考えるヒント (文春文庫)考えるヒント (文春文庫)
小林 秀雄

文藝春秋 2004-08

Amazonで詳しく見る by G-Tools

 ようやく最近になって山本七平、小林秀雄、和辻哲郎、丸山眞男といった、日本の著名な思想家の本を読み始めたのだが、10年早く読み始めるべきだったと後悔している。そんな私が、小林秀雄の本を読んでいきなり何かを書けるわけでもないのだけれども、何事も練習が大事ということで挑戦してみる。

 本書を読むと、小林は機械に対して強い不信感を抱いているようだ。冒頭に所収された記事には、将棋を指すコンピュータの話が登場する。小林は、このコンピュータに否定的である。小林は、3×3マスの魔法陣では、先手が必ず勝つことを引き合いに出す。仮に、将棋も先手と後手のどちらかが必ず勝つことが判明すれば、後は先手か後手かをクジなりコインなりで決めた時点で、勝敗は決する。だが、実際にはそこまで解っていない。だから、コンピュータが人間に勝つことはないと言う。そんなことは常識で考えればすぐに解るとさえ書いている。

 この記事が発表されたのは1959年6月であるから、当時のコンピュータに関する技術や一般的な知識に従えば、こういう感覚に陥っても仕方なかったのかもしれない。3×3マスの魔法陣で先手が必ず勝つように、将棋では例えば「先手が4六歩を指せば必ず勝てる」ということが判明すれば、コンピュータは人間に勝てる(コンピュータが先手・後手を決めるクジで、運よく先手を選択することが条件だが)。しかし、そういう必勝パターンは見つかっていないから、コンピュータが人間に勝つことはあり得ない。これが小林のロジックである。

 だが、現在はAI(人工知能)の発達によって、チェス、将棋の世界ではコンピュータの方が強くなってしまった。最近、googleのAIが囲碁で勝利し、世界に衝撃を与えた。打ち手の数のパターンは、チェス、将棋、囲碁の順番で増える。つまり、この順で難易度が上がる。しかも、将棋と囲碁では難易度が桁違いだったのだが、googleはいとも簡単にクリアしてしまった。私はAIの専門家ではないので、詳しいことは解らない。ただ、チェスであれ将棋であれ囲碁であれ、AIは必勝法を特定しようとはしない。局面ごとに、相手を追い詰める効果が高いと思われる打ち手に当たりをつける技術に長けている。これは小林の盲点だったであろう。

 小林は「ウソ発見器」についても懐疑的である。機械が人間の心理の機微を正確に把握できるのならば、人間の性格を外部から強制的に変えることだってできるはずだと強弁する。だが、機械によって性格を変えられた人間は、もはや人間とは呼べないと述べる(この点にはやや論理の飛躍があるように思えるが)。

 小林は、人間の内部は外部が規制するという現代(本書が書かれた1960年代前後)の風潮にも苦言を呈する。上記のように、機械によって人間の運命が定められることもこれに含まれるだろう。小林は、人間個人の心の動き=人性を重視した。しかし、これは決して、左派が言うような個性重視、人格重視とは異なる。科学が導く合理的な概念には血が通っていない。そうではなく、生活に未着した言葉、自己の日常経験に即した言葉を大切にする。

 例えば小林は、個性、人格という言葉よりも、「変わり者」という言葉に着目した。変わり者という言葉には、単にその人が他の人と違うという意味の他に、その差異がどこか滑稽だと周囲の人が見なしている意識が反映されている。しかし、周囲の人はその変わり者を無下に排除したりはしない。「彼にはちょっとおかしなところがあるけれども、どこか可愛げがある。だから大目に見てあげよう」という、人間関係の体温を感じさせる。「変わり者」という言葉には、これだけの意味が包含されている。これは、明らかに個性や人格とは異なる意味合いだ。

 小林は、本居宣長の「姿(言葉)は似せ難く、意は似せ易し」という言葉を紹介している。通常は、意味を真似するのは難しく、言葉を真似するのは簡単であると考えがちだ。ところが、宣長はそれは逆だと主張した。確かに、マイケル・ポランニーが言ったように、我々は言葉で表現できること以上のことを知っている。そして、それを意味と呼ぶならば、意味を言語以外の方法も含めて他者と共有することも可能である。これに対して、言語というものは、意味の境界を明確にするというメリットがある反面、本当は意味したかった意味を切り捨てるリスクがある。だから、伝えたい意味を的確な言葉に変換するのは非常に難しい。

 私は野球好きなのでいきなり野球の話をすることをお許しいただきたいが、野球の「サヨナラ」という言葉は実によくできた言葉だと思う。サヨナラは、端的に表現すれば、9回以降の裏の攻撃で勝ち越して勝利を収めることである。しかし、サヨナラという言葉には、球場全体がそれまでの緊張感から一気に解放されること(緊張感にサヨナラ)、勝利チームはその時点でもうそれ以上攻撃をしなくても済むこと(仕事からサヨナラ)、敗れたチームは転々と転がるボールを追わず完全に試合を諦めること(白星にサヨナラ)、観客はそれぞれに様々な思いを抱いて家路につくこと(球場からサヨナラ)など、色々な意味が凝縮されている。

 ちなみに、MLBではサヨナラゲームのことを"Walk-Off"と言う。打たれたピッチャーがマウンドからゆっくりと降りることから、そのように呼ばれるそうだ。しかし、日本の「サヨナラ」に比べると、あまりにもあっさりとした言葉で面白みがない。