こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

天皇


ティク・ナット・ハン『怒り―心の炎の静め方』―どんな相手とでも破綻した関係を修復できるというのは幻想


怒り(心の炎の静め方)怒り(心の炎の静め方)
ティク・ナット・ハン Tich Nhat Hanh

サンガ 2011-04-13

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 本書を読むのは2回目である。1回目の時は気づかなかったのだが、著者のティク・ナット・ハン氏は「マインドフルネス」の師である。マインドフルネスとは、端的に言えば、「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」である。マインドフルネスを実践すると、うつ病の症状の緩和、ストレスの低減、薬物依存の解消に効果があるとされている。その他の精神病患者に対する多くの治療効果も示し、心の健康に関する問題を鎮めるための予防的な方策にもなっている。

 企業間の競争が激しさを増す中で社員の仕事上のストレスが増大していることもあって、アメリカなどではマインドフルネスが広がりを見せている。例えばAppleの創業者スティーブ・ジョブズ氏、Salesforce.comのCEOマーク・ベニオフ氏といった経営者はマインドフルネスを実践している(いた)し、Google、Facebook、Yahooといった企業はオリジナルの研修を開発している。最近では、タイ北部のチェンライ郊外のタムルアン洞窟で、地元のサッカーチームの少年13人が大雨によって3週間も閉じ込められていたにもかかわらず、全員無事に救出されたのは、同行していたコーチがマインドフルネスを毎日少年たちに実践させ、心身を落ち着けていたことが大きいと言われている。

 先日の記事「稲盛和夫『考え方―人生・仕事の結果が変わる』―現世でひどい目に遭うのは過去の業が消えている証拠」でも書いたように、私は双極性障害Ⅱ型という精神疾患を患っている。前職のベンチャー企業に勤めていた頃に、仕事で極度のストレスにさらされたことが要因で、毎日何かしらの怒りを抱いていた。そのたびに物を投げつけたり、オフィスのドアを蹴飛ばしたりしていた(決して人に危害を加えたり、物を破壊したりはしなかったことだけはつけ加えておく)。夜寝ている時も、夢の中で怒っていることがあり、夢の中で自分が怒鳴っている声で夜中に目が覚めたことが何度もある。例えば、ホテルのフロントで現金を外貨に換金してもらおうとしたところ、6時間も待たされ、その間フロントのスタッフを怒鳴り続けるという夢を見て、その怒鳴り声で起きたことがある。

 治療を続けるうちにそのような症状は治まったものの、代わりに日常生活の些細なことでもイライラするようになった。カフェや電車で電話をする人、カフェや電車内で大声で話す人、電車内で音楽が音漏れしている人、電車内でスマホで写真を撮る人、電車内で足を組む人、飲食店で赤ん坊をちっとも泣き止ませようとしない親、飲食店でスマホ育児をする親、スーパーやコンビニでなかなか会計を済ませない客、歩道で横いっぱいに広がって歩く集団、駅でちんたらと歩く集団、エレベーターの出口で降りる人を通さずに出口をふさぐ人、風呂に入らずにきつい体臭を放つ人―こういう人に遭遇するだけで頭に血が上り、心拍数が上がる。普通の人でもイラっとするケースが含まれていると思うが、私は普通の人以上に怒りを覚えやすい。これはもう双極性障害の後遺症だと思って、治すのではなく上手く制御しなければならないと考えている。

 そのコントロール法をもう一度学び直そうと思って読み返したのが本書である。劣悪な環境で飼育された鶏の肉や卵を食べる時、我々は同時に怒りを消費しているという著者の指摘はなるほどと思った。雑誌やテレビも時として毒を含んでいるという。だから、我々は自然に育った牛、豚、鶏などを口にするべきである。怒りを含んだテレビや雑誌は回避するべきである。それでも怒りを感じる時には、呼吸を整えるとよい。怒りを感じると、我々の呼吸は短く浅くなる。そこで、意識的に深く息を吸い、吐き、呼吸を静める方法を知っておく必要がある。

 ここまでは私も納得することができた。最近は私も呼吸法を意識するようにしている。それでも怒りを抑えることが難しい場合は、自分からその状況を回避する(例えば、一時的にトイレや店外へ避難するなど)ように心がけている(もっとも、電車内だけは逃げ場がないため、未だに対処法に苦労している)。

