こんなはずじゃなかったミャンマーこんなはずじゃなかったミャンマー
森 哲志

芙蓉書房出版 2014-07-18

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 ミャンマーの駐日大使館がある品川御殿山は、ミャンマー人にはあまり好かれていないらしい。それは以下の2つの理由による。

 (1)日本で働くミャンマー人は、大使館に税金を納めなければならない。この制度は1989年に創設されたと言われる。前年に「血の8888事件」が起きて軍事政権が誕生したのを契機に海外からの経済援助がストップし、ただでさえ悪い財政がさらに悪化した。こうした国内の状況を嫌った人々は、次々と海外出稼ぎに出るようになった。政府としてもこの流れを止めることができず、収入の10%を税金として納めることを条件に、出稼ぎを容認するようになった。経済援助を打ち切られたミャンマー政府にとって、外貨獲得のための苦肉の策であった。

 ところが、ミャンマー人は、その税収は国庫に入っていないと見ている。大使館は使途不明なアングラマネーを集めているということで、ミャンマー人からは嫌われているのである。税金は軍事政権の資金源になっている疑いもあった。なお、この税制は、民主化の流れの中で2012年1月にようやく廃止された。

 (2)もう1つの理由は、ミャンマー大使館をめぐり、バブル時代に土地売買で巨額の資金が動き、軍事政権を支える原動力となったことである。軍事政権発足当初、大使館の敷地はもっと広大で、御殿山に1万6,000平方メートルほどあった。その6割近い9,300平方メートルを、1990年1月に銀座の不動産会社に340億円で売却した。この不動産会社はマンションを建設する予定だったが、第一種住居専用地域のため、建物建設には10メートルの高度制限があった。それをクリアするため、空中権としてさらに240億円を支払った。

 不動産会社に購入資金を融資したのは、大手金融機関であった。富士銀行が260億円、第一勧業銀行と日本長期信用銀行系の長銀インターナショナルリースがそれぞれ140億円、三菱銀行が100億円(銀行名称はいずれも当時)である。問題は、これがバブル崩壊直前の融資であったことだ。当時の大蔵省は、バブル崩壊を予測して、不動産向けの大型融資を控えるように通達を出していた。それに反して融資をしたのだから、マスコミは「ずさん融資」と書き立てた。

 果たしてバブルは崩壊し、融資は不良債権化した。その後、損失処理のため、共同債権買取機構に売却された。不動産会社は資金難に陥り、マンション建設も中止に追い込まれた。御殿山は10年以上も更地で放置されることになった。ミャンマー人にとって大使館は「不健全」の象徴であり、親しみを持てないのだ。