こぼれ落ちたピース

谷藤友彦(中小企業診断士・コンサルタント・トレーナー)のブログ別館。2,000字程度の読書記録の集まり。

安倍談話


金惠京『柔らかな海峡―日本・韓国 和解への道』


柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道
金 惠京

集英社インターナショナル 2015-11-26

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 本書で言及されているが、昨年安倍総理が「安倍談話」を発表するにあたって下敷きとした「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会報告書」には、次のような文章がある。
 韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた経緯にかんがみれば、永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある。
 本書の著者の金惠京氏は日本、韓国、アメリカでの生活経験があるため、日本人と韓国人双方のものの考え方、さらに、慰安婦問題に代表されるような日韓の対立がアメリカでどのように受け止められているのかについても理解がある。日本からすると、韓国がゴールポストを動かしている=交渉のゴールを流動させている=腹の底で何を考えているのか解らない、ということになるが、韓国サイドから見れば、日本もゴールポストを動かしていると映るようだ。

 例えば、安倍総理は2014年3月14日、河野談話の見直しは考えていないと発言した。ところが、同時に菅官房長官は、河野談話作成の過程を検証する必要があると指摘している。また、安倍総理は村山談話を継承するという立場を明らかにしておきながら、他方で「侵略の定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と述べたり、靖国神社を参拝したりする。こうした行動が、著者ら韓国人にとっては一貫性がないと感じ取られる。

 2015年7月5日、ユネスコ世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産」として23の施設が世界遺産に登録された。これらの施設において戦時中に強制徴用が行われたとの指摘が韓国からなされ、「強制労働(forced labor)」という文言を使用するか否かで日韓が激しい応酬を行った。交渉の結果、佐藤地ユネスコ大使は「働かされた(forced to work)」という表現を用いることとした。だが、日本政府はこれについて、「強制労働ではない」と弁明した。

 著者は、forced to workという表現からして、これを「強制労働ではない」と解釈するには無理があると苦言を呈している。また、日本の歴史教科書の多くが、戦時中の日本が朝鮮半島から多くの人を連行して厳しい条件の下で労働させたと記述していることとの矛盾も指摘する。日本によるこうしたゴールポストの移動は、国際社会における日本の信用を貶める恐れがあると著者は心配している。

 昨年末、日韓は慰安婦問題について最終的かつ不可逆的に解決したということで合意した。これにより、両国の関係は未来志向の新時代に突入すると安倍総理は期待している。日本が韓国を必要とする理由は何だろうか?朝鮮半島には、大雑把に言って3つのシナリオがある。すなわち、共産主義国として統一する、資本主義国として統一する、現状維持の3つである。

 日本にとって最悪なのは、朝鮮半島が共産主義国として統一されることである。巨大国家・中国をバックに、共産主義の脅威が日本の目前まで迫ることを意味する。さらに、韓国の資本力が北朝鮮の核開発につぎ込まれるようなことがあれば、朝鮮半島に非常に危険な核保有国が誕生する。ただ、中国も朝鮮半島の共産主義化に本気かどうか不明である。北朝鮮の核が中国にとって脅威であるように、朝鮮半島の新国家が必ずしも中国に従順になるとは限らないからだ。ロシアと対立した過去がある中国なら、そのことはよく解っているはずである。

 朝鮮半島が資本主義国として統一された場合はどうか?日本から見れば、共産主義の脅威が中国側に後退することになるが、実はアメリカがそれを望んでいないように思える。朝鮮半島が資本主義国となれば、アメリカは朝鮮を通じて、巨大な共産主義国である中国と正面から対峙しなければならない(逆に言えば、中国も巨大なアメリカと対峙することになり、中国にとっても望ましくない)。

 朝鮮半島が南北に分裂しているうちは、アメリカと中国の対立を、韓国対北朝鮮という枠内に抑えることができる。だから、日本、アメリカ、中国にとって望ましいのは、現状維持である。したがって、韓国との外交は、将来もこの点を念頭に置いたものになるに違いない。