 本書で引っかかったのは、どうしようもなく関係がこじれた2人の間で、一方がまずは「私は怒っています」と感情を表明し、「私は最善を尽くしています。私のため、そしてあなたのためにもこの怒りに対処しようとしています」と相手への信頼を示し、最後には「私を助けてください」と、自分に怒りを生じさせた相手に助けを求めれば、自ずと2人の間で対話が発生し、2人の関係が必ず修復に向かうと著者が主張していることである。簡単に言えば、「腹を割って話し合えば何でも解決できる」と言っているようなものである。これは、対話に絶対的な効力があるという言説を相手に無条件に受け入れさせようとしている点、そして対話を通じて何人も共通の見解に至ることができると信じている点で、私は人間の多様な意見や価値観をモノトーンに落とし込む全体主義的な発想だと感じてしまう。

 マインドフルネスを実践すれば、誰しもが宇宙の根底に存在する潜在意識に到達できるとされる。私はこれこそまさしく全体主義的だと思う。数年前に流行った「U理論」にも類似の傾向が見られる(ブログ本館の記事「オットー・シャーマー『U理論』―デイビッド・ボームの「内蔵秩序」を知らないとこの本の理解は難しい」を参照)。U理論の場合は極端で、他者との相互作用がなくとも宇宙の潜在意識にアクセスすることができ、1人の意識がそのまま全体の意識に等しくなるという。こうなると独裁と民主主義の区別がない全体主義と何ら変わりがない。

 その点、本書の著者の言うマインドフルネスは、他者との対話を必要としているから、全体主義としては幾分ましな部類に入るだろう。マインドフルネスは、禅宗にルーツがある。マインドフルネスがこんなに全体主義的になってしまったのは、鈴木大拙が海外に紹介した禅の内容に問題があったのではないかと私は考えている(ブログ本館の記事「鈴木大拙『禅』―禅と全体主義―アメリカがU理論・マインドフルネスで禅に惹かれる理由が何となく解った」を参照)。

 私は左派の全体主義者ではなく、右派の保守主義者なので、人間の考え方の多様性を認める。リベラリズムとは、本来右派の言葉である。ただし、私にとって正しいと思うことが、他者にとっても正しいとは限らない。私は私の価値体系に基づいて思想を形成しているのと同様に、他者は他者の価値体系に基づいて思想を形成している。その異なる思想を無理に統一しようとしてはならない。異なる思想が共存することを受容しなければならない。多少の喧嘩はするかもしれないが、いつまでも子どものように喧嘩を続けるのではなく、相手の存在を認めなければならない。相手の思想が受け入れがたいのであれば、相手のことを放置しておけばよい。仏教では縁切りが認められている。

 ただし、異なる思想を持つ人が自分の存在を脅かすとなれば話は別である。そのようなケースでは、誰でも怒りを覚える。その怒りを放置し、怒りのままに行動させると社会の混乱が予想される。よって、人々の怒りを抑制するために、攻撃者に対して社会的な制裁措置としての法が必要となる。

 日本の場合、多様な思想の共存を象徴するのが天皇である。天皇は、国民がどんな思想を持っていても、その思想が破壊的でない限り共存させる。これが、古来から日本人が大切にしてきた「和」の精神である。論語に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」とある。小人(つまらない人)は、和を押し殺して人々の多様性を強制的に同化しようとする。だがこれは、これまで述べてきたように全体主義の発想である。これに対して君子(天皇)は、決して多様な思想を単一にせず、併存させて和を保つのである。

井沢元彦、島田裕巳『天皇とは何か』


天皇とは何か (宝島社新書)天皇とは何か (宝島社新書)
井沢 元彦 島田 裕巳

宝島社 2013-02-09

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 『逆説の日本史』シリーズの著者・井沢元彦氏と、宗教学者・島田裕巳氏の対談本。井沢氏が邪馬台国や卑弥呼について興味深い仮説を提示していたので、それをまとめておく。もっとも、本人は「これを言ったら笑われる」、「こう言うと方々から怒られる」とわざわざ断っているので、取り扱い要注意の仮説である。

 ・弥生時代、大陸から九州へと移り住んだ弥生人は、先住していた縄文人を排し、鉄器を武器に支配勢力を東へと拡大していった。弥生時代には様々な「クニ」が興ったが、最も勢力を誇ったのが「邪馬台国」である。「邪馬台国」を「やまたいこく」と読むのは、江戸時代の読み方である。中国の古音で読むと「やまどこく」となる。よって、邪馬台国は、後のヤマト朝廷と同一ではないかと考えられる。

 ・「卑弥呼」は人名ではない可能性がある。というのも、王の名前が外部に知られると呪われるため、通常、王の名は軍事機密扱いとされるからだ。卑弥呼は「日の巫女」であると考えられる。そして、次の点が重要であるが、卑弥呼は天皇の祖先である。なお、井沢氏は、奈良県桜井市にある箸墓古墳を卑弥呼の墓と推測している(宮内庁は、「大市墓(おおいちのはか)」として、第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓としている)。

