待外れであった。

 明治時代になると、日本は西洋国家に倣って国民国家(nation-state)を急造する必要に迫られた。国民の精神を統合する中心として選ばれたのが神道であった。ところが、国家が神道を国民に強要すると、政教分離の原則(これも西洋から輸入された)に反してしまう。そこで、明治政府が考えたのは、「神道は宗教ではない」という、一見すると珍妙な論理であった。

 神道は宗教ではないから、天皇が神の子孫として現人神化し、祭祀をつかさどる存在であっても問題ない。非宗教化された神道の下で、仏教やキリスト教などの信仰の自由(これも西洋から輸入された)を許容するという形式をとった。一見相反する「政教分離」と「祭政一致」を両立させるという、日本流の「二項混合」である(ブログ本館の記事「島薗進『国家神道と日本人』―「祭政一致」と「政教分離」を両立させた国家神道」を参照)。

 こうして、キリスト教は仏教など他の宗教と併存することになったのだが、私が最も知りたかったのは、キリスト教が仏教など他の宗教に及ぼした影響、およびその逆の影響であった。古代において仏教が日本に輸入された時、最初は神道側と激しい軋轢を生んだものの、その後は社会に受け入れられ、「神仏習合」という日本が得意とする「二項混合」を実現した。古事記や日本書紀に書かれている神々は、実は仏であったとして、記紀の書き換えまで行われた。

 ところが、キリスト教に関しては、他の宗教との相互浸透性があったのかどうかよく解らない。本書には、「キリスト教と日本風土の接点―和と間の概念を中心として―」(宮平望)という論文が収められており、日本の「和」と「間」という概念が、実はキリスト教にも存在すると分析し、「三位一体論」は「三間一和論」であるという結論に至っている。しかし、それでも論文の著者は、日本では人と人との間(区別)が人と人との和(一致)によって過度に区別されているのに対し、西洋では人と人との間が人と人との和よりも優勢であるという違いを認めざるを得ない。

 もちろん、神道と仏教はともに多神教的な宗教である一方で、キリスト教は厳格な一神教であるから、神仏習合のような融合が容易には進まないという点は理解できる。しかし、日本が外来種のいいところどりを得意とするのであれば、キリスト教から何かを学んだはずである。それと同時に、神道や仏教などの側からキリスト教に対して変質を迫る場面もあったはずである。私が知りたいのはまさにこのことであり、本書に期待した内容もこの点であった。

 仮にキリスト教と他の宗教との相互影響が十分でないとすれば、日本人はキリスト教をそれほど有益だと見なさなかったということになる。それならば今度は、日本人はキリスト教のどの点をどういう理由で却下したのかを考察しなければならない。新井白石が「子はあくまでも親を天とすべきで、親を飛び越えて子が天と直結したら、その子は、『親と天』という二つの天につながるから、心の内に『二尊』ができる」と説いたこと以上の理由が必要である。