 では、韓国にとって日本は必要なのだろうか?かつて、日本は政治面でも経済面でも韓国のお手本であった。ところが、課題は残るもののある程度の民主化を達成し、経済的にも1人あたりGDPが日本を上回りそうなところまで成長した韓国にとって、教師としての日本の価値は薄れている。

 前述の通り、朝鮮半島は現状維持が最善であるとすれば、韓国はこの先も北朝鮮と対峙し続ける。もしかすると、韓国が北朝鮮に対抗するためには、韓米同盟があれば十分かもしれない。韓国の執拗な歴史問題攻撃にうんざりしている日本人は、ここに来て急に慰安婦問題の解決を提案してきた韓国を見て、「やっぱり韓国は日本がいなければダメな国なのだ」と、どこか上から目線で見ている節がある。だが、日本が勝手に優越感に浸っているだけであって、韓国が日本をあっさり捨てるというシナリオも想定しておかなければならないと感じる。

『2015年夏という分岐点(『世界』2015年10月号)』


世界 2015年 10 月号 [雑誌]世界 2015年 10 月号 [雑誌]

岩波書店 2015-09-08

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 (1)
 (「人種差別撤廃施策推進法(通称「ヘイト・スピーチ規制法」)」は)基本法ゆえ、この法案が成立しても即効性は高くないが、何より、これまで人種差別を放置してきた姿勢を改め、国と地方公共団体が総体として取り組み、人種差別撤廃政策を策定・実施していくことで、反人種差別が国と社会の主流となり、差別撤廃に向けた歴史的な転換点となる意義がある。
(師岡康子「審議入りした「人種差別撤廃施策推進法案」の意義」)
 ブログ本館の記事「山内志朗『ライプニッツ―なぜ私は世界にひとりしかいないのか』―全体主義からギリギリ抜け出そうとする思想」でも書いたように、左派は個の違いを無視して、皆が平等な社会の実現を目指す。怖いのは、左派が人種以外の様々な違いを差別と呼び、その撤廃に動き出すことである。例えば、学校が入試試験によって一定の偏差値以上の生徒の身を確保することを「学力差別」と呼ぶかもしれない。また、企業が顧客の年収に応じて製品・サービスのレベルを変えることを「収入差別」と呼ぶかもしれない。

 一般論で言えば、人種、出自など本人の努力ではどうしようもない要素についての差別は取り締まるべきであり、逆に学力、年収など本人の努力で変えられる可能性がある要素については差別しても構わない、ということになるだろう。ところが左派は、親の年収が低いと学力向上の機会が与えられないとか、会社の底辺で搾取されていると年収が一向に上がらないなどと、あたかも外部環境のせいで差別が固定化されているかのように扇動する可能性がある。

 (2)
 読売新聞が2005年10月に行なった面接方式の世論調査によれば、対中戦争については、68%の人が日本の「侵略戦争」と考えています。対米戦争を「侵略戦争」だと考える人は34%ですが、対中・対米ともに侵略戦争ではなかったという回答は10%にとどまっています。これは、国民の総意に近いものではないでしょうか。
(加藤陽子、半藤一利「歴史のリアリズム―談話・憲法・戦後70年」)
 左派が目指すのは市民社会の実現であるから、彼らにとって世論というのは非常に重要なのだろう。一方で、本号の別の箇所にはこんな記述がある。
 もっと気味が悪いのは、「(安倍)談話」発表後のメディアの世論調査結果。共同通信が最初で、15日に全国電話調査の結果を発表したが、「談話」を評価するが44.2%、しないが37.0%、さらに内閣支持率は、不支持がまだ僅差で多いが、支持するが前回より5.5ポイントも改善、37.7%まで上昇。つづく読売の結果は、「談話」を評価するが48%、しないが34%。産経・FNNとなると、評価するが57.3%、しないが31.1%で(中略)、全体的には、多くの国民の心情が、あの程度の「談話」でも、よいとする方向に振れる様子を、浮き彫りにした。
(神保太郎「連載メディア批評第94回 (1)新たな「過ち」の始まり―安倍談話報道をふり返る、(2)アーカイヴ・「戦後70年特番」」)
 左派が世論は正しいとするのならば、安倍談話は”あの程度”であっても正しいと言わなければならない。世論調査の結果を主張したい内容の文脈に応じて都合のいいように利用するのは、国民を愚弄する行為ではないだろうか?