 ・日本には約8万の神社があるが、その中で最も多いのは八幡宮である。しかし、八幡とはどの神のことなのか、古事記にも日本書紀にも記載がない。八幡社は元々、九州の宇佐八幡宮から始まっている。奈良時代、聖武天皇が東大寺に大仏を建立した際に、東大寺の守護神として寺の近くに手向山八幡が建てられ、宇佐の分霊として祀られた。その後、宇佐八幡は応神天皇と習合したため、宇佐八幡=応神天皇のイメージが定着した。

 聖武天皇の娘にあたる称徳天皇は、宇佐八幡宮から「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けた。真相を確かめるために宇佐八幡宮に派遣された和気清麻呂によって宣託は否定されたのだが、ここでポイントとなるのは、神託を聞きに行ったのが宇佐八幡宮であるという事実である。誰を天皇にするかは、当時の朝廷にとって最も重要な事項である。もし、神託を聞きに行くのであれば、天照大御神を祀っている伊勢神宮に行くはずだ。それなのに、宇佐八幡宮に行ったということは、朝廷にとって宇佐八幡宮が特別な意味を持っていたことを表している。

 実際に宇佐八幡宮に行ってみると、中央に祀られているのは応神天皇ではなく、比売大神(ひめおおかみ)である。そして、比売大神とは卑弥呼であると考えられる。前述の通り、卑弥呼は天皇の祖先という最重要のポジションにある。よって、比売大神=卑弥呼の元に神託を聞きに行ったとしてもおかしくはない。

『小池都知事は「正論」で勝てるか/陛下のお気持ち/改憲勢力3分の2になったのに・・・/人工知能 支配する民、支配される民(『正論』2016年10月号)』


月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]月刊正論 2016年 10月号 [雑誌]
正論編集部

日本工業新聞社 2016-09-01

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 今月号の『正論』は政治的に大きな動きがあまりなかったせいか、他の月に比べると比較的おとなしめの印象であった。8月8日に天皇陛下がビデオメッセージで発せられた「おことば」の全文が掲載されていたので改めて読み返してみたのだが、1か所興味深いところがあった。
 天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らもありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
(太字下線は筆者)
 ブログ本館の記事「北川東子『ハイデガー―存在の謎について考える』―安直な私はハイデガーの存在論に日本的思想との親和性を見出す」などで、「(神?)⇒天皇⇒立法府⇒行政府⇒市場/社会⇒企業/NPO⇒学校⇒家族⇒個人」という日本の階層構造を何度か示した。ただし、天皇はあくまでも象徴であり、実際に下位の階層に対して何かを命じることはないと考えていた。ところが、「おことば」の中では、国民に対して象徴天皇という立場に対する理解を深めよとはっきりとおっしゃっている。
 陛下がビデオメッセージで触れられた「務め」とは天皇としての「機能」の面だが、その大前提には「存在」されること自体の意義がある。徹底した血統原理によって他に代わる者がいない存在として、陛下が天皇の地位に就いておられること自体に尊い意義がある。
(八木秀次「政府も悩む 皇室「パンドラの箱」」)
 八木氏は、天皇は「存在」されること自体に意義があると述べているものの、天皇陛下自身はそれだけでは足りないとお考えであり、国民に対して積極的に役割を求めている。逆に言えば、心身の面でそのような要求が難しくなったことも、天皇陛下が生前退位を検討するようになった一因なのかもしれない。

 象徴天皇の立場に対する理解を深めるとはどういうことか?それには、象徴天皇とは何の象徴なのか?という問いに答えなければならない(憲法学においては、「国民の象徴」ではなく、「国民統合の象徴」であるという点に注目して様々な学説が提唱されているが、法学部出身でありながら憲法に不勉強であった私は、ここでは立ち入らない)。その答えは、「おことば」の中に示されている。
 私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。
 象徴天皇とは、祈りの象徴であり、人々(特に弱者)のそばに寄り添う者の象徴である。そのような象徴天皇への国民の理解を深めるとは、国民に対して、天皇の行為が日本国民の精神の象徴であると認識させるとともに、国民もまた他者の幸せを祈り、他者の思いに耳を傾けるべきことを要求していると解釈できる。今回の「おことば」は、単に生前退位だけが課題ではなく、天皇と国民の関係、そして国民のあり方についても今一度熟考を迫るものであったと言えそうだ。
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
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