 国民は概して、短期的、自己中心的に行動する。そんな国民の人気を取るのは実に簡単なことだ(経済対策を打ち出せば、すぐに支持率が上がる)。しかしながら、世論調査というのは、どこまで行っても所詮参考値にすぎないと思う。そもそも政治は、国民の人気を集めるためにやっているわけではない。

 各人が短期的、自己中心的に振る舞っても、結果的に全体最適が達成されるのは、自由経済の世界のみである。政治の世界ではそうはいかない。時には中長期的な視点に立ち、誰かの利害を犠牲にするような行動をとらなければならない。必然的に、国民から理解が得られないこともある。だが、孔子は『論語』で、「民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず」と説いているではないか?

 (3)
 (安倍談話の)全体としての印象を言えば、第一に、客観主義的で、まるである種の教科書のように公式的に、戦争に至る歴史的経緯が論じられていることである。(中略)第一の点に関連して指摘しておかなければならないことは、安倍談話は、その内容としては、総理の私的諮問機関として今年2月に設けられた21世紀構想懇談会から安倍首相に提出された報告書(8月6日付)を下敷きにしたものだということである。それが何を意味するかといえば、談話において、首相という政治指導者が示すべき歴史についての主体的判断を、専門家集団に丸ごと委ねたということである。
(三谷太一郎「主体性を欠いた歴史認識の帰結は何か」)
 安倍談話、しかも私的な談話ではなく閣議決定された談話は、政府としての公式の歴史見解を反映させたものである。それが「教科書のように公式的」であることの一体何が悪いというのだろうか?

 ブログ本館の記事「E・H・カー『歴史とは何か』―日本の歴史教科書は偏った価値がだいぶ抜けたが、その代わりに無味乾燥になった」でも書いたが、戦後日本の歴史教育は、日教組が教育現場に深く入り込んでいたこともあって、共産主義の影響を強く受けた。日本は満州事変の時から侵略国家になった、いや明治維新の時から侵略国家を目指していた、と左派はとらえている。

 右派は左派の影響を1つずつ解除し、客観的・中立的な記述を目指してきた。その結果でき上がったのが現在の歴史教科書である。確かに、歴史用語が次々と登場するだけで淡泊だという批判はある。だが、かつての歴史教科書が左派偏向だったことを考えれば、これは大変な進歩である。さて、安倍談話に目を向けると、安倍談話と歴史教科書の近現代史観は共通点が多い(国内向けの歴史と、国外に発信する歴史の整合性を取ったという点は偉業である)。歴史教科書が進歩したのと同様、今回の安倍談話もこれまでの談話に比べて進歩したと言える。

 最後にもう1つ。三谷氏は、首相が21世紀構想懇談会に報告書を作成させたことを批判している。しかし、仮に首相が独断で談話を出せば、「なぜ有識者会議を開かなかったのか?」と批判したに違いない。だから、三谷氏の批判は典型的な揚げ足取りであり、何も意味をなさないと思う。

 (4)
 かつて、オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』(1930年)において、「一つのことに知識があり、他のすべてのことには基本的に無知である人間」、すなわち大衆化した専門家の野蛮性を厳しく排撃した。専門家が自己限定の自覚を欠いたとき、専門家支配は暴走する。
(三谷太一郎「主体性を欠いた歴史認識の帰結は何か」)
 専門家が暴走した例として、この記事では東日本大震災における福島第一原発事故を挙げている。左派は知識が支配力を持つことを嫌うので、エリートや専門家を厳しく批判する傾向がある。代わりに、(無知な)市民を広く参加させよと主張する。だが、別の記事にはこんなことが書かれている。
 安倍新説の最大の問題点は、それが歴史的に間違っているという部分だ。安倍が依拠した有識者懇談会の16人のメンバーのうち歴史家と呼ばれる人たちは4人だけだったゆえ、その錯誤は驚くにはあたらないのかもしれない。
(テッサ・モーリス=スズキ「安倍70年談話における戦争史の欠陥」)
 これではまるで、有識者懇談会にもっと歴史の専門家を入れろと言っているようなものだ。有識者懇談会が専門家で支配されることこそ、左派が最も嫌うのではなかったか?有識者懇談会には歴史が専門ではないメンバーが12人もいたのに、報告書をまとめることができたという事実を、なぜ左派は評価できないのか?

 (5)
 その(小選挙区制の政治的効果の)結果、自民党は党内での緊張感を弱め、地域や地方での手足を失うことになった。派閥の力が弱まって集権化が進み、2世議員や3世議員が増え、選挙区との日常的なつながりが薄まった。派閥の新人発掘機能や議員への教育・訓練機能も失われ、若い候補者が政治家として鍛えられるチャンスが減った。その結果、「こんな人が」と思われるような不適格者も国会議員になってしまう。
(五十嵐仁「自民党の変貌 ハトとタカの相克はなぜ終焉したか」)
 この記事に限らず、本号では自民党議員の質の低下を小選挙区制に帰結させる論調が目立った。しかし、日本に小選挙区を導入したのは、非自民の細川連立政である(1994年に、衆議院の選挙区制度を小選挙区比例代表並立制に改革する法案が成立)。中選挙区制では同一政党・会派同士が多額の金をかけて争い、政治腐敗を招きやすいので、それを是正するというのが当時の目的であった。左派の要求に従って小選挙区制を導入したのに、それによって議員の質が低下していると批判されるのは、何とも理不尽な話である。

 (6)
 安倍談話の中で謝罪に言及した部分に、謝罪の対象は書き込まれていない。「私たちの子や孫、そしてのその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」ここで目指されているのも、当事者の被害回復の目的で行われる、被害者に対する謝罪ではなく、第三者からの評価を期待した、謝罪というパフォーマンスだからであろう。
(牧野雅子「性暴力加害者の語り」と安倍談話)
 私は、従軍慰安婦問題について何か主張できるほど情報を持っていない。ただ、私にとって不思議なのは、日本国内では犯罪加害者にも人権があると言って擁護に乗り出す左派が、慰安婦問題に関しては徹頭徹尾謝罪することである。朝日新聞が吉田証言の誤報を世界に発信したことで、日本人の尊厳が傷つけられたことには全く触れない。仮に、国内で容疑者の間違った情報をメディアが報じたら、「メディアは加害者の人権を侵害した」と左派は騒ぎ立てるに違いない。

 (7)
 国防という観点からいえば、日本は海岸線がたいへん長く、世界で6番目、アメリカよりも長い。だから四方八方どこからでも攻められる。文字どおり隙だらけです。この守りづらい国土を守るためには外で守るほかはない。勝海舟も坂本龍馬も、結局、まず海軍が必要だと考えたし、明治維新以来、日本の指導者は苦労してきた。
(加藤陽子、半藤一利「歴史のリアリズム―談話・憲法・戦後70年」)
 日本の海岸線が世界で6番目に長いという事実から導かれる結論は、左派にとっておよそ受け入れがたいものだろう。それはつまり、海軍自衛隊を強化せよ、ということである。日本の自衛隊員の数を見ると、陸軍は約14万人であるのに対し、海軍はその4分の1あまりの約4万人しかいない(ちなみに、空軍も約4万人)。これは、自衛隊が基本的に、敵が上陸した場合の防衛を主としているためである。だが、隙だらけの日本の海岸線を守るには、海軍を強化する以外にない。

 (8)本号に限らず、左派は原子力発電に対して非常に強いアレルギー反応を示す。左派の基本的なメンタリティは、力への抵抗である。よって、人間にとって少しでも脅威となる技術や事象については、それが人間の生活を豊かにできる可能性を秘めていたとしても、徹底的に排斥しようとする。だから、原発再稼働を許さないし、武力行使にも反対する。最も急進的な左派は、人間が技術などを持たない時代、つまり皆が農業にいそしんでいた時代へ戻れとさえ主張する。

 過去の『世界』を調べたわけではないが、数十年前の左派は、自動車が交通事故死をもたらすとか、公害を引き起こすといった理由で、自動車を否定していたのではないだろうか?また、数十年後の左派は、AI(人工知能)を敵視し、ロボットに雇用が奪われるだの、機械に人間が支配されるだのと批判するに違いない。

 左派はあらゆる危険分子を取り除いて、鎖国状態、無菌状態、自分だけは純潔という状態を作り出す。しかし、そういう状態は長続きしないし、一旦危険分子が入り込むと、堰を切ったように大きな反動が生まれる。鎖国から抜け出した明治政府が急速な社会改革を進めたのはその一例だろう。現在の日本は、平和憲法という名の下に、武力を排除している。ところが、その極端な武力嫌いが、かえって反動としての戦争を引き起こすのではないかと心配している。

 我々に必要なのは、リスクをはらむ技術などを一方的に遠ざけるのではなく、リスクがあると知りながらなおその技術を活用し、生活や社会を充実させる方法を模索することではないだろうか?右派の人たちは、ややもすると技術を礼賛してリスクを顧みないことがある。だから、左派に対しては、そのリスクを指摘し、リスクとの上手な共存を提案するという姿勢を期待したい。

『安倍談話と歴史復興への道/安保法制と東・南シナ海の中国の侵略(『正論』2015年10月号)』


正論2015年10月号正論2015年10月号

日本工業新聞社 2015-09-01

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 (1)
東京裁判そのものと言って良いマッカーサーも米国上院軍事外交委員会で「日本が戦争に入ったのは主として自衛のためだった」と証言しているのです。
(渡部昇一「東京裁判史観を突破した「縦の民主主義」の歴史力」)
 渡部昇一氏が雑誌『致知』に寄稿している連載は私も毎月読んでおり、このマッカーサーの言葉がたびたび紹介されているのは知っていた。太平洋戦争(右派は必ず大東亜戦争と呼ぶ)では、アメリカの禁輸制裁によって石油などの重要物資が不足したため、打開策として東南アジアへと進出した。だが、果たしてそれを自衛と呼んでよいかどうかは疑問が残る。

 つい先日、安倍政権は安保法制を成立させ、集団的自衛権の行使が可能となった。ところが、例えばイランのホルムズ海峡封鎖によって石油が日本に入らなくなり、存立危機事態になったとしても、経済的理由によって集団的自衛権を発動することはできない、というのが政府の見解である。このロジックを太平洋戦争にあてはめると、あの戦争はどのように説明すればよいだろうか?

 (2)
 有識者懇談会の報告書に「植民地支配」とあることについても呆れてしまいます。一体、全くどうしてこんなに無知なのか、嘆かわしい限りです。日韓が併合した時の韓国とは何だったか。大韓帝国だったのです。それが日韓併合で日本と一緒になったのです。帝国がほかの帝国を植民地にすることなどありません。(中略)

 植民地支配というのはおおむね植民地先の住民を隷属支配し、搾取収奪を重ねます。しかし日本は違います。朝鮮の人々を日本国民として扱ったのです。鉄道や学校、ダムといったインフラを整え、教育で実用的な読み書きを普及させました。
(渡部昇一「東京裁判史観を突破した「縦の民主主義」の歴史力」)
 これも渡部氏がしばしば指摘することである。欧米の植民地支配では、現地のトップは欧米人ではなく現地人にするのが一般的だとされる。現地の事情は欧米人よりも現地人の方がよく知っているし、現地人は欧米人よりもやはり現地人に従う、というのがその理由だ。現在のグローバル経営にもその名残は残っており、グローバル企業が海外進出すると、現地企業のトップは必ず現地人にする。

 一方、日韓併合では、朝鮮半島を日本に改造しようとした。現地のトップは日本人が務め、朝鮮の人々に同化教育を施し、日本と同じような経済・社会インフラを整備した。欧米の植民地支配が現在のグローバル経営に影響を及ぼしているのと同様、日帝の支配も日本企業のグローバル展開に名残を残している。すなわち、現在の日本企業は、海外に進出しても、現地企業のトップを現地人ではなく日本人にする。そのため、現地人は出世の道がないと感じてモチベーションを失う。そのため彼らは、経営トップへの道が開かれている欧米企業を選択する。

 話を元に戻そう。日韓併合直前の朝鮮半島は政治的にひどく腐敗しており、ろくな教育が行われていなかった。そのため、前述のような日帝の政策を喜んだ人も多かったという(現在の韓国でも、日帝の支配を肯定的に評価する人の割合は、年齢が上がるにつれて高くなるらしい)。だが、同化政策とは民族アイデンティティの放棄を迫ることであり、見方によっては植民地支配よりも残忍かもしれない。

 (3)
 この海域(※南シナ海)は「日本の生命線」ともいえる重要なシーレーンである。日本人の生活に不可欠な石油の80%が通過するだけではない。日本とアジア諸国、さらに欧州、中東を結ぶ航路であり、日本人にとって必要不可欠な物資が通過している。(中略)南シナ海が紛争地域となり船舶の航行に障害が出た場合、「存立の危機」ということが当てはまるだろう。
(山田吉彦「海洋国家として生き抜くための安保法制」)
 (1)で述べたように、経済的理由で集団的自衛権を発動するのは難しいし、仮にそれを実行すれば太平洋戦争と同じになってしまうだろう。

 安保法制を支持する右派の人たちは、集団的自衛権が南シナ海における中国への抑止力となることを期待しているが、この点が私にはどうもよく解らない。集団的自衛権は、密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合(存立危機事態)に行使される。

 「密接な関係にある他国」というのは同盟関係にある国を指す。現在、日本が同盟を結んでいるのはアメリカだけである。よって、例えば南シナ海でフィリピンが中国に攻撃されたとしても、フィリピンが日本の友好国であるという理由でフィリピンを助けることはできない。では、フィリピンに再駐留したアメリカ軍が南シナ海で中国に攻撃されたらどうか?この場合、「我が国の存立が脅かされ」という要件に引っかかる。南シナ海と日本は地理的に距離があるため、南シナ海での紛争がただちに日本の存立を脅かすと言い切るのは相当難しい。

 個人的かつ乱暴な印象だが、安保法制下の集団的自衛権は制約が大きく、実際には個別的自衛権の延長にすぎないと感じる(本号で、国際政治学者・三浦瑠麗氏も同じようなことを述べている)。政府が安保法制で実現したかったのは、集団的自衛権よりも、「重要影響事態(そのまま放置すれば、我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態など、我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態)」における後方支援の拡充の方だったのではないだろうか?
プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。これまでの主な実績はこちらを参照。

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

 現ブログ「free to write WHATEVER I like」からはこぼれ落ちてしまった、2,000字程度の短めの書評を中心としたブログ(※なお、本ブログはHUNTER×HUNTERとは一切関係ありません)。

◆旧ブログ◆
マネジメント・フロンティア
~終わりなき旅~
シャイン経営研究所HP
シャイン経営研究所
 (私の個人事務所)